レフティやすおの新しい生活を始めよう!

50歳からが人生の第二段階、中年の始まりです。より良き老後のために良き習慣を身に付けて新しい生活を始めましょう。

私の読書論175-出版業界―または本と本屋のこと-楽しい読書352号

2023-10-16 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年10月15日号(No.352)
「私の読書論175-出版業界―または本と本屋のこと」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年10月15日号(No.352)
「私の読書論175-出版業界―または本と本屋のこと」
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 前回に引き続き、本と本屋の世界といいますか、業界について、
 「元本屋の兄ちゃん」として、本好き・読書好きの人間として、
 私なりに考えていることを書いてみようと思います。

 前回は、朝日新聞の記事「本屋ない市町村、全国で26%~」を基に、
 書店が生き残る方法など、私なりの考えを書きました。
 再販制度をやめよとか、雑誌販売についてとか、
 書店の選書について等々。

 今回はその続きで、出版業界における改革について、
 私なりの案を書いてみましょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 - 日本の本は安い!? -

  ~ より良い本作りのために ~

   本の価格を1.5倍に、著者・出版社・書店に厚く配分する
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●日本の本は安い!?

以前読んだ雑誌の記事によりますと、
海外の本の値段を日本のそれと比べてみると、
およそ1.5倍だというのです。

どのように比較したかといいますと、
どんな作品だったかは忘れましたが、
日本でも海外でも翻訳されている古典の名作を比較したわけです。

たとえていえば、ドストエフスキーだとか、ですね。
日本なら文庫本で出ていますが、
海外でもポケットブック判で出ていたりするわけです。

それを比較する。
翻訳作品ですから、著書以外に翻訳者の翻訳料も含まれるわけです。
編集や営業やらなんやらの出版社の取り分と、
それに物の本としての原材料費のようなものが加算されます。
そこに、流通業者の取次や書店の取り分が加算されたものが、
最終的な本の値段になるわけです。

日本の本は海外のものに比べて安い、というわけです。
本の値段が安いと何が問題かといいますと、
それぞれの段階で取り分が少なくなる、ということです。
取り分が少なくなれば、それだけ経済的に生活が苦しくなる、
ということになります。


 ●本の値段を上げてみれば?

そこで、本の値段を上げてやれば、それぞれの取り分が増え、
余裕ができ、やたらと仕事をしなくても生活が楽になるわけです。

本を書く人(著者や翻訳家など)は、
じっくり時間をかけて作品と取り組むことができます。

出版社は、下手な鉄砲数撃ちゃ当たるとばかりに、
本をやたら点数出す必要もなくなります。
売れる本の冊数が少なくなっても一冊当たりの取り分が増えれば、
その分補うことができます。

こうして著者や出版社側の条件をよくすることができます。
すると、よりよい作品が生まれる可能性が高まります。


次に、流通側です。

流通側の取次は、現状では基本的に本を動かせば(送品・返品)、
お金が入ることになっています。
また、どちらかといえば、比較的大きな会社がやっていますので、
現状でも本さえ出版され、時に売れれば、もうけは出るはずです。

取次は現状のままでも本の値段が上げれば、
もちろん、取り分も少しは上がるはずです。


問題は、今急速に減少している本屋さん(書店)です。

パパママストア的な地方の小さな書店や、
それに毛が生えたような中小の書店でも、
本が売れにくい現状で、一方で出版社がやたら本の点数を出すので、
一冊の本をじっくりと時間をかけて売ることができにくくなっています。
新刊本でいい本があったとして、
次々と本が送られてくるので、限られたスペースでは置ききれず、
一定の期間でどんどん本を置き換えていくことになり、
口コミで徐々に読者が増えてきている状態になったとしても、
すでに地元の本屋さんには現物がない、という状況が生まれてきます。

また、都市部の繁華街にある大手の有力書店でも、
店舗の賃貸料が高騰し、本屋の取り分だけでは
もうけが出ない状況になってきています。

そこで今、新刊書店では、粗利の多い他の物品販売と組み合わせたり、
カフェなどを併設したりして、
もうけの取り分を増やすように工夫しています。

しかし、これも新たな業態への転換といっていいわけで、
新たな勉強が必要になります。

もちろん他の業界でも同じようなことが起きています。
何も書店だけのことではありません。
しかし、従来から大きく変化している業界の一つであることは事実です。


 ●本の価格を1.5倍に

まずは、本の価格を50%ほど値上げします。

で、増やした分の20%を書店の取り分に、
10%を著者に、15%を出版社に、残りの5%を取次に、と分配する。

細かな数字は別にして、大雑把に言ってこんな感じです。

現状では書店のもうけが少なすぎる(22%程度)ので、
専門家を雇うというのが、むずかしくなっています。
パパママストアや店主とアルバイトやパートさんでやっている、
という小さな本屋さんも少なくありません。

すると専門家は店主ぐらいで、後は経営はおろか、
本の知識も十分でない人が店頭に立つ、ということになります。
なにしろ本はあらゆるジャンルにまたがっているのですから。
文学は分かっても科学は分からないとか、
絵本や児童書、学習参考書が分からない、
今はやりのゲーム本やコミックが分からない、
ビジネス書や教養書や実用書のなんたるかが分からないとか、
専門書に至っては……。

