ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

西海ブルース

2008-09-16 02:20:22 | その他の日本の音楽

 ”ふたりで歩いた あの坂道も 霧にかすんで 哭いている
  浮いて流れる あの歌は 君とうたった 西海ブルース”(永田貴子 作詞)

 先日の夕食時、ぼんやりテレビを見ていたら、70年代に人気を博した歌謡コーラスグループである”内山田洋とクールファイブ”のメンバーが集まり、同窓会みたいなものが出身地長崎を舞台に始まったのだった。

 すでにリーダーの内山田氏も亡き人となった今、いかにも旧友再会みたいな雰囲気を醸し出しつつ、しかしその裏にこじれ倒したかっての人間関係などそこはかとなく伺わせつつの番組を、画面に出てきたメンバーが一部妖怪化(外見が)しているのにのけぞりつつ見ていたら、流れてきたのが”西海ブルース”だった。

 なんでもこれは長崎のクラブ回り時代にクールファイブが吹き込んだ自主制作盤であり、これが中央のレコード会社の目に留まり、全国デビューの運びになったという事の次第のようだ。
 おそらく私ははじめて聞く歌と思われるのだが、これが実に良い塩梅の長崎演歌であって、すっかり気に入ってしまったのだった。

 当方には以前よりぼんやりと夢想している、東アジア歌謡連続帯とでも言うべき音楽地図の構想がある。この場にも何度か書いたが。
 東南アジアより連なる、まるで黒潮に乗って運ばれてきたかのような音楽の流れを妄想している。具体性も何もなく、学術的裏付けはさらになく、どちらかといえば東アジア大衆音楽に捧げる詩のようなものなのだが。

 その連続帯構想では北辺の地に想定している長崎に、独特の音楽が存在していると仮定してみたい。その”長崎音楽”の重要な構成要員として迎えたくなる曲だったのだ、”西海ブルース”は。
 この歌には長崎ネタの唄特有の、まったりとした暖かさとカラフルな異国情緒が伺え、何より歌の中で雨が降っている(九十九島の 磯辺にも 真珠色した 雨が降る)のだ。

 そういえば長崎をテーマにした歌謡曲のほとんどは歌の中で雨が降っている、なんて話をどこかで読んだ事があるのだが、こいつなどは我が妄想の有力なる援軍として歓迎したい。その雨は南の島から海を越えて北上して来たスコールの面影に違いないのだ、詩的に言えば。気象予報官の見解は無視する事とする。

 私の妄想する”長崎音楽”の先駆としては、渡辺はま子の「雨のオランダ坂」(昭和22年)あたりを置いておこうか。”こぬか雨降る港の町の 蒼いガス灯のオランダ坂で 泣いて別れたマドロスさんは”なんて感じの歌なのだが。
 この種の長崎歌を集めたアンソロジーなど出ていないものかなあ、などと思うのだが。いや、私のような妄想に囚われている者でなくとも、これは聴きたいよね。

 そういえば今年はまだ、台風らしきものがやって来ていないな、私の地方には。台風の来訪の露払いとしてやって来るあの感触。
 それこそ南の海から吹き寄せられてきた湿った熱風が我が海辺の街の通りを満たす、あの感触を今年はまだ味わっていない。このまま秋になるとも思えないのだが。


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