えーとですね、以下は現在のムーンライダースの前身となる”はちみつぱい”ってバンドに関する思い出話です。以前、別の場所で公開した文章なんですが、読みたいと言う人がおられたんで、こちらにも転載する次第です。さあ、30年以上前の日本のロックの世界をお楽しみ(?)ください。
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で、はちみつぱいの話。まあ、私は「初期の」はちみつぱいしか見ていないんで、その分、話を割り引いて聞いていただきたいんですが、それにしても印象の薄い連中だった。
何人で、どの様な楽器編成でやっていたのかも思い出せないし、演奏の細部も、漠然としたイメ-ジ以外、記憶に残っていない。あえて思いだそうとして甦るのは、そのくすんだギタ-の音色だった。ハ-ドな音を聞かせるバンドの歪んだ音でもなく、といって、クリアな音でもないそれは、他のバンドにはないものだったから。また、何時も彼等のステ-ジには照明が当たっていなかったような、あるいは常に照明から外れる位置で演奏していたような記憶がある。まさかそんな筈はないだろうが。「煙草路地」と「こうもり飛ぶ頃」の2曲ばかりを演奏していたような気がするんだが、まさか。いや。これは本当に、そうだったかも知れない。
そんなふうにウスバカゲロウの如き、儚いイメ-ジばかりが残るバンドだったのだけれど、私は彼等に、言葉にしてみれば「彼等はどうやら、俺の知らない美学にもとずいて音楽をやっているようだ。なんかパッとしないのは、それがまだ完成の域に達していないからなのであろう」といった感想を抱き、一応、彼等に敬意を表することに決めたのだが、その決定にはあまり自信はなかった。それは私ばかりではなく、当時の観客たちは皆、「初期のはちみつぱい」にどう対処すべきか、見当がつきかねていた筈だ。
ところで、「百軒店のグレ-トフル・デッド」なる言い回しが当時あったとすれば、それは、関係者の間で無理やり言っていただけの事でしょうね。その言い回しが公共のものとして成立するためには、1、はちみつぱいというバンドを知っていて、その演奏への理解が、ある程度出来ている。2、グ-トフル・デッドというバンドを知っていて、その演奏への理解がある程度出来ている。3、「ロック」がまだ未成熟だった日本において、その両者を並列させるという洒落を理解する能力がある。最低、この3つをクリア-している人間が一定量必要と思うのだが、当時、日本に何人いたというのだ?
はちみつぱいの演奏に、私が初めて強力な自己主張を感じたのは、まだ無名だった頃のあがた森魚のバッキングで、だった。その日あがたは、ステ-ジ上でマンガの単行本を広げてみせ、「これが幸子さんで、これが一郎君です」とか説明したあと、例の赤色エレジ-を唄いだしたのだが、スネア・ドラムだけを鼓笛隊風に肩から下げてあがたの隣に立ちジンタのリズムを刻んでいたドラマ-をはじめ、「ぱい」の連中はその日、「大正末期から昭和初期にかけての日本のロックバンドは、こんな音を出していました」みたいな時代錯誤でピント外れの妖気を発していて、ああ、こいつらはこんな方向を指向していたのかと、勝手に合点したものだった。
ついでに報告しておくと、その際のあがたの唄いっぷりは、今日、レコ-ド等で知られているものとは違い、絶唱というか、とにかく全面的に泣き叫ぶスタイルのものだった。あの状態でアルバムを1枚でも出しておいてくれたら面白かったような気もするのだが。彼がメジャ-から同曲をリリ-スするのは、それから半年以上も後のことだ。
やがて私は、彼等の演奏に接する機会を失ってしまう。いつの間にかコンサ-ト通いからレコ-ド収集へ私の興味の中心が移ったせいもあろうが、その頃の彼等も、主戦場をレコ-ディング・スタジオに移していたのかもしれない。
その後、大分経ってからリリ-スされたはちみつぱいの初のアルバムを聞き、腕を上げた彼等に舌を巻く一方で、なんだか私は、戸惑いも覚えた。そこにいたのは、当時の我々の興味の中心にあった外国のロックを巧みに消化した、「立派な」ロックバンドの姿だった。それは確かに好アルバムで、愛聴もしたのだが、ただあの捉えどころのない、儚くも怪しげな「初期のはちみつぱい」は、そこにはいなかった。
私が勝手に幻視した「彼等の未来」はむしろ、ぬぐい去られるべき「若気の至り」の残滓として、そこに微かに漂うのみだった。その時の気分を例えれば、「友人と居酒屋に行って騒ぐ約束だったのに、約束の場所に行ってみたら、そこはなんか高級そうなバ-だった」みたいな。
いや、良いんだけどね、ここでも。でも。あれ?そうだったの?ここでいいの?そんな戸惑い。(こんな話、当の「ぱい」のメンバ-にぶつけてみても、見当違いの思い込みと笑われるだけだろうが)
そしてその「残滓」は、彼等がム-ンライダ-スへと進化し、そのアルバムが重ねられるごとに薄れ、やがて消え去って行った。いや、彼等ばかりでなく、バンドごとにそれぞれ事情は異なるものの、そんな風にして「日本のロック」は成熟して行ったのだ。行ったのだが、本当にこのバ-で良かったの?と、時に思わないでもないのだ、私は。