スーパーの粗利が25%ぐらいといわれています。
22%ならそれほど変わらないじゃないか、といわれるかもしれません。
本は置いておいても腐らないし、毎日入れ替える必要もないだろう、と。

実は本も生ものなのです。
旬というものがあります。
雑誌はもちろん、新刊書籍であっても。

コロナ禍の際に、怪しげな内容のものも含めて、
いろんな感染症の本が出ました。
タイムリーにその時その時、読者が求めているものを供給する、
というのも出版の在り方です。

人気作家の売れ行き良好書や人気シリーズ、
古典だ名作だといった定番商品だけ置いていても、商売にはなりません。

インチキ本や怪しい本も色々出版されますし、ボーダーの本もあります。
そんななかで、
新しい時代の名著名作をフォローしていかなくてはいけません。
見極めるための勉強が必要になります。

本が売れない時代だといわれながらも、
一方で、爆発的に売れる本――ベストセラーが生まれることもあります。
何が売れるか分からない部分があります。
だからこそ、下手な鉄砲式に出版社はあれこれと点数を出すのです。

書店のことはその辺にして、次に進みましょう。


 ●より良い本作りが可能に

出版社と著書について。

著者の取り分は、印税と呼ばれて、平均10%といわれていました。
ところが、昨今ではこれがだんだんと下がってきているといわれます。
特に新規の(実績のない)著者の場合はかなり押さえられる、と。

これではいい本を書こうとしても、時間をかけて資料を準備し、
文章を推敲し、よりよい原稿にしようすることがむずかしくなります。

日本の場合は、出版エージェントといった職業がないので、
多くの作家が個別に出版社と交渉することになります。
どうしても作家側の力関係は弱くなり、
専業作家は数をこなすような仕事になり、自転車操業になってしまい、
よりよい作品を生み出すことがむずかしくなります。

出版社は、本の部数が出れば出るほど、一点の本が売れれば売れるほど、
もうけが増えるようになっています。
ベストセラーのような本が出れば、初めてもうけが増えるのです。

本が売れないといわれる時代になり、一点当たりの売上部数が減り、
本の価格が低ければ、もうけも減ってしまいます。
そこで、本の点数を増やして一発を当てようとするのです。
あるいは、数でなんとかもうけを出そうとします。
著者への印税を押さえ、経費を節減して。

出版社が点数を出す理由の一つに、
各書店の売場の割り当てを確保する、という意味合いもあります。

大手といわれる出版社の場合、
新刊売場の自社の面積を確保・維持するために
毎月同数の本を出す必要があるわけです。

そのため、常に一定の水準の本を確保するというのはむずかしいもので、
実績のある人に原稿を依頼するということが多くなります。
結果、同じ著者の似たような本があちこちから出る、
という現象がおきます。


せめて本の価格が高くなれば、
経費を差し引いたその分、もうけの幅が増えます。

本のもうけが増えれば、
ムダに本の出版点数を増やす必要もなくなります。
いい本だけを出そう、とすることが可能になります。


 ●「軽い」本は電子版で

今の出版社は、先ほども書きましたように
「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」というような傾向を感じます。
とにかく点数を出して一発当ててやろう的な。
この業界は一発当たれば一気に儲かる、
という仕組みになっているそうです。

しかし、実際にはそんなに玉はないものです。
確かにネットにはいろんな文章があります。
名のある人が色々と書いているのは事実です。
それらを適当にまとめても本になります。
そんな風に作られた本もかなりあります。

あるいは、
昔なら総合雑誌などに一本の記事として出されたような文章が、
色々と実例やデータを交えたり、
イラストや図表をいれてよりビジュアル的にわかりやすく読みやすく、
ズバリ言えば水増しをして一冊にまとめる、
といった本作りもされています。

そういう私から見ると、軽い本が多く出されています。
こういう本は紙の本で出す必要はありません。
どうしても出したいのなら、電子版で出せば、
資源の無駄遣いも減るだろうと思います。

それでも売れるような「良い本」と認められれば、
その時点で「紙で残す」という選択肢を採ればいいのです。

電子版についていいますと、
日本の電子版は紙の本に比べてお高いようです。

といいますか、紙の本の方が安いという言い方もできますね。


 ●「良い本」を作れる環境を!

まとめ的にいいますと、
現状ではまず本の値段を上げてそれぞれの取り分を増やす。

そうして、著者・出版社の「良い本」を作れる環境を整え、
書店がそれらの「良い本」をじっくり時間をかけて売れる状況にする。

――というところでしょうか。

 ・・・

書店の改革といいますか、最近の書店の傾向といいますか、
カフェを併設するとか、専門店化するといったことについては、
また次の機会に考えて見たいと思います。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「私の読書論175-出版業界―または本と本屋のこと」と題して、今回も全文転載紹介です。

今回は、主に書店側から出版社・著者について考えてみました。

ふだんから思っていることの一つが、本を出しすぎじゃないか、ということでした。
35年ほど前、本屋さんで働いていたころから感じていることです。
当時で、年間4万点ぐらいだったかと思います。
それでも多いと感じていたのですが、今では8万点を越えているそうです。
それでも最近では少し反省されたのか、横ばいになっているとか。

