2月10日は「左利きグッズの日」です。
左利き(の不便さ、左利きの“差別”待遇の不合理さ)について知ってもらい、左利きの人の生活環境向上のため、左利きグッズ、左手・左利き用品の普及を目指す日です。
●記念日の由来●
『レフティやすおのお茶でっせ』2008.12.28
2月10日は左利きグッズの日、日本記念日協会で認定されるより
「〈左利きグッズ〉=左手・左利き用品を普及させ、左利きの人の生活環境の向上を図りたい」というのが、この日の趣旨です。
しかし、それを実現させるには、その背景となる左利きに対する認識を改善させる必要があります。
近年、左利きに対する容認の度合いはかなり進んできました。
それをさらに上げてゆく必要があるのです。
そういう気持ちを新たにさせたのは、↓のような投書を読んだからでした。
●投書――どこまで進む「左利き」容認
1月17日(水曜日)の産経新聞・朝刊の読者の投書欄「談話室」に、
「どこまで進む「左利き」容認」
という40歳の左利きの人の投書が掲載されていました。
内容は――
最近、左手で箸を使う人をよく見かける。左利きが社会的に容認されてきたのだろう。
《最近の日本は左利きを容認する社会になったのかと思うと、左利きの私はうれしく思う。》
自分の子供の頃は、厳しく「矯正」され、箸と鉛筆は右になったが、ボール投げは左のままだ。
ゴルフセットの左用は購入しにくい。
《「右利きに沿って覚えればいいだけ」という意見が多数だが、押し付けるのはいかがなものかと思う。》
剣道の竹刀の持ち方や構えもどうだろうか。
《やはり伝統武道の変更はむちゃな訴えだろうか。》
というものです。
私よりも20年以上後のお生まれですが、《厳しい指導》を受けたとのこと。
私はつくづく“幸運”だったのか、という気がします。
それはさておき、「伝統武道の変更は可能か?」という問いかけです。
そして、広く社会としてどこまで「左利き」(の在り方)が容認してもらえるのか、という問いかけです。
・・・
最近、私も
『左利きライフ研究家レフティやすおの左組通信ブログ』2018.1.8
「【14年後の解説】━左利きの現状を見よう/左利き私論―はじめに(1)━」
という文章をあげました。
そこでも書いたのですけれど、確かにここ十数年はもちろん(戦後から一貫して)、左利きを容認する傾向がずっと続いています。
少しずつですが、左利きを頭から否定する、左利きを忌避する傾向は減少しています。
一部では「左利きフェチ」という左利きを偏愛する人も誕生しています。
そうはいっても、その社会の容認度としては、まだまだ左右平等にはほど遠いものがあります。
先の投書で言う武道のような伝統を重んじる文化の類なども代表的な一つです。
もちろん、右利きの人が多数派で、左利きの人が少数派であるため、ある程度の「どうしても越えられない壁」が生まれるのは致し方のないことでしょう。
たとえば、設備やシステムの動線であるとか、非常時のストップボタンの位置などといったイザというときの処置の仕方であるとか、多数派の右利きを優先する社会の構造があります。
そういうどうしようもない障壁は別にして、容認できる相違はたくさんあります。
●改善のポイント
改善できる点の一つは、左右対称に作れるものは左右平等が可能だ、ということです。
これは、道具や機械に限らず、建物構造といったものも含めて可能ではないでしょうか。
左手・左利き用品の例を挙げれば、カメラです。
ほぼ左右対称形のカメラでは右でも左でも特に問題なく使えます。
(1)キヤノン コンパクトカメラ パワーショット「PowerShot N」、および「N2」
カメラ本体も左右対称で、レンズの回りにリング状の「シャッターリング」があり、右手でも左手でも操作できます。
*参照:『レフティやすおのお茶でっせ』2015.3.18
左利きにも優しいシンメトリーデザイン・カメラCanon PowerShot N改良機PSN2
*
Canon デジタルカメラ PowerShot N2 自分撮りモード搭載 PSN2
(2)富士フイルム 新型チェキ「instax SQUARE SQ10」
こちらの新型チェキも左右対称形で、「右手でも左手でも使えるデュアルシャッターボタン」といって、シャッターボタンが左右に一つずつあるのです。
どちらも使えますし、機能を有効無効に切り換えることもできます。
