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大津波からの対策ー何が子どもたちの命を守ったか

2011-09-05 20:48:56 | 防災、安全

9月5日、東日本大震災の第2次支援を針谷みきお事務所として行いました。総勢11名、3台の車に支援物資をのせて、宮城県石巻市に向かいました。午前10時30分、無事に石巻市日本共産党救援ボランティアセンターに到着、午後1時からレクチャーと現地視察の予定だったので、かねてより74名の子どもたちの命をうばった、津波の被害が一番大きい大川小学校の慰霊と視察に向かいました。

大川小学校では出張でいなかった校長以外の教師も11名中10名が死亡しました。

 

まず、悔やまれるのは校庭に児童を集めたあと、教職員で避難路を議論したこと。裏山は想定していなかったこと。結局、地震から40分後に北上川の堤防に避難を開始したが、津波が押し寄せ飲み込まれてしまったということです。

実は、大川小学校と同じような地理的条件の学校が3つありましたが、他の2つの学校は岩手県ですが、一人の子どもたちの犠牲者を出さずに避難しています。何が子どもたちの命を守る道を分けたのか。

岩手県岩泉町立小本小学校では、津波対策をとり、裏山に避難する階段を設置、地震から15分後には全員避難させています。

ところが大川小学校では津波が来ることを想定していなかったことや裏山への避難路の要望はあったが、市教委に働きかけなかったと報道されています。さらに浸水時に児童の誘導先も決まっていなかったということです。

全体として宮城県の津波対策は教育行政だけでなく、防波堤にしても、護岸にしても岩手県と対比すると非常に遅れていたと視察のガイドさんは話されていました。

 あすは支援物資のお届け隊をする予定です。9月5日、午後8時宮城県より