色々なレベルの本が出るのはいいことですが、点数が多くなりますと一般の書店では置ききれません。
売れる前に返品せざるを得ないというケースも出てきます。
そうしないと毎月次々と新刊が送られてくるからです。
この本は売れると持っても、次の新刊が出て来ると考えなければいけなくなります。

お客様が新聞の書評など切り抜いて、この本ありますか、と来られるのは、本が出てたいてい二ヶ月後ぐらいです。
書評が新聞や雑誌に出るころには、書店の店頭にはない、というケースも少なくありません。
その際、注文を出してもこの段階では返品にまわっているケースが多く、出版社品切れで帰ってくることもよくありました。

本を選んで出して欲しい、というのが書店員側の希望でしたね。
今も同じです。
著者や編集者のみなさまでどうしても出したい本があるというのなら、まずは電子版で出して、ようすを見るというのをオススメしたいものです。
それで「売れ(てい)る」となったら、紙で出す、というぐらいでちょうどいいのではないか、という気がします。

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

『レフティやすおのお茶でっせ』
〈メルマガ「楽しい読書」〉カテゴリ

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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
私の読書論175-出版業界―または本と本屋のこと-楽しい読書352号
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<左利きの人の覚醒>左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii創刊19年記念号-第650号

2023-10-08 | 左利き
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』【別冊 編集後記】

第650号(No.649) 2023/10/7
「創刊19年に向けて―650号記念号―
 <左利きの人の自覚――意識の覚醒>が最も重要」


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◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン

  右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
  左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
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第650号(No.649) 2023/10/7
「創刊19年に向けて―650号記念号―
 <左利きの人の自覚――意識の覚醒>が最も重要」
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 いよいよ創刊以来19年目に突入します。

 週刊といいながら途中から月二回になりましたので、
 18年たったにもかかわらずまだ650号です。

 とはいえ、毎日発行しても2年近くということになりますから、
 相当な数になると思います。
 

 本来ですと、月の初めの第一土曜日は、

 「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界」

 をお送りしていましたが、今回は、またまたお休みで、
 (ただいま勉強中! 鋭意情報収集中!)

 記念放談となります。

 今回から、購読するという方もいらっしゃるかと思いますが、
 毎回こんな風ではありませんので、
 これからも温かい目で見守ってください。


(画像:まぐまぐ―『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』登録ページ)

┏ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┓
  創刊19年に向けて―650号記念号―

  「来た、見た、買(こ)うた」から始まった左利き活動33年

    <左利きの人の自覚――意識の覚醒>が最も重要
┗ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┛      

 ●左利き活動の「初心」は?

前号では、このメルマガの「初心」について書きました。

《幼い頃の自分のように左利きで
 嫌な思いをする人がいなくなるように》

という思いで、何かできないかということで始めたわけです。

一方、私の左利き活動は、ネットの前に紙の時代がありました。
その紙の時代の前に、個人の時代がありました。
人に知らせる前に、個人的にあれこれしていた時代ですね。

そもそもそのときの「初心」とはなにか、といいますと、

《左利きの人たちに「左利きの人は左利き用品を!」
 ということを伝える》

ということでした。
そして、

《左利きの人たちを覚醒させたい》

ということでした。

《右利きの人たちは、身体に合った道具や機械を使うことで
 いかにいい思いをしているか、を知って欲しい》

ということです。

《左利きの人も、自分の身体に合った道具や機械を使うことで、
 快適な生活を送ることができるのだ》

という事実を認識して欲しい、ということです。

では、いかにしてそのような思いを抱くようになったのか、
その辺の事情を書いてみましょう。


 ●「来た、見た、買(こ)うた」

《左利きの人たちに「左利きの人は左利き用品を!」と伝える》
という気持ちになった、そのきっかけについて書いてみます。

それは一つのカメラに出会ったことがきっかけでした。

 ・・・

始めに、この見出しについて説明しておきましょう。
 
「来た、見た、買(こ)うた」というのは、
「来た、見た、勝った」という、
古代ローマのユリウス・カエサル(英語読みシーザー)
の勝利を伝える言葉をもじったもので、

昔、大阪・日本橋でんでんタウンにあった家電販売店
「喜多商店」のキャッチコピーで、
テレビでもよくCMが流されていました。

実際に私が買ったのは、他のお店、「カメラのなにわ」でしたが。

当時よく日本橋のでんでんタウンと呼ばれていた
家電の街に遊びに行ってました。
そのはずれというか、日本橋側の駅に近いの方のお店でのことです。


 ●左利き活動の始まりは、1990年末「世界初左手用カメラ」購入

私の左利き活動は、正規には、1991年1月1日開始としています。

その前年末、会社のお正月休みの初日に、ボーナスのお金をもって、
大阪市内の有名カメラ店へカメラを買いに行きました。
それが、運命の出会いでした。

その時に買おうと思っていたのは、
当時はやりのニュー・コンセプト・カメラの一種で、
1989年7月1日に発売された「世界初左手用カメラ」という
キャッチコピーの「京セラ SAMURAI(サムライ) Z-L」という機種の
同年9月に出た、一部機能を省略した廉価版の左手用「Z2-L」でした。











