ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

謎のオスマン・トルコ

2006-11-16 23:06:10 | イスラム世界


 ”Sofia-Bourges-Istanbul”by Gurultu & Petko Stefanov

 かってバルカン半島からギリシャ、トルコあたりに君臨したオスマン=トルコ帝国の大衆音楽を再現する、といった民俗音楽上の試みのアルバムと読んだ。ともかくイスラミックな旋律とバルカン名物の変拍子乱れ飛ぶ、その辺のスキモノにはこたえられない世界が展開される。
 冒頭から鳴り響く葦笛的響きのリード楽器の音に、「おお、我が最愛の民俗音楽系ジャズロックバンド、AREAのキーボードは、この音をシンセに組み込んでいたのだな」とかニヤリとしてみたり。

 が、曲順が進むうち、なんじゃこりゃ的展開が始まってしまうのである。急に曲にリズムが消えうせ、奇妙な、現代音楽的とも思えるコーラスが始まり、バルカン音楽はどこかへ消えうせてしまい、そのまま曲は終わってしまったりする。次の曲も、バルカン的な曲調を真面目にやっているかと油断していると、バックに流れているブラス隊の奏でるハーモニーが、どう聞いても近代ジャズにおける和音展開なのである。

 素朴な民族調アンサンブルに絡む、お洒落でジャズィーなホーン・セクション。そして無理やり入り込む現代音楽調実験音楽の要素。おいおい、こいつら、なにをやりたいんだ?
 慌ててジャケ解説を読むと、意外にもジョン・ケージ触れられている部分もあり、けど、なんだか分かったような分からないような。そのいきさつにはサラッと触れただけで、ジャケの解説文は黒海沿岸の込み入った民俗音楽事情を語るばかりなのである。

 結局意味不明のまま、アルバムは終結へ向かって進んで行くのである。強引に時間&空間軸を無視して入り込んだ異要素は音楽総体を食い破るでもなく、楽団の演奏は、民俗音楽の部分だけを聞けば力強い躍動感を失わぬまま、続いて行くのであった。ジャズィーなホーンセクションをお供に。

 改めて問う。こいつら、何やってるんだ?

 あなた、どこか外国の田舎町に行って地元の民俗音楽の楽団の演奏を楽しんだとして、そのついでにジョン・ケージの実験音楽も楽しみたいとか思いますか?
 バックにジャズっぽいホーンを流すとかって、実は楽団メンバーの趣味だったりするのだろうか。

 客からの要望でそんな事をやるとは考えにくく、となれば演奏する側の趣味と言うことになるんだが、バルカン音楽と前衛音楽とジャズ。無理やり同居させねばならない必然性はまるで感じられない。さっぱり溶け合わない結果に終わっているのだから。
 と言うわけで、疑問符だらけのまま放ってあるのだが、このCD、製作意図の分かる方、おられましたらご教示を!しかし、不思議な音楽があります、世界には。




ビートルズを迎え撃ったキスマーク

2006-11-15 01:50:34 | 60~70年代音楽


 プレスリーの”ハートブレイク・ホテル”の日本語版を歌っていたのは誰だったかなあ?まったく記憶が無いのだけれど。
 小学生の頃、悪ガキ仲間と学校の帰りに声を合わせて歌っていたような場面を覚えている。なんとなく歌ってはいけない歌のような雰囲気があり、それがタブーを犯す楽しみみたいに感じられていた。ロックンロールだなあ。

 日本語の歌詞はこうだ。

 ”恋に破れた 若者たちで いつでも混んでる ハートブレイク・ホテル”

 まあ、傷心の若者たちが集まる宿、なんてのは、そりゃあってもおかしくないけど、歌が先に進むと、こんな一節がある。

 ”ホテルの人も 黒い背広で 涙ぼしてる”

 客がセンチメンタルになるのはともかく、従業員はきっちり仕事せんかい。

 まあ、漣健二調というんでしょうか、50年代ロックンロール期の日本語訳詞の世界もあなどれません。

 ”買いたいときは 金出しゃ買える プールの付いた家でも買える
  それでも買えない 真心だけは キャント・バイ・ミーラ~ブ”

 ってのが東京ビートルズが歌っていたビートルズ曲の訳詩だったっけ?残念なことに私は、テレビなどで”動いている東京ビートルズ”をみていない。同趣向の、”国産ビートルズ”連中も、また。

