レフティやすおの新しい生活を始めよう!

50歳からが人生の第二段階、中年の始まりです。より良き老後のために良き習慣を身に付けて新しい生活を始めましょう。

2月10日左利きの日記念「LYグランプリ」第1回開催中

2007-01-31 | 左利き
ただ今私のサイト『レフティやすおの左組通信』、メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』では、2月10日、日本版の左利きの日―レ(0)フ(2)ト(10)の日―を記念したイヴェント、第1回「LYグランプリ」の読者大賞の投票を実施中です。

 ・・・

そもそも、「LYグランプリ」を思いついたのは、昨年末のことでした。

偶然「M-1グランプリ」というテレビ番組を見ました。

そのときに、そうだ!「L-1グランプリ」なんてどうかしら? と思いつきました。

以前から、左利きの日のイベントとして何かやってみたい、という気持ちがありました。
これがピッタリではないでしょうか。

左利き系のサイトをやっている人や、左利きに関心のある人たちが集まって、2月10日の日本版の左利きの日をお祝いするに当たって、こういうイヴェントをやれば、色々と盛り上がるのではないでしょうか。
そして、社会の多くの人たちに左利きの存在と問題をアピールできるのではないでしょうか。

とはいえ、日にちも迫っています。いきなりこんなんやらへん? といわれても困惑されるのがホントのところでしょう。

では、今自分にできることをやってみようということで、始めることになったのが、この「L-1」ならぬ「LYグランプリ」です。

 ・・・

「LYグランプリ」
―Lefty Yasuo's/Lefty of the Year Grand prix―

2月10日の日本版左利きの日(レフトの日)を記念して、前年、日本国内において、左利きもしくは身体性の<左>系の人に関連して、最も話題になった、あるいは活躍が顕著だったと思われる、または左利きおよび利き手の問題を知る上で重要と考えられる人物または事物を、メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイ』誌上で表彰する、レフティやすおによる個人的企画です。

まず、選者である私レフティやすおが審査員賞および特別賞を選定します。
そして、読者大賞として、審査員賞のなかから、読者の皆様にアンケート投票でひとつを選んでいただきます。
この読者投票の結果から、大賞を選出します。
(場合によっては、三位までを金銀銅賞として選出します。)

選ばれた大賞受賞者は、『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』誌上で発表します。
(ただし、賞状・賞金・賞品等は一切ありません。名誉が与えられます。)

読者投票―1月13日から2月3日頃まで
第1回「LYグランプリ」大賞発表―2月10日号

―表彰―
・LYグランプリ読者大賞(読者投票による)
・LYグランプリ審査員賞(レフティやすお選定による)
・LYグランプリ審査員特別賞(レフティやすお選定による)
 
▼ 第1回LYグランプリ 審査員賞(読者大賞候補)▼
――――――――――――――――――――――――――
               (レフティやすお選定)

◎左利きの本 部門◎
 1・『左ききのたみやさん。』たみやともか(宝島社)―左利きのイラストレーターによる左利きイラスト・エッセイ
 2・『「左利き」は天才?』デイヴィッド・ウォルマン/著 梶山あゆみ/訳(日本経済新聞社)―左利きの著者による、左利きの謎を追う世界一周の旅
 3・『非対称の起源』クリス・マクマナス/著 大貫昌子/訳 講談社ブルーバックス)―30年に及ぶ左利き及び利き手に関する科学研究の成果
◎左手/左利き用品 部門◎
 4・ぺんてる「エナージェル」ボールペン―海外の左利きやアラビア語筆記者に評判の速乾性インク、国内本格登場
◎教育/育児 部門
 5・親野智可等―元小学校教師、著書『「親力」365日!』『「親力」診断テスト』両書での左利き児童への指導について
◎文化 部門
 6・中川翔子―左利きで有名なタレント、『しょこたん☆ぶろぐ』で、ブログの新女王に
◎スポーツ 部門
 7・王貞治―プロ野球福岡ソフトバンク・ホークス監督、WBC優勝、胃がん闘病が話題に
 8・朝青龍明徳―外国人で左利きのダブル・マイノリティーの国技大相撲第68代横綱、4場所優勝、年間最多勝
◎その他 部門
 9・「ニンテンドーDS/Lite」と「もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング」―左利き対応の家庭用ゲーム機と左利き対応<脳活性化ソフト>
------

興味をお持ちになられた方は、ぜひご参加を!

