ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ジョージィ・フェイムの街角

2006-11-19 01:30:27 | ヨーロッパ


 長いこと放り出したままだったジョージィ・フェイムのCDを、ふと気が向いて聞いてみたら心地良かったので、おおこれは良い按配だとここのところの、いわゆるマイ・ブーム状態だった。
 だったのだが、先日店に並んだ某音楽誌で小特集が組まれていたり、その記事でフェイムの初期作品が国内盤CDとして軒並み復刻されると知り、この分では世間的にも小ブームになりかねないなあ、なんだかつまんえねなあと、ちょっと盛り下がってしまったのだった。というのも人間の器が小さいかもしれないが。

 ジョージィ・フェイムといえば、60年代初期のイギリスのジャズやR&Bシーンをリードしたオルガニスト&ボーカリストだった。のちに国際的な人気を博することとなる多くのミュージシャンが、当時はまだ無名のまましのぎを削っていた、そんなイギリスのロックの現場が孕んでいた熱の、ある局面の最先端に立っていた人物ともいえよう。

 とかなんとか分かったような事を言っているが私は、実を言えば彼の音にリアルタイムで接していたわけではない。60年代中頃から後期にかけてのイギリスのビートグループのファンとして音楽ファンの第1歩を踏み出している身ではあるのだが。
 私としてはフェイムを、自らのアイドルとして仰ぎ見るブリティッシュ・ビート連中のなかでもひときわ伝説的存在と認識はしつつも、実際には当時、彼のレコードに接する機会はなかった。

 60年代、フェイムの音楽は我が国で本格的に紹介されていたのか?少なくともラジオの洋楽ヒットパレード系の番組(あの頃は貴重な情報源だった)で普通に聞けた音楽では無かったはずだ。こちらも、”地味なマニア好みの人”なるイメージを持ち過ぎていて、初めから敬遠気味であったのも確かだ。

 が。今、手元にある初期レコーディングを中心とした編集盤を聞く限り、フェイムは何もむずかしいことはない、なかなか聞き応えのあるミュージシャンといえよう。アルバムには”スィンギィン・ロンドン”と称された60年代半ばのロンドンの街の、熱に浮かされたようなざわめきが温度を伴って伝わってくるようなサウンドがぎっしり詰まっている。

 60年代初めのロンドンのフラミンゴ・クラブ。フェイムがホームグラウンドとして演奏を行っていた場所である。ここでは、いわゆる”モッズ”連中や、西インド諸島やアフリカから流入した黒人たちや、夜の世界で働く人々などにより構成される客層が、素敵にいかがわしい雰囲気を醸造していたようだ。

 それはフェイムの演奏にも影響を与えた。本来の持ち味であるジャズやR&Bばかりでなく、カリプソやスカなど、遠くカリブ海の音楽要素もまるで当たり前のようにフェイムの演奏には鎮座ましましている。フェイムの実に洒脱な楽曲処理能力により、それらはワールドミュージックがどうの、なんて理屈を超えてそこに自然に存在してしまっている。

 この、異人種異文化までも巻き込んで怪しげにときめく、都市の悪場所発のざわめきの伝わり具合が、初期のフェイムの音楽が孕む最高の醍醐味というべきだろう。
 夕暮れ迫り、ラフな、ヤバい空気漂う街角に流れ出すフェイムのファンキーなハモンドオルガン。そして、ふと紛れ込む異郷の音楽の響き。そんな場に身を置く者の胸のトキメキが生々しく伝わってくるフェイムの音楽は、やはり魅力的だと思う。