 東京ビートルズってのはビートルズ旋風が世界を席巻した60年代初めに日本で生まれた、まがい物のビートルズ・コピーバンドならぬコピー・コーラスグループだった。コーラスグループってのはつまり、楽器の演奏が出来ないメンバーもいたそうで。ほぼ歌だけのグループだったみたいだ。まあ、当時の水準としてはそんなものだったんだろうな。

 その種のグループは当時、いくつも生まれていたようだ。そんな連中に関する記事なら私は、まだ音楽ファンでもなんでもないプラモデル好きの小学生時代に、家に転がっていた芸能週刊誌で見ている。
 それは、日本版ビートルズの座を奪い合う2つのグループ、なんて提灯持ち記事であって、さあ、どちらが日本のビートルズとしてファン心をとらえるでしょう、そんな趣向で話は進行していた。2つのグループの名?もちろん覚えていない。

 でも、そこで紹介されている二つのグループは、音楽にさほど興味のないガキの私が見てもなんだか妙で、なにしろビートルズみたいに楽器を持っていない。二組とものちのフォーリーブスみたいな”踊りの達者な4人の若者、将来はミュージカル出演が目標です”なんて雰囲気の連中だったのだ。
 
 まるで分かっていなかったんだろうな。旧来のショービジネスの常識なんかぶっ飛ばしてやって来た、それゆえに人気を博していたビートルズなのに、当時の日本の芸能プロダクションはその辺を理解できなくて、旧来の日本のショービジネスの匂い丸出しの”歌えて踊れる明るい若者たち”を引っ張り出してきて、振り付けをしたダンスを踊りながら日本語訳詞のビートルズの歌を歌えば、それで十分、世界を覆ったビートルズ人気にあやかれると信じていた。死ぬほどピント外れな発想だったのに。

 その記事の中でひときわ印象に残ったのが、どちらのグループだったか忘れたが、”首筋に貼ったビニールテープ製のキスマーク”をセールスポイントとしていた事だ。紹介記事は、そんな彼らを「たまらなくセクシーなキスマーク姿」とか持ち上げていた。
 ジャズダンスで鍛えた振り付けでクルリとターン、首筋のキスマークを客席に誇示しながら妖しげな流し目を送る。女の子はキャー!一発で彼らの虜だ。そんな計算でいたんじゃないの?いやあ、こんなマヌケ話、大好きだなあ私は。

 その後、海外から”本物のロックバンド”なども来日し、ロックの実例など目の当たりにした日本の若者たちは”まともなロックバンド”の道を突き進むこととなるのだが、私はどうしてもこの黎明期の日本ロックをあざ笑うように歴史の闇の向こうに身を潜めているビニール製のキスマークが気になってならないのだ。いやあ、恥ずかしいなあ、嬉しいなあ、まったく。




タイ仏教ポップスの新譜

2006-11-13 23:46:54 | アジア


 ”水牛を甕に詰めて”byトッサポーン・ヒンマポーン

 タイの仏教ポップス、レーを代表する歌手である、トッサポーン・ヒンマポーンの新作アルバムが届いた。

 とか言ってるが、それを購入した店でそう教えてもらったから「ああそうなのか」と知るばかりである。現物のジャケには例のタイ文字が踊るばかりで、どれがアーティスト名なのかさえ分からない。もちろん、タイトルの日本語訳もそう教えてもらったから記してみたのであって、歌詞の内容等も分かってはいない。

 この問題、何とかならんのかと思うのだが、世界中の音楽を相手にしている身、いちいち各国の言葉をマスターしていたら音楽を聴いている暇はなくなるのだからしょうがない。とは言え、文字の発音くらいは分かるようになりたいものだが(以下、略)

 冒頭、まず飛び出してくるのが涼しげな木琴の音で、続いて民俗調の太鼓がまったりとリズムを刻み始める。鈴が鳴り、素朴な笛が隠し味的にシンプルなメロディを繰り返す。
 おお、今回は電気楽器は無しのアコースティック編成である。なんか”日向ぼっこ”みたいな親しみ易い暖かさや明るさに溢れたサウンドだ。

 レーとは仏教の僧侶が上げるお経の節回しに影響を受けて出来上がった民俗ポップスなのだそうだ。まあ、基本的にはタイ演歌であるルークトゥンの一種なのだろうが、ある種、ヨーデルのようにレロレロと裏返る不思議な歌唱法が印象的である。当方としてもその響きの面白さに惹かれてレーに注目するようになった。

