レフティやすおの新しい生活を始めよう!

50歳からが人生の第二段階、中年の始まりです。より良き老後のために良き習慣を身に付けて新しい生活を始めましょう。

『三月は深き紅の淵を』恩田陸:メルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」296号告知

2012-01-25 | 左利き
無料左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』の先週号の告知です。

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第296号(No.296) 2012/1/21
「名作の中の左利き~推理小説編4『三月は深き紅の淵を』恩田陸」は、
「■名作の中の左利き■~推理小説編」の第4弾。

恩田陸氏の異色のミステリ『三月は深き紅の淵を』のうちの第二章「出雲夜想曲」を取り上げています。
《決してできのいい小説ではないけれど、誰もがはまるという稀覯本『三月は深き紅の淵を』の作者は誰かという謎を、現役の小説編集者が推理するという趣向。》
その作者こそ左利きで、その左利きの人らしい動作を描いた文章が多々見られると言うのですが…。

さらに作中、右利きの編集者が、この左利きらしい描写の部分に対して抱いた「違和感」がそもそも「左利きの作者像」に思い及んだ発端だったというのです。

人が左利きの仕草に抱く、この「違和感」とは何なのでしょうか?

詳細は本誌で―。

*今回取り上げた本:
『三月は深き紅の淵を』恩田陸/著 講談社文庫(2001.7.13)
―誰が書いたか不明の謎の稀覯本を巡る、読書好きの面々による読
 書談義・創作談義が面白い。作中作と対応した内容を持つ独立し
 た4話からなる異色のオムニバス長編ミステリ。解説:皆川博子。

【過去の ■名作の中の左利き■~推理小説編 の記事】
2011.12.29阿刀田高「兄弟」とLYGP2012:メルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」291、292号告知
2011.11.24<アブナー伯父>「藁人形」:週刊ヒッキイhikkii287名作の中の左利き~推理小説編2
2011.9.24推理小説と左利き:週刊ヒッキイhikkii278名作の中の左利き~推理小説編1

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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「『三月は深き紅の淵を』恩田陸:メルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」296号告知」を転載したものです。
(この記事へのコメント・トラックバックは、転載元『お茶でっせ』のほうにお願い致します。ただし承認制になっていますので、ただちに反映されません。ご了承ください。)
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左利きとマナー(1):メルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」295号告知

2012-01-18 | 左利き
無料左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』の先週号の告知です。

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第295号(No.295) 2012/1/14
「左利きとマナー(1)はじめに」は、
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その19― 左利きとマナー」の第1回目。

今年からまた新しいテーマ「左利きとマナー/作法」について考えてゆこう、というものです。
この問題はなかなか難しいもので、簡単に結論が出るものでもあにでしょう。
しかし、絶対に避けては通れないものであり、時間をかけて考察してゆきたいものです。

まずは私なりに総論としての結論をまとめてみました。

●形式は手段であって、目的ではない
●ルールとマナーの違い
●目の前の現実を見つめる
●利き手・利き側の違いを考慮したマナーへ

詳細は本誌で―。


*本誌でふれた本:
『幅書店の88冊 あとは血となれ、肉となれ。』幅允孝/著 マガジンハウス2011.6.23
―ブック・ディレクター幅允孝の選んだ本88冊を“幅”流に紹介する本のガイド。

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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「左利きとマナー(1):メルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」295号告知」を転載したものです。
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左利きには天才が多いって本当?―web R25より

2012-01-11 | 左利き
『web R25』<W×Rウェブレビュー>の
「身体にまつわる都市伝説 第80回 左利きには天才が多いって本当?」
という記事が出ています。

“都市伝説”というぐらいですから、話題の一つとして聞き流せばよいのかもしれません。

しかし、左利きライフ研究家としては、やはりちょっと書き留めておいても良いかと思います。

池袋スカイクリニック須田隆興先生によりますと、
《「... 左利きの人が後天的に才能を鍛えられる要素はあるのではないでしょうか。世の中にある道具の大半は右利きの人向けに作られているため、左利きの人は必然的にトレーニングの頻度が多くなるからです」》
というお話。
《「... 手を使うという行為自体、良い意味で脳に大きな負荷を強いています。たとえば左利きの人が右利き用の道具を使う際には、“どう対応すべきか”という思考や検証が発生します。つまり、先天的に左利きの人は、幼い頃から自然に脳がトレーニングされてきたと考えられるでしょう」》
と解説されています。

「左利きには天才が多い」説の中身は、《幼少期から鍛錬された脳が、常人とは違ったポテンシャルを発揮する…》ということか、と。
〆として、《日常生活であまり利き手ばかりに頼りすぎず、脳トレを意識してみるのもいいかもしれない。》というのですが…。

“脳の違い”ということも書かれています。
《「利き手」を医学的にひもとくと、「右利きの人は言語機能の優位半球が左脳にあり、左利きの人は右脳にある、というのが定説」と須田先生は解説する。つまり、利き手によって脳の使い方が変わるともいえそうだ。》
と。

