レフティやすおの新しい生活を始めよう!

50歳からが人生の第二段階、中年の始まりです。より良き老後のために良き習慣を身に付けて新しい生活を始めましょう。

『左組通信』復活計画[32]『LL』復刻(5)LL6 1995年秋号-週刊ヒッキイ第671号

2024-09-26 | 左利き
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』(まぐまぐ!)
【別冊 編集後記】

第671号(Vol.20 no.16/No.671) 2024/9/21
「ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [32]
『LL(レフティーズ・ライフ)』復刻(5)LL6 1995(平成7)年 秋号」



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【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン

  右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
  左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
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第671号(Vol.20 no.16/No.671) 2024/9/21
「ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [32]
『LL(レフティーズ・ライフ)』復刻(5)LL6 1995(平成7)年 秋号」
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 今回はまた、季刊誌『LL(レフティーズ・ライフ)』
 の復刻で、ホームページに公開していたページのコピーです。



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ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [32]

  『LL(レフティーズ・ライフ)』復刻 (5)
 
   (内容紹介)LL6 1995(平成7)年 秋号

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*(参照)――

・メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第43号(No.43) 2006/8/12
<「国際左利きの日」記念号>「私にとっての左利き活動(3)」
 ■レフティやすおの左利き活動万歳■ ―隔号掲載―
私にとっての左利き活動(3)『LL』の時代
(参照)※『レフティやすおの左組通信』のページ
○レフティやすおの左利き自分史年表
○レフティーズ・ライフ(LL)再録(1)全号目次 

・メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第602号(No.602) 2021/9/4
「創刊600号突破記念―
 私が影響を受けた左利き研究家・活動家(2)第二期・紙の時代―その1」
・ブログ『レフティやすおのお茶でっせ』2021.9.4
私が影響を受けた左利き研究家・活動家(2)第二期・紙の時代1
(創刊600号突破記念)-週刊ヒッキイ第602号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/09/post-57d0e5.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/e2aaaa56a6400bcc04d24d46a47d1d03

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 ●『Lefties' Lifeレフティーズ・ライフ』LL6 概要

(A5版8ページ)

前説 The Compliments of the Fall Issue道を切り開こう!
左利きの生活 To Live In The Right-Handed World
―私の簡単“左利き判別法”
左利き用の道具を知っていますか? 使ったことがありますか?
 その6Left-handed tools & goods
―左利き用万年筆の使い心地良さ!
左利きの本だなぁ その3 お楽しみ編
―『左利きの名画』ロジャー・オームロッド著 野中千恵子訳
 社会思想社 現代教養文庫〈ミステリ・ボックス〉
<特集:左利きアンケート>From LHC (Left-handers Club/U.K.)
レフトハンダーズ・クラブ(イギリス)より
―ザ・レフトハンダーズ・クラブ1994年アンケート調査結果



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LL6 1995(平成7)年 秋号
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A5版8ページ

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前説 The Compliments of the Summer Issue
道を切り開こう!
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今年の始めに関西を襲った阪神淡路大震災の直後に、痛切に感じたのは、
一本の鉄道の、一本の道路の持つ役割の重要さ、大切さということ。
一本の鉄道が、一本の道路がいかに多くの人を、物を運んでいるか。
そして、そのつながりが人の心をも繋いでいる。
ただ単に生物的レベルで生きる糧を与えているだけでなく、
人に勇気を、希望を、夢を、愛を与えている。
道がつながっている! 通れる道がある! ということが、
人の気持ちにゆとりを与えることができるのだ。
今私は、その“道”を作ろうとしている。
左利きの人々に、愛と勇気と希望と夢を与えてくれる、
そういう“道”を!
いつの日にか、この道も立派な大道になるだろう!
その日を夢見て、Keep on working!


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左利きの生活 To Live In The Right-Handed World
―私の簡単“左利き判別法”
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「あっ、あの人左利きや」とわかるのは、まず一番は、字を書くとき、
次に食事のとき――といったところでしょう。
しかし、これでは小さいときに“矯正”を受けた人は見抜けない。
字を書いたり、箸を使ったりするときに右手を使う左利きの人は
少なくない。
やはり刃物を使う、あるいはその他のいろいろな道具を使うときの様子を
見ないとわからない。
もしくは、スポーツをするとき――たとえば野球で言えば、
キャッチボールやバッティング、サッカーのボールを蹴る足、
テニスのラケットを持つ手、ゴルフのクラブを構えるときなど…。

今回ご紹介するのは、町を歩いているときに使える、
私の発見した“左利き判別法”で、
それは、〈自転車に乗っている人〉の見分け方である。
前回の「左利きの生活/こんな道具が不満です!」で書いたように、
自転車というものも右利き用に設計された道具である。
 左側から乗るときに邪魔にならないように右側にチェーンがある。
 右利きの人は手だけでなく、利き足も右の場合が多く、
 そういう人は左足で体重を支え、右足で作業をする。
 すなわち、左足はペダルにかけて、右足で地を蹴るか、
 ペダルをこいでスタートする。
 左手は常にハンドルに置き、
 いつでも主ブレーキである後輪ブレーキがかけられる。
 右手は状況により、ベルを鳴らしたり、前輪ブレーキをかけたりする。

――では、その乗り方による判別法とは:
① 物を持っている場合は、たいてい利き手で持っている。
左利きの人は、左手に。
② 惰力で走るときは、体重を支える軸足を伸ばして、
利き足の膝を曲げ、次の動きに備えている人が多い。
左利きの人なら、左足を曲げ、右足を伸ばす。

あなたはどんなときに、
「あっ、この人は左利きやぁ」と気付きましたか? 
あなたの発見した“左利き判別法”を教えてください。


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左利き用の道具を知っていますか? 使ったことがありますか? その6
Left-handed tools & goods―左利き用万年筆の使い心地良さ!
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 いつごろだったか学校で、ペン習字の時間というのがあった。
鉄製のペン先をペン軸にさして、インクをつけて書くのだが、
このときはとにかくたいへんな目にあった記憶がある。
なにしろ、ペン先が紙にひっかかって書けたものじゃない!
 右利きの人は、ペン先を引いて書くので問題はないようだが、
左利きの場合はペン先を押していくので、
紙にペン先を突き刺すような形になる。
しかし、気軽に人に相談できるタイプではなかったし、
先生にどうすればいいのか訊けるような積極的なほうではなかったので、
左利きの私のためにいい方法を教えてくれる人はいなかった。