 が、この盤のトッサポーンの歌唱は、あまりあからさまなレロレロ歌唱法でもない。こちらもバックの音と同じく、地味に地味に裏返りつつ、歌いついで行く。なんだか以前聞いた60年代のレーのベテラン歌手の歌唱など、ふと思い出させる。

 もしかして今回は、アメリカの黒人音楽の用語で言うならば”ダウン・トゥ・アース”がテーマなのではないか。原点に戻ってレーを歌ってみよう、そんな地味な決心でもしたのではないか、ひょっとして。まあ、そんな四角四面な雰囲気は無いのであって、むしろ、先に述べたように日向ぼっこ的のどかさが支配する作品であるのだけれど。なんだか、聞くほどにジワジワ好きになって行きそうなアルバムだ。

 それにしても、この音楽の詳細を知りたいものだなあ。レーに関する情報は今のところ、何もないに等しい。

 仏教とのかかわりはお経からの歌唱法上の影響のみで、それほど抹香臭い音楽世界ではなさそうな気がするんだが。ジャケを見ても普通のルークトゥンとあまり変わらないカラフルさであるし、トッサポーン自身のルックスも、今回のジャケ写真では、なんか日本のホスト出身のタレント、花咲仁クンみたいな感じになってきているし。

 ああでも、この音楽に溢れている、日当たりの良い田舎道をのんきに転がって行くみたいなポコポコのどかな空気を御仏の慈悲の光に照らされている様、とするならそれを仏教ポップスの霊験あらたか、と納得できる事かも知れない。

 と。いや、こんな風にわけの分からん考えをもてあそびながら、未知の音楽の前で入り口が分からずムズムズする、感覚、これがワールドミュージック愛好の醍醐味の一つなんだよなあ、とか強がってみる。が、誰もそんな当方の姿に興味は持っていない、と・・・



ジャスラックの悪夢、果てしなく

2006-11-12 00:52:15 | いわゆる日記


 先日、73歳のスナック経営者が逮捕されましたね。店内で、ビートルズの曲を吹いた罪で。そう、またもあのジャスラックのご乱行です。
 詳しいところは、2006/11/10 の”J-CASTニュース”をご覧ください(http://www.j-cast.com/2006/11/10003787.html)一部、引用しておきます。

