旧聞になりますが、8月11日に届いたメールによりますと、今では通販専門になった、イギリスの左利き専門店
「エニシング・レフトハンデッド Anything Left-Handed (ALH)」が
8月16日で、
50周年を迎えたそうです。
1968年8月16日、ロンドンのソーホーで小さな店からスタートし、その後不動産コスト等の財政的圧力に屈し、通販やオンラインビジネスに変わるまで、
38年間小売店を経営していた、とあります。
ロンドンのお店を訪ねた日本人のお客様も多いことでしょう。
8月1日にサイトがプレ・オープンした「
日本左利き協会」の発起人の一人、左利きサイト
「クラブレフティ」管理人でもある
大路直哉さんの左利き本
『見えざる左手』(三五館)の巻末
「あとがき」にも訪問時の店員さんとの会話が紹介されていました。
ご自身の利き手、左利きであることに改めて注目する転機となった経験だ、と。
ALH50年の物語は以下のサイトで紹介されています。
↓
Anything Left-Handed celebrates 50 years
ちなみに、この1968年という年は、日本の左利きの人にとっても記念すべき年で、左利きの悩みに寄り添う
「左利き友の会」を主宰された精神科医で、日本の「左利き(啓蒙運動)の父」とも言うべき、
箱崎総一さんの最初の左利き本
『左利きの世界』が出版された年でもあります。
*参照:
・
『見えざる左手―ものいわぬ社会制度への提言』大路直哉/著(三五館 1998/10)
・
『左利きの世界』箱崎総一/著(読売新聞社 1968.5.15)
―たぶん、日本最初の左利きをテーマとした一書
・・・
グーグルの機械翻訳を利用しながら、私のつたない英語力で“解読”した内容から気になった話題を少し。
(1)創業者夫妻は右利きだった
1968年にALHを始めたのは、ビル・グラビー(Bill Gruby)とその妻クラウディア(Claudia)で、驚くべきことに、彼らはともに右利きだったのです。
ただし、ビジネス・パートナーのぺーター・ブルーム(Peter Broom)は書字を右にかえられた「natural left-hander」生れつきの左利きだったそうです。
右利きの彼らがこういうお店を始めようとした動機が、気になりますよね。
あるとき夫妻が、ディナーに招待した客4人がみな左利きだった。
当然のごとく、会話は、左利きの人が日常困ることや不便なことにむかった。
その後、これはビジネスになると思ったのか、ビルは左利きについて詳しく調べ、店を始める決心をしたといいます。
こうして今も取引を続けているという、左利き用品を扱う卸売業者アーネスト・トーマスLTD(Ernest Thomas (Hendon) Ltd)のシリル・ロウデン(Cyril Lowden)と連絡を取り、オープンにこぎつけます。
ちなみに彼は、右手を使うように強制された生れつきの左利き(a fellow natural left-hander who too been forced to be right-handed)でした。
(2)歴代のオーナーと店舗の変遷
最初はロンドンのソーホーの65 Beak Streetに。
その後、2代目のオーナーとなったのは、ポールとクララ・ブラッドショー(Paul and Clara Bradshaw)。
ポールは、早い時期に右手書きに変えさせられたので、自分自身を「挫折した左利き者」(“frustrated left-hander”)と呼んでいました。
クララは右利きでした。
1988年、3代目オーナーとなったのは、レグ・ミルソム(Reg Milsom)とその息子キース・ミルソム(Keith Milsom)で、事業を引き継ぎました。
彼らは通信販売事業の拡大に取り組みます。
(1990年、通販事業とともに、顧客や他の左利きの人からの要望を受けて、The Left-Handers Clubを結成。“The Left-hander”という季刊の会報も発行。
私の手元には、1994年から97年発行分まで、16号から27号まで11号分があります。
1995年6月に届いた第20号では、私の紙時代の活動を“LHC of JAPAN”として紹介していただきました。)
(画像:上=“The Left-hander”16号から27号 下=20号・“LHC of JAPAN”)
1991年に57 Brewer Streetに移転するが狭く、サリー州のキースの自宅のガレージを倉庫兼通販事業の場に。
5年間、サリー州とロンドンの店を往復することになる。
(3)リアル店舗が閉店した理由は?
