ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

レユニオンの謎の歌

2006-11-22 02:13:55 | アフリカ


 ”KRIE ”by Salem Tradition

 アフリカ東岸に浮かぶ不思議の島、マダガスカル島に寄り添うように浮かぶ、これもまた個性豊かな文化を育む島、レユニオン。なんて解説を、かの島の音楽を語るたびに繰り返さねばならないのだろうか。面倒くさいなあ。
 なんて言いたくなるのはつまり、レユニオン島が小島ながら意外に音楽的には健闘しているって証拠でもあるのだろう。
 かの島からまた届けられた痛快音楽である。レユニオンの大衆音楽、”マロヤ”を代表するグループらしい。もういつもの、と言ってしまっていいのだろうか、ボーカルとパーカッション・アンサンブルのみのシンプルな音楽世界。

 痛快な複合リズムの疾走に乗って、朗々たる女性ボーカルが快い。その”朗々たる”の部分に、レユニオン特有の潮の香りとともに”アジア的な歌謡性”を感じ取ってしまうのは、こちらの勝手な妄想ゆえか?いや、実際、アフリカ的とばかりも言えない響きが、その歌声に濃厚に滲んでいるのであるが。

 レユニオンを含む、この辺りの音楽の”インド洋の文化性”という奴、こんな風に語るのは簡単だが具体的にどうだとなると索漠として掴みきれない。アフリカ東岸からインドネシアまで、どれほどの距離があると思っているのだ。しかもその間に横たわるのは、古代からの行商人が踏み均した交易路なんかじゃない、広漠たる海水の広がりだけなのだ。

 その一方、古来よりのインド=アラブ圏とアフリカ東岸との文化的、経済的関係は古い歴史を持つものであるし、さらに今日でも、たとえばインド映画がアフリカ東岸地方に住む庶民に日常的に愛好されている、などというエピソードに代表される草の根のかかわりも存在すると言う。
 広いのか狭いのかインド洋、などと実態の見えない遠方よりの見物人としては頭を混乱させるだけなのだ。

 このアルバムで最も聞く者を混乱させるのは2曲目の、無伴奏コーラスで始まり次第にテンポアップ、パーカッションの疾走で終わる作品だろう。どう聞いても古いキリスト教の賛美歌のメロディを持つ歌である。むしろ、イギリスのトラッドバンド、スティールアイ・スパンの初期アルバムにでも収まっている方がふさわしく思える曲が、なぜこんなところに?

 島の人口のほとんどは黒人系のクレオールであり、住民の90パーセント近くがカトリック、などという背景を思えば、キリスト教系の歌が歌われているのは何も不思議な事でもないのだが、ここまで”ヨーロッパ直送”でなくとも良かろう。レユニオンの地まで来る間に、それなりの変形を、なぜ体験しなかったのか。

 なおかつ。その歌詞を検めると”アラー”とか”モハマド”なんて文言が見受けられて、え?とか目を疑うこととなる。いや、曲のタイトルがそもそも、”ALLAH”ですから。アラーって、これ、イスラム教の歌なの?しかも、もっともキリスト教的メロディの歌が?

 ここまで南に来ればアラブ文化の影響も大きくは無いだろうし、そんな歌を歌ってキリスト教徒とイスラム教徒の融和を図る、なんて小細工も不要と思うが。(融和どころか揉め事の種か、そんな歌を歌うのは)
 そんなややこしい歌じゃなく、ただ単に他の意味の言葉が”アラー”と聞こえているだけ、真相はそんな腰砕けのものだったりするのが世の常だけどね。いやでも、アラーにモハメドだよ、歌詞に出てくる人名が。

 とか何とか。ほんとの事情を知っている人がこの辺を読んだら、「なにも分かっていないなあ、こいつは」とかせせら笑ってるかもなあ。あのう、突っ込んでいただけるとありがたいんですが(笑)