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社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)の許諾を得ずに、同協会が著作権を管理する曲を自身が営業するスナックで生演奏していた疑いで、東京都練馬区の飲食店経営者(73)が逮捕された。著作権法違反の容疑で逮捕に至るケースは極めて異例だ。JASRACは「それ以外に手段がなかった」としているが、ネット上では刑事告訴したJASRACへの批判の声が上がっている。
警視庁によると、この男は2006年8月、9月にJASRACが著作権を管理するビートルズの「ヒアゼアアンドエブリワン」「アラウンドザワールド」などの曲を、JASRACの許諾を得ずに店内でピアノやハーモニカで演奏して顧客に聴かせるなどして、著作権侵害を行った疑い。
 
 ~~~~~
 
 ついでに、”2ちゃんねる”に置ける発言も一つ、引用しておきましょう。

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 「ハーモニカを吹いた73歳の爺さん1人を逮捕して、『見せしめ』に牢屋に入れるという行為の是非を問いたいそれは人間として正しい行為と本当に思っているのか」

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 これに関連して、ある方が”私らがパブのセッションで 「ビートルズやってくださいよー」とか言われて ちょいと弾いちゃったら逮捕なの? ”と疑問を呈しておられましたが・・・

 そりゃ、逮捕です。著作権料を払わず、曲を無断で使用したからです。今、そうされないのは、ただ”いちいち目が届かないから”それだけの理由です。

 その他、ジャスラックに関するどんな無茶な話も、いずれ実現する可能性はあります。なぜならジャスラックは政府の役人の天下り会社であり、それに見合う莫大な収益を上げねばならないからです。

 今後の可能性に関して。 新潟のジャズ喫茶、Sを見舞った悲劇をご存知ですか?
 店内でかけたレコードに関わる著作権料を、開店の時点まで遡って請求され、とてつもない金額を支払わねばならなくなった、そのような事件でした。
 毎日、コーヒー一杯二杯の売り上げで、音楽ファンたちを楽しませていた店に、そんな莫大な、そしてメチャクチャな請求をして。もちろん、支払いなど出来るはずも無いですよ。

 さて私、次に来る事態を予想いたします。  
 そのうち、金を払って手に入れたはずのCDを聴くたびに、著作権使用料の請求が来るようになります。一回聞いたら50円とか。

 それが、過去に遡って使用回数を勝手に推定の上、請求される。3年前に買ったCD、一年に20回聞いたと想定すると50×20×3=3000円。6年前に買ったCDは当然、その倍の金額をジャスラックより請求される。あなたのリスニングルームに踏み込んだジャスラック職員により、全CDコレクションの査定が成され、上の要領で使用料の全過去に遡っての請求書が来る。

 それを断れば、先日のスナック経営者の如く逮捕される羽目となる。

 いや、冗談で済めばいいですけどね、先の新潟の例を思えば、ありえない話ではないでしょう、まったく。大丈夫ですか、CDやらレコードやら部屋中に積み上げているあなた?定期預金を崩すくらいで支払える額ならいいですねえ、あなたが生まれて初めてレコードを買った日まで遡って請求される著作権料が。

 さてその次は、ふと歌ってしまった鼻歌にかかる著作権料の請求ですかな・・・

 この状況に抵抗している「全国音楽利用者協議会」のURLを貼っておきます。読んでみてください。
 ↓
 「全国音楽利用者協議会」



夜明けのニューロック

2006-11-11 03:17:51 | 60~70年代音楽


 たまに、夜明け近くのラジオの深夜放送というものを聞くのだけれど、もうその世界では視聴者としてのターゲットを中高年に絞っていたりするのだった。私なんかにはメチャクチャ懐かしい音楽がかかりまくる。総人口に対する高年齢層の占める割合の増加はこれからもいや増し、そんな状況に対応しての事だろう。

 けれども、その中高年層にまさに属する立場で、「我々の時代が来た」とか能天気に喜んでいる人なんているんだろうか。ラジオの送り手は、そんなニュアンスで番組を作っているみたいだが。気分としては、「こんなことになっちまって・・・大丈夫なのかよ?」みたいな湧き上がる時代への不安を握り締めて、なんて感じじゃないだろうか。