ただ脳と言語と左利きについて書かれた本(例えば、『言語と脳』杉下守弘/著 講談社学術文庫 2004)を読みますと、
失語症の研究から、
《右利きでは左脳が言語優位半球であるのが普通》であるが、左利きの場合は左脳が言語優位半球である人が多いけれども、右脳が言語優位半球である人が二十%ほど存在する》
「第三章 左利きの人の言語と脳」p.69 とあります。

一概に「左利き=右脳が言語優位半球」とは言えないようです。
この辺のところが、左利きの問題を複雑にしているように思います。


とにかく、言語優位脳に関してはどうであれ、日常生活の中で左利きの人が工夫を余儀なくされ、その結果として後天的に脳が鍛えられるという点は、充分あり得る話だと納得できます。

ただそこから、「左手・左側を使えば、即右脳が鍛えられるか」というと、その辺は疑問だと思うのですが…。

先に、2012.1.9 魚に「右利き左利き」 人間の脳解明に期待-MSN産経ニュースから
でも書きましたように、
人間の脳は、通常左右の脳が総合的に働いているので、右脳がどうとか左脳がどうということは、一概に言えないそうです。
『脳科学の教科書 神経編』理化学研究所脳科学総合研究センター/編
 岩波ジュニア新書680 2011.4 

右利きの人が恵まれた環境(右利き仕様の社会構造)により甘やかされている→怠惰に陥りやすい、無能化する危険性がある、また身体的にも非“利き”側が劣化している、という事実は否定できません。
それに比べて、左利きが冷遇されているがゆえに工夫を求められる→創造性豊かになる、また身体的にも非“利き”側が鍛えられる、という事実も確かです。

本日の結論として、
《甘やかされた人間は怠惰から無知に陥るが、努力するものからは知恵が生まれる。》(レフティやすお)
とでも書いておきましょう。

*『R25』での左利き記事のなかに、私の関係するものがありますので、メモしておきます。
2007.12.6 R×R 右利きが左利きより多いのはなぜ?
『レフティやすおのお茶でっせ』2007.12.6 『R25』左利き記事にコメント掲載される

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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「左利きには天才が多いって本当?―web R25より」を転載したものです。
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魚に「右利き左利き」 人間の脳解明に期待-MSN産経ニュースから

2012-01-09 | 左利き
新年早々左利きの記事を書こうと思いつつ、そのままになっていました。

(画像:7日朝、産経新聞で見た記事)
そこに飛び込んできたニュースがこれ。
これ幸いと、飛びついた、という次第。

魚に「右利き左利き」 人間の脳解明に期待 - MSN産経ニュース
(動画ニュース)
魚に「右利き左利き」 名古屋大研究員らが撮影

《名古屋大の竹内勇一研究員らの研究チームが》、《餌を捕る時に左右性(右利き、左利き)があるとされる魚の捕食行動を明確に撮影、分析することに成功した》と、《6日付の米科学誌プロスワン電子版に発表した》
―というものです。

《人間の利き手と脳構造の関係解明への応用も期待できそうだ。》
―とあります。

記事の冒頭まとめの言葉には、《人間の利き手》とありますが、
記事内の竹内研究員の言葉では、
「今後、魚の左右性に関係する神経系を特定し、人間の“利き”と脳のメカニズム解明につなげたい」》
―と“利き”という表現になっています。

この辺のニュアンスは、私は重要なポイントだと考えています。

「利き手」と言い切ってしまうと、一般の人にはわかりやすいかもしれませんが、
範囲が絞られていまします。
利き手以外にも、利き足や利き目・利き耳などがあります。

あくまでも“利き”というのは、身体全体にわたる偏りの傾向を示すものだと思います。
実際にどちらの側(の手)を使うかというより、どういう傾向があるか、ということです。

人間の場合、意識的に使う場合と無意識に使う場合、また意識していなくても、習慣的に使う場合があります。
学習により習慣化する行動というものがあるわけです。

そういうものを除外して、あくまでも真に“非”意識的な傾向を“利き”と呼ぶのだ、と私は理解しています。

 ・・・

閑話休題―。

昔は、人間にだけ「利き手」がある、と考えられてきました。
「手」を持つのが、人間だけ、という考え方もありますから。

たぶんに、これはキリスト教文明の影響ではないか、と思うのですが、
キリスト教では人間と他の動物とはまったく別格の扱いですから。

理由の一つに、
「ヨーロッパにはサルがいなかったからではないか」という説があります。

人間と他の動物が一つながりのもの、という考えを導き出す
「進化論」をダーウィンが発表するのを何年も押さえていたのは、
一つにはこのキリスト教会からの弾圧を恐れたから、といわれています。


