南斗屋のブログ

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江戸へと出府する五郎兵衛 嘉永7年1月下旬・大原幽学刑事裁判

2024年02月05日 | 大原幽学の刑事裁判
嘉永7年1月下旬・大原幽学刑事裁判

大原幽学の弟子五郎兵衛が記した大原幽学刑事裁判の記録「五郎兵衛日記」の現代語訳(大意)。

今回は1月28日から始まります。
五郎兵衛は嘉永6年12月16日(1853年)〜嘉永7年1月27日までありません(帰村しているときは日記をつけていないため)。
1月28日、五郎兵衛が長沼村(現成田市長沼)から出立するところから、日記は再開します。
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嘉永7年1月28日(1854年)
#五郎兵衛の日記
・長沼村を朝方出立。七郎右衛門殿、勘左衛門殿と一緒に龍角寺村で休憩。大森宿に昼過ぎ着。暮方に元俊医師来られ、大森の御役所の松村様に会いに行く。松村様からは、江戸での宿替えのことにつきお話しがあった。日暮れの後、大森の宿へ戻り、夕食を取る。荒海村の平右衛門殿と惣右衛門殿と宿で合流し泊まる。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
長沼村(現成田市長沼)から龍角寺村(栄町龍角寺)を経由して、大森宿へ(印西市大森)。大森役所(淀藩の役所)に元俊医師と共に赴き、公事宿を替えたことについて話しをしています。本日は大森宿で泊まりです。
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嘉永7年1月29日(1854年)
#五郎兵衛の日記
朝方に大森宿を出立(元俊医師は長沼に戻った)。行徳には昼過ぎに着き、泡雪で昼食。夕方、船に乗り江戸へ着く。松枝町には日暮れ後に到着。平右衛門殿と惣右衛門殿は蓮屋に行く。干潟組は邑楽屋へ。幽学先生、伊兵衛父、幸左衛門殿と小生は、松枝町の借家。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
本日は大森宿(印西市大森)を出立。行徳に着いて一休みし、ここから江戸までは船。公事宿(蓮屋、邑楽屋)に宿泊する者と松枝町の借家暮らしをする者とに分かれます。また、明日から奉行所からの呼び出し待ちの江戸での日々が始まります。
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嘉永7年1月に30日はありません(小の月のため)。#五郎兵衛の日記 はお休みです。
#大原幽学刑事裁判 
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旧暦に31日はありませんので、 #五郎兵衛の日記 はお休みです。
#大原幽学刑事裁判 



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