 などと言いつつ、オノレもまたその中高年層としてその番組を寝入りばなにふと聞いているわけだが、昨夜、というか昨朝(?)にかかったタイガースの、あれは解散真近かのシングルみたいだったが「ラブラブラブ=愛こそすべて」なんて曲には「おおおっ」などと、面目ないが血が騒いでしまったものだった。

 60年代末のグループサウンズ流行時、私の好みは実力派のゴールデンカップスやサイケが売り物のモップスだったのであって、タイガースなんてメジャーで甘口のバンドに興味はまるで無かったし、そのような曲があったことも忘れていた。

 だが、時代が30数年も遠方に過ぎ去った今となっては、「ラブラブラブ」なる歌の、そのサウンドのうちに立ち込める時代の空気に、もう辛抱たまらん!みたいな気分になってしまったのだ。ガオガオと鳴り渡るハモンドオルガン、エリック・クラプトンに影響を受けた、なんてものじゃない、レコードからコピーしたフレーズをそのまま歌にはめ込んだギターの響き、あっと、クラプトンはもちろん、クリームの頃の、だぜ。当たり前じゃないか。

 そうそう、あの時代はそんな感じだったんだよ。この雰囲気、ニューロックだぜ、アートロックだぜ、イェイ!タイガースも俺もまた、同じ時代を過ごしたんだよなあ。俺の青春を返せ!くっそう!・・・とまあ、絵に描いたようなオヤジの感慨なんだけれども。

 こんな話をはじめてしまっても、その後のまとめが思いつかずに困るんだが。同窓会で「やあやああの頃は」なんてニコニコ出来るのは、それなりに”あの時代”の決算がついてしまっているからで、いまだ、当時の懊悩を引きずっています、みたいな私のような者には、どうにも居場所がない。

 いや、居場所はあの、空っ風吹き抜ける60年代末のあの街角なのであって、そこに戻る方法が無い以上、「あの時、こうだったら」みたいな、考えても取り返しの付かない、人生に対する中途半端な後悔をかみ締めつつ生きて行くしかないんだが。

 なんて事を思いつつ、居心地の悪い眠りに落ちる夜明けなのだった。懐かしのメロディなんてものは心の奥底に秘め、普通は鍵をかけて、そんなものは無かった顔をしているべきものであって、日常的に垂れ流されてもちょっと対処に困るんだよなあ。

 むしろ、聞きたくも無い”最新流行”に囲まれて不愉快な思いをしているほうが居心地は良いのかも知れない。過ぎ去った時代に思いを残して後ろ向きのまま年老いて行こうとしている者にはね。



村上龍と”まっすぐな世界”

2006-11-10 03:05:20 | その他の評論

 世の中には、キチンとした世界が好きな、というか世界がキチンとしているべきだと考えている作家がいる。いや、世界はキチンとするのが可能と考えている、というべきか。村上龍の話をしようとしているわけだが。

 彼は、坂本龍一との対談で、キュ-バ音楽を称賛しつつ、こう言った。「キュ-バのミュ-ジシャンの素晴らしいのは、気まぐれに、ほんのちょっとしたセッションを仲間うちでする際にも、キチンとアレンジを譜面に書き、それに則して演奏する所だ」と。
 大学でクラシック音楽を学んだ者である坂本もそれに同意し、対談はひとしきり、簡単な打合せだけでダラダラと始められてしまう、いい加減な音楽への罵倒で埋められた。
 簡単な打合せだけで、気合一発、始めてしまう音楽を聞くのも演奏するのも好きな私としては、まことに居心地の悪い思いをしたものだったが。

 彼は、そのようにキチンと統制のとれた世界への渇望を、たびたび公表している。
 たとえば、もうずっと以前の事であるが「あなたに子供が生まれたら、どのような音楽を聞かせたいか?」の問いに、「キチンとした古典音楽」と回答しているし、また、たとえば「テニスボ-イの憂鬱」なる作品では、愛好するテニスのようにキチンとしたル-ルに、現実世界が則って動いていない事を不満に思う主人公を設定している。

 逆の性向を持つ私には、その辺の実感がよく理解できないのだが、彼はどうやら、世界がキチンとしていないと不快に、あるいは不安になる人物のようだ。
 まあ、別にそれが正しいの正しくないの、などと述べるつもりもない。そんな事は、世界が「正しい」と「間違っている」に明確に二分できて、キチンと整理が可能と信じている人のやる事だから。

 ところで、彼が最近行っている経済関係者との論議なのだが、あれも結局は「経済」のものさしを借りて、世界をキチンと読み解き、キチンと理解の可能な形で(彼自身の意識のうちに)並べ変えようという、無意識の試みなのではあるまいか。経済は数字であり、冷厳な現実であるから、それを正確に読み解く事が出来れば、混乱した世界は自分好みのキチンとした形に収拾される筈だと、おそらく彼は信じている。

