【左利きライフ研究家レフティやすおのできるまで】第3回
週一程度で更新する予定でしたが、遅れてしまいました。
昔の文章を一部手直しするだけではおもしろみがないと思い、新たな情報なり最新の自分の考えを入るなりしたいと考え、あれこれ書き惑っているうちに遅くなりました。
・・・
第2回では、「幼少時の記憶から」から小学校入学以前のお話を一つしました。
今度は
幼稚園時代のお話を―。
●利腕を骨折しても…
幼稚園時代のことです。
私は
左腕を骨折したことがあります。
夜、布団を下ろした押入れの段の上から飛び降りて遊んでいました。
カエルのように飛び降りて両手両足をついたのはよかったのですが、左手をつき損ね、手の甲の方をついてしまったのです。
後に聞いた話では、ひじの関節の骨にひびが入ったのです。
夜の街を父の背に負われてあちらこちらと歩いたのをうっすら覚えています。
その後、電車とトロリーバスを乗り継いで母と病院通いをしました。
電球のような赤い光を患部に当てる治療をした記憶があります。
その帰り、公設市場によって母がその日の買い物をします。
その際にお菓子を買ってもらえるのが楽しみでした。
左腕を三角巾で吊っていました。
少なくとも一週間ぐらいはそういう状態が続いていたでしょう。
何度か市場によって何かしら買ってもらった記憶があるからです。
一つ覚えているのは、ちっちゃなラッパのおもちゃに仁丹のようなものが入っているお菓子。
電車やトロリーバスに乗れること、お菓子を買ってもらえること。
そんなものに釣られて病院通いをしていました。
でも、そのあいだ食事などはどうしていたのでしょう?
記憶はありません。
手指は動かせたようなので、ちょっとしたことはなんとかなっていたのかもしれません。
そんなことがあってもやはり
左利きであることに変わりはありませんでした。
親はこの機会に右手が使えるようになるのでは、と期待したのでしょうか?
今となっては残念な事ですが、聞く機会のないままに両親は鬼籍に入ってしまいました。
一度父が、お前の腕を伸ばしたときの肘の曲がり方が左右で違うのは、あのときのせいや。
近所の骨接ぎの看板を出しているところへ行ったら、ひどい扱いで痛い痛いと泣いて…と話したことがあったのだけは覚えています。
●簡単に「矯正」できると言うけれど…
以前、ご自分の経験から、
左利きの子でも小さいうちなら左手を三角巾で一週間吊っておくだけで右手が使えるようになる、と説いておられる人がいるのをネットで拝見しました。
こちらです。
航空の現代:左利きの矯正「左利き矯正法」
簡単に紹介しましょう。
《医学界では、どういうアドバイスをしているのか知らぬが、実は簡単に矯正することができる。/... 父が医者仲間の誰かから左手を三角巾で吊ればよいという話を聞いてきたらしい。/あたかも骨折したかのように三角巾で左手を吊るのである。このとき左手の先は握りこぶしにして包帯でぐるぐる巻きにしておく。そうすると左手が使えないから、ご飯も文字も絵も、自然に右手が出る。これで、私の場合は1週間足らずで右手を使うようになった。》
そうはいえ、《
ただし野球のボールを投げるのは今でも左利きで、バッターボックスも左打ちである。》と綴っておられます。
しかしそれは
あくまで人によりけりでしょう。
私が思うに、偶然、その人が左利きの度合いが弱い
「弱い左利き」、左利きでも右利きに近い左利きだったのではないでしょうか。
あるいは右利きの度合いが弱く、左利きの傾向も備えた
「弱い右利き」、もしくは一般によく言われるところの、いわゆる
「両利き」、私のことばで言えば
「(右利きと左利きとの)中間的な人」という左右両方の要素を兼ね備えた人だったのかもしれません。
元々そういう
右利きの素質のある人だったから、強制的に右手を使い続ければ、右手を使うことにも難なく慣れることができたのかもしれません。
実際に、この方のサイトの別ページ
「医師と左きき」
に引用されている、林成之(なりゆき)助教授(当時)の話のように、
《厳しく訓練され》なければ右手を使えるようになれない人もいるのです。
(柳田邦男/著『脳治療革命の朝(あした)』(文春文庫 2002)に登場する人物。)
《生まれつき左ききだったが、幼い頃、親に左手を縛られて、右手を使えるようになれと厳しく訓練されたため、両手ききになったことも、手先の器用さを発達させたのであろう。》
(西川氏のサイトより孫引き)
ところが、これに対して西川氏は、
