マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

祈り

2017年12月15日 | キリスト教


「 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、

わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」

                                                 黙示録 3章 20節

「彼とともに食事を」をするということ、現在私たちが共に食事をすると言う以上にもっと深い意味があります。

それは「食べる人と一つになる」という意味があるのです。同じパンを食べ、同じスープから飲むことによって、

互いが一つとなることを象徴しています。そこで主イエスは御霊によって私たちと一つとなり、

親密な交わりに招いてくださっているのです。

 

さて今回は私たちの祈りについて次の三つの点にまとめてみました。その一つめの祈りは、

イエスに私たちの問題の中に入っていただくことであって、神を動かすとか、神に一方的に訴えるものではありません。

神は問題をよくご存知であり、私たちが神を迎え入れるよう待っておられるのです。

第二の祈りは、イエスのみ名により聴かれるものです。「あなたが、私の名によって父に求める祈りはなんでも、

父が与えて下さるためである」とあります。

第三は祈りは信仰生活の武器です。キリストの弟子たちは二つの武器を与えられ、ローマ、ギリシャ、さらに

全世界へ広がっていきました。それは十字架と復活のキリストであり、今一つは祈りでした。


マタイ 6:6

「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。

そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」


マルコ 11:24

「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする