「 この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く。」と言われた。 」
ヨハネの福音書 19章 28節
主イエスが十字架上で語られた七つのことばの中の第五番目です。
私たち人類の贖罪を成し遂げられた主イエス・キリストにとっては、この人類の救いこそが心の渇きです。
この主イエス・キリストの贖罪を信じて救われる魂の起こることこそ、主イエス・キリストの切なる願いです。
この主イエスの渇きは、私たちには到底体験し得ない。ことですが、しかし私たちひとり一人がこのイエスの御愛を
証しし魂をば主の御許に導くなら、主の子の渇きも少しは癒されるのではないでしょうか。
この渇きは私たちのために覚えられ、私たちを神の愛で満ちさせるために、イエスは全てのの苦しみを嘗められた。
それは私たちを買い取るために、また私たちの弱さのゆえに十字架に向かわれたのです。
主イエス・キリストは魂の救いのために命を懸けてくださいました。主は今もそうです今この時にも魂を求めておられます。
「 わたしは渇く 」 と私たちすべての人々に語りかけておられます。主の心の渇きを深く思うものでいたい者です。
聖書から
イザヤ 53:3 ~6
「 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」