ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ガマポリス漂着

2006-11-02 03:48:40 | ヨーロッパ


 ”Gammapolis ”by Omega

 あの頃、市庁舎の窓から見る街はいつも冬で、厚い雲が重苦しく垂れて空を覆っていた、そんな風に記憶している。

 当時は市営の図書館はまだその建物もなくて、市庁舎の一室に置かれていた。閲覧場所の真ん中には石油ストーブの上に置かれたヤカンが湯気を上げていた。そんな貧相な図書館ではあったが、当時の私はそこへ通うのが趣味の一つとなっていた。その場は意外にSF本の宝庫であったからだった。

 そこの粗末な書架には、伝説の”元々社のSFシリーズ”があり、人工衛星の打ち上げ合戦を東西両陣営が盛んに行っていた当時の通俗科学解説書群があり、アメリカの軍事評論家が著した”日米が再度戦わば”などという奇書があった。
 SF好きの中学生だった当時の私は、学校が終わるのを待ちかねて、その狭苦しい図書室に駆けつけてはそれらの書を手に取り、銀河の果ての旅の幻想に酔うのだった。

 同級生の中で気の利いた奴はすでに不純異性交遊に走っていたぞ、という声が聞こえてくる気もするが、特に悔やんではいない。私にとってはそれなりに素晴らしい日々だった。

 当時、妙に共産圏というか東欧方面に形のはっきりしない憧れを持っていた。あの頃、SF趣味の延長線上で熱中していた事の一つに、深夜、ラジオで”外国の日本語放送”を聴取する、というのがあったのだが、ことに共産圏からのものが、いかにも異世界から聞こえてくる異様な感じがファンタスティックで、好んで聞いていた。

 その辺りから、漠然とした共産圏へのピント外れの憧れが生まれていたようだ。スタニスワフ・レム等の東欧圏の作家によるSF作品も同様の、別の価値観を持った国発の不思議な感触を持ち、好ましいものと感じていた。

 ことに気になっていたのがハンガリーという国で、ともかくヨーロッパの中に一滴垂らされたアジアの血というべきか、東洋ルーツの民族の国であるあたりが不思議なもの好きの琴線に触れもし、どうにも気になるのだった。ハンガリー産のSFなど探してみたのだが、当時はまだ、日本語に訳されたものはなかったようだ。

 図書館の書架の窓際に腰掛け、見つけたばかりの、たとえばソ連のストルガッキー兄弟のSFなど紐解く。窓のむこうの空はほどよく曇り(?)いやがうえにも東欧気分を盛り上げ、私は自分の街の見飽きた風景をハンガリーはブダペストの通りに無理やりなぞらえ、悦に入っていたものだった。

 十年以上の時を経て、私はその幻想をそのまま音にした、そんな音楽に出会うこととなる。それがハンガリーのプログレ系ロックバンド、”オメガ”のアルバム、”ガマポリス”だった。

 7~80年代の東欧のプログレバンド特有のスペーシーな浮遊感を持ったそのサウンドは、快いSF気分の横溢したものだった。どことも知れない異空間で繰り広がられるレーザー光線による戦闘風景とも見える奇妙なジャケ画がまた、素晴らしい。そして、オメガお得意の東欧風の哀愁に満ちたメロディラインがたまらなく良い。

 オメガは70年代初期より存在していたバンドのようだが、途中で中心メンバーの脱退というアクシデントにみまわれる。要するにいつまでたっても売れないバンドに愛想をつかした、ということのようだが。
 残されたメンバーは窮余の一策、ハンガリーの民謡のメロディを入れ込んだオリジナル曲をでっち上げ、作曲担当のメンバーの抜けた穴を埋めようとした。と、そのメロディラインのエキゾティックさが受け、売れなかったバンドはそれなりに人気バンドとなってしまったというのだから運命というのは人を舐めている。

 民俗音楽研究の大家だった小泉文夫氏の著作など読むと、ハンガリー民謡の音階と日本のわらべ歌のそれとの近似性が指摘されている。やはりハンガリー民族のアジアの血の妖しさは見過ごせないものがある。そうそう、ハンガリー語による不思議な響きのヴォーカルもまた、いわく言いがたい魅力を持っていると言えるだろう。

 そんな”東洋の神秘”を内に秘めたメロディが、これはピンク・フロイド辺りの”西欧プログレバンド”の影響なのか、70年代共産圏ロック特有のスペイシーなサウンドを伴って繰り出されてくるさまは実にいい具合の幻想を醸し出し、このアルバムを私は、久しぶりに帰ってきた東欧気分として愛好することとなったのだった。

 それにしても”ガマポリス”ってなんなんだろうなあ?”ポリス”と付くからには都市の名前か?ジャケ画の様子から想像するに、人類が遠い未来にどこかの惑星に打ち立てた植民都市なのだろうか。ハンガリー語は、自慢じゃないが一言もわからない。