1990年12月1日の『週刊プレイボーイ』(集英社)に、
ニュー・コンセプト・カメラ特集の「ぐぁんばれ、カメラ!!」
という記事が出て、そこにこの「Z-L」も紹介されていました。

片手で写せるカメラ「ワンハンド・ショット」というのが売りで、
それなら右手用と左手用が必要だ、とこの機種が開発・販売された
という話でした。

そして、右手用と同一価格で発売。
左利きの人のために作られたカメラというのです。

まずは見てから、と思い、カメラ店に行って聞いてみると、
すぐに出してもらえました。

手に取った瞬間から、手に、身体にピッタリとフィットして、
なんとも言えない感動でした!

それはちょうど、右利きの人がビデオ・カメラを右手に持って、
右目でファインダーをのぞいて撮るのが、ピタッとくるように。


身体に合った道具・機械って、こんなに素敵なものなのだ、と実感!

右利きの人たちは、いつもこんないい思いをしていたんだ、と。

やっぱり左利きの人は、左利き用の道具を使わなければダメだ、と。

当時、自分のまわりに何人かの左利きの友達や知り合いがいました。
それらの人たちに「人生の真実」を教えてあげなくちゃ、と思い、
それが左利き活動を始めるきっかけとなりました。

店員さんによりますと、そのお店で販売した左用は三台目だ、
ということでした。
少なくとも三人のお仲間がいたわけですね。
きっと大喜びで帰っていかれたことでしょう。


 ●右手用のハンディカムの違和感

カメラを買おうと思った動機について、
いままで書いていなかったことですが、書いておきましょう。

本屋で働いていたとき、向かいにSONYのお店があり、
よく出入りしていました。

先ほど、ビデオ・カメラのことを書きましたが、
当時ハンディカムというビデオカメラが流行っていた時期で、
私もパスポートサイズのものではないのですが、
小型のビデオ・カメラを買いました。

母親が末期のがんで、もう先がないと言われていて、
何か記念になるものを残したかったのです。

でもこのビデオ・カメラというのは、
右手に持って動作するというもので、右手専用といってもいいもので、
左手は全くといっていいほど、不要なものになっていました。

私個人としては、強度の左利きですので、
右手を使うのはあまり得意ではありません。

どうもうまく行かない感じで、
撮ったものを見てもらったSONYのお店の店長さんからも
「ピントが甘い」とかなんとかかんとか、「もう一つ」の評価でした。

ちなみに、店長さんは左利きの方で仲良くしてもらっていました。
ビデオ撮影も得意で、私同様半田付けもできるし、
持ち込み修理もやってくれる、何でもできる器用な方でした。

そんなときに京セラの左手用「サムライ」のことを知りました。
まさに自分のために作られたカメラのような気がしたものでした。

休みのたびにあちらこちらと写真を撮りに行っては、
その使用感の心地よさを改めて実感していました。


 ●『モノ・マガジン』左利き特集号との出会い

そんなときに、母が亡くなりました。
1991(平成3)3月、37歳のときでした。
遂にその日が来たのです。
幸い特に苦しむこともなく。
前日まで自分のことは自分でできて、外出などはむずかしいにしても
毎朝起きると身だしなみを整えて、安穏に暮らしていました。

そして、その後のなにやかんやの日を過ごしていたとき、
新聞の朝刊の広告で、ある雑誌のことを知りました。

『モノ・マガジン』左利き特集号(1991年4月2日号 No.188)
「特集/左を制するものは時代を制す/左利きの商品学」




というものでした。

すぐ、近くの本屋さんに行って買ってきました。
この雑誌との出会いが、また一つの転機になりました。

なにしろ、実に色々な商品が、
左手・左利き用品が写真入りで紹介されていたからです。

亡くなった母の最期の贈り物だったのかもしれません。


 ●存在を知らなければ、「存在しない」のと同じ

このカメラのお陰で
「左利きは自分の身体に合った左利き用の道具・機械を!」
という真実を知り、
次に『モノ・マガジン』のおかげで、カメラ以外の
左手・左利き用の道具のあれこれの存在を知ることができました。

それまでは、ただやみくもに行き当たりばったりに、
あるかどうかも分からない商品を、それとなく探していたものでした。


でも今は現実に存在すると分かっているものを探すのですから、
ずっと簡単です。

日本中で、私と同じように、
この雑誌から多大な影響を受けた人はおおぜいいらしゃっただろう、
と思います。
私と同じようにこれらの商品を探し、買い込んでいた人たちが……。

こういう現象は、
「左利き友の会」(1971(昭和46)年発足)が活動していた1970年代、
1973(昭和48)年の麻丘めぐみさん「わたしの彼は左きき」
(作詞・千家和也 作編曲・筒美京平)のヒットのころに起きた
<左利きブーム>以来のことではなかったか、と思います。