 左で書く生徒のために、個別に書き方を指導する先生はいなかった。

 初めて手にした万年筆は、安物ではあったが、
やはり本物の万年筆だけあって、鉄製のペン先とは違って、
書き味には格段の差があり、さほど引っ掛かることもなく、書けた
と記憶している。
 残念ながら、これはいつのまにかなくしてしまった。
 二本目は、日記を書くなら万年筆、と考えて二十代に手に入れた物で、
今も使っている“パイロット”の14金のペン先のもの。
 しかし、これもはじめはうまく書けず、力を入れて
ペン先をつぶすようにして、やっと書けるようになった。
ところが、いつしかボールペンやフェルトペンに変わってしまった。
というのも、インクの乾くのを待たなければならない、水に弱い、
等の理由もあるが、やはり書きにくさ、というのが底にはあったようだ。

 今回、左利き用の万年筆を購入してみた。
 ペン先が左下がりにカットされていて、
左手で構えると紙面にピタッと沿い、いかにも書きやすい。
スムーズな滑りで、縦線が太目のやわらかな文字が書け、
予想以上に気持ち良く、ついつい使いたくなってしまう!
 まるで、新しいおもちゃを手にした子供のように、
楽しくて仕方がない毎日である。

パーカー・フライター45CT 万年筆(左利き用)
 左利き用のニブ(ペン先が左下がりにカットされている)なので、
ひっかからずにスムーズに書ける。
Parker Flighter 45 CT fountain pen/ANYTHING LEFT-HANDED



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左利きの本だなぁ その3 お楽しみ編
―『左利きの名画』ロジャー・オームロッド著 野中千恵子訳
 社会思想社 現代教養文庫〈ミステリ・ボックス〉
 1993年3月30日初版第一刷発行(1993/3/1) 原著©1988
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 この作品は、アガサ・クリスティ・ファン・クラブの会長、
数藤康雄氏よりご紹介いただいたものです。
左利きが重要なポイントとなっています。

 左利きと右利きの人が共存している理想的な世界――
それはどんなものか想像してみてください。たとえば、こんな風景――。

 左利きと右利きの恋人たち――後に夫婦となる――は
ひとつのパレットをはさんでキャンバスを並べ、絵を描いている…。
 もし彼らが右利き同士だったら、
それぞれに別々のパレットを置いて描くことになる。
しかし、彼らはそれぞれ右利きと左利き。
パレットを挟んで、右側に左利き、左側に右利きの人がすわり、
ひとつのパレットから、同じ絵の具で、ひとつの風景を描く…。
 
 この本のなかで重要な役割を持っているのが、
そのような彼らが描いたそれぞれの絵。
仲のよい彼らは同じ手法をマスターし、描いたそれぞれの絵は、
微妙な視点のずれ――角度の異なった一組の絵をうみだした。
 彼らが手放した数枚の絵は、のちに名画として高く評価され、
財産としても一角のものであった。
 ところが、お金に困った主人公が
お祖母さんの絵を鑑定家に見せたところ、
なんとその絵は世界に数枚しかないという、
その高名な画家の手になるものだという。
離婚の危機に陥っている主人公は、
この鑑定家の女性とともにお祖母さんを訪ねるが…。

 その画家の数少ない実物を持つギャングのボスとの間で、
お祖母さんの絵をめぐってのコンゲーム…。
お祖母さんの絵は、本物か否か? 
お祖母さんを殺した犯人は誰か? というミステリ小説。


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<特集:左利きアンケート>From LHC (Left-handers Club/U.K.)
レフトハンダーズ・クラブ(イギリス)より―
ザ・レフトハンダーズ・クラブ1994年アンケート調査結果
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THE LEFT-HANDERS’ CLUB SURVEY 1994(翻訳:レフティやすお)

 イギリスのロンドンにある左利き用品専門店、
エニシング・レフトハンデッドの顧客と店を結ぶべく、
1990年にスタートしたザ・レフトハンターズ・クラブは、
現在千五百人を超える会員を持ち、年に四回の会報を出している。
 1994年6月に行われた会員に対する詳細な調査は、
会員自身の個人的、あるいは家族の歴史、
それぞれの特質・考え方にまで及び、左利きの人にとって重要なこと、
なやみの原因となる事柄を明らかにさせる、というねらいがあった。
 現在までに回答を寄せた263名の人たちは、全国的に見て、
年齢・性別・家族の状況など、典型的な左利きの人々である。
調査の結果は、左利きの人とその家族の体験に基づく主観的な意見と、
左利きに対する実際にある言外の意味とを教えてくれる。
 私たちは、この調査結果に啓発的なものと、魅惑的なものを発見した。
そして、私たちの継続的な活動において、
左利きの人に対する良き認識と考察のために、
それらを正しく用いるつもりである。

 調査の結果と結論は、下に示すとおりである。

◎ どちらの手を使いますか? Which hand do left-handers use?

(左手/左側の割合 %)
・字を書く、絵を描く           100%
・ハサミで切る               82%
・髪の毛をブラッシングする、とかす 98%
・歯を磨くとき、歯ブラシを持つ       97% 
・フォークなしで、ナイフを使う       92%
・フォークとともに、ナイフを使う      27%
・スプーンだけを使う           100%
・片手でボールを投げる           90%
・テニスのラケットを握る          92%
・ふたを回して開ける            88%
・ボールを蹴る               82%
・片目で見る(望遠鏡など)         76%
・(よく聞き取るために)耳に手をかざす   78%
________________________________________

「左利き」で食べる人のパーセンテージが低いのは、
以前の調査と一致する。
 左利きの人は、スプーンであろうとフォークであろうと、
常に首尾一貫して同じ手で食事をしている。
右利きの人は一致しない。
彼らはどの道具を使うかによって、手を使い分けている。


◎ 会員は書字(手書き)の際にどのような問題を持っているのか?
 Did members have problems with handwriting?

・カギ状の記号を書くとき、ペンの頭を中心に手をねじる
  ページを横切ってペンを引く           13%
・机に対して、斜め右に傾ける            63%
・自分のからだを斜め右に向ける           40%
・書いているうちに、時々書いたものが汚れてしまう  69%
・自分の書く姿勢が窮屈なことに気付く        29%
・あなたの書き方や姿勢が、書くスピードを鈍らせる
  たとえば、ノートを取るとき           38%
________________________________________

左利きの人の最大の問題は、書くことだが、
それはインクがスムーズに流れる左利き用の万年筆を使うことで、
書くのに適した姿勢と用紙を置く位置を工夫することで、解決できる。
もし、先生たちがこのことに気付いていたら、
左利きの子供たちの生活は、もっと楽になるに違いない。


◎ 左利きの人は学校でどんな問題を持っていますか?
Did left-handers have any problems at school?

