レフティやすおの新しい生活を始めよう!

50歳からが人生の第二段階、中年の始まりです。より良き老後のために良き習慣を身に付けて新しい生活を始めましょう。

左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイ』二周年100号達成

2007-09-27 | 左利き
2005年9月28日に創刊しました、わがメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』が、2007年9月22日発行分で、二周年通算百号に到達しました。

自分で言うのもなんですが、「偉業達成!」と自画自賛しています!

なかなかできるものではありません。 

私自身、いくつかのメルマガを購読しています。
しかし、読者時代に感じていたのとは、全く違います。

読者時代は気楽に読んでいました。
今何号かということも気になりませんでした。
ところがいざ書くとなると…。


もちろん、読者の皆様には、気楽にお読みいただいてよいのです。

しかし、書く側の人の心構えは!(当然のことですが)違うのだ、ということも知っておいて欲しいと思います。
勝手な言い分かもしれませんけれど、ね。


今までに私の知っている限りで、左利き系のメルマガで通算百号を達成しているのは、私にメルマガによる発信という形態の存在を教えてくれた、先輩格の

「左利きからみた気づきのエッセイ「レフティサーブ」」ぐらいでしょう。

2007年8月14日現在で、4周年150号です。
ただ、最近は新しいお仕事が忙しいのか、発行が途切れがちなのが残念です。


他にはこれといったものが見つかりません。

メルマガ自体はかなり昔からあるようなので、私が知らないものでそれなりの号数を続けたものが今までにあったのかもしれません。

それでも、ざっと検索した限りでは、これという手ごたえのあるものは見つかりませんでした。

何か情報をお持ちの方は、是非ご一報ください。
記録に残しておきたいと思います。


私がメルマガを発行しようと思った動機は、左利きの情報を提供することはもちろんですが、自分なりに左利きについて学んできたこと、および左利きについて考えてきたことを、ホームページやブログの記事等で単発的に語るのではなく、テーマを決めてできうる限りまとまった形で述べてみたい、という願いからでした。

実際に始めてみると、締め切りに追われて、不十分なままに発表することもままあったと思われます。
その点は大いに反省しなければならないでしょう。

しかし、少なくとも従来の左利き系のサイトやブログでは見られなかったような、かなり読み応えのある内容の文章を書いてこれたのではないかと、自負しています。

研究と呼べるほどではないまでも、自分の考えをまとめて読める形にしたことは、自分にとっても非常に大きな収穫があった、と感じています。

将来、左利きに関する本を出したいという、自分の希望に少しは道をつけることになったのではないか、そんな気がしています。

また、今後、同じような仕事をする人が現れた時に、なんらかの先例となるような仕事になっていれば…、うれしい限りです。

これからも自分の才能と能力の許す限りのものをこしらえてゆく考えです。

次の目標は、まず三周年150号です。

 ・・・


第100号(No.100) 2007/9/22「<左利きプチ・アンケート>第45回&読者アンケート」

以下↓に、目次を紹介しておきます。


─目次―
 ●「レフティやすおの左組通信」から● ..第四土曜日掲載
  <左利きプチ・アンケート> 第45回
    左利きのための生活技術指導者・コーチは必要か? 
 ◆100号記念読者アンケート◆
   1.あなたが楽しみにしているコーナーは?
   2.あなたの知りたい情報は何ですか?

今回は、第四土曜日ということで、『レフティやすおの左組通信』恒例の<左利きプチ・アンケート>の紹介です。

「第45回 左利きのための生活技術指導者・コーチは必要か?」

さらに、百号を記念した、読者アンケートを二件実施しています。

1.あなたが楽しみにしているコーナーは?
2.あなたの知りたい情報は何ですか?

 ・・・

(登録がお済みでない方へ)あなたの登録を楽しみにお待ちしています。

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まぐまぐのページ
・『レフティやすおの左組通信』内「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」


※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より「左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイ』二周年100号達成」を転載したものです。

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過去の<左利きプチ・アンケート>一部投票受付を停止する

2007-09-22 | 左利き
9月20日および21日に、私のホームページ『レフティやすおの左組通信』のメイン・コンテンツでもある、
<左利きプチ・アンケート>の第1回~第21回(2004年3月~05年10月)分の投票の受付を停止しました。

19日夜から20日に掛けて、とりあえず18回分まで停止しました。
21日にさらに、21回までと25回を停止しました。

最終的に、最近二年分ほどのアンケートに関して、継続して投票の受付を行っています。
(是非ご協力を!)


