”TANGOS DE SIEMPRE ”by OSVALDO PEREDO
ネクタイを外したシャツの襟元はよれていて、それと無精ヒゲがなんだかくたびれたヤクザな感じを漂わせている。そのような老人が昔風の大型のマイクに向かい、歌うというよりは呻いている。そんなジャケ写真が印象的で買ってみたCDだった。
つい最近録音されたばかりのものであるが、収録されている曲目は”淡き光に””南””帰郷””小径””最後の杯”などなど、戦前の歌謡タンゴの定番ばかりだ。まあ、そのような懐メロ世界に生きる歌い手なのだろう。
音を聞いてみると、想像した老人性ダミ声の炸裂ではなく、意外に端正な歌声が流れ出た。おそらく若い頃は美声の女殺しとしてならしたのではないか、そう思える。今は寄る年波でなんだかろれつも回らなくなり、迫力も声量も、ついでに髪の毛も失われつつあるが、いまだ自分なりに粋な二枚目歌手としての矜持を保っている、そんな感じ。
バックの音に関しては、ストリングスなども入ってはいるのだが、前面に出ているのはピアノとバンドネオンの響きであり、その二つの楽器だけの伴奏に聞こえる場面がほとんどである。そのサウンドはもちろん、戦前歌謡タンゴの域を絶対に踏み越えることは無い。
レコード店の説明では、若い頃は南アメリカ各地を流浪した経歴があり、また、有名タンゴ・ミュージシャンとの競演経験も持つ、伝説的歌手との事。
とはいえ、そのような注釈が必要なほど、人に知られていない歌い手なのだろう。”伝説的”とはつまり、これと言った録音も残しては来なかった事をも意味するのではないか。ともかく私は聞いた事のない名だ。
ジャケを開いても、曲目と簡単な録音データが記されているだけで解説も何もなし。まあ、あった所でアルゼンチン盤だからスペイン語だろうし、どのみち読めはしないので同じことなのだが。
ジャケに、彼がブエノスアイレスの下町のタンゴ酒場で歌っている写真があった。ギタリスト一人をバックに、百年くらいの歴史は軽くあるのだろう古めかしい作りの酒場で、彼は歌っていた。
彼にとっての”舞台”とは生涯、おそらくそのようなものだったのだろう。レコードの売り上げや大劇場におけるコンサートではなく。人々の日々の暮らしに密着して生きて来た、裏町のヒーローとしての歌手人生。
今回、物好きなプロデューサーに誘われてCDを出してはみたが、「フン、ワシはそもそもCDプレイヤーなんて洒落たものは持っちゃいねえ」とうそぶき、その出来上がりにも売り上げにも興味は持たない。が、ある日彼は出来上がったCDを封筒に入れ、もう何十年も会っていない息子夫婦の所へ投函する。
偏屈な彼に愛想を尽かして出て行った息子たちは、もうその住所に住んではいないし、それをとうに知っている彼は封筒に差出人の住所を書かなかったから、封筒は空しく郵便局のどこかに置かれたまま、いつか忘れられて行くだろう。いや、これは想像してみた物語に過ぎないが。
市井の人々の喜怒哀楽が染み付き、くすんだ色に閉ざされたその歌声。聴いていて晴れやかな気分になるわけでもなんでもないのだが、なぜか何度も聞き返さずにはいられなくなっている。