60%の人―広い年代にわたって。全体的に見ると、
 サポートのないこと、あるいは少ないことに集約される。

代表的な意見は
・訴えた後で、父親が先生と話し合った。
・違いやむずかしさを感じた。
・誰もが、頭が悪いと思った。
・左利きの先生からだけ。

64%―書き方を習うときの困難さ
・悪夢! 汚れる/覆い隠す、書くことはいつも問題になる。
・先生は右利きに変えるように試みさせる。
・ペンとインクを使わなければならなくなるまでは、楽しんだ。
・左手を使うのと、汚すのとで、定規が耳に。
・校長が言うことには、私のペットのクモの方がきれいに書ける。

17%―いつかは左利きであることをやめさせようとした。
15%―左利きとは直接関係ないけれど、
多少話すことに問題を持っていた。


◎ 左利きの人が左利きに結び付けて考える特質
Attributes that left-handers think relate to their handedness

44%の回答―右利きの人より有利だと考えていること:
 適応性/順応性、論理的思考、創造性/独創性、
 (数字・文字を)逆から数えたり、読んだりできる、絵を描く、
 ドライブ(ギアが左側)、空間認識に優れている、計算に優れている、
 なにごとにも向いていて偏見がない、記憶がよい。

スポーツで有利といわれているもの:
  ボクシング、クリケット、テニス、バドミントン、フェンシング、
射撃、ラウンダーズ、野球。


◎ 右利きの人は左利きの家族をどのように考えているか?
 What do right-handers think of their left-handed family?

54%の回答――彼らが見た左利きの人たちの困難さ:
・缶切り、小切手帳、切ること、台所用品、書くこと、電話、カメラ、
  裁縫、ビンを開ける。
・礼儀正しく食べない。
・さまざまな運動の技法を教えてもらえない。
・彼らの書いたものは読めない。

30%の回答――左利きは、日常の仕事において、行いが不器用で、
  動きがぎこちない。
・不器用だ、しかしそれはまちがった道具を使っているから。
・ほとんどの仕事でへたくそ、すべてのことに自信のなさと
  内気さが現れている。
・少し変わった意見:「彼女が引っ越すとき、損をする」
・         「彼女の左足が内側に向くと、時々倒れる」

6%の回答――左利きは有利だ:
・いくつかのスポーツで。
・彼らは順応性が高い。
・空間的作業や創造性に優れている。


◎ 左利きの人は自分自身のことをどのように見ているか?
 What do left-handers see themselves?

56%の回答――左利きは平均より知能が高い。
39%の回答――平均より不器用で動作がぎこちない。
51%の回答――平均より創造力があり、芸術的である。
________________________________________

左利きは知能が高い、と示す調査があった。
しかしそれは一般的に受け入れられていない。
七人(三%)の人たちは、MENSAのメンバーだという。
これは、MENSAに加入できる率、人口の二%よりわずかに高い。
しかし、彼らのメンバーの間では、左利きの記録を取っていない。
(*MENSA/知能テスト上位二%の人々のクラブ)


◎ 左利きに関係がある事故 Accidents related to left-handedness

19%の回答――明確に左利きに起因すると考えられる事故の詳細:
・メータースタンプ器に左前腕をとられた。
・パンをスライスするときに指を切った。
・体育教師を投げ槍で危うく殺しかけた。
・(右側に注ぎ口のある)シチュー鍋から熱い液体を注ぐときに
 やけどをした。
・学校の木工作業でノコギリで事故を起こした。


◎ 仕事での左利き Left-handers at work

・回答者は、例外的ではない集団をして、広い分野の職業に存在する。
  八%は教師。
・左利きの人が仕事において好きなこと:
  ひとびととふれあうこと、創造的思考、問題を解くこと、
  計画を立てること、実用的な仕事、数字に関する見積もり・予測。
・彼らが嫌う仕事:事務処理、繰り返しの多い仕事、訓練、
  型にはまった仕事、役所仕事、書類整理。


◎ 左利きの人が期待している改良点
Improvements that left-handers would like to see

・右利きの人からの思いやりをもう少し。
・もっと教師に左利きに関する認識と教育を。
・世間一般の人が、左利きは不器用だ、と考えないこと。
・少数意見「おやまあ、あなたは左利きですか、お気の毒に」

左利きバージョンが欲しいもの、具体的に:
 小切手帳、カメラ、ビデオカメラ、自転車のベル、絵のパレット、
 ライフル銃、コンピューターのキーボード・マウス、アイロン、
 計量カップ、会議机、調理器(左手で開くオーブン)、
 クロスワード(ヒントが右側に書かれている)、手すり(両側に)、
 ガスストーブの調節つまみ、芝刈り機、ワードプロセッサー、
 ペッパー/ソルト・ミル、ミシン、キャッシュマシン、
 充分な長さの紐がついたカウンターのペン、
 セガ・メガドライブのコントロール・パッド、スーツケースの引き手。
________________________________________

これらのうちのいくつかは、実現が難しい。
しかし、わがクラブでは左利きのニーズをよく考慮するように、
デザイナーや製作者に対してキャンペーンを続けていく。
財政的に実行可能な限り、
特別に製作した各種の左利きバージョンの道具を確保する。
クラブの会報”The left-hander”を通して、左利き並びに、
潜在的な問題を軽減させることができるものに対する認識を
引き続き高めていく。

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――次回は、

 「LL7 1995-96(平成7-8)年 冬号」

を紹介する予定です。

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本誌では、「ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [32]『LL(レフティーズ・ライフ)』復刻(5)LL6 1995(平成7)年 秋号」と題して、今回も全紹介です。

「<特集:左利きアンケート>From LHC (Left-handers Club/U.K.)レフトハンダーズ・クラブ(イギリス)より―ザ・レフトハンダーズ・クラブ1994年アンケート調査結果」は、私自身の翻訳という素人の仕事ですので、誤訳も多々あるかと思われます。
それでも、それなりに言わんとする意味はご理解いただけるかと思います。

30年前の調査ではありますが、それぞれに貴重な内容の情報で、現代にも通じる部分があります。
多くの方に知ってほしい情報でした。

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』


『レフティやすおのお茶でっせ』
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
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日清チキンラーメンひよこちゃんは左利き?

2024-09-17 | 左利き
日清のチキンラーメンひよこちゃんのカレンダーの9月の分を見て、ふと気付いたのです。

なんとカップヌードルを食べるときに、フォークを左手に持っているではありません。
向かって右側の手?に持っていますからね。


(画像:日清食品2024年ひよこちゃんカレンダー――9月カップヌードルを左手に持ったフォークで食べるひよこちゃん)

ほかのを見てみたら、残っている分では、6月のカレーメシを食べるときに、スプーンを左手に持っていました。


(画像:日清食品2024年ひよこちゃんカレンダー――6月カレーメシを左手に持ったスプーンで食べるひよこちゃん)

これは、「ひよこちゃんは左利き」ということでしょう!

