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南斗屋のブログ

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文政10年12月下旬 色川三中「家事志」

2022年12月31日 | 色川三中
文政10年12月下旬 色川三中「家事志」

文政10年12月21日(1827年)
先般採用した初五郎を、鹿島(現鹿嶋市)に戻すことに決めた。紹介者の松岡様に書状を認めて、従業員に持っていかせた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
初五郎が来たのは今月12日のこと。十日も経たずに元に戻すことが決まりました。戻すにあたっては紹介者にまず報告をするのがルールのようで、書状を従業員に持っていかせています。


文政10年12月22日(1827年)雨
本日初五郎を鹿島に帰す予定であったが、雨のため延期。初五郎は11歳なのに、おねしょをするので、うちで使うことができない。
#色川三中 #家事志
(コメント)
初五郎を帰す理由が明らかになりました。なんとおねしょ。環境が変わったため、ストレスでおねしょをするようになってしまったのでしょうか。それとも体調が悪いのか。11歳で奉公にでるのは初五郎には厳しかったようです。

文政10年12月23日(1827年)
与兵衛が当年限りで暇をもらいたいとのこと。勝右衛門を通してそのように言ってきた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
従業員の与兵衛は8月半ばころ三中に酷使されており(水戸や江戸に早朝から出張を命じられた)、その上9月には親が亡くなってしまいました。心配していたのですが、やめたいという意思表示。三中にとっては辞めてほしくない存在のはずですが。


文政10年12月24日(1827年)
ならや長兵衛殿とは9月に示談をし、今月支払う約束をしていた件。昨日、代人の惣兵衛殿が取立てに来たので金一両を支払った。これで残金は二分。   
#色川三中 #家事志
(コメント)
江戸時代の年末はクリスマスどころではありません。ならや長兵衛の債務は今年9月に代人と交渉し、金二両を支払うという示談が成立していました(9月18日条)。本日一両を支払ったので、残金は二分。感情は表現されていませんが、少し安堵したかのような書きぶりです。


文政10年12月25日(1827年)
雪が降るも、昼より晴天。
神龍寺の和尚から奉加金を十年分割で支払うとの話しがあった。支払いは毎月あり、今日使いの僧に奉加金を渡した。帳面はよく工夫がされていた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
師走は様々な決済が行われます。本日は神龍寺の奉加金。神龍寺は色川家の菩提寺で、三中の墓もこの寺にあります。十年分割で支払うようにするとは、ここの和尚なかなかの知恵者です。

神龍寺

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土浦探訪




文政10年12月26日(1827年)
先日高砂屋が来て、半田村(現石岡市半田)の出身の市左衛門を従業員にどうかといわれた。古参の勝右衛門は79歳で、代わりも急には見いだせないぞとも言われた。市左衛門は、久松時右衛門殿が引請人になるというので、一年分の給金二両で雇うこととした。
#色川三中 #家事志
(コメント)
江戸時代の平均寿命は40歳などといわれますが、古参の従業員勝右衛門は79歳で現役。しかし、さすがに弱くなってきたため、三中も代わりの従業員を見つけざるを得なくなりました。

文政10年12月27日(1827年)
餅つき。高津の茂八が来てくれたほか、従業員は利助を含め三人、隣主人のところから一人の合計五人。皆には酒をふるまったほか、茂八には例年のとおり祝儀を持って行かせた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
年末の恒例行事、餅つき。男性五人で餅を搗くというのですから、かなりの量の餅つきなのでしょう。餅つきの後の振舞酒も楽しみの一つ。

文政10年12月28日(1827年)雨
米やとの債務整理の交渉の御礼として釜甚へ羽白(鴨)を歳暮として持って行かせた。隣主人には例年の歳暮に羽白を一羽添えて持って行かせた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
年末の恒例行事、お歳暮。文字どおり歳の暮れに贈るものなのですね。お歳暮の品が鴨というのも現代の感覚からするとビックリします。
羽白鴨の一種、キンクロハジロ。

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文政10年12月29日(1827年)雪
朝から体調不良。家で静養。
昨日も忙しかった。妻の実家に塩引き(魚の塩漬け)をお歳暮として送る手配をしたし、夜は、なら甚が来て虫掛(現土浦市虫掛)の木之下から借りた金三両のことで相談にのった。さすがに疲れた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
文政十年は今日が最終日。文政10年12月は小の月でしたから29日までなのです。昨日までに何かと忙しかったためか、今日は体調を崩して家で静養です。まだ20代と若い三中ですが、時々体調を崩していますね。年末年始は体調崩しやすいので、皆様もお大事に。

文政10年に12月30日は存在しません(文政10年12月は小の月)。また、12月31日も存在しません(旧暦に31日は存在しません)



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