*参照:『レフティやすおのお茶でっせ』2017.5.18
右手でも左手でも左右両シャッター新“チェキ”「instax SQUARE SQ10」5月19日発売予定
*FUJIFILM ハイブリッドチェキSQ10 インスタントカメラ ブラック instax SQUARE SQ10 INS SQUARE SQ 10
これらのように、左右対称形というのは、一つの回答です。
箸のような道具は左右がありません。
右手でも左手でも使えます。
一方ハサミは、持ち手の部分が左右同じ形状なら、平たく置いたとき、シルエットは対称形になります。
しかし、シルエットは対称形でも、実際には刃の噛み合わせに違いがあります。
そのため、右手で持ったときと左手で持った時では、左右差のある道具となります。
*参照:『レフティやすおのお茶でっせ』2004.10.27
右利き用と左利き用のはさみ、どこがどう違うの?
2016.03.31
左手左利き用品考-右用と左用の違い(1)ハサミ編-左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii第465号
上のカメラの左右対称の例で言えば、シャッターリングを使う場合のように(A)真ん中に置く場合と、左右に二つのシャッターボタンを設定する(B)左右に一つずつ用意する場合と、この二つのパターンがあります。
前者の場合、位置取りや機構が難しい場合も出てくるでしょう。
その点、後者は二重の構造が必要になります。
●「左利き」の容認と武道等の伝統文化について
話が少しそれてきました。
「左利き」の容認という話題に戻りましょう。
実際、どこまで左利きが容認されるのか、一番の指標となるのが、当初にも出てきました「伝統」というキーワードです。
毛筆の習字といったものも、そういう一つです。
今でも他のことは左利きで良いと言いつつ、「字だけは右手で」という親御さんが少なくありません。
一部のお習字の先生の中には、「きれいな字を書きたければ、右手で」という方もいます。
なぜなら「日本の字は右手で書きやすいようにできている」から、と。
しかし「伝統」を言うのなら、日本語は右から左へ行変えする縦書です。
ところが、一部の漢字の書き方練習帳では、お手本が左にあり、左から右へと練習してゆく形式になっています。
一方で伝統といいながら、他方では右手書きに都合の悪い時は、伝統を無視した書き方を選んでいるケースもあるのです。
一見些細なことと思われるかもしれませんが、「左利き」の容認という、そこに真の民主主義や人間の平等といった人権の問題を見るような気がしています。
伝統文化を重んじるのは大切なことで理解できますが、それによって、特定の人たちに犠牲を強いるような在り方は、現代では許されないのではないでしょうか。
伝統的なルールも大事ですが、その運用には人間味が加味されるべきだと考えます。
人間の多様性を容認する、という公平さを守る姿勢が大事でしょう。
伝統といっても人間がつくったものです。
「守破離」という言葉があります。
このようにして、新たな流派が生まれ、新たな伝統が作られるのです。
文化というものはそういう変化そのものだ、といっても過言ではなりません。
左利きの容認も含めて、武道においても、本当の公平さを持ったルールに変化――革新、改善されるように期待しています。
それが文化の発展や深化――間口を広げることや奥行を深めることにつながると思います。
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
ブログ更新⇒2月10日は「左利きグッズの日」―どこまで進む「左利き」容認―産経新聞投書から
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左利き(の不便さ、左利きの“差別”待遇の不合理さ)について知ってもらい、左利きの人の生活環境向上のため、左利きグッズ、左手・左利き用品の普及を目指す日です。
《... 2009年、左利き用グッズコーナーを始めてから10周年を迎えるという、神奈川県相模原市の「菊屋浦上商事株式会社」が、 『左利きグッズを通じて、使いやすさの喜びと楽しさを多くの人に知って頂く記念日』になれば、との考えで「日本記念日協会」に2月10日を左利きグッズの日として申請し、... 認定されたものです。》
●記念日の由来●