投票の受付
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
>第64号(No.64) 2007/1/13「左手で字を―&<LYグランプリ>」
『レフティやすおの左組通信』
>「第1回 LYグランプリ」のページ

2006年の傾向、その他の候補につきましては、以下の記事でふれています。

◎▼第1回LYグランプリ▼ニュース◎ 選評(1)
第65号(No.65) 2007/1/20「私にとっての左利き活動(9)」
◎▼第1回LYグランプリ▼ニュース◎ 選評(2)
第66号(No.66) 2007/1/27「<左利きプチ・アンケート>第37回」

※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より「2月10日左利きの日記念「LYグランプリ」第1回開催中」を転載したものです。
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『AERA』左利き記事(3)―「利き手は変えられる」の発想?

2007-01-30 | 左利き
過去二回、1.24の記事「『AERA』2007年1月29日号の左利き記事」お茶でっせ版新生活版、および1.26の記事「『AERA』左利き記事(2)―右利き偏向について」お茶でっせ版新生活版で、この『AERA』2007年1月29日号の左利き記事が、右利き寄りに偏向しているのではないか、そのような一方的な偏った報道は問題があるのではないか、と書きました。

今回は、図書館で記事を入手しましたので、改めて記事を読み、私の感想を書いてみます。


「アエラネット/テーマ「レフティー」1-子どもの左利き、直す?直さない?」ライター:加藤美穂
―親にとっては、幼い子どもが左利きだと気になるようです。実際、子どもの左利きは矯正した方がいいのでしょうか。―


前半は、アエラネットでの「左利きは矯正すべきか?」のアンケートの結果から紹介しています。

最近の主流は、「子どもの個性を尊重した教育や、矯正の無理強いはよくないという考え方」だと紹介した上で、今回は少数派となった「矯正すべき」派の意見を紹介しています。

ゴシックの太文字で書かれている意見を引用します。

「左手で書くと、前に書いた字に手がかぶさって見えないせいか字の大きさもバラバラです」
「子どもの将来を狭めないためにも、不利な条件をできるだけ取り除いてやるのが親の務めでしょう。個性重視なんて言って、子どもに努力させない親は自分がしつけの苦労をしたくないだけ」


そして、後半で、「本誌「マンスリーBOOKスコープ」でもおなじみの生物学者、早稲田大学の池田清彦教授」の言葉を紹介して結んでいます。

右利きと言語活動などの話の後、松井やイチローを例に右目利きで左打ちが好成績を生んでいるとして、利き目の重要性を指摘しています。
利き手は矯正できるが、利き目の矯正は簡単ではないので、「だからお母さんたちは、子どもの利き手ではなく、利き目のほうに注意を払ったほうがいいのでは」という。

ここでのポイントは「利き手は矯正できるが、利き目の矯正は簡単ではない」です。

これでは、利き手は誰もが無理なく変えられる、ような印象を与えます。

確かに、前原勝矢/著『右利き・左利きの科学』(講談社)でも、利き眼の項目で左打ちのバッターのことなど書いています。
「利き手は文化の影響を受けるが、利き目は影響されない。」ので、利き目は、本来の側性(ラテラリティ)を残している、という説を紹介しています。

なるほど、利き目を変えることはむずかしそうです。

が、利き手は変えられると言い切ることは、危険だと思います。

私の調べた範囲では、一部の動作のみ変えられる人もいれば、それもできない人もいます。

基本的に、変えられる人は、元々右利き左利き両方の要素をいくらかでも持っている人のようです。

利き手調査の結果を示す分布グラフでいうと、右利きと左利きのあいだに位置する人では、右手使いが可能になるようです。


この記事のタイトルの由来もこの結論のように、どうも「左利きは変えられる」という前提で書かれているようで、その点がどうも危なっかしく感じました。

何度も書きますが、「直す?直さない?/矯正する」といった表現は、善悪・正邪・正誤といった価値判断を含む表現です。
これでは、左利きは「正しい状態ではないこと/正すべき欠点や悪癖・悪習」といったことになります。