 無益な試みだと思うけど。だって世界はこれまで、一度だってキチンなどしていた事はなかったし、これからだってそうなのだから。本来、歪んだ世界に、いくら真っ直ぐなモノサシをあてたって、その計測は不可能だろう。
 だけどなあ、あの性分のヒトは、「計測がうまく行かないのは、モノサシの精度が足りないせいだ」とか言って、もっと真っ直ぐなモノサシを持ってきちゃうのよな・・・


カーティス・メイフィールド

2006-11-07 23:02:17 | 北アメリカ


 カーティス・メイフィールドが亡くなって、もうどれくらい経つだろうか、なんて言うと、「検索かければ」とか答えが返ってくるのがネットの世界の嫌な所だ。
 「そういえばカーティスは死んじゃったんだねえ」「あれはいつだっけ?例の事故があったのも、もうずいぶん前だったよねえ」「あの頃はさあ」とかなんとか、とりとめのない話をしつつ故人をしのぶ、なんて事が出来ない構造ってのは不幸じゃないか。

 カーティス・メイフィールドの音楽との出会いは、まだ私がロック好きのガキの頃だった。当時、彼がメンバーだったR&Bのコーラスグループ、インプレッションズの”エーメン”というゴスペルそのものみたいな歌が我が国でも小ヒットしたのだった。

 そのときは特に気に入った訳でもないのだがその数年後、大学生になった私のレコード棚に、いつの間にかインプレッションズのアルバムは鎮座ましましていた。
 なにをきっかけに買ったのか記憶もないのにいつの間にかファンになっていた、なんてのはいかにもカーティス・メイフィールドらしいって気もする。

 インプレッションズの歌で最も印象深いものといえば、やはり”ピープル・ゲット・レディ”だろうか。1960年代、アメリカの黒人たちの間での公民権運動の盛り上がりと連動するようにヒットした曲だった。

 とは言え、軽薄に”運動”に絡んだ曲ではなかった。「オラ、政治の事なんか分からねえし、おっかないことには関わりたくねえだよ」なんて、永山則夫言うところの”無知の涙”状態にある多くの黒人たちに、「約束の国行きの列車に乗って行こうよ。乗車賃なんか心配しなくて良い、あなたの信心する心があればそれでいいんだ」と、むしろ彼らにとって親しみ易い宗教の話に絡めて”変革”を説いたカーティスの優しさと確信の深さ。それを思い返すと、なんだか泣けてくるのだった、今となっては。

 同じくインプレッションズのヒット曲で”アイム・プラウド”なんてのも忘れがたい。
 これは、「あなたを愛する、そんな存在である自分を、私は誇りに思う」なんて歌で、ラブソングの装いをこらしてはいるが、「自分を取るに足りない、生きる価値の無い人間だなんて信じ込むのはやめよう、誰にも自分を誇りに思いつつ生きる権利があるんだ」と同胞たち、黒人たちに呼びかけた”生きるための歌”と取っていいのだと思う。

 そんなメッセージを込めた歌がカーティス独特の穏やかなファルセットで歌い上げられるのを聞くたび、それらの歌は無辜の人々の為の宝石と思え、カーティスの人柄の大きさに感嘆させられるのだった。

 70年代に入ってソロとなってからのスタジオ・ライブを捉えたビデオを持っている。
 あの小太りの体に丸いめがねをかけ、トレードマークの、と言っていいだろう、フェンダーのテレキャスターを抱え、いかにも人の良さそうな笑みを浮かべながらファンキーなリズムに乗ってシャウトするカーティス。

 伝わってくるのは、やはりとてつもない大きな人柄に支えられた優しさや温かさだ。画面にテロップで表示される歌の歌詞は、アメリカの現実を痛烈に風刺する鋭いものだったりするのだが、その音楽はスムーズで穏やかで、うっかりすると良い気持ちで聞き流しかねない心地良さに満ちている。

 そんな彼がある日、ステージ上で、倒れてきた照明機材により大きな怪我を負わされ、以後、首から下を動かすことのならない体になってしまい、そして回復することの無いまま数年後に死んでいってしまったこと。神様のやることも、実に不可解と言わざるを得ない。どうなっているのかね。

 冷厳な現実の前には黙して立つより仕方ないが、カーティスの蒔いた種は人々の心に深く根付き、静かに、そして大きく広がって行きつつあると信じている。約束の地へ行く最終列車の汽笛の音とともに。



タンゴの裏通りで

2006-11-05 23:42:26 | 南アメリカ


 ”TANGOS DE SIEMPRE ”by OSVALDO PEREDO

 ネクタイを外したシャツの襟元はよれていて、それと無精ヒゲがなんだかくたびれたヤクザな感じを漂わせている。そのような老人が昔風の大型のマイクに向かい、歌うというよりは呻いている。そんなジャケ写真が印象的で買ってみたCDだった。

