今、NHKで再放送された「銀河鉄道への旅・我が心の賢治」を見終えたところだ。
あの宮沢賢治が、最愛の妹の死の直後、「妹とは死んだのではなく、どこか遠くの町で生きているのかもしれない」との観念に取り付かれ彷徨ったという南カラフトを、番組ホストの作家・畑山博氏が、自らの母親への追慕も兼ねて賢治の足跡を辿る、という企画の番組。そして、再放送にはもちろん、先日亡くなった畑山氏自身に対する追悼の意味がある。
氏の著書で忘れられないのが、「銀河鉄道の夜・探検ブック」だ。
あの有名すぎる童話を畑山氏なりに検証し、銀河を旅したあの不思議な鉄道の詳細を、氏なりの視点で辿り直したもの。
実に心優しいイマジネーションの飛翔が切なくもあり心楽しくもあり、心の隙間にふと風が吹きぬけるような夜には手に取ってみたくなる本だ。
番組の中で畑山氏は、カラフトの凍てつく空を見上げ「向こうに確かに存在する世界がある。そこは確かに存在しているのだけれど、決して行くことが出来ない」といった呟きをもらす。
死んでしまった妹は、実はどこかの町で生きているのではないか。そんな想いは非現実的であり、賢治のその旅は、実際には何の意味もないものだった。
だが、そんな賢治の想いは、生の時間を重ね、生きてゆく事は愛していたものを一つ一つ失って行く過程であるとの、苦い気持ちを噛み締めることを憶えてしまった者には、馴染めない感覚ではないだろう。
画面の中の畑山氏は、雪に覆われた道を辿りながら、昔、同じ場所に歩を進めたのかも知れない、今は「あるけれども行けない」場所の住人である賢治に語りかける。自らの想いを賢治の足跡に重ね合わせるように。
それは我々人類が開闢以来、歩き続けた道だ。手の届かない遠くへ遠くへと行ってしまった者への思慕を握り締めて。あてもなく。
グッバイ、畑山さん。銀河鉄道の乗り心地はどうでしたか。「行けないけれども確かに存在する」場所の住み心地は、いかがですか?
(2001年9月5日・記)