テレビかなにかで見た「おとなのひよこちゃん」(?)は、右手で食べてたような記憶があります。
そちらは別人なのでしょうか。

少なくともかわいい方のひよこちゃん(?)は、ここで見た限り「左利き」のようです。


 ●日清食品のテレビCMには左利きのタレントさんが多かった

思えば日清食品は、過去のテレビCMで、多くの左利きのタレントさんを起用してきました。

世間的にはまだまだ左利きが忌避されていた1970年代後半から、山城新伍さんと川谷拓三さんとコンビを組んだ「どん兵衛」CMでの「左手箸」の共演がありました。

私はこのCMを見て大いに勇気を与えられたものでした。
他の左利きの人たちも同様だったのではないか、と想像します。

*参照:2009.8.16
8月14日「どん兵衛」CM等で活躍の山城新伍さん(70歳)死去
「新生活」版

その後も、上の記事の中にも書いていますように、普段は右利きだけれど食べるときは左利き・左手箸の国分太一さんが長らくチキンラーメンのCMに出演されていました。

他にも日清のCMには、小池栄子さん等も出演していたかと思います。


*参照:
・2023.11.18
『左組通信』復活計画(25)左利き自分史年表(2)1972-1979―世界が間違っている-週刊ヒッキイ第653号

1977(昭和52)23歳
(TV CM)日清食品「どん兵衛」 テレビCM始まる
 「きつねうどんから おあげとったら何になると思う」…
 「ただの素うどん」出演:山城新吾、川谷拓三
――左利きコンビが左手にお箸を持って「どん兵衛」を食べるCMは
とても好ましく、左手箸の左利きの人に大いに勇気を与えた。
日清食品「どん兵衛きつね」――
「どん兵衛」はヒットした。最大の要因はテレビCMだった。山城新伍と川谷拓三のひょうきんコンビのCMが人気を呼び、売り上げが急上昇したのである。小品を擬人化したどん兵衛というネーミングがあったからこそ、あのかけ合い漫才のCM世界が生まれたのだと思う。山城新伍の突っ込みと川谷拓三のぼけ具合が絶妙だった。
 / 発売二年目の一九七七(昭和五十二)年に売り上げ数量が一億食を超えた。きつねうどんの発祥の地は大阪である。根強いうどん人気もあってか、その年の二月の調査で、西日本ではカップヌードルを抜き第一位になってしまった。もちろんしばらくして巻き返しにあったが、一瞬でもカップヌードルの牙城を崩したのはすごいことだった。...
》p.78
――『カップヌードルをぶっつぶせ!――創業者を激怒させた二代目社長のマーケティング流儀』安藤宏基(あんどう・こうき) 中央公論新社 2009.10.7
「第2章 創業者とうまく付き合う方法/パッケージ戦力第二弾。ドンブリ型容器の「どん兵衛きつね」がヒット。「どんくさくてもいい」。社内の猛反対を押し切って商品名に。」より

・2023.12.16
『左組通信』復活計画(26)左利き自分史年表(3)1980-1990―左利き用品に目覚めるまで-週刊ヒッキイ第655号

1980(昭和55)26歳
4/5(映画)『ミスターどん兵衛』山城新吾企画・製作・脚本・監督・主演、共演川谷拓三、他
――山城新吾と川谷拓三の日清どん兵衛のCMがヒットし、映画に。


(画像:映画『ミスターどん兵衛』山城新吾企画・製作・脚本・監督・主演、共演川谷拓三、他 のポスター)

*CMキャラクター関連記事:
2008.3.3
左手書字するドナルドは左利き?
(「新生活」版)



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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
日清チキンラーメンひよこちゃんは左利き?
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私の読書論188-<町の本屋>論(6)産経新聞8/12朝刊記事より-楽しい読書373号

2024-09-16 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)
【別冊 編集後記】


2024(令和6)年9月15日号(vol.17 no.16/No.373)
「私の読書論188-<町の本屋>論(6)産経新聞8/12朝刊記事より」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2024(令和6)年9月15日号(vol.17 no.16/No.373)
「私の読書論188-<町の本屋>論(6)産経新聞8/12朝刊記事より」
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 昨年9月から10月、11月、12月と、今年5月の
 読書習慣を持つ人の減少、および町の本屋さんの減少に関して、
 読書について、本という文化について、
 そしてその発信源としての書店の存在と、
 私なりに考えた出版業界、書店の改革について書いてきました。
 今回は、その6回目となります。
 特に、筋道通した議論を続けてきたわけではなく、
 その都度思うところを書いてみただけですので、重複もあれば、
 前後つじつまの合わない部分もあったかも知れません。
 あくまでも元「本屋の兄ちゃん」として、一読書家としての、
 私見にすぎません。
 
 適当に読み飛ばしていただければ、と思います。


【過去5回の<私の「町の本屋」論>】

2023(令和5)年9月15日号(No.350)
「私の読書論174-消えゆく書店と紙の本」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2023.9.15
私の読書論174-消えゆく書店と紙の本-楽しい読書350号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2023/09/post-f7ab5e.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/a65f07da56cc868147fbd49d01c3c4bf

 ●朝日新聞の記事「本屋ない市町村、全国で26%~」
 ●再販制度――定価販売による価格保証
 ●書店経営が厳しい背景の要因―雑誌の売り上げの急減
 ●ネット書店で本を買う人の増加
 ●リアル書店での「偶然の出会い」
 ●リアル書店の生き残りについて――「コンビニ+本屋」
 ●ベストセラーではなく、ロングセラーを!
 ●本屋はそのまちの文化のバロメーター

一番大事なことは、本屋さんというのは、
その町の文化を代表する存在の一つだ、ということです。

もちろん文化施設としては、
公立や私立の図書館とか美術館とか博物館などもあります。
あるいは学校――小・中・高校、大学、専門学校などの教育施設などが
あります。

しかし、最も身近な文化施設として、私が思うところは、
やはり町の本屋さんなのです。
これは私の経験からの意見です。

本屋さんに出入りするようになり、私の世界が広がったのです。
今の私につながるような変化を生みました。

それが文化というものでしょう。

本の世界には、文字通り世界のすべてが包含されています。
未知なる世界への入口になるのです。

日常的な生活だけでは、絶対ふれ得ないような世界の広さです。

それが本屋さんというものだと私は思っています。

もちろん、昔でいえば映画やラジオやテレビもそういうものでした。
しかし、それらは自分の手元に置いておくことができにくいものでした。

紙の本なら、それが可能でした。

広い世界へつながる入口――それが本屋さんであり、
文化へ続く道だったのです。
--

2023(令和5)年10月15日号(No.352)
「私の読書論175-出版業界―または本と本屋のこと」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2023.10.15
私の読書論175-出版業界―または本と本屋のこと-楽しい読書352号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2023/10/post-d8d8ec.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/7b9a38985fcfd574650e4c54eba355c1

 前回に引き続き、本と本屋の世界といいますか、業界について、
 「元本屋の兄ちゃん」として、本好き・読書好きの人間として、
 私なりに考えていることを書いてみようと思います。

 前回は、朝日新聞の記事「本屋ない市町村、全国で26%~」を基に、
 書店が生き残る方法など、私なりの考えを書きました。
 再販制度をやめよとか、雑誌販売についてとか、
 書店の選書について等々。

 今回はその続きで、出版業界における改革について、
 私なりの案を書いてみましょう。

 ●日本の本は安い!?
 ●本の値段を上げてみれば?
 ●本の価格を1.5倍に
 ●より良い本作りが可能に
 ●「軽い」本は電子版で
 ●「良い本」を作れる環境を!