《社会生活で左利きの人が感じているさまざまな道具の使いづらさ。それを解消するための左利き用グッズの普及を目指し、左利きグッズを扱う神奈川県相模原市の菊屋浦上商事株式会社が制定。日付は2月10日を0210として「0(レ)2(フ)10(ト)」と読み、レフト=左の発想から。》
『レフティやすおのお茶でっせ』2008.12.28
2月10日は左利きグッズの日、日本記念日協会で認定されるより
「〈左利きグッズ〉=左手・左利き用品を普及させ、左利きの人の生活環境の向上を図りたい」というのが、この日の趣旨です。
しかし、それを実現させるには、その背景となる左利きに対する認識を改善させる必要があります。
近年、左利きに対する容認の度合いはかなり進んできました。
それをさらに上げてゆく必要があるのです。
そういう気持ちを新たにさせたのは、↓のような投書を読んだからでした。
●投書――どこまで進む「左利き」容認
1月17日(水曜日)の産経新聞・朝刊の読者の投書欄「談話室」に、
「どこまで進む「左利き」容認」
という40歳の左利きの人の投書が掲載されていました。
内容は――
最近、左手で箸を使う人をよく見かける。左利きが社会的に容認されてきたのだろう。
《最近の日本は左利きを容認する社会になったのかと思うと、左利きの私はうれしく思う。》
自分の子供の頃は、厳しく「矯正」され、箸と鉛筆は右になったが、ボール投げは左のままだ。
ゴルフセットの左用は購入しにくい。
《「右利きに沿って覚えればいいだけ」という意見が多数だが、押し付けるのはいかがなものかと思う。》
剣道の竹刀の持ち方や構えもどうだろうか。
《やはり伝統武道の変更はむちゃな訴えだろうか。》
というものです。
私よりも20年以上後のお生まれですが、《厳しい指導》を受けたとのこと。
私はつくづく“幸運”だったのか、という気がします。
それはさておき、「伝統武道の変更は可能か?」という問いかけです。
そして、広く社会としてどこまで「左利き」(の在り方)が容認してもらえるのか、という問いかけです。
・・・
最近、私も
『左利きライフ研究家レフティやすおの左組通信ブログ』2018.1.8
「【14年後の解説】━左利きの現状を見よう/左利き私論―はじめに(1)━」
という文章をあげました。
そこでも書いたのですけれど、確かにここ十数年はもちろん(戦後から一貫して)、左利きを容認する傾向がずっと続いています。
少しずつですが、左利きを頭から否定する、左利きを忌避する傾向は減少しています。
一部では「左利きフェチ」という左利きを偏愛する人も誕生しています。
そうはいっても、その社会の容認度としては、まだまだ左右平等にはほど遠いものがあります。
先の投書で言う武道のような伝統を重んじる文化の類なども代表的な一つです。
もちろん、右利きの人が多数派で、左利きの人が少数派であるため、ある程度の「どうしても越えられない壁」が生まれるのは致し方のないことでしょう。
たとえば、設備やシステムの動線であるとか、非常時のストップボタンの位置などといったイザというときの処置の仕方であるとか、多数派の右利きを優先する社会の構造があります。
そういうどうしようもない障壁は別にして、容認できる相違はたくさんあります。
●改善のポイント
改善できる点の一つは、左右対称に作れるものは左右平等が可能だ、ということです。
これは、道具や機械に限らず、建物構造といったものも含めて可能ではないでしょうか。
左手・左利き用品の例を挙げれば、カメラです。
ほぼ左右対称形のカメラでは右でも左でも特に問題なく使えます。
(1)キヤノン コンパクトカメラ パワーショット「PowerShot N」、および「N2」
カメラ本体も左右対称で、レンズの回りにリング状の「シャッターリング」があり、右手でも左手でも操作できます。
*参照:『レフティやすおのお茶でっせ』2015.3.18
左利きにも優しいシンメトリーデザイン・カメラCanon PowerShot N改良機PSN2
*
Canon デジタルカメラ PowerShot N2 自分撮りモード搭載 PSN2
(2)富士フイルム 新型チェキ「instax SQUARE SQ10」
こちらの新型チェキも左右対称形で、「右手でも左手でも使えるデュアルシャッターボタン」といって、シャッターボタンが左右に一つずつあるのです。
どちらも使えますし、機能を有効無効に切り換えることもできます。