ただし、今回は一部の左利きの人だけのことだったでしょうけれど。

 ・・・

まずは「左用のハサミ」を探すことにしました。

話には聞いていたけれど、実物は見たこともなかったハサミを
会社の休みの日にあちこち探し歩きました。

すると、あんなに無縁だと思っていた左用のハサミが
案外身近に見つかったのは衝撃でした。

いつもよく行っていたスーパー「西友ストア」の文具売場に
「レイメイ藤井」の「こどもはさみ」左手用がありました。
しかも、右手用と同じ価格で売っていました。

次に、「コーナン」という関西中心のホームセンターで、
「林刃物」の「左手用ハサミ」一般事務用を見つけました。

結構あるやん、知らんかっただけやん、と。
「無知」「知らない」というのはいかに悲惨なことか、
と実感しました。

その存在を知らなければ、「存在しない」のと同じなのです。

これらの見つけた情報をまわりの左利きの友人知人に
次々と話してゆきました。

現物を見せて話しても、思いの他、共感してもらえなくて、
がっかりな部分も多い日々でした。


 ●最初はハガキサイズの「左組通信」という紙媒体

当時、「プリントゴッコ」という簡易印刷機がありました。
年賀状などをこれで印刷していたものです。

1990年末に左手用カメラ「Z2-L」を買い、左利きに目覚めた私は、
左利きの活動をボチボチと始めました。
翌1991年の3月に「左利き特集号」に出会い、その活動に加速がつき、
その後同年末、いよいよ、左利きの友人・知人と友人たちに向けて、
左利きの会員と右利きの賛助会員の募集を始め、
「LEFTY CLUB『左組』」を始めることにしました。

プリントゴッコでハガキサイズの左利き用品について書いたお便り
「ひだりぐみ通信」を始めることを考えました。

当時、私の左利きの友人・知人といいましても、
みんながそれぞれに知り合いというわけではなく、
一堂に介して話ができるという状態ではなく、
私が会って話すのは一度に一人ずつぐらいで、
同じ話を何度もしなければならないわけです。

元々口下手でもあり、そういう状況は非常にやっかいなものでした。

幸い、子供の頃から話すのは苦手でも、その不足を補うかのように、
文章を書くのは結構好きで、高校生時代は物書き志望だったくらいで、
「じゃあ、書いてみよう」ということで始めたのでした。


現存するものを引っぱり出してみました。

実際の発行は「0号」が1992年4月1日付で、
「創刊1号」が5月21日付、「創刊2号」は1993年4月25日付、
「創刊3号」は1994年1月21日付、「創刊4号」は1994年3月1日付。


もう少し出したつもりだったのですが、記憶違いだったのか、
この程度でした。

思えば当時は、私が一番忙しく働いていた時期(下請けの町工場で、
週6日朝8時から夜8時頃まで、工場長兼雑用係として)でもあり、
なかなか個人的な「趣味」に割く時間がなかったものでした。


その間、1993(平成5)年、
『モノ・マガジン』の左利き特集で紹介されていた、アメリカの
「Lefthanders International」に問い合わせの手紙を出したところ、
9月29日に『Lefthanders Magazine』の<見本>として、
バックナンバーの一冊が届きました。

ちなみに、入会後届いた「11・12月号」の通信販売のページに
「タジマ・サウスポー・カッターナイフ」の広告を発見し、
外国に日本のものが紹介されていて驚いたものでした。
日本の会社もがっばってるじゃないか、と。

1994年4月には、雑誌で知ったイギリスの左利き用品専門店
「Anything Left-Handed」の通信販売で左利き用品を購入
(文具セット、万年筆、他)し、顧客が参加できる
「Left-handers Club」の会員にもなりました。

のちにこちらの会誌に、紙版の『ひだりぐみ通信』に代わる季刊誌
『Lefties’Life』誌に英語のキャプションを付けたものを送ったところ、
第一面で「左組」が紹介されるということもありました。


 ●左利き活動の「初心」について――もう一度

今回現存する「左組通信」を読んでみますと、「入会案内」にすでに
左利きのお子さんをお持ちの親御さんへの言葉もありました。

今思い起こすと、当初は、あくまでも
大人の人に「左利きの人は左用を!」と訴えることが主目的でした。

ところが、左利きの友人・知人の輪をひろげていく過程で、
左利きの子を持つ親御さんに出会い、その悩みを聞く機会がありました。

私自身は、小学校入学時に、左手利きが「公認」されていましたので、
その後の社会の変化(「左利き友の会」や「わたしの彼は左きき」の
ヒットなど)もあり、
「左利きは左利きのままで」が当然のことと思っていました。

しかし、必ずしもそうではない、という事実を知らされて、
左利きの人自身の覚醒のみならず、
右利きの人への啓蒙も必要と感じるようになっていたようです。



今、大路直哉さんの新著『左利きの言い分』の中で、
左利きの不便益の問題に対して、右利きの人の共感を得て、
相互理解の上で、左利きに優しい社会を実現していこう、
といった内容の話を書かれています。

