「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。」
ヨハネ 6章 62節
これがイエス様の言葉と、ユダヤ人たちの理解の間にあるすれ違いでした。主は、霊的なこと、神の御霊に関することを話しておられました。
けれどもユダヤ人たちは肉に関すること、目に見える事柄のみで考えていました。
ここにいるユダヤ人たちのように、多くの人が肉によって神のこと、キリストのこと、聖書のことを知ろうとしています。どんなにギリシヤ語を学んでも、どんなにヘブライ語を学んでも、神学の博士号を得ても、神の真理に至りつくことはできないのです。御霊を受けた無学の信徒が、これら学識ある人々よりも、神の知識について優れています。肉は何の益ももたらさないのです。
ローマ8章2節で、「いのちの御霊の原理」というのがあります。ちょうど自然界に重力の法則があるのと同じように、いのちの御霊の法則がありますこれに従えば、主は私たちの内で、私たちができなくなっていることをしてくださいます。いのちの御霊の原理は、私たちがイエス・キリストを信じる時から働きます。この方を信じることによって、主が与えようとしている力、知恵、知識を知ることができるのです。
「思う一念岩をも通す」という言葉があります。昔々、中国大陸に弓に長けた武将がいました。夕方休息をとっていますと、「虎だ ! 」という声がいたので、彼は弓に矢をひきその虎に放ちました。「当たった ! 」と誰かが叫びました。恐るおそる近寄ってみますと、それは虎ではなく岩であったのです。しかし、彼の矢は虎と思っていた岩に突き刺さっていたと言います。
信じるということ、確信するということは無限の力を引き出し、ことを成し遂げるのです。救われると信じることは、救いに通じます。キリスト・イエスはそのために来られたのです。