左利きはそういうものだという認識は、現代ではほとんどなくなっています。
にもかかわらずこの表現を使用するのは、左利きに対して誤解を与える、偏見や差別を助長するおそれがあります。

私は、「右手を使ってみる/右手使いを試みる/右手使いを試行する」あるいはもっと簡単に事実のみを述べる「右手に変える/変えてみる」等の表現で充分だと考えています。

「直す?直さない?」ではなく、「右手を使ってみる/右手に変えてみる?」ぐらいで充分でしょう。


もうひとつ言えば、「子どもの将来を狭めないためにも、不利な条件をできるだけ取り除いてやるのが親の務めでしょう。」という意見がありました。
誠にその通りです。
しかし、目を向ける対象が違っています。

左利きの子供だけが余計な苦労を強いられるのなら、それは社会の側の問題でしょう。

左利きの子供に不利な条件を作っているのは、社会のほうです。

「左利き」を他の言葉に置き換えてみれば、よくわかるはずです。たとえば、女性、高齢者、病人、障害者、人種などなど―。
本人に責任のない身体的特性によって、不利になるような社会のあり方には問題があるのではないでしょうか。

社会が左利きの子供にも優しい構造であったなら、左利きの子も右利きの子と同じように暮らしていけるのです。
その恩恵は、今生きている子供たちだけでなく、将来、生まれてくるであろう左利きの子供たちにも及ぶのです。

子供のほうを変えるのではなく、社会のあり方のほうを改善すべきなのです。


こういう子供のほうを変えればよいという考えが生まれるのも、「利き手は変えられる」ものだ、という発想が根底にあるからです。

ぜひ、再考をお願い致します。

※ 参照:
・1月22日発売の週刊誌:『AERA』2007年1月29日号
 アエラネット/テーマ「レフティー」1-子どもの左利き、直す?直さない?
・1月29日発売:AERA 2007年2月5日増大号
 アエラネット/テーマ「レフティー」2
アエラ・ネット
 アエラ総研 月刊テーマ(2007-01-11 更新)「左利きは得か損か?」

※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より「『AERA』左利き記事(3)―「利き手は変えられる」の発想?」を転載したものです。
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『AERA』左利き記事(2)―右利き偏向について

2007-01-26 | 左利き
前回、「『AERA』2007年1月29日号の左利き記事」お茶でっせ版新生活版 が右利き寄りに偏向しているのではないか、と書きました。
今回もう少しその点を考えてみましょう。

記事が特定のイデオロギーに偏向しているからといって、それが必ずしも悪いとは言いません。
思想の自由・表現の自由は保障されています。
道義的にはともかく、いかなるものであれ、否定されるものではありません。

しかし、19世紀イギリスを代表する哲学者・経済学者、J・S・ミルはその著書(約150年前の名著)『自由論』(山岡洋一/訳 光文社古典新訳文庫 2006.12刊)「第2章思想と言論の自由」のなかで、次のように書いています。

古代ローマの政治家キケロは、論敵の意見を研究するのを習慣にしていた。この点は、「真理をみつけだすために研究している人の全員が真似るべきである。」

「自説の根拠しか知らない人は、その問題についてほとんど何も知ってはいない。」

たとえ自説の根拠が適切で、かつ誰にも論破されていない場合でも、
「その人も論敵の根拠を論破できないのであれば、あるいは論敵が何を根拠にしているのかすら知らないのであれば、どちらか一方の意見を選ぶ理由をもっていないのである。合理的な立場をとるのであれば、どちらの意見についても判断を留保すべきであり、それでは満足できない場合には、権威にしたがっているのか、世間の人たちがそうしているように、自分の好みにいちばんあうと感じる意見を選んでいるのである。」

また「その意見を実際に信じている人から、つまり、その意見を真剣に擁護し、そのために最大限に努力する人から、主張を聞くことができなければならない。」と、論敵の主張にふれることの大切さを述べています。

「正しい意見のうち、反対論との議論で決定打になり、議論の全体に通じている人の判断を左右する部分 … をほんとうに知っているのは、両方の意見に公平に平等に注意を払い、両方の根拠のうち最強のものを理解しようとつとめた人だけである。」