まとめ的にいいますと、
現状ではまず本の値段を上げてそれぞれの取り分を増やす。

そうして、著者・出版社の「良い本」を作れる環境を整え、
書店がそれらの「良い本」をじっくり時間をかけて売れる状況にする。

――というところでしょうか。
--

2023(令和5)年11月15日号(No.354)
「私の読書論176-読書週間に関する新聞記事から思ったこと」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2023.11.15
私の読書論176-読書週間に関する新聞記事から思ったこと
-楽しい読書354号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2023/11/post-7462e0.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/d498bde194e54d8e97a5d018d683f607
 ●月0冊が半数
 ●系統だった情報を入手する方法としては本が上では?
 ●「読書週間」と読書習慣
 ●「本を読むから偉い」のでなく「本を読んだから偉くなれた」
 ●「読む時間が確保できない」
 ●「読みたい本がない」について
 ●書店の新形態――無人の店舗、コンビニ併設
 ●本屋さんの生き残りに期待

とにかく、本屋さんがなくなるというのが一番の悲劇だと思っています。
何らかの形で残って欲しい、という強い願望があります。

ふらりと入った本屋さんであれこれ見ることで、
「あっ、こんな本が出てる!」という偶然の出会いがあります。

それが本好きにとっての一番の至福の時間かもしれません。

私は、本屋さんにいるときが一番楽しい時です。
図書館も楽しみですが、本屋さんの方が、より新しい顔を見られる、
という点で楽しみが大です。

今の私があるのは、ひとえに本屋さんあればこそ、と思っています。
私の人生の一番の友、それが本で、その友との出会いの場が本屋さん、
なんです。

(略)

私は、書店・本屋さんは、地域の文化の担い手だと考えています。
がんばれ本屋さん!
--

2023(令和5)年12月15日号(No.356)
「私の読書論177-個性的な本屋の作り方を学ぶ
―『美しい本屋さんの間取り』から」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2023.12.15
私の読書論177-個性的な本屋の作り方を学ぶ
―『美しい本屋さんの間取り』-楽しい読書356号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2023/12/post-bf19e5.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/79bec3e02805048065d5ea41387e2c55

 (今回の参考書)
『美しい本屋さんの間取り』エクスナレッジ X-Knowledge 2022/12/29

 ●現物の魅力
本屋さんの魅力といいますと、なによりも、
<思いがけない本との出会いがある>という点でしょう。

欲しい本を買うだけなら、ネットで十分です。
在庫があれば、Amazonなどではホントにすぐに送ってきてくれます。

でも、自分が欲しい本が必ずしも、選んだ本だった、とは限りません。
色々な情報を手にしたうえで吟味して選んだつもりでも、
ホントに自分に合ったものかどうかは、
実際に手に取って読んでみなければ分からないものです。

その点、本屋さんではある程度立ち読みで現物を確認する事もできます。
内容だけではなく、実際の“もの”としての魅力という側面もあり、
自分で納得のいくものに出会えるという点では、
リアルの世界の持つ力は、捨てがたいものがあります。

本屋さんで本を探していると、予定していた本以外にも、
もっと適切な本が見つかることがあります。

さらに、考えてもいなかった本と出会うこともあります。
自分の中にそんな欲望があったのか、と思うような、
異なるジャンルの本との出会いも。

 ●本屋さん開業の夢
 ●『美しい本屋さんの間取り』主な目次
 ●間取りの図版が楽しい
 ●1章 設え方 来店者を増やす
 ●2章 見せ方 美しく本を見せる
 ●3章 基本 知っておきたい基礎知識
 ●本書が見せてくれる自分の本屋さんの夢
--

2024(令和6)年5月15日号(vol.17 no.5/No.366)
「私の読書論184-がんばれ!町の本屋さん」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2024.5.15
私の読書論184-がんばれ!町の本屋さん-楽しい読書366号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2024/05/post-5a5bc2.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/8a1d7f9a2989edbd174487963269b52b

 ●「多様な本屋があればこそ 書店減少と読書文化を考える」
産経新聞2024/4/30の山上 直子さんの
「一筆多論/多様な本屋があればこそ 書店減少と読書文化を考える」
https://www.sankei.com/article/20240430-3WZGEHWNPVPEHJSDN4I2J4ITXU/
 《思わぬ本に出会って人生が変わることもある。
  これまで、その舞台となってきたのが「街の本屋さん」だった。》
 《近年、個性的な書店が増えている。
  規模も取り組みもさまざまだが、従来の経営モデルでは
  もう通用しないという裏返しでもあるだろう。》

 ●私の“町の本屋さん”の生き残り法
(1) 現状の出版販売制度を維持したままでならば、本の価格を引き上げ、
その値上げ分を著者を含めた出版社、取次、書店で分配する方法。
これにより利益率を改善する。
(2) 根本的に販売制度を変え、再版制度をやめて、
書店の自由販売に変える。
他の商品などと同じように、自主的に仕入れて、自由に価格を設定、
販売する。

 ●文化の発信地としての書店の役割
書店の役割として、地域の文化の創造基盤としての存在、
というものがあると思います。

 ●がんばれ! 町の本屋さん
紙の本による、
三次元で肉体と精神の両方を駆使して行う知的活動こそが読書だ、
と考える人もいます。

特に子供さんなどは、手に取って触って見て、五感で理解するのです。
ものとしての本の役割は、非常に大きなものがあります。
--

以上、過去の5回の<私の「町の本屋」論>の概要とまとめでした。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 - 私の読書論188 -
  ~ がんばれ!町の本屋さん <私の「町の本屋」論>6 ~

  産経新聞8/12朝刊の記事「書店主導「売れる本」売る改革」より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ●新聞記事から――書店主導「売れる本」売る改革

2024(令和6)年8月12日の産経新聞朝刊に、

《書店主導「売れる本」売る改革/
 直接仕入れ 取り分増・返品率は減へ》

という見出しの記事が出ていました。



*ネット版 2024/8/11 21:45《書店主導で「売れる本」を売る
 返品減らし利益高める改革に着手》
https://www.sankei.com/article/20240811-H3U5U7CNWBKN3LHCGBKBTZM6I4/

段落毎に見出しを付けている、
ネット記事を参考に内容を簡単に紹介しますと――

出版科学研究所によりますと、
《少子高齢化やインターネットの普及などの影響》で、
紙の出版物(書籍と雑誌)の推定販売額が
ピーク時の1996(平成8)年の2兆6564億円から
昨年2023(令和5)年は1兆612億円と4割以下に落ち込んでいる、
といいます。

《電子コミックの販売額が伸びる一方で、
 紙の雑誌の落ち込みが目立ち書店の経営難に拍車をかけている。》

その苦境下、《既存の流通システムが曲がり角を迎えつつある中》、
《街中の書店を残すため》の書店主導の改革が進められている、
という内容の記事です。


 ●「売れる本」って?

