仮刑律的例 30 浪人を装った強盗事件⇒刎首
【若狭小浜藩からの伺】明治二年正月
明治2年巳3月29日、酒井少将(小浜藩酒井忠義)からの伺い
6名の者(下記)が申し合せ、昨年8月18日の夜、小浜藩の郷中2ヶ所に押し入りました。いずれも、槙蔵を門口に残して見張りをさせ、他の5人が脇差を抜き、会津浪人であると偽って家の表口から入り、住民を縛って金銭や米、衣類などを盗み、各自に分けました。5人が逮捕され、吟味の上自白しましたが、安吉1人が逃走し、現在の行方は不明です。
以上のとおり、大勢の者が夜中に家に押入り、特に脇差を抜いて家の者を脅して縛りあげ、金銭や米手形、衣類、品物などを奪ったのは、強盗の所業であり、不届きであって許し難い罪状です。よって、逮捕された5人の者には死罪を申し付けたく、この点お伺い致します。
〈6名の者〉
・山城国葛野郡上嵯峨村の藤野伊兵衛の伜、源之助(無宿)
・山城国相楽郡木津郷梅谷村の宗三郎の伜、梅吉(無宿)
・播州升田郡加古川宿の枡屋喜兵衛の伜、升蔵(無宿)
・播州明石郡上村の市兵衛の伜、槙蔵(無宿)
・摂州大阪安治川口の福嶋村の淡路屋熊次郎の伜熊吉(無宿)
・河内国富田村出身の安吉
〈被害金品〉
- 現金25両3歩2朱、銭125貫600文
- 米手形約14貫750匁
- 衣類・品物10品
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【返答】
本年3月、天皇の裁定を経て以下のとおり指示する。
この者ども、浪士と偽って強盗を致し、その上刃物を以て威すなど不届の至りであるので刎首とすべきである。
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(コメント)
・浪人を装った強盗事件です。
本件は現在の刑法にあてはめると、住居侵入罪+強盗罪となります。強盗罪は「5年以上の有期懲役に処する」と規定されているので、無期懲役にすらなりませんが、本件は「
刎首」とすべきとされています。
明治政府はこの時期死罪については次のように考えていました。
〈死刑〉刎首(身首処を異にす)、斬首(袈裟斬り)
〈極刑〉磔、焚、梟首(梟して衆に示す)
「刎首」は極刑よりは軽い死刑に分類されますが、「身首処を異にす」即ち、首と胴体を切り離す刑という意味で、斬首よりは重いと考えられていました。
明治政府の返答からは、浪士と偽ったこと、刃物で威したことが量刑のポイントのようです。
・この犯罪が起きたのは、慶応4年8月です(明治2年の前年ですが、明治に改元前の事件です)。
犯行場所は小浜藩内です。幕末に小浜藩は佐幕派の立場をとり、慶応4年(1868年)の戊辰戦争においても、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍の一員として官軍と戦っていますが、敗退して官軍に降伏しています。
加害者らは自分たちを「会津浪人である」と偽っていますが、小浜藩が元は佐幕派だったことから、会津藩の浪人は領内に相当数いて、この時期は浪人が何をしてもおかしくはないという背景があったのでしょう。
なお、加害者らの出身地は、山城国、播磨国、河内国であり、現在の京都、大阪、兵庫であって、会津とは全く関係がありません。