アンケートを停止した理由ですが、諸般の事情によるものです。

が、最も大きな理由は、単に動きがないこと。
すなわち「ここ一年投票がない」のが、最大の理由です。

第1回から21回までは、上記のように諸般の事情および大きな動きがないためです。

また、第25回「日本の左利きの日―レ(0)フ(2)ト(10)の日を知っていますか」は、選択肢のなかの<時期>の表現があいまいであるためです。

アンケートの選択肢のとり方に問題があり、結果的に意味不明なものになっています。


停止したものの中にも、例外的に動いているものもあります。

「第7回 左利きでも字は右手で書くべきか?」
「第17回 学校での配膳は左利きの子も伝統的ルールに従うべきか」

迷いましたが、今回、思い切ってこれも止(と)めました。

なかでも「第7回」は、一時期、同一人と思われる投票が再三再四繰り返されたこともあり、前後のアンケートに比べて<異常な数値>を示している選択肢があります。

「第17回」は他のアンケートとの関連もあり、残したいものですが、
あまり大きな動きではありません。
涙を呑んで停止としました。


それ以外のものは、ご意見が書き込まれることはありますが、数値に変化は見られません。
アンケートとして一応のつとめは終えたように感じます。

これらのアンケートに関しましては、また装いを改めて、同様のアンケートを企画してみようと考えています。

乞う、ご期待!

※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より「過去の<左利きプチ・アンケート>一部投票受付を停止する」を転載したものです。

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左利きから哲学する

2007-09-14 | 左利き
最近、哲学の本を読み始めています。

まだまだ初歩の初歩といった、初心者向けの入門書ばかり、せいぜい百ページや二百ページといった本を読みかけているところです。

今までにも東洋思想の本や、ちょっとした哲学っぽい本は読んだことがありました。
しかし、本格的に哲学の本を読もうとするのは初めての経験です。


『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第87号(No.87) 2007/6/23「<左利きプチ・アンケート>第42回」の編集後記でもちょっと書きましたように、モンテーニュの『エセー』の三巻本の選集を読み終えてから、ボチボチと哲学の入門書を読み始めるようになりました。

モンテーニュの『エセー』そのものは、<哲学書>というよりは、<思索の書>であります。
しかし、この本により、同じくフランスの近代哲学の祖ともいわれるデカルトや、パスカルといった哲学者が影響を受けているように思われます。

思索の書から哲学へ、と、これはまさに私が今たどっている道のようです。


私が哲学に興味を持つようになったのは、先に挙げた編集後記にも書いていますように、左利きについて考える過程で出会った諸問題―礼儀・作法とは、社会のあり方とは、個人の生き方とは、何が正しいのか、善悪・正誤・正邪とは、正常・異常とは、普通・特殊(特別)とは、などなど…といったことについて考えてゆくうちに、こういう思考はひょっとしたら<哲学>とやらいうものと関係があるのでないか、と気付いたからです。

また私は、本を読むときでも何事でも、ついつい自分自身の中にある左利きや利き手の問題に引き付けて考えてしまいます。
こういう考え方というのも、案外、哲学の考え方ではないのか?

このように、これは哲学的な考え方に近いのではないか、という疑問を解決する意味でも、またこれから更に左利きについて考えを深めてゆく上でも、一度<哲学>なるものがどういうものか見ておくべきではないかと思い立ったわけです。

竹田青嗣(たけだ・せいじ)さんという哲学者の書いた初心者向けの入門書『自分を知るための哲学入門』(ちくま学芸文庫 1993年刊)の「まえがき」のなかで、職業に関連してではなく、日常生活の中で人間が哲学する根本的な動機について書いています。
自分の(=世間から受けとった)習慣的な考え方でものごとを考えると、どうしても自分が苦しく、行き詰ってしまうときがある。そういう場合にはじめて、人間はこの習慣的な考え方に逆らい、それに<抗って>ものごとを根本的に考え直そうとする動機を与えられる。まさしく哲学は、そういう場合にわたしたちにとって“役に立つ”。そういうときこそ哲学は、その“何のためにあるか”という意味をはっきりとわたしたちに告げるのである。(11p)

私が左利きについて考えるとき、というのはまさにこういうときに当たるのではないか…。

竹田さんは在日朝鮮人で、全共闘世代でもあったといいます。
そういう自分が行き詰った/生き詰まった?経験が、自分を哲学に押し進めたのではないか、といった内容のお話をされています。