「売り上げ前年比2割増」――
紀伊国屋書店と
蔦屋書店などを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)、
出版取次大手の日本出版販売(日販)の3社が昨年設立した合弁会社
「ブックセラーズ&カンパニー」では、
《出版社と直接仕入れ数や価格を交渉し「売れる本」を多く仕入れる。
 参加書店は返品時の物流費を負担するが、取り分も増える仕組みだ。》

《「売れる本」を多く仕入れる》というのですが、
この「売れる本」というのが曲者です。

私が本屋さんで働いていた頃で、年間2万4千点程度
(だったかと記憶しています)の新刊本が出版されていました。
これだけでも、町の本屋さんが扱える規模を越える点数だ、
と感じていたものでした。
もちろんそのすべてが入荷するわけではありません。
そのうちのほんの十分の一か、そこらだったのでしょう
(あるいは、もっと少なかったのかも知れません)。
今では年間8万点を超える、といわれて久しいものです。

そのうち本当に「売れた」といえる本など、ほんの一握りです。
それをどのように仕入れるかというのは、かなり難しい選択です。

もちろん、ある程度「売れる」作家さんという人もいらっしゃいますし、
こういうジャンルの本なら、この程度は売れる、
というデータもあるでしょう。

例えば、時代小説作家の佐伯泰英さんなども
人気シリーズをいくつもお持ちですし、
推理作家の東野圭吾さんも、新作は確実にある程度売れる作家さんです。
そういった人は幾人もいらっしゃいます。

大手の有力書店さんなら、そういった具体的なデータも資料も
十分お持ちのことでしょう。

これらの本を重点的に大量に仕入れる代わりに仕入れ価格を抑え、
さらに返品を減らして、効率よく販売して売上を上げる。

理屈としては成り立ちますが、切り札になるのでしょうか。

扱う商品点数が多いので、個別に価格交渉するといっても、
なかなか大変で、いかにデータを駆使しても、
新規の本は“読み”きれないでしょう?


 ●紙の雑誌・コミックの売上減少

「目立つ紙の雑誌落ち込み」――
《電子コミックの販売額が伸びる一方で、
 紙の雑誌の落ち込みが目立ち書店の経営難に拍車》
とのこと。

私の本屋さん時代でも、コンビニが登場し「雑誌の売上が落ちた」
といわれたものでした。
当時、雑誌と書籍の売上額は、半々ぐらいの感じでした。

当時、書店にとって、売上の大きなパーセンテージを占めていたのが、
雑誌とコミックでした。
活字離れといわれるなかで健闘していたのが、コミック販売でした。

今では、雑誌は電子版が増え、紙の雑誌が廃刊されることも多く、
コミックも電子版に移行しているようで、
書店にとって減益の大きな要素でしょう。


 ●近隣書店の在庫横断検索システム

「街の本屋、ネット書店と同じ土俵に」――
《ネットから地域の書店へ客を誘導する試み》
として、参加する出版社の公式サイトなどで、
ユーザーの位置情報から近隣書店の在庫を確認し、
お客さんを誘導するための、
《「書店在庫の横断検索システム」》
の実証実験が6月に始まった、といいます。

私が働いていた町の本屋さんは、隣の駅前に本店がある支店の方でした。
お客様の希望の本がこちらにない場合、
ただ「ない」と答えるのではなく、
もし本店に在庫があれば翌日にはこちらで、
お客様ご自身が取りに行かれるのなら、その日でも購入可能です、
と答えるシステムでした。

その上で、お客様が望まれれば、本店に確認の電話を入れる
という形でした。

もちろん、即座に断られるケースもありましたが、
こういう形で販売できることも結構ありました。

最近では、私自身、大手書店のネットで在庫を確認して買いに行く、
ということもありました。

左利き関係の本など発行部数の限られた、一般向けでない本の場合、
一般書店で置いていないケースもあり、そういうこともしました。

「元本屋の兄ちゃん」という経歴でもあり、
できる限りリアル店舗で買いたい、という思いがあります。

ホントは、地元のいつも行く書店に注文するのがベストなのですが、
早く欲しいという気持ちがある場合は、仕方なくAmazonや、
こういう形で購入することが増えています。

そういう意味では、この近隣の書店で在庫確認し購入できるという形は、
有効だと思っています。


 ●自主仕入れと責任販売

最終的に私が思うのは、やはり現状の再販制度、委託販売制度の
制度疲労をどうにかする、ということです。

中小書店の場合、現状の制度改革は難しいとは思いますが、
本も一般の商品と同じで、
もう今までのやり方では売れない時代になっています。

専門店化と複合店化で生き残るしかない、と考えています。

専門店として高付加価値の希少商品を中心に本を扱うか、
一般商品との併売で、店舗を「本も売っています」化するしかない、
と思っています。

一番の急所は、自主仕入れと責任販売で、
出版社なり取次なりと価格交渉を進めて、
売上の取り分を上げていくしかない、と思われます。


 ●電子版も売る店?

もう一つの方法として、店舗で紙の本だけでなく、
電子版も売れるようにする、という行き方もあるかもしれません。

店舗でダウンロードするやり方はあまり未来はないかも知れません。
わざわざ出かけていくのは、必然性があまり感じられませんから。

しかし、
店舗で注文すると何か「キーワード」のようなものが与えられ、
それをネットで打ち込むと割引が受けられるとか、
店舗の方には、その売上の何パーセントかがバックされる、
というような販売法もあっていいかもしれません。

紙の本では、歴史に残るような価値ある本を出し、
電子版は、もっと広く、一過性の人気本のほか、
とにかく「売れそうな本」をあれこれ打ってみるというやり方が、
これからの出版の行き方ではないか、と考えています。

そうでもしないと、紙の本を扱う書店の規模は限られていますし、
資源的にも無駄にならないためには、そういう方法が必要でしょう。


 ●がんばれ、「紙の本」と「町の本屋さん」!

記事の最後には、
《経済産業省も書店振興プロジェクトチームを設置し支援策の検討》
とあります。

とにかく、町の本屋さんというものは、地元の文化の発信の一つで、
世界への入口でもあります。

これ以上衰退しないことを切に願っています。

先にも書きましたように、書店業は、
私が<本屋の兄ちゃん>時代にも、少しずつ衰退の兆しはありました。

しかし、ここまで早くダメになるとは考えてもいませんでした。
私の人生の楽しみがこんなに早く風前の灯火となるとは!