話を戻しまして―。

「左右の非対称性」という考え方をすると、
様々な動物に「利き手」に相当するものが見つかるようになりました。

テレビでも犬や猫の利き手、
シロクマの利き手調査をやっている番組も見たことがあります。

今では人間特有の現象という考え方はないようです。

 ・・・

昨今では、オリンピックの代表選手などが、右利きでも左手で箸を使う訓練をしたり、
『右脳革命』(T.R.ブレークスリー/著 大前研一/訳 プレジデント社 1981、新潮文庫 1993)以来、
左脳に偏った思考に柔軟性を持たせるために右脳を鍛える、
といった理由で、左手を使え、という話があります。

身体の左右のバランスを取るのは、理解できますが、
思考や発想がどうこうというのは、考え過ぎのような気がします。

ちゃんとした脳科学の本

『脳科学の教科書 神経編』理化学研究所脳科学総合研究センター 編
 岩波ジュニア新書680 2011.4

など読んでみますと、ほとんど否定的です。

人間の脳は、通常左右の脳が総合的に働いているので、
右脳がどうとか左脳がどうということは、一概に言えないそうです。

巷に溢れる“エセ”脳科学の本といわれているものには
色々と出ていますが…。

なにはともあれ、
“利き”の解明に近づく第一歩として、大いに期待しています。

*利き手と左利きの研究に関する本:
(日本)
『左対右 きき手大研究』八田武志 化学同人(DOJIN選書 18) 2008.7.20
―1996年11月刊『左ききの神経心理学』以降、世界で研究された成果を一般向けに読み物とした本。
(イギリス)
『非対称の起源 偶然か、必然か』クリス・マクマナス/著 大貫昌子/訳 講談社ブルーバックス 2006.10
―20年にわたる利き手・左利き研究の成果をまとめた本。
(世界)
『「左利き」は天才?―利き手をめぐる脳と進化の謎』デイヴィッド ウォルマン/著 梶山 あゆみ/訳 日本経済新聞社 2006.7
―自身左利きの科学ジャーナリストが、左利きの謎に挑み世界を駆けるサイエンス・ノンフィクション。

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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「魚に「右利き左利き」 人間の脳解明に期待-MSN産経ニュースから」を転載したものです。
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新年明けましておめでとうございます!

2012-01-01 | Weblog
早いもので21世紀も12年目。

今の家に引っ越してから10年が過ぎました。
(12月29日にガス給湯機がダウン、10年を一月過ぎてたので有料修理!)
パソコン歴も同じく丸10年。
このブログ『お茶でっせ』は丸8年が過ぎ、記事数も700にあと数本。

 ・・・

昨年は色々と大きな出来事が重なり、大変な一年となりました。

「おめでとう」気分ではないよ、という方もいらっしゃるかと思いますが、
人間というものは生きていることに価値がある、という見方もできましょう。

わが敬愛するヘンリー・デイヴィッド・ソローは、こう書いています。 
《惨めな人生でも、現実に向き合い、生きるべきだ。
 それを避けたり、悪態をつくべきではない。
 生きることそのものは、自分のありようほどひどくはないのだ。
 生活は富めるときほど貧しく映る。
 あら探しの好きな者は天国にだってあらを見つけるだろう。
 貧しくても自分の生活を愛そう。
 救貧院にいても、気持ちのよい、刺激のある、楽しい時間があるだろう。
 夕日は金持ちのお屋敷にも、救貧院の窓にもまぶしく映るだろう。
 春の訪れに、雪も同じようにドアの前で溶けだすだろう。
 穏やかな気持ちさえあれば、救貧院にいても満足し、
 宮殿に住んでいるように元気よく生きていけるにちがいない。》
 ―『森の生活』~『ソロー語録』「生きる」p.62より


また、こうも書いています。 
《それが生であろうと死であろうと、
 僕らが必要なのは現実のみである。
 もし僕らがまさに死にかけているなら、
 その間際には喉からもれるあえぎ声を聞き、
 手足の先の冷たさを感じよう。
 生きているのであれば、
 しっかりと生きることから始めよう。》
 ―『森の生活』~同「生きる」p.64-5より


『ソロー語録』岩政伸治/編訳 文遊社 2009.10
―自然愛好家、奴隷制反対論者等の顔を持つソローの著作『ウォールデン 森の生活』他から名言集。ソローへの入門としても良し。


たとえどのような状況にあろうとも、
人はただ今この時を生きるしかないのです。

同じ生きるなら、苦しくても「楽しい」と思って生きる方がいいのかもしれません。

「それはお前が恵まれているから言えることだ」
と反論されるかもしれません。

そうかもしれません。

しかし、たとえそうであれ、
人間というものは、人それぞれに悩みを抱えて生きているものです。

他人から見れば、大したことはないと思えることであれ、
本人にとっては大きな問題なのです。

上を見ればキリはなく、下を見てもキリはないのです。

生まれて来た限り、人はただ生きるのみです。
死が訪れるそのときまで。


空海の言葉にあるそうですが、
雲に隠れていたとしても太陽はその上で輝いているのです。

希望を持って生きてゆきましょう!

では、
今年もよろしくお願い致します。

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※本稿は、レフティやすおの他のブログに転載しています。
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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「新年明けましておめでとうございます!」を転載したものです。
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