《... 上の文章には「左手を縛られて……厳しく訓練された」とあるが、本当だろうか。著者の筆が勢い余ってすべったのではないかと思うが、「幼い頃」であれば、私自身の経験からしても、縛ったりするような必要はなく、三角巾でちょっと吊る程度で、厳しい訓練などしなくても自然に1週間程度で右手が使えるようになるはず。》
と書かれています。
これはやはりこの方の勉強不足と言わなければいけないでしょう。
人間というものは、どうしての自分の経験だけでものを言うところがあります。
自分の物差しでしかものを測れない、という偏狭さがあるのです。
しかし、
自分がそうだから他の人も一緒、とは限らないのです。
●才能と能力
人間には才能と能力がある、と聞いたことがあります。
「才能」とは、その人が
生まれつき持っている素質、天性の器―器量です。
これは、一定不変のものですね。
それに対して
「能力」というのは、その人の持っている
才能の範囲の中で、努力によって伸ばすことのできる力です。
人は努力である程度この「能力」を伸ばすことはできます。
野球で言えば、右利きでも左打ちを続ければ、ボールにバットを当てることはできるようになるでしょう。
だからと言って、みんながイチローになれるわけではないのです。
そこに「才能」が関わってきます。
利き手・利き側の問題も同じです。
利き手と、そうでない方の手(非利き手)ではおのずから才能の範囲、器量が異なります。
元々才能のある利き手とそうでない非利き手では、できることが違うのです。
努力してもできることとできないことがあるのです。
●利き手テストによる分布図
ところが、この
“利き”(学問的には「偏側性」とか「一側優位性」、「ラテラリティ」などと呼ばれます。)という性質には、
<右利きの人>と<左利きの人>という二種類の人がいる、という単純なものではないのです。
利き手調査票による
「利き手テスト」というものが、利き手の研究をしている学者さんたちの間でいくつか考案されています。
有名なところで言いますと、
「エディンバラ利き手テスト」「チャップマン利き手テスト」、日本人の特殊な条件を考慮した
「H.N.利き手テスト」などがあります。
採用されている動作項目に若干の違いはありますが、内容はほぼよく似たものです。
10項目の片手動作をそれぞれどちらの手を使って行うかまたは両方かという問いに答えてもらい、その結果を得点で表し、それぞれの利き手の偏りの度合いを調べます。
すべてに右手を使うが最高得点、その逆のすべてに左手は(マイナスのついた最高得点、即ち)最低得点となります。
各人の結果を、右端に高得点左端に低得点のグラフ上に分布図を描きますと、右側が右利きを表し、左側が左利きを表します。
すると、右端が高く次第に低くなり、中央付近で最低となり、また少しずつ上昇し、左端に来てほんの少しだけ高くなるという、ちょうどアルファベットの「J」の字のような曲線を描くのです。
この
「J」の字の縦の長い棒の部分に当たるのが、
「強い右利き」の人。
中央から右寄りの部分に位置するのが、
「弱い右利き」の人。
逆方向の中央から左寄りの部分に位置するのが、
「弱い左利き」の人。
そして、
「J」の字の左端の小さな跳ね上がりの部分が、
「強い左利き」の人を指します。
この分布図の
中央の低い部分が一般によく言われる
「両利き」となります。
この部分の人は、
「右利き」「左利き」の二分法によれば、先にあげたようにそれぞれ
「弱い右利き」「弱い左利き」に分けられます。
*参考文献:
・八田武志/著『左ききの神経心理学』医歯薬出版(1996/11)
―利き手・左利き研究の学術的著作。
・八田武志/著『左対右 きき手大研究』化学同人 DOJIN選書18(2008/7/20)
―上記の前著以降の世界における研究の成果を一般向け読み物にまとめた本。
・クリス・マクマナス/著『非対称の起源 偶然か、必然か』大貫昌子/訳 講談社ブルーバックス 2006.10
―イギリスの利き手・左利き研究の権威による20年にわたる研究の成果をまとめた本。
*参考:<左利きプチ・アンケート>
第22回 エディンバラ利き手調査(訂正版)
第23回 利き手調査3回目―H.N.きき手テスト
第24回 利き手調査第4回chapman利き手テスト
第35回 新版・利き手調査第2回―エディンバラ利き手調査
第37回 新版・利き手調査第3回―H.N.きき手テスト
第39回 新版・利き手調査第4回-chapman利き手テスト
第41回 新版・利き手調査第5回 マクマナスの利き手テスト
第46回 利き手テストと意識の一致度は?