少なくとも自分の生きているうちは、大丈夫だろうと思っていました。

電子版もあるとはいうものの、やはり印刷のインクの匂いとか、
紙の手触りとか、本自体の重さとか、逆に薄い本の軽さとか、
物理的な体感を伴う、紙の本の存在感というのは、
捨てがたいものがあります。

がんばれ、「紙の本」と「町の本屋さん」!

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「私の読書論188-<町の本屋>論(6)産経新聞8/12朝刊記事より」と題して、今回も全文転載紹介です。

本誌では分量的に長くなってしまい省略しました、【過去5回の<私の「町の本屋」論>】の概要とまとめを、こちらではそのまま掲載しています。

他には特にいうことはありません。
<元本屋の兄ちゃん>としての書店に関する個人的な意見です。

「なんとか生き残ってくれ」という私の願いは読者の皆様に届いたか、と思います。

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

『レフティやすおのお茶でっせ』
〈メルマガ「楽しい読書」〉カテゴリ


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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
私の読書論188-<町の本屋>論(6)産経新聞8/12朝刊記事より-楽しい読書373
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楽器における左利きの世界(24)左利きは左弾きヴァイオリンで(3)-週刊ヒッキイ第670号

2024-09-08 | 左利き
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』(まぐまぐ!)
【別冊 編集後記】

第670号(Vol.20 no.15/No.670) 2024/9/7
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(24)左利きは左弾きヴァイオリンで(3)」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン

  右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
  左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第670号(Vol.20 no.15/No.670) 2024/9/7
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(24)左利きは左弾きヴァイオリンで(3)」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 前号は、「左利きでもヴァイオリンは右弾きで」という
 左利きヴァイオリニストの意見に
 「なぜ左利きは左弾きヴァイオリンでなければいけないのか」
 その理由を述べ、反論する第2回目でした。

 今回はその続きといいますか、最終的な結論――
 根本的な理由に基づく反論です。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ◆ <めざせ!実現!!左用ピアノ!!!>プロジェクト ◆
 {左利きの人は左利き用の楽器で演奏しよう!}
- 「左利きに優しい社会」づくりは左用楽器の普及から! -

 左利きとヴァイオリン演奏について考える

   なぜ左利きは左弾きヴァイオリンでなければいけないのか(3)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●左利きでも右弾きを薦める人たちの理由(再々載)

ネットで調べた「左利きとヴァイオリン演奏」についての発言で、
左利きのヴァイオリニストの人も含めて、ほぼ全員が
「左利きの人でもヴァイオリンは右弾きで」と発言されていました。

今回も改めて、それらのご意見――
「左利きでも右弾きを薦める人たちの理由」
についてまとめたものを書いておきましょう。

 ・・・

【左利きでも右利き用で右弾きを薦める理由】

1.左利き用のヴァイオリンは右用とは構造が違い、手に入りにくい
→ 道具がないので、手に入るもので我慢しましょう!?

2.右手も左手も重要で、利き手の有利不利は関係ない
→ 右手も左手もどちらでも、慣れたら一緒!?

3.ヴァイオリンは集団で演奏することが多く、左弾きは立ち位置が難しい
→ 左弾きでは隣の右弾きの人と弓が当たる、
  弓の動きが逆で一人目立つ、ので困る!?

4.利き手も定かではない、小さい頃から習う人が多いので、
 利き手は関係ない
→ 利き手も小さい頃からなら換えられるという人もいるじゃないか!?


 ●「左利きでも右弾き」に対するそもそもの理由

最後に、総合的な反論です。
といいますか、左弾きが認められない理由ですね。

これを説明しておきましょう。

以前少し書いていますが、簡単に言えば、左利き差別といいますか、
左利き否定の思想によるものです。

 ・・・

前回、前々回とそれぞれの反論を書いてきました。
それぞれ理屈は合っていると思います。

ただ「そもそもの理由」というものがあったのですね。

そして、実はそれ自体が大いなる誤りなのだ、という事実が、
実は最も重要なポイントなのです。

「左利きでも右弾き」を推奨するそもそもの理由とは?

それは、左利きそのものが否定されるべき事だった、という事実です。

左利きが否定される社会にあって、
「左利きですから左弾きで」
などという発言は認められるはずがありません。

「左利きは悪」だったのです。
左利きは直すべき悪習、悪癖だったのです!

ヴァイオリンの生まれたヨーロッパに於いても、です。

ヨーロッパ社会での
ヴァイオリン演奏で右弾きしか認められなかったのは、
ヨーロッパ社会では、古くから左利きは否定されていたから、です。


 ●十六世紀のヨーロッパ社会

『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第661号(Vol.20 no.6/No.661) 2024/4/6
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(19)
 梶野絵奈著『日本のヴァイオリン史』からヴァイオリンの歴史」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2024.4.6
楽器における左利きの世界(19)梶野絵奈『日本のヴァイオリン史』から
-週刊ヒッキイ第661号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2024/04/post-4c5b1e.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/a8bf813a7ec9e953053fb9ef3067c3df

でも紹介しましたように、

梶野絵奈著『日本のヴァイオリン史――楽器の誕生から明治維新まで』
(青弓社 2022/9/26)


によりますと、

 《ヴァイオリンの起源については諸説あるが、
  イタリアでヴァイオリンの原形が十六世紀に生み出されたというのが
  定説になっている。》「はじめに」p.21

「十六世紀に生み出された」ヴァイオリンですが、
この十六世紀という時代は、
「左利きに対する抑圧が始まった」時期でもあったのです。

6月末に出版されました左利きの本の新刊、
ヨーロッパ(主にフランス)での左利き差別(と賞賛)の歴史を描いた
左利きの著者と訳者による左利き本

『左利きの歴史:ヨーロッパ世界における迫害と称賛』
ピエール=ミシェル・ベルトラン/著 久保田 剛史/訳 白水社 2024/6/27


この本は、
左利きでもヴァイオリンを右弾きすることが当然とされる根拠の一つ
といいますか、
そもそもの最大原因は、「左利きを認めない社会であった」
ということを証明する本、といっていいものです。


「第二部/第8章 虐げられた左利き」に、

 《左利きに対する抑圧が近代に始まったのは、ほぼ確かなようである。
  日常生活のおもな行動に左手を用いることがタブーとなったのは、
  十六世紀後半からである。》p.110

とあります。続けて、

 《やがてこのタブーは、より広い社会階層にも少しずつ適用され、
  ほとんどすべての人に共通した礼儀作法の規則と化していった。
  こうして左利きは、罰せられるべき違反者となったのである。》
pp.110-111