 つい最近録音されたばかりのものであるが、収録されている曲目は”淡き光に””南””帰郷””小径””最後の杯”などなど、戦前の歌謡タンゴの定番ばかりだ。まあ、そのような懐メロ世界に生きる歌い手なのだろう。

 音を聞いてみると、想像した老人性ダミ声の炸裂ではなく、意外に端正な歌声が流れ出た。おそらく若い頃は美声の女殺しとしてならしたのではないか、そう思える。今は寄る年波でなんだかろれつも回らなくなり、迫力も声量も、ついでに髪の毛も失われつつあるが、いまだ自分なりに粋な二枚目歌手としての矜持を保っている、そんな感じ。

 バックの音に関しては、ストリングスなども入ってはいるのだが、前面に出ているのはピアノとバンドネオンの響きであり、その二つの楽器だけの伴奏に聞こえる場面がほとんどである。そのサウンドはもちろん、戦前歌謡タンゴの域を絶対に踏み越えることは無い。

 レコード店の説明では、若い頃は南アメリカ各地を流浪した経歴があり、また、有名タンゴ・ミュージシャンとの競演経験も持つ、伝説的歌手との事。

 とはいえ、そのような注釈が必要なほど、人に知られていない歌い手なのだろう。”伝説的”とはつまり、これと言った録音も残しては来なかった事をも意味するのではないか。ともかく私は聞いた事のない名だ。

 ジャケを開いても、曲目と簡単な録音データが記されているだけで解説も何もなし。まあ、あった所でアルゼンチン盤だからスペイン語だろうし、どのみち読めはしないので同じことなのだが。

 ジャケに、彼がブエノスアイレスの下町のタンゴ酒場で歌っている写真があった。ギタリスト一人をバックに、百年くらいの歴史は軽くあるのだろう古めかしい作りの酒場で、彼は歌っていた。

 彼にとっての”舞台”とは生涯、おそらくそのようなものだったのだろう。レコードの売り上げや大劇場におけるコンサートではなく。人々の日々の暮らしに密着して生きて来た、裏町のヒーローとしての歌手人生。

 今回、物好きなプロデューサーに誘われてCDを出してはみたが、「フン、ワシはそもそもCDプレイヤーなんて洒落たものは持っちゃいねえ」とうそぶき、その出来上がりにも売り上げにも興味は持たない。が、ある日彼は出来上がったCDを封筒に入れ、もう何十年も会っていない息子夫婦の所へ投函する。

 偏屈な彼に愛想を尽かして出て行った息子たちは、もうその住所に住んではいないし、それをとうに知っている彼は封筒に差出人の住所を書かなかったから、封筒は空しく郵便局のどこかに置かれたまま、いつか忘れられて行くだろう。いや、これは想像してみた物語に過ぎないが。

 市井の人々の喜怒哀楽が染み付き、くすんだ色に閉ざされたその歌声。聴いていて晴れやかな気分になるわけでもなんでもないのだが、なぜか何度も聞き返さずにはいられなくなっている。




ウクレレの木に花咲く

2006-11-04 02:06:17 | 太平洋地域


 ”OHANA - Ukulele Duo - ”by Ohta-san & Herb Ohta,Jr

 これは良いものを聴いてしまったなあと嬉しくなってしまったんで、季節外れもかまわず話を始めてしまうけれど。

 ハワイの日系ウクレレ名人であるオータサンことハーブ・オオタが息子の、やはりウクレレ弾きとして名を成し、すでに何枚かのアルバムも公にしているハーブ・オオタjrと初の競演をしたアルバムである。他の楽器は使われておらず、ただ親子による2本のウクレレが響くのみ。これがなんともホッコリと良い雰囲気の微笑ましい音楽となっているのだ。

 タイトルの”オハナ”には”ファミリィ”という意味があるそうな。これは日本語の”お花”から来ているのか、ハワイのマウイ系の言葉なのかは浅学にして知らない。が、太陽の恵みを受けて健やかに咲き誇る花々のイメージで聞いてしまって、さほど不自然ではないと感じた。

 取り上げられているのは”可愛いフラの手””アカカの滝””サノエ”といったハワイアンの大スタンダードばかりである。それらを二人は、まったく何の邪念も持たずにただ美しいメロディに帰依する伝統音楽の信徒と化して、奏でて行く。

 父親がミュージシャン、その息子もミュージシャン、という人間関係がどのようなものなのか想像も付かないのだが、二人は一個のミュージシャンとして、音楽への帰依の前で、完全に平等の存在となっているようだ。

 片方がメロディを奏でれば片方がバッキングに回る。どちらがどちらなのか、聞き分けるのは難しい。それは二人が没個性なミュージシャンであるからではなく、個性が際立つようなプレイが行われていないからである。ただ素直に、美しいメロディの実現だけに自己を投影して行く、そんな作業だけが、ここでは行われている。

 結果、親子二人のウクレレ弾きはただハワイの土に育つ音楽の花々と化して、永遠の時を過ごすこととなった。その優しさ、温かさはすべての音楽を愛する人々への天の賜物としてここにある。