●右岸と左岸との間に架かる橋の上に立つ人
私は、この「右利き」「左利き」という性質に対して、こんなたとえを考えています。
<右岸と左岸との間に架かる橋の上に立つ人>です。
この場合、「右岸」が「右利き」を示し、「左岸」が「左利き」を示します。
ですから
「右岸」に近い位置にいる人がより強い右利き傾向を持っている人で、
より「左岸」に近い人がより強い左利き傾向を持っている人を表します。
「右岸」に近い人は、当然「左岸」に行くより
「右岸」に行く方が、時間も早く労力もかかりません。
逆に
「左岸」に近い人ほど、「右岸」に行くには時間も労力も必要になります。
先の西川氏のサイトでのお話を、これに当てはめますとよく理解いただけるのではないでしょうか。
すなわち
比較的簡単に右手使いになじめたという西川氏は、より「右岸」に近い位置にいる人であった、というわけです。
言葉を変えますと、左利きの度合いが比較的弱かった、と言えるのではないでしょうか。
逆に、
厳しい訓練を必要としたという林助教授は、西川氏より「左岸」に近い位置―「右岸」から遠く離れた位置にいた人と言えるのではないでしょうか。
●左右の手の筋運動測定による判別
また、上記参考文献にあげました八田武志/著
『左対右 きき手大研究』(化学同人)の
「第4章 きき手の決め方」<新しいきき手判別検査>の項で、
ドイツのヘンケルらが開発した手の運動測定装置による結果を紹介しています。
それによりますと―
右ききと判定された群では、小さなまとまりとなり、エディンバラきき手テストの結果と比較しても、両方の検査での判別に大差はなかった。
それに対して、左ききと判別された群では筋運動測定の結果はかなりのばらつきを示した。
これは、エディンバラきき手テストで左ききとされた被験者の筋運動測定の結果は分散が大きい、ということである。
そこで、エディンバラきき手テストで、強右きき群(すべての項目を右利き使用)、弱左きき群(書字や描画などは右手使用)、強左きき群(すべての項目を左利き使用)の三群に分けて検討すると、二種の左きき群(弱左ききと強左きき)では、有意な違いがある。
それは、
左ききの人の間では、左右の手の運動測定結果は均一ではない、ということを示しているという。
すなわち、
右利きの人は皆一様であるけれど、左利きと判定される人の間では、その偏りの度合いによって左右の手の運動測定の結果が異なる、ということなのです。
要するに、一言で「左利き」といわれる人であっても、西川氏のように比較的簡単に右手使いになじめる人もいれば、林氏のようになかなかなじめない人もいる、ということです。
●左利きの度合い
さて、私の場合です。
左腕を骨折し、しばらくの間三角巾で吊っていたにもかかわらず、(西川氏の例から言いますと)指が動かせたせいか、左利きは変わることなく、やはり右手は使えないままでした。
これはやはり、
私の左利きはその度合いが強く、右利きの要素が少ない分、右手を扱うことが不自由だったのでしょう。
先の橋のたとえで言いますと、極端に「左岸」に近い位置に立つ人間だったのでしょう。
また、筋運動測定結果で言えば、「強左利き」に分類される人だったのでしょう。
・・・
こうして“頑固”(強度)な左利きであった私は、利腕の骨折という試練も乗り越え、“立派”な左利きになりました。
【以下、次回に続く...】
▼参照サイト:『レフティやすおの左組通信』
・
レフティやすおの左利き自分史年表
・
レフティやすおの左利き人生 少年時代 その1
・
左利き川柳
本稿は、メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第39号(No.39) 2006/7/15「私にとっての左利き活動」より、「■レフティやすおの左利き活動万歳■ 私にとっての左利き活動(1)」(隔号掲載)、および『レフティやすおの左組通信』「レフティやすおの左利き人生 少年時代 その1」を元に、一部加筆修正したものです。
【左利きライフ研究家レフティやすおのできるまで】過去の記事
*
第1回
*
第2回
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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「幼少時の記憶から【左利きライフ研究家のできるまで】第2回」を転載したものです。
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