ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ファブリツィオ・デ・アンドレ 1967 - 1971

2011-10-28 02:21:26 | ヨーロッパ

 70年代の終わりから80年代の初めにかけて、PFMやマウロ・パガーニといったイタリアン・ロックのスターたちをバックに従え、”イタリアの大物シンガー・ソングライター”という触れ込みでロック・ファンの前に姿をあらわした、ファブリツィオ・デ・アンドレ。
 その後、印象的なアルバム何枚かを世に出した後、21世紀が来るのも待たず、58歳の若さで逝ってしまった彼なのだが、そんな彼が若い頃はどんな歌を歌っていたのか、気になっていた。そこに今回、好都合にも彼のアルバムを時期ごとに5枚ずつまとめたボックスセットが出たので、さっそく入手してみた。まずは初期の5枚のアルバムを集めたセットの感想など。

 ざっと聴いてみると、あの低く良く響く声で語りかけるように歌う、というのはこの人の一貫した姿勢のようだ。声高に叫んだりはしない。甘口に夢を歌ったりもしない。モノトーンの歌声は、往年のイタリアン・リアリズム映画など連想させたりする。
 彼が造り歌うメロディは、古いヨーロッパの歴史の底に降り積もった民衆のため息を煮しめたみたいな、伝統の重みを感じるマイナー・キィの暗く淀んだ旋律が多い。
 歌詞はどの曲も相当に長い。多くの曲で、早口でメロディの中に長文の歌詞を無理やり押し込む、の芸も見せる。
 このあたり、イタリア版のシャンソン、なんていう人もいたジェノバ派シンガー・ソングライターの重鎮たるファブリツィオの面目躍如たるところなのだろう。「能天気にアモーレアモーレ言っていたカンツォーネの世界に社会派の旗を掲げたジェノバ派」の総帥としての彼の。

 シャンソンといえば、PFMとのライブでも彼は孤高のシャンソン歌手、ジョルジュ・ブラッサンスの曲を歌っていたものだが、この初期作品群でも折に触れて取り上げている。3rdを聴いていて、”ゴリラ”が飛び出してきた時には、よほど好きなのだなと、なんだかニヤニヤしてしまったのだが。

 全体から受ける印象は”物語歌”であり、”詠嘆”である。社会の矛盾を冷徹に見据え、無辜の民衆の上に襲いかかった悲痛な運命を歌に形を借りて訴えかけ、問いかける。そんな歌なのだろうなと、イタリア語なんかろくに分かりはしないのだが、長いこと音楽ファンをやってきた者の嗅覚にかけて、そのように断じてしまう。
 1st(Volume 1)においては、ほぼギター一本をバックに歌われている。自身の演奏かどうかは分からないが、使われている楽器はガットギターであり、使われているテクニックはクラシックのそれである。

 2nd(Tutti Morimmo a Stento)にいたって、伴奏にいくらか変化が出てくる。ジャズっぽさが持ち込まれたり。とはいえ、それはスパイ映画やマカロニ・ウエスタンのサントラめいた、ともかく映画音楽経由のそれであるのだが。アレンジャーがその方面の人だったのか?ともかくこのあたりではまだ、サウンド上の面白さは出て来ていない。
 3rd(Volume 3)にいたって、いろいろカラフルに楽器が使われるようになって来ている。とはいえ、特にひらめきは感じられないのだが。それと同時に彼の歌い方も生硬一本でなく、心持ち、広がりを感じさせるようになって来ている。少なくとも、メロディをヤクザに崩して歌うすべをこのあたりで覚えたのは事実だ(笑)

 以上が1967年から68年にかけてファブリツィオが世に問うた3枚のアルバムの駆け足の感想なのだが、それにしても、あの激動の60年代後半であるのに、ここまでで彼の音楽にロックの気配はまるで感じられず。そのような流行とは無縁の世界に彼が住んでいたということなのだろう。むしろヨーロッパというものの底の広さを感じてしまったのだが。

 さて、4枚目(La Buona Novella)でついに70年代に突入。何度も登場する聖歌隊みたいなコーラスをバックに、というかファブリツィオの歌声と掛け合いのように進行して行き、全体で何らかのテーマを追ったトータル・アルバムではないか。
 3曲目、なんとバックにシタールとタブラ登場。ファブリツィオの歌はいつもの通りなんだが(笑)ともかく、ヨーロッパの伝統と向き合ってばかりいた彼の音楽世界に時の流れが影響を及ぼしだしたのだ。そういえばバックで鳴るギターもエレキギターであり、後ろではハモンドの音さえする。
 サウンドは確実にロックの洗礼を受けており、ファブリツィオの歌声にも、曲作りにも、時代は大きく影を落としている。9曲目なんか、アメリカのフォークシンガーが作っても不思議はない曲調だ。ほかにもロック的感性で聴いて「良い曲」と思える曲あり。そういえば、ジャケのデザインも、このあたりからお洒落になってきた。
 とはいえ、ファブリツィオの古きヨーロッパを見つめる憂愁に満ちた視線だけは変わらず、その翳りはやはり彼の音楽の根元にあり続けるものだろう。

 さて、71年度作の5thアルバム(Non Al Denaro Non All'Amore Ne Al Cielo)この辺になると普通にロックの音がしています(笑)いや、ほんとに。この当時はロック界もシンガー・ソングライター・ブームだったわけだけれど、このアルバム、当時の”ブラックホーク”で聴かされても、好きになったに違いない。
 それほどアメリカのシンガー・ソングライター的な曲作りが出来ているのだけれど、同時に、デビュー当時から背負っていたヨーロッパ的な暗く湿ったメロディを、新しく手に入れたロックの方法論で同時代化する術を覚えたのも大きいだろう。とにかくスケールの大きな音楽を作れるようになってきている、確実に。

 ということで、「歌い手・ファブリツィオの冒険」その第一章は、こんなところで。





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