ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

上海喪失

2006-11-18 04:55:56 | アジア


 ある方のブログで戦前中国の”上海ポップス”が話題になっていた。そういえば以前、その辺の音楽をずいぶん聴いたものだなあ。

 各国からの侵略を受け、”租界”などという、まあ体の良い植民地をあちこちに立てられていた、そんな現実を抱えながらも”国際都市・上海”は、第2次大戦前、そしてさなかにも華やかな文化の花を咲かせていた。そんな”花”としての上海ポップス”である。
 中国人独特の美学に彩られたその音楽世界は甘美でもあり、また世界へ開かれた窓としての上海に育まれた音楽らしく、非常に垢抜けた表情も持ち、実に魅力的に感じられた。

 私がそれらを興味を持って買い集めていた頃、それは香港盤CDで手に入ったのだが、どれも豪華な箱入りの装丁で、中華民族としての過去の文化遺産への敬意といったものが感じられ、気持ちの良いものだったのだ。
 ところが。一巻、また一巻と楽しみに集めていったそれら上海ポップスの盤を私は、いつのまにか数枚を残しただけで、手放してしまっている。

 その音楽を聴きなれてしまうと、なんだか私には歌手たちの、これも中国人特有の高音好みと言ってよいのかどうか知らぬが、甲高い歌声が妙に耳障りになって来て、聞くに堪えなくなってしまったのだ。昨日まで愛していた音楽を、気がついたら受け付けなくなっている。これも寂しい話だが仕方が無い。

 と言って、中華民族の音楽を受け付けないと言うわけでもない。中国本土の音楽限定で相性が悪い、そんな構造が私の感性のうちにあるみたいなのだ。
 中華民族の大衆音楽総体を好まないわけではない。香港、台湾、あるいは東南アジア諸国に散在する中華街ポップス(?)には、特に興味を失うこともなくいる。

 ”返還”後、なんだか独特の末世感、緊迫感が消えてしまった感じで、ちょっとご無沙汰している香港ポップスにも、面白い動きがあれば、即、飛びつく用意はあるし、台湾や東南アジア華人の動きにも気になるものがある。

 そこで、たとえば私は中華思想とか、そんなものが内に息付いている音楽が好きになれないって事ではないか、なんて仮説を立てているのだが。
 先にちょっと述べたが、”返還”を目の前にした香港人の焦燥が焼け付くようだった香港ポップスなどには私は、大いに惹かれたものだったし、辺縁でジタバタしている中華民族には共感できるのだ。

 と、まあ、ここで話は先延ばしの宿題とします。まだ、この先を論ずるほどのネタも見つけていないんでね。いや、尻切れトンボで申し訳ないですが・・・