確かに右利きの人の理解なくして、「右利き(優先の)社会」を
「左利きの人にも優しい社会」に変えることはできません。

そういう意味からも
右利きの人の共感を得られるように努めることは大事だ、と思います。

ダーウィンの言葉にこういうものがあるそうです。

 《愛国心、忠誠、従順、勇気、
  そして共感の感情をより高く保持していて、
  たがいに助け合ったり、全員の利益のために
  自分を犠牲にする用意のあるような人間を
  たくさん擁している部族が、
  他の部族に打ち勝つだろうことは間違いない。》
   チャールズ・ダーウィン『人間の進化と性淘汰』
  "The Descent of Man and Selection in Relation to Sex"(1871)
    長谷川 真理子/訳 文一総合出版 2000/2/1

互いに助け合うというのが、本来の社会性だろうと思います。
多様性とよくいいますが、
 <誰もがしあわせになれる社会>を目指して努力する、
というのがあくまでも理想の姿だ、と思っています。


 ●始まりは左利きの人の覚醒にある

しかしその前に、ここであえて私が強調したいのは、
まずは当事者である

 <左利きの人自身が「左利きの問題」に目覚めるべきだ>

ということです。

当事者が「苦」を訴えなければ、他者の共感も得られません。

今、このメルマガの第一土曜日発行分では「左利きと音楽」について、
なかでも「左利きと楽器」について考えています。

その時によく目にする言葉は、
「両手を使うから利き手は関係ない」とか、
「初めて習うことだから利き手は関係ない、慣れたら一緒」
といった言葉です。

しかし、両手を使うといっても、使い方に違いがあるケースが大半です。
ギターしかり、バイオリンしかり。
ギターには、ちゃんと左用があります。
しかし、バイオリンには?

またピアノは両手を使いますが、使い方に差が、違いがあります。
右手では多く主旋律を、左手では主に伴奏を担当します。

そもそも、腕や指の使い方が違います。

人間の腕は、右腕は左から右へ横に引くような動きが自然です。
左腕はその逆で、右から左への動きが自然です。
指は、親指から小指へ順に動かすのが自然な動きで、
小指から親指へ順に動かしてゆくことはあまりありません。

また音階は、低音から高音へと移っていく方が、心が伸びやかになり、
逆に高音から低音に移っていくのは、心が沈んでゆきます。

それゆえ通常のピアノでは、右腕・右手の指の自然な動きに合わせて、
音階は、左から右へ低音から高音に移ってゆくのです。

親指で「ド」を弾き、次に人差し指で「レ」、
さらに中指で「ミ」というふうに……。


左手指・腕の得意な左利きの人では、その逆の動き、
右から左へ順に低音から高音に移っていく方が、自然な動きとなります。

 ・・・

長くなりますので、説明はこの辺でおわりにしますが、
そういうふうに、人間の身体には左右の違いがあり、
それゆえに、左利きの人の「幸福」を考えますと、
左利きの人は自分の身体に合った道具・機械を使うのが、
大切なポイントになります。

そういう
 <左利きの人の自覚――意識の覚醒>が最も重要なことだ、
と考えて、私は左利きの活動を日々行っているのです。

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本誌では、「創刊19年に向けて―650号記念号―<左利きの人の自覚――意識の覚醒>が最も重要」と題して、今回も全紹介です。

またまた長い文章になってしまいました。
毎回、何を書くか、きちっと決まってから書くのではなく、だいたいこんな内容で、と決まっている程度で書き始めます。
で、書いているうちに色々な資料を引っぱり出して、ああでもないこうでもない、としながら何稿も書いて、やっとここまで到達します。
そんな書き方ですので、とにかく長くなって意味不明な結果にもなりかねません。

まさに行き当たりばったりの書き方で、読む方もそれなりに読んでいただければ、幸いです。

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

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<左利きの人の覚醒>左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii創刊19年記念号-第650号
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中国の古典編―漢詩を読んでみよう(24)陶淵明(1)「五柳先生伝」-楽しい読書351号

2023-10-01 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年9月30日号(No.351)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(24)陶淵明(1)「五柳先生伝」」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年9月30日号(No.351)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(24)陶淵明(1)「五柳先生伝」」
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 5月以来の「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」24回目です。

 今回は、いよいよ陶淵明を読んでみましょう。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

◆ 直接に自分を語る、李白・杜甫のお手本となった大詩人 ◆

 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(24)

  ~ 陶淵明(1) ~

  「五柳先生伝」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回の参考文献――

『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
「九、達観を目指して――陶淵明の世界」より


 ●陶淵明のこと

いよいよ陶淵明を読みます。

中国の詩人で、このシリーズを始める前に知っていたのは、
唐の杜甫、李白、白居易(白楽天)と、この陶淵明、
『楚辞』の「離騒」の屈原ぐらいでした。

もともと詩は苦手な上、漢字が苦手だった私には、
漢詩というのは苦以外のなにものでもないというところでした。

先の<中国の古代思想を読んでみよう>で、
少しは漢字コンプレックスを克服できたようなので、
かなり楽になってはいるものの、
今でも相当苦しい時間を過ごしています。

当初、杜甫、李白、白居易(白楽天)とか陶淵明で
それぞれ1,2回ずつやってみるつもりでした。

でも、もう少し本格的に勉強したいという気もあり、
ああいうスタートになりました。

「漢詩とはなにか」と、
一海知義さんの『漢詩入門』を参考に始めました。

途中から、今参考にしています、
『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』江原正士、宇野直人/著
(平凡社 2010/4/20)と出会い、
これを基に進めてゆくことにしました。