この『AERA』2007年1月29日号「アエラネット/レフティー(1)-子どもの左利き、直す?直さない?」の記事の中で、ラストの方に、利き手の「矯正」は簡単にできるが、利き目の「矯正」はそうではない、という学者の意見を取り上げていたように記憶しています。

今回の記事だけを見ますと、まるで、利き手を変えることは容易であり、「直せる」という立場は不動のもののような印象を受けます。

こういう一方の側から書かれている記事は、多くの悩める左利きの子を持つ親御さんたちに誤ったシグナルを送ることになる、と私は考えます。

今後の連載がどのような展開を見せるのかは不明でありますが、基本姿勢は変わらないのではないかと危惧しております。


表題の「直す?直さない?」やアンケートにおける「矯正」という言葉を用いることに関しても、自説による見方に基づく言葉使いではなく、もう一方の見方も配慮した言葉使いがあっても良かったのに、と考えます。

実際、多くの利き手研究家がこの「矯正」という言葉の不適切さを訴えています。

1970年代前半、左利き友の会の主宰者であった精神科医・箱崎総一(『左利きの秘密』立風書房マンボウブックス 1979)や、利き手の研究成果をまとめた八田武志教授(『左ききの神経心理学』医歯薬出版 1996)のような、右手使い指導に反対する人たち。

また、一部右手使いに変えることを視野に入れても良い、もしくは容認する立場の人たち―『右利き・左利きの科学』(講談社/ブルーバックス 1987)の著者、前原勝矢、児童かきかた研究所所長・高嶋喩(『だれでもできる幼児・児童の書き方指導(硬筆編)』あゆみ出版 1994年刊)の両氏も著書で、この言葉の不適切さに言及しています。

ネットの検索でも、この言葉について色々な情報が得られます。
不適切さに言及しているサイトはいくつもあげられます。

これらの情報はすべて、左利きについてちょっと調べれば出てくるものであり、左利きを研究する人の間では常識といえなくもありません。

どうも左利きを語る上での資格についても疑問を感じてしまいます。


広く一般に使われている言葉だから、という理由であれば、それはおかしいと思われます。

実際に、広く一般に使われている言葉であっても、それが現実に差別的に使われていたり、あるいは誤解を招くおそれがある、もしくは偏見や差別を助長するおそれがある、と考えられる言葉を差別用語として自主規制してきたのは、新聞やマスコミ業界だったのではないでしょうか。

大きな声には耳を貸すが、小さな声は聞かなかったことにするのでしょうか。

差別用語の類は既に広く認知されているが、こちらはそうではない、というのなら、それこそは、マスコミの誘導(よく言えば、啓蒙。悪く言えば、洗脳)の結果ではないでしょうか。


百歩譲って、ライターが先入観を持たないで取材に当たりたいという考えであったとしても、「先入観を持たない」こと=「基礎知識を持たない」ことではないでしょう。

取材に当たる者、および書き手が当該対象に基礎的な知識を持つことは、最低限の常識ではないでしょうか。
テレビのバラエティ番組でリアクションを期待されている出演者ではないのですから。


今後はぜひとも、もう一方の声にも公平に耳を貸していただきたいものです。

その上で、左利きの問題において、誰もが公正な判断を下せるような立派な記事にしていただきたい、と願っています。

※ 参照:
・1月22日発売の週刊誌:『AERA』2007年1月29日号
 アエラネット/レフティー(1)-子どもの左利き、直す?直さない?
アエラ・ネット
 アエラ総研 月刊テーマ(2007-01-11 更新)「左利きは得か損か?」
・前回の記事:2007.1.24
『AERA』2007年1月29日号の左利き記事 お茶でっせ版新生活版
・サイト『左組通信』、ブログ『お茶でっせ』「アピール:左利き」
「利き手(左利き)の矯正」という言葉の使用について
「矯正」という言葉の不使用のお願いアピールについてのアンケート
『左組通信』<レフティやすおの左利き私論2>右手使いへの変更(左利き矯正)について