ガマポリス漂着

2006-11-02 03:48:40 | ヨーロッパ


 ”Gammapolis ”by Omega

 あの頃、市庁舎の窓から見る街はいつも冬で、厚い雲が重苦しく垂れて空を覆っていた、そんな風に記憶している。

 当時は市営の図書館はまだその建物もなくて、市庁舎の一室に置かれていた。閲覧場所の真ん中には石油ストーブの上に置かれたヤカンが湯気を上げていた。そんな貧相な図書館ではあったが、当時の私はそこへ通うのが趣味の一つとなっていた。その場は意外にSF本の宝庫であったからだった。

 そこの粗末な書架には、伝説の”元々社のSFシリーズ”があり、人工衛星の打ち上げ合戦を東西両陣営が盛んに行っていた当時の通俗科学解説書群があり、アメリカの軍事評論家が著した”日米が再度戦わば”などという奇書があった。
 SF好きの中学生だった当時の私は、学校が終わるのを待ちかねて、その狭苦しい図書室に駆けつけてはそれらの書を手に取り、銀河の果ての旅の幻想に酔うのだった。

 同級生の中で気の利いた奴はすでに不純異性交遊に走っていたぞ、という声が聞こえてくる気もするが、特に悔やんではいない。私にとってはそれなりに素晴らしい日々だった。

 当時、妙に共産圏というか東欧方面に形のはっきりしない憧れを持っていた。あの頃、SF趣味の延長線上で熱中していた事の一つに、深夜、ラジオで”外国の日本語放送”を聴取する、というのがあったのだが、ことに共産圏からのものが、いかにも異世界から聞こえてくる異様な感じがファンタスティックで、好んで聞いていた。

 その辺りから、漠然とした共産圏へのピント外れの憧れが生まれていたようだ。スタニスワフ・レム等の東欧圏の作家によるSF作品も同様の、別の価値観を持った国発の不思議な感触を持ち、好ましいものと感じていた。

 ことに気になっていたのがハンガリーという国で、ともかくヨーロッパの中に一滴垂らされたアジアの血というべきか、東洋ルーツの民族の国であるあたりが不思議なもの好きの琴線に触れもし、どうにも気になるのだった。ハンガリー産のSFなど探してみたのだが、当時はまだ、日本語に訳されたものはなかったようだ。

 図書館の書架の窓際に腰掛け、見つけたばかりの、たとえばソ連のストルガッキー兄弟のSFなど紐解く。窓のむこうの空はほどよく曇り(?)いやがうえにも東欧気分を盛り上げ、私は自分の街の見飽きた風景をハンガリーはブダペストの通りに無理やりなぞらえ、悦に入っていたものだった。

 十年以上の時を経て、私はその幻想をそのまま音にした、そんな音楽に出会うこととなる。それがハンガリーのプログレ系ロックバンド、”オメガ”のアルバム、”ガマポリス”だった。

 7~80年代の東欧のプログレバンド特有のスペーシーな浮遊感を持ったそのサウンドは、快いSF気分の横溢したものだった。どことも知れない異空間で繰り広がられるレーザー光線による戦闘風景とも見える奇妙なジャケ画がまた、素晴らしい。そして、オメガお得意の東欧風の哀愁に満ちたメロディラインがたまらなく良い。

 オメガは70年代初期より存在していたバンドのようだが、途中で中心メンバーの脱退というアクシデントにみまわれる。要するにいつまでたっても売れないバンドに愛想をつかした、ということのようだが。
 残されたメンバーは窮余の一策、ハンガリーの民謡のメロディを入れ込んだオリジナル曲をでっち上げ、作曲担当のメンバーの抜けた穴を埋めようとした。と、そのメロディラインのエキゾティックさが受け、売れなかったバンドはそれなりに人気バンドとなってしまったというのだから運命というのは人を舐めている。

 民俗音楽研究の大家だった小泉文夫氏の著作など読むと、ハンガリー民謡の音階と日本のわらべ歌のそれとの近似性が指摘されている。やはりハンガリー民族のアジアの血の妖しさは見過ごせないものがある。そうそう、ハンガリー語による不思議な響きのヴォーカルもまた、いわく言いがたい魅力を持っていると言えるだろう。

 そんな”東洋の神秘”を内に秘めたメロディが、これはピンク・フロイド辺りの”西欧プログレバンド”の影響なのか、70年代共産圏ロック特有のスペイシーなサウンドを伴って繰り出されてくるさまは実にいい具合の幻想を醸し出し、このアルバムを私は、久しぶりに帰ってきた東欧気分として愛好することとなったのだった。

 それにしても”ガマポリス”ってなんなんだろうなあ?”ポリス”と付くからには都市の名前か?ジャケ画の様子から想像するに、人類が遠い未来にどこかの惑星に打ち立てた植民都市なのだろうか。ハンガリー語は、自慢じゃないが一言もわからない。