そうして24回目、ようやく当初から知っていた(屈原は別ですが)
詩人・陶淵明の登場、ということになりました。


 ●陶淵明について


(画像:室町時代後期の画家、等春が描いた陶淵明像――『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20 より)

『漢詩を読む 1』の宇野直人の解説によりますと――

陶淵明(365-427)は、李白や杜甫よりも約300年前の人で、
彼らのお手本となった大詩人です。

詩の中に自分自身を表現するという、
西晋末あたりから始まった流れの大きな結実といいます。

それまでの詩では、一部の例外をのぞき、
屈原のような大詩人でも、暗示的に遠回しに表現してきたものでした。

それが陶淵明あたりからは、すべてを振り捨てて、
生身の自分を詩に投げ出して行くという、
自分の人間性を前面に出す作風の詩となり、作品の幅も広くなります。

陶淵明は、東晋の末から宋代への交代期に、
長江の下流、南中国の呉に生まれました。
軍人を輩出した南方豪族の家で、名将軍が出ている家柄ながら、
一族は軍閥同士のせめぎ合いに巻き込まれ、多くの人が殺されました。

それゆえ、彼の人格形成にも影響を与え、
屈折した性格となったのかもしれない、といいます。

南方の知識人の特色として、思想の基盤は儒教でした。

彼の詩は時代の流れの要素を反映しているだけでなく、
『論語』もたくさん引用されています。

ただし、制作年代が不明で、詩の詠みぶりで、
彼の考え方の変化を跡づけることができない、といいます。


 ●代表作から――「五柳先生伝」陶淵明

まずは、彼の自叙伝と言うべき散文で、
歴史書の書き方に従って書かれ、
司馬遷『史記』に始まる「伝」という文体を取った、
代表作の一つ「五柳先生伝」から紹介しましょう。

 ・・・

五柳先生伝  五柳先生伝(ごりゆうせんせいでん)  陶淵明

先生不知何許人也。亦不詳姓字。宅辺有五柳樹、因以為号焉。   

 先生(せんせい)は何許(いづく)の人(ひと)なるかを知(し)らざるなり。
 亦(また) 其(そ)の姓字(せいじ)も詳(つまびら)かにせず。
 宅辺(たくへん)に五柳樹(ごりゆうじゆ)有(あ)り、
 因(よ)りて以(もつ)て号(ごう)と為(な)す。

先生はどこの人かわからない。その名字も字(あざな)もはっきりしない。
ただ家のそばに五本の柳の木があるので、
それにちなんで呼び名としたのである。


閑静少言、不慕栄利。

 閑静(かんせい)にして言(げん)少(すく)なく、
 栄利(えいり)を慕(した)はず。

気持ちはいつも静かで安らかで、口数が少なく、
栄達利益を望むこともなかった。


好読書、不求甚解。毎有会意、便欣然忘食。
 
 書(しよ)を読(よ)むを好(この)めどども、
 甚解(じんかい)を求(もと)めず。
 意(い)に会(かい)すること有(あ)る毎(ごと)に、
 便(すなわ)ち欣然(きんぜん)として食(しよく)を忘(わす)る。

好んで書物を読むが、細かく解釈することを求めない。
ただ、気に入った表現が見つかるたびに、
嬉しくて食事を忘れるほど熱中してしまう。


性嗜酒、家貧不能常得。親旧知其如此、或置酒而招之。
造飲輒尽、期在必酔。既酔而退、曾不吝情去留。        

 性(せい) 酒(さけ)を嗜(たしな)む
 家(いへ)貧(ひん)にして常(つね)には得(う)ること能(あた)はず。
 親旧(しんきゆう) 其(そ)の此(かく)の如(ごと)くなるを知(し)り、
 或(ある)いは置酒(ちしゆ)して之(これ)を招(まね)く。
 造(いた)り飲(の)めば輒(すなは)ち尽(つく)し、
 期(き)は必(かなら)ず酔(ゑ)ふに在(あ)り。
 既(すで)に酔(ゑ)うて退(しりぞ)くに、
 曾(かつ)て情(じよう)を去留(きよりゆう)に吝(やぶさ)かにせず。

先生は心底、酒を好んだが、
家が貧しいのでしじゅう手に入れることができない。
親族や友人はそれを知って、時に宴会を設けて先生を招待する。
出席して飲めば、出される酒をそのたびに飲み尽くし、
お目当ては必ず酔うことにあった。
酔ってしまえばすぐに座を退き、自分の気持ちを、
ここで退席するか留まるかで決して悩ませることはなかった。


環堵蕭然、不蔽風日。短褐穿結、箪瓢蕭空、晏如也。  
      
 環堵(かんと)蕭然(しようぜん)として、
 風日(ふうじつ)を蔽(おほ)はず。
 短褐(たんかつ)穿結(せんけつ)し、
 箪瓢(たんぴよう)屡(しば)しば空(むな)しきも、晏如(あんじよ)たり。

先生の狭い家はがらんとして、
風や太陽の光をさえぎるものもないほどだ。
粗末な布で作った衣は、開いた穴をつくろってあり、
めしびつやひさごはしばしば空になるほど貧しかったが、
先生の心はいつも安らかであった。