[追記]続編記事:
2007.1.30『AERA』左利き記事(3)―「利き手は変えられる」の発想?
お茶でっせ版新生活版

※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より「『AERA』左利き記事(2)―右利き偏向について」を転載したものです。
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『AERA』2007年1月29日号の左利き記事

2007-01-24 | 左利き
1月22日発売の週刊誌、『AERA』2007年1月29日号に、左利きの記事「アエラネット/レフティー(1)-子どもの左利き、直す?直さない?」が掲載されています。

左利きメルマガ「週刊ヒッキイ」の読者氏からの情報を得て、ひとっ走りしてきました。
でも結局買いませんでした。
パラパラッと見ましたが、360円出すほどの目新しいことも書かれていない様子でした。

見開き2ページで、今後何回か連載されるようです。

左利きの問題を取り上げようという意欲は買いますが、取り上げ方や全体の方向としては、私には懸念すべき点があるような気がします。
その辺が残念です。

アンケートは、アエラ・ネットで紹介されていました。

*アエラ総研 月刊テーマ(2007-01-11 更新)「左利きは得か損か?」
(こちらについては、後日ブログなり、メルマガなりで紹介します。)

記事のほうですが、このアンケートを元にコメント記入者の意見を紹介している模様です。

最後に、利き手より利き目に注目しているという学者の意見をそえて、目の付け所が違うというようなオチにしています。

記事詳細については、現時点ではなんともいえませんが、先ほども少し書きましたように、気になる点があります。


それは、タイトルやアンケートに使われている言葉です。

記事を書いた人は、「矯正」を「変える」の漢語表現のように理解しているのか、たとえば、松井やイチローが打撃を左に矯正した、といったような使い方をしています。

この言葉の使い方がどうも気に入りません。

私は、サイト『左組通信』やブログ『お茶でっせ』で、「アピール:左利き」と題して、
「利き手(左利き)の矯正」という言葉の使用について
「矯正」という言葉の不使用のお願いアピールについてのアンケート

などという運動を展開しています。


この筆者は、「矯正」の意味が分かっていないのか、左利きの人の中にはこういう使い方に拒絶反応を示す人もいるということを知らないのか、とにかく、こういうふうに使って平気な感覚は明らかに偏向している、と私は感じました。

(少なくとも、言葉の力を知っているはずの朝日新聞系列の雑誌で記事を書く人とは思えません。プンプン!)


表題の「子どもの左利き、直す?直さない?」もそうです。

「直す?直さない?」という表現には、前提として、二つのことがあります。

ひとつ目の前提は、対象は「直せるもの」だ、もしくは「直せる可能性がある」、あるいは「直せるという可能性があると考えられるもの」だ、ということです。

直せないと判断したものを指して「直せますか」と尋ねる人はいません。

もう一つの前提は、対象は「都合の悪いもの」だという認識です。

都合のいいもの、正常と思われるものを直そうとは誰も考えません。
(まあ、大阪では「しまう/整理する」ことを「直す」ともいいますが。)

「矯正」(欠点を正す―左利きにおいては、右手使いを正しい作法と考えて、右手使いに変えさせること)や「直す」(誤りを正す/悪くなったものをよい状態に戻す)という言葉を使う限り、左利きは悪いものだという烙印を押すことになり、考え方として偏向している、といわれても致し方ないということです。

これは左利きに対する偏見や差別を助長する行為です。
マスコミが率先してすることではありません。
(ましてや、大朝日ともあろうものが…。)

―と、私は思うのですが…。

※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より「『AERA』2007年1月29日号の左利き記事」を転載したものです。

-------------
[追記]続編記事:
2007.1.26 『AERA』左利き記事(2)―右利き偏向について
お茶でっせ版新生活版

2007.1.30『AERA』左利き記事(3)―「利き手は変えられる」の発想?
お茶でっせ版新生活版
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左利きアンケート第36回利き手は変えられると思いますか

2007-01-05 | 左利き
年末年始のバタバタで遅くなりましたが、恒例の『左組通信』表紙<左利きプチ・アンケート>欄でのアンケートのお知らせです。

今回は、いよいよ左利き問題の本丸ともいうべき、利き手の変更についてのアンケートです。

 ・・・

<左利きプチ・アンケート>第36回 利き手は変えられると思いますか

近年は左利きのイメージもアップし、スポーツ関係では特にその傾向が強いようで、左利きにあこがれるという人も確実に増えています。
そこで、わが子を左利きに変えられないか、と考える親御さんも少なからずいらっしゃるようです。