2000年、家賃の値上げやなにやら財政上の問題で、店舗経営が難しくなり、キャンペーンを張り戦ったが、店を閉鎖することに。
(In 2000, the landlords wanted to increase the rent for this tiny unit for £10,000 to £15,000 which, together with the huge Business Rates from Westminster Council, would have made it totally non-viable for us. We started a long campaign to fight the increase but eventually got ground down by the stress and legal fees and we had to start planning to close our beloved shop down. )
2006年5月、店舗を去り、世界中の顧客にサービスを提供し続けるためにオンラインビジネスに集中することにした。
1994年に賃貸していたサリー州のベルモントの小さな倉庫とオフィスに拠点を移し、新たなビジネス・パートナーと組み、私たち(オーナー)はマーケティングや顧客、Left-Handers Clubのメンバーとの関係に集中することにした。
・・・
ロンドンのこの店が閉店したと聞いた時は、本当に残念な気持ちがしたものでした。
この店は、左利きの人にとっては一度は訪問するべき、もしくは訪問したいと思う、左利きの“メッカ”的な場所でした。
リアル店舗の家賃値上げ等の財政上の理由があったようですね。
ロンドンの店と倉庫を往復するのも大変だったでしょう。
それを思えば、かつて世界の中心だった都からの撤退はつらいものの楽になった部分もあるのかもしれません。
消費者からすれば、実際に手にとって見られる上、店員さんからの助言ももらえるリアル店舗の存在は、重要なのですけれど。
(
日本の“左利き専門店”でもある文具店・
菊屋浦上商事さんは、かつては通販もやっていましたが、今では実際に手に取って見てもらえるリアル販売に限っているそうです。)
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現在はキースと妻ローレン・ミルソム(Keith and Lauren Milsom)さんが、オーナーとなっているようです。
以前聞いた話では、両人とも左利き。
お子さんは左利きの息子と右利きの娘が一人ずつ。
ローレン・ミルソムさんは、私が巻末資料の作成に協力した左利きの子育てガイド『左利きの子』(東京書籍)の著者でもあります。
*左利きの子供のための生活支援のガイド本:
『左利きの子 右手社会で暮らしやすくするために』ローレン・ミルソム/著 笹山裕子/訳 東京書籍 2009.4
―自身左利きで左利きの子を持つ親であり、イギリスの有名左利き用品専門店オーナーでもある著者による、今までの日本になかった、左利きの子供を持つ親・先生へ向けた、左利きの子の生活支援のための手引書。
・・・
さて、この50年記念サイトですが、以下続けて、通販カタログについて、Left-Handers Club以前に存在した左利きの会のこと、8月13日の左利きの日のこと、最後に、将来も変わらず左利きの会のメンバーともども、新たな商品開発ならびに左利きの子供たちの教育改善や左利きの人の生活向上に貢献したいという展望について語っています。
今後もより長く、事業を発展継続していって欲しいと思います。
できれば、リアル店舗も復活できれば、いいですね。
少なくとも、記念館的なものが生まれれば、と願わずにはいられません。
Left-Handers Clubメンバーになれば、会報がメールで送られてきます。
サイトから加入できます。
あなたも参加してみては?
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一部に誤りとも思える部分(というか、自身のことのみ記述している。もしくは、ある問題で誤報を認めた新聞Aのように、自分たちに都合のよい見方に偏った記述)もあるようです。
歴史的な事実は事実として、機会をつくって正しておきたいと思います。
知っている人が正しい情報を残しておかないと、誤った情報がそのまま事実と認定されてしまうからです。
一度広く認定されてしまいますと、後からああだったこうだったといっても、どうにもなりませんから。
これらの詳細なサイト情報については、私の左利き無料メルマガの次号(
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』9月1日発行・第525号「左利き者の証言」ALH編)で簡単に概略を紹介したいと考えています。
*ご購読の申し込みは、↓
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
8月16日イギリスの左利き専門店“Anything Left-Handed”50周年
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