常著文章自娯、頗示己志。    

 常(つね)に文章(ぶんしよう)を著(あらわ)して
 自(みづか)ら娯(たの)しみ、
 頗(すこぶ)る己(おの)が志(こころざし)を示(しめ)す。

先生は常に詩や文章を書いて自分だけで楽しみ、
しかしその中でいささか抱負を示した。


忘懐得失、以此自終。
   
 懐(おも)ひを得失(とくしつ)を忘(わす)れ、
 此(これ)を以(もつ)て自(みづか)ら終(を)ふ。

心から世俗の損得を忘れて超然とし、自分なりに一生を終える。


賛曰、
黔婁有言、不戚戚於貧賤、不汲汲於富貴。酣觴賦詩、以楽其志。
無懐氏之民歟、葛天氏之民歟。
   
 賛(さん)に曰(いわ)く、
 黔婁(げんろう) 言(い)へる有(あ)り、
 貧賤(ひんせん)に戚戚(せきせき)たらず、
 富貴(ふうき)に汲汲(きゆうきゆう)たらず、と。

黔婁は奥さんに次のように言われた。
自分の身分が低いことに悩まず、
かといって裕福になろうとあくせくしなかった。


其言茲若人之儔乎。

 其(そ)れ 茲若(これかくのごとき)
 人(ひと)の儔(ともがら)を言(い)ふか。  

こんなふうに奥さんが黔婁を論表した言葉は、
まさに五柳先生の仲間について言ったのであろうか。


酣觴賦詩、以楽其志。無懐氏之民歟、葛天氏之民歟。

 酣觴(かんしよう)して詩(し)を賦(ふ)し、
 以(もつ)て其(そ)の志(こころざし)を楽(たの)しましむ。
 無懷氏(ぶかいし)の民(たみ)か、葛天氏(かつてんし)の民(たみ)か。

先生はいつも酒を楽しんで詩を作り、自分の抱負を満足させていた。
そういう先生は、かつての理想的な天子の無懷氏、
或いは葛天氏の世に生きていた民衆のように純朴な人ではなかろうか。

 ・・・

彼が理想とする人間像、人生観を述べたもので、宇野さんの意見は――

 《読んでみると、抽象的、観念的、或いは理想に走っていて、
  長い人生経験から得たものがあまり感じられません。
  また反俗精神が強く出ていますので、
  これは若い頃の作ではないかと思います。》p.329

全体が七つの要素からなっていて、
まず先生の姓名と来歴の説明から始まります。

中国の歴史書の形式で、
伝記はまず主人公の名前と出身地の紹介から始まる。

隠者の伝記には、
「何許(いづく)の人なるか知らざるなり」という表現が多く、
ここでは陶淵明は「五柳先生は隠者ですよ」といっているわけで、
これは家柄や門閥を重んじる貴族社会への皮肉だ、と宇野さん。

次に、その人間性についても、口数少なく、栄達利益を望まないという、
弁舌や名誉を重んじる貴族とは対極的で、貴族の価値観に反対している。

そしてお酒。お酒を飲むこと自体が好きで、
社交辞令や儀礼はお構いなしで、
ただ酔うだけで、酔えばさっさと引き上げる。

次に衣食住を説明する。
清貧に安んずるということで、ここでも貴族の豪華な生活とは正反対。

創作活動では、抱負を示すと言い、
 《当時の、抱負を述べることを忘れた、
  形式だけの詩を批判する意味もあるのかな。》p.331

死については、
 《心から世俗の損得を忘れて超然とし、自分なりに一生を終える》同
と、
 《そういう人に私はなりたい。
  全体を通して、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出します。》同
と。

歴史書のパターンで最後に「賛」がついています。

「賛」では、《伝の要旨をまとめて主人公の美点をほめます。》p.332

むずかしい表現ですが、
「黔婁」は春秋時代の隠者で、奥さんは彼について述べたのですが、
 《“奥さんの言葉はそのまま五柳先生にも通ずるなあ”ということ》。

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のようというのですが、
さてどうでしょうか。

人の生き方というものは、いつの世でも大きな違いはないもので、
「清貧」といいますか、やはり「足るを知る」というような生き方が
一番シンプルでいいのかもしれません。

読書とか詩作とかちょっと一杯とか、
自分の好きなことだけをボチボチ遊ぶ、そんな日々を楽しむ。

えっ、お前の生活にちょっと似てないかって、
まあそう言われると、そうかもしれませんけれど……。(おいおいっ!)

 ・・・

上の詩にもありましたようにお酒好きの陶淵明ですが、
飲酒についての詩が多く残っているそうです。

次回は、その中から「飲酒二十首」を紹介しましょう。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(24)陶淵明(1)「五柳先生伝」」と題して、今回も全文転載紹介です。

本文にも書いていますように、このシリーズを始めた当初に知っていた数少ない中国の詩人の一人、陶淵明の登場です。

何回か取り上げてみよう、という気持ちでいます。

まだこれからお勉強の開始です。
飛び飛びの連載ですので、さて、いつまで続くことになるのでしょうか。

 ・・・

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