一方、いまだに左利きの子の左手使いは「直さなければ」と考える人々もいます。

また、左利きが悪いというわけではないが、右利き偏重の社会で苦労するのではないかという不安から、できれば右手を使えるようにしたいと願う親御さんも少なくないようです。

では利き手というものは変えることができるのでしょうか。
あなたはどのようにお考えになりますか。

大人は無理でも子供なら、という考えもあるでしょう。
ここでは、子供の利き手の変換についての考えをお尋ねします。

右利きであれ左利きであれ、訓練すれば誰でも字を書いたり絵を描くことや箸を使うこと、ボールを投げたり打ったりなど、どのような作業であれ、左手でも右手でも自由に使いこなせるようになる。

あるいは、何でもできるとはいえない、できないこともあるけれど、字を書くとか箸を使う、ボールを投げるなどの限られた一部の作業に関してなら訓練で自由に使いこなせるようになる。

もしくは、元々右利きや左利きに近い性質を持っている人なら、訓練によっては利き手を変えることもできる場合がある。

いや、やっぱり人間というものは、持って生まれた性質を変えることはできない。多少は使えるようになるかもしれないが、自由自在に使いこなせる利き手の域までは無理。

―などなど色々な意見があると思います。

以下の選択肢から、最もふさわしいと思うものをひとつ選んで投票してください。

*投票者の利き手別で選択肢を用意しています。ご自身でご自分の利き手を右もしくは左と、どちらか判断した上で投票してください。

*一言言わせて、という方は投票後に表示されます一番下の「ご意見ボード」をご利用ください。もっと言わせて、という方は掲示板もご利用ください。貴方のご意見ご感想をお聞かせください。

1 (右利きの投票者)変えられる:訓練すれば誰でも何でも
(左から右、右から左、あれもこれも)
2 ( 〃 )変えられる:一部の動作なら訓練により
(できることとできないことがある)
3 ( 〃 )変えられる:元々その傾向がある人は
(変えられる人と変えられない人がいる)
4 ( 〃 )変えられない:努力しても生来の性質なので
(ある程度は使えても、自由自在にはならない)
5 (左利きの投票者)変えられる:訓練すれば誰でも何でも
(左から右、右から左、あれもこれも)
6 ( 〃 )変えられる:一部の動作なら訓練により
(できることとできないことがある)
7 ( 〃 )変えられる:元々その傾向がある人は
(変えられる人と変えられない人がいる)
8 ( 〃 )変えられない:努力しても生来の性質なので
(ある程度は使えても、自由自在にはならない)

 ※ お手数をおかけしますが、投票は『レフティやすおの左組通信』表紙<左利きプチ・アンケート>

 ※ メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第61号(No.61) 2006/12/23「<左利きプチ・アンケート>第36回」からも投票できます。(今回もメルマガからの先行投票を実施しました。)

 ※ 現在の結果を見るのは、こちら

*このアンケートは、06.12.24-07.1.27まで5週間(予定)に渡って実施されます。(その後は、表紙からそれぞれのページに移動し、受付しています。)

*今までに実施したアンケートを見る ↓
『レフティやすおの左組通信』<左利きプチ・アンケート>目次

*関連アンケート:
第3回 左利きの子に右手使いを試みるべきか否か
第21回 左/右利きにあこがれたことがありますか
第32回 非利き手使い指導を受けたことがありますか

※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より「左利きアンケート第36回利き手は変えられると思いますか」を転載したものです。
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あけましておめでとうございます

2007-01-02 | Weblog
2007(平成19)年亥年

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

昨年は、メルマガの発行に追われて、ブログの更新も思うように続けることができませんでした。

毎年新しいことにチャレンジすることを心がけていますが、つい、何かが欠けてしまう結果になっています。
今年は何とか少しでも続けられるように努力します。

(といいつつすぐ休むんだからね。)

まあ、お気楽に行きましょう!

※ 今年の座右の銘―

知ることよりも考えること、考えることよりも行うこと。
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