*参照:『レフティやすおのお茶でっせ』2017.5.18
右手でも左手でも左右両シャッター新“チェキ”「instax SQUARE SQ10」5月19日発売予定
*FUJIFILM ハイブリッドチェキSQ10 インスタントカメラ ブラック instax SQUARE SQ10 INS SQUARE SQ 10
これらのように、左右対称形というのは、一つの回答です。
箸のような道具は左右がありません。
右手でも左手でも使えます。
一方ハサミは、持ち手の部分が左右同じ形状なら、平たく置いたとき、シルエットは対称形になります。
しかし、シルエットは対称形でも、実際には刃の噛み合わせに違いがあります。
そのため、右手で持ったときと左手で持った時では、左右差のある道具となります。
*参照:『レフティやすおのお茶でっせ』2004.10.27
右利き用と左利き用のはさみ、どこがどう違うの?
2016.03.31
左手左利き用品考-右用と左用の違い(1)ハサミ編-左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii第465号
上のカメラの左右対称の例で言えば、シャッターリングを使う場合のように(A)真ん中に置く場合と、左右に二つのシャッターボタンを設定する(B)左右に一つずつ用意する場合と、この二つのパターンがあります。
前者の場合、位置取りや機構が難しい場合も出てくるでしょう。
その点、後者は二重の構造が必要になります。
●「左利き」の容認と武道等の伝統文化について
話が少しそれてきました。
「左利き」の容認という話題に戻りましょう。
実際、どこまで左利きが容認されるのか、一番の指標となるのが、当初にも出てきました「伝統」というキーワードです。
毛筆の習字といったものも、そういう一つです。
今でも他のことは左利きで良いと言いつつ、「字だけは右手で」という親御さんが少なくありません。
一部のお習字の先生の中には、「きれいな字を書きたければ、右手で」という方もいます。
なぜなら「日本の字は右手で書きやすいようにできている」から、と。
しかし「伝統」を言うのなら、日本語は右から左へ行変えする縦書です。
ところが、一部の漢字の書き方練習帳では、お手本が左にあり、左から右へと練習してゆく形式になっています。
一方で伝統といいながら、他方では右手書きに都合の悪い時は、伝統を無視した書き方を選んでいるケースもあるのです。
一見些細なことと思われるかもしれませんが、「左利き」の容認という、そこに真の民主主義や人間の平等といった人権の問題を見るような気がしています。
伝統文化を重んじるのは大切なことで理解できますが、それによって、特定の人たちに犠牲を強いるような在り方は、現代では許されないのではないでしょうか。
伝統的なルールも大事ですが、その運用には人間味が加味されるべきだと考えます。
人間の多様性を容認する、という公平さを守る姿勢が大事でしょう。
伝統といっても人間がつくったものです。
「守破離」という言葉があります。
《剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。
「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。
「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。
「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。》(出典 小学館デジタル大辞泉)
このようにして、新たな流派が生まれ、新たな伝統が作られるのです。
文化というものはそういう変化そのものだ、といっても過言ではなりません。
左利きの容認も含めて、武道においても、本当の公平さを持ったルールに変化――革新、改善されるように期待しています。
それが文化の発展や深化――間口を広げることや奥行を深めることにつながると思います。
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
ブログ更新⇒2月10日は「左利きグッズの日」―どこまで進む「左利き」容認―産経新聞投書から
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