私の場合は、左利きという問題が哲学へと押し進めているのかもしれません。
少なくとも私にとって左利きは哲学する動機として十分成り立つような気がします。

さて、どのような世界が私の前に開けるのかはまだ不明です。
しかし、とてつもなく広い世界が目の前に広がってきたように思います。

終着点ははるか遠くです。

いつたどり着けるのか、たどり着く地がどのような場所なのかはわかりませんが、やりがいのある旅が始まったように思います。


*
竹田青嗣先生の本では、下の記事で、『哲学ってなんだ 自分と社会を知る』岩波ジュニア新書415(2002刊)の中の「差別の本質観取」の項を参考に話を進めています。

今回、哲学および竹田先生の本に興味を持たれた方で、私のように哲学の基礎知識をお持ちでない方は、中高生以上向けに書かれたこちらの本から先にお読みになられるほうが、哲学とは何か、哲学することの本質とは何かが、わかりやすいかもしれません。

*
2007.07.05 横澤氏「太一くん…」発言に見る左手、利き手差別の構造
お茶でっせ版新生活版

※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より「左利きから哲学する」を転載したものです。

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左利き用バイオリン

2007-09-07 | 左利き
先週のわがメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第97号(No.97) 2007/9/1「<左利きQ&A>(11)左利きに有利な楽器」は、左利き講座<左利きQ&A>で「左利きと音楽」の第三弾として、「左利きと音楽・三段目―左利きに有利な楽器」を掲載しました。

 左利きに有利な楽器はあるのでしょうか。

という疑問から、

 音楽人類学の研究者・西岡信雄氏の著書から左利き関係の文章を紹介しました。

この「左利きと音楽」シリーズでは、過去二回左利きの人と音楽、特に楽器について調べてきました。

第一回では―

第84号(No.84) 2007/6/2「<左利きQ&A>(8)左利きと音楽」
 左利き講座<左利きQ&A>(8)左利きと音楽―序の口

「左利きの人は音楽をどのように楽しんでいるのでしょうか。」という疑問から、「左利き用」楽器の色々について。


第二回では―

第89号(No.89) 2007/7/7「<左利きQ&A>(9)鍵盤ハーモニカ」
 左利き講座<左利きQ&A>
 (9)左利きと音楽・序二段―鍵盤ハーモニカ

「左利き用の鍵盤ハーモニカはありますか?」、および「左手だけのピアニスト」について。

 ・・・

この第一回分では、一般に市販されている左利き用楽器としては最もポピュラーなギターから始まり、ピアノ、バイオリン、リコーダー、ホルン等でも左利き用があることを紹介しました。

ただそれらの大半は、個人による特注品であることが多い、と紹介しました。

左利き用ギターのように、一般に市販されている(少なくともカタログ等に掲示されている)ものとはいいがたい、というのが実態であろうと考えていました。


ところが、先日、「左利き用バイオリン」を販売しているサイトに出会いました。

ちゃんと「定価」も示されています。

「e-String」というネット通販サイトです。

トップページ > 楽器 > ・ 左利き用バイオリン
楽器 バイオリン 左用

 バイオリン 左利き用 130,000円(税込)
左利きの方へ朗報。
バイオリン、ギターを特別受注製作いたします。

左利きだから・・・、
と今まで諦めていませんでしたか?

楽器製作工程も、写真入りで紹介されています。

完成品を見ると、確かに左手で弦を弾けるようになっています。

当たり前ですが、ちゃんと左利き用です!


「問い合わせなければならない」特注でなく、「正規の取扱商品」として価格まで示している点が、うれしいではありませんか。

130,000円(税込)が、高いのか安いのかは、門外漢ゆえわかりませんが…。


先に挙げたメルマガの「左利きと音楽」シリーズのなかで、何度も書いている私の言葉があります。

それは、『「利き手」というのは「心」につながっているのではないか。』ということです。

これが最近の私の持論でもあります。

今回この左利き用バイオリンを見て、改めて、楽器は心につながる利き手で演奏するものなんだ、との思いを強くしました。

さもなければ、このような商品広告は出現しないのではないでしょうか。

皆様はいかがお考えでしょうか。



この項を書き上げて、改めて検索してみますと、

2004.12.8の記事、
左利きを右手使いに変えさせる理由

の2006.2.2付で、左手に弓を持つ逆の構えがしっくりする、という方からコメントをいただいていました。

その返事として、私は
利き手っていうのは、心に直結してるものだと思うんですね。
人と話しているときに、ジェスチャーが入る。たいてい利き手ですよね。利き手が知らないうちに動いてる。

そういう意味では、楽器は利き手で演奏するのがベストだと思います。
なぜ右利きの人が右手で弦を弾くのか。
そのほうが心が伝わりやすいから、じゃないのかな? 
それなら左利きは左手でいいじゃないか!
そう思いますね。

と答えています。


※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より「左利き用バイオリン」を転載したものです。

「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」
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