というのです。

こういう社会情勢の中で、
ヴァイオリンの演奏に於いて、左手で弓を持ち、左弾きする
というような行為が許される訳がありません。


なにしろ、このヴァイオリンという楽器は、
西洋の芸術音楽で中心的な役割を果たしている楽器でもあるのですから。

左利き自体が否定される状況で、主に上流階級で演奏される
芸術音楽の主役であるヴァイオリンを習う時に、
左利きですから左弾きで、という要望が認められるはずがありません。

そもそも日常生活でも左手使いが認められないのですから、
楽器の演奏が認められるとは考えられません。

もちろん、一般庶民の趣味的な演奏なら別でしょうが、
学校であったり、教会であったりといった場では不可能でしょう。


 ●公教育による右利きの規範化

これらについては、

第665号(Vol.20 no.10/No.665) 2024/6/1
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(21)左利きヴァイオリニストの発言から」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2024.6.1
楽器における左利きの世界(21)左利きヴァイオリニストの発言から-週刊ヒッキイ第665号
23:45 2024/05/29
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2024/06/post-ba1399.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/7b6f52c7e9db04cfc74b96d89909df32

でも、

--
ヨーロッパでも、日本と同じように左利きは差別されてきました。
認められるようになったのは、日本と同じように第二次大戦後のこと。

昔から左利きの子供たちは、親や学校の先生など大人たちから
「矯正」の名の下に、字を書く等の“人間的”な行為に関しては、
右使いに転換させられてきたのです。
--

と書いています。

『左利きの歴史:ヨーロッパ世界における迫害と称賛』の
「第二部/第7章 不寛容のはじまり」には、

 《学校はつねに左利きに対抗するためのもっとも有効な手段の
  ひとつであった。というのも学校は、利き手のいかんにかかわらず、
  右手で書くことを子供たちに義務づけていたからである。
  こうして何世紀にもわたり、文盲――
  これはとくに農村社会に見られ、下層階級に特徴的な弊害である
  ――は、いわば左利きのもっとも安全な隠れ所となっていた。》
 p.106

といい、十八世紀の証言によりますと、
田舎には左利きの農民が何人もいて、それは、教育の乱用によって、
生まれつきの性質が歪められていなかったからだ、と。

 《ところが、十九世紀を通して公教育が大幅に進展すると、
  やがてあらゆる改装の人々が、
  学校の文明化と徹底した規範化の動きに巻き込まれることになる。
  一八八二年、フランスで初等教育が義務化されると、
  すべての左利きの子供たちが、社会階層や家柄にかかわりなく、
  いっさい例外なしに右利きの支配下に置かれ、平等という
  名のもとに、生まれつきの性行を放棄するように命じられる。
  当時のある証言は、
  こうした「右利きの規範化」を国民に推し進めるうえで、
  公教育が果たした重要な役割を明らかにしている。》p.107

といいます。

 《したがって十九世紀後半には、公教育の大衆化によって
  右利きが圧倒的な覇権を握る。》p.107

 《一世紀も経たないうちに、(略)一九一九年に、
  左利きが生まれつきの性質を運よくそのまま保ち続けることは
  「きわめて珍しい例外」だと、述べている。その間に、
  ブルジョワ的道徳観の支配や初等教育の強制力が、
  左利きを制圧してしまったのである。》p.109

とあります。


 ●刷り込まれた規範

こういう社会に於いて、単なるお遊びや下層階級の慰みとしての
楽器演奏なら左弾きも許されたかも知れません。

しかし、上流階級のたしなみや教育の一巻としての、
あるいは中流以下においても、同様な意味での器楽演奏となりますと、
左利きだからといっても左弾きが許されることはなかったでしょう。

ゆえに、ヴァイオリンの左弾きは、
こういうふうに左利きが差別される状況下では、
あり得ないことだったでしょう。

その規範が現代でも生き残っているのではないでしょうか。
すくなくとも、クラシックの音楽を勉強してきたような人たちには、
「右弾きが正しい演奏法である」と刷り込まれているのでしょう。


 ●左利きの権利として、左利きに対応した楽器を!

第二次大戦後、すでに80年が過ぎようとしています。

アメリカでは、1920年代に左利きの右利きへの強制的な「転換」は、
多くの弊害があるという研究が発表され、徐々に改善されてきた、
といいます。

ヨーロッパ社会は、もう少し閉鎖的で新しい考えがなかなか浸透せず、
アメリカの影響を強く受けるようになる戦後になって
ようやくその方向に進み出した、という状況だったようです。

その辺はまたいずれ検討してみたいと思います。


とにかく、現代においては左利きは生来の一つの性質であり、
否定されるものではないという考えが、確定しています。

左利きの権利として、左利きに対応した道具類の必要性は
認められてきています。

音楽の世界においても、楽器においても、
一日も早くこの常識が通用する世界に変わって欲しいものです。

ギター類だけでなく、その他のあらゆる楽器において、
左利き対応の楽器が製作販売され、
初心者に左弾きを教育できる世界になってほしいものです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25― 楽器における左利きの世界(24)左利きは左弾きヴァイオリンで(3)」と題して、今回も全紹介です。

現代においてもヴァイオリンの左弾きが薦められていないのは、要するに、他の左利きの場合と同じで、単純に昔から「左利きが否定され、抑圧されてきた」というだけの話です。

しかし、今はもうそういう時代ではないのです。
素直に左利きの人の思いを受け止めて、左用を準備する社会になってほしいものです。

難しい話ではなく、意識の変革だけの問題です。

古くさい常識は捨てて、新しい時代にふさわしい考え方を持つようにしたいものです。

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』


『レフティやすおのお茶でっせ』
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
楽器における左利きの世界(24)左利きは左弾きヴァイオリンで(3)-週刊ヒッキイ第670号
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<夏の文庫>フェア2024から(3)新潮文庫・小川洋子『博士の愛した数式』-楽しい読書372号

2024-09-02 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)
【別冊 編集後記】


2024(令和6)年8月31日号(vol.17 no.15/No.372)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2024から(3)新潮文庫・
小川洋子『博士の愛した数式』」


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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2024(令和6)年8月31日号(vol.17 no.15/No.372)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2024から(3)新潮文庫・
小川洋子『博士の愛した数式』」
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 今年も毎夏恒例の新潮・角川・集英社の
 <夏の文庫>フェア2024から――。

 昨年同様、一号ごと三回続けて、一社に一冊を選んで紹介しています。

 第三回は、「新潮文庫の100冊 2024」フェアから、
 小川洋子『博士の愛した数式』を。


【角川文庫の夏フェア】
「カドイカさんとひらけば夏休みフェア2024」特設サイト
https://note.com/kadobun_note/n/n94088457149e

集英社文庫『ナツイチ2024』フェア-
ナツイチ2024 言葉のかげで、ひとやすