ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

カーティス・メイフィールド

2006-11-07 23:02:17 | 北アメリカ


 カーティス・メイフィールドが亡くなって、もうどれくらい経つだろうか、なんて言うと、「検索かければ」とか答えが返ってくるのがネットの世界の嫌な所だ。
 「そういえばカーティスは死んじゃったんだねえ」「あれはいつだっけ?例の事故があったのも、もうずいぶん前だったよねえ」「あの頃はさあ」とかなんとか、とりとめのない話をしつつ故人をしのぶ、なんて事が出来ない構造ってのは不幸じゃないか。

 カーティス・メイフィールドの音楽との出会いは、まだ私がロック好きのガキの頃だった。当時、彼がメンバーだったR&Bのコーラスグループ、インプレッションズの”エーメン”というゴスペルそのものみたいな歌が我が国でも小ヒットしたのだった。

 そのときは特に気に入った訳でもないのだがその数年後、大学生になった私のレコード棚に、いつの間にかインプレッションズのアルバムは鎮座ましましていた。
 なにをきっかけに買ったのか記憶もないのにいつの間にかファンになっていた、なんてのはいかにもカーティス・メイフィールドらしいって気もする。

 インプレッションズの歌で最も印象深いものといえば、やはり”ピープル・ゲット・レディ”だろうか。1960年代、アメリカの黒人たちの間での公民権運動の盛り上がりと連動するようにヒットした曲だった。

 とは言え、軽薄に”運動”に絡んだ曲ではなかった。「オラ、政治の事なんか分からねえし、おっかないことには関わりたくねえだよ」なんて、永山則夫言うところの”無知の涙”状態にある多くの黒人たちに、「約束の国行きの列車に乗って行こうよ。乗車賃なんか心配しなくて良い、あなたの信心する心があればそれでいいんだ」と、むしろ彼らにとって親しみ易い宗教の話に絡めて”変革”を説いたカーティスの優しさと確信の深さ。それを思い返すと、なんだか泣けてくるのだった、今となっては。

 同じくインプレッションズのヒット曲で”アイム・プラウド”なんてのも忘れがたい。
 これは、「あなたを愛する、そんな存在である自分を、私は誇りに思う」なんて歌で、ラブソングの装いをこらしてはいるが、「自分を取るに足りない、生きる価値の無い人間だなんて信じ込むのはやめよう、誰にも自分を誇りに思いつつ生きる権利があるんだ」と同胞たち、黒人たちに呼びかけた”生きるための歌”と取っていいのだと思う。

 そんなメッセージを込めた歌がカーティス独特の穏やかなファルセットで歌い上げられるのを聞くたび、それらの歌は無辜の人々の為の宝石と思え、カーティスの人柄の大きさに感嘆させられるのだった。

 70年代に入ってソロとなってからのスタジオ・ライブを捉えたビデオを持っている。
 あの小太りの体に丸いめがねをかけ、トレードマークの、と言っていいだろう、フェンダーのテレキャスターを抱え、いかにも人の良さそうな笑みを浮かべながらファンキーなリズムに乗ってシャウトするカーティス。

 伝わってくるのは、やはりとてつもない大きな人柄に支えられた優しさや温かさだ。画面にテロップで表示される歌の歌詞は、アメリカの現実を痛烈に風刺する鋭いものだったりするのだが、その音楽はスムーズで穏やかで、うっかりすると良い気持ちで聞き流しかねない心地良さに満ちている。

 そんな彼がある日、ステージ上で、倒れてきた照明機材により大きな怪我を負わされ、以後、首から下を動かすことのならない体になってしまい、そして回復することの無いまま数年後に死んでいってしまったこと。神様のやることも、実に不可解と言わざるを得ない。どうなっているのかね。

 冷厳な現実の前には黙して立つより仕方ないが、カーティスの蒔いた種は人々の心に深く根付き、静かに、そして大きく広がって行きつつあると信じている。約束の地へ行く最終列車の汽笛の音とともに。