長崎府での死刑は事後報告で処置してもよいですか
仮刑律的例 25 死刑臨機処置
【長崎府からの伺】明治二年正月
明治2年正月、長崎府から問い合わせあり。
【伺い】
先般死刑は刑法官に伺うべき旨の御布告がありました。問題が生じた時々に伺いをなすべきではありますが、当府は遠路隔絶した場所にありますので、伺書の往復は時間がかかります。特に刑事事件は、その者を斬に処し、衆人に対する戒めとするタイミングというものがあります。時宜により当府限りで処置させていただき、その内容につき至急お届けすることにしたいので、この点につきお伺致します。以上。
【返答】
正月十七日に押紙で返答。
伺いの書面の通り取り計らってよし。
(コメント)
・長崎府からの伺いです。このときは「長崎府」でした(長崎府は、慶応四年(明治元年)五月から明治二年六月まで存続し、以後は、長崎県)。
・伺いにあるように、このときは死刑につては刑法官に伺いを立てなければなりませんでした。長崎は遠方の地であり、速やかに刑を宣告し、執行を行いたいことから、長崎府は刑法官に伺いを立てることなく、後でそのことを報告するようにしたいと要請しており、刑法官としてはそれで良いとの返答です。
・「刑法官」は慶応四年(明治元年)閏四月の政体書の発布に伴って設けられた司法機関で、明治二年七月には「刑部省」に改組されています。