仮刑律的例 29-2 彰義隊参加者の為の嘆願
明治二年已正月十二日、江州伊香郡の禅曹洞宗、栄昌庵悟宗よりの歎願。
【 歎願の内容】
酒井直之助の元家来の松平孫三郎の嫡子右京と申す者がおります。拙僧はこの者と上州前橋竜海院に随身中からの知人です。
このたび右京が落髪して出家し、拙僧のところに来て次のことを話しました。
「今年4月に東京から脱走し、上野の輪王寺宮の守衛である彰義隊に参加しましたが、意見が合わず、様々な問題が発生しました。最終的には追討の御沙汰となり、大罪を犯してしまいました。身の置きどころがなくなり、前非を悔い改めるため、出家をしたい。謝罪をし、仏の慈悲を乞うほかありません。」
これは容易なことではないと驚きいり、一旦は断りました。しかし、出家できなければ自殺しかねない様子。一旦沙門に身心ともに委ね縋っている者を、このまま一命を捨てさせてしまっては、利済の道に欠けるものと思い、天朝に対しては恐れ多い行為ではありますが、やむを得ず法衣を与えました。右京は謹慎し、恭順の意を表明しています。
右京本人に自らの過ちを謝罪させるべきではありますが、近畿に近づくことも恐れ多いことと述べているため、やむを得ず拙僧が彼に代わって謝罪することといたしました。何卒、非常出格の御寛典をもって、右京の
一命を救って下さるようお願い申し上げます。
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【返答】
〈付紙〉
歎願の件は御採用となった。死一等を減じ、元藩への引き渡しとなる。よって、その旨心得ること。
〈明治2年正月二25日、諸侯掛弁事へ返答〉
別紙の通り申し出があったため、酒井直之助の公用人を呼び出し、右京の身柄について尋ねたところ、親孫三郎はかねてより不正の筋があったため、現在格禄を取り上げて、永牢にした処とのこと。右京は上野彰義隊に参加し、官軍に抵抗したのち敗走し、その後行方不明となっていると申述した。これにより、同藩への引き渡しおよび同藩による処置を任せても問題ないと考えられる。なお、右京についてはこれまで当職において関係していないことに留意いただきたい。よって、この段申し入れる。
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(コメント)
松平孫三郎の嫡子右京という者が、彰義隊に参加した罪を悔悟して出家を希望しました。栄昌庵悟宗は僧侶として出家を認め、右京の嘆願をしています。
この嘆願は認められ、死一等を減じ、元藩への引き渡しとなり、同藩による処置に任せられます。
なお、ここでの「元藩」というのは、姫路藩のことです(文中に出てくる酒井直之助は播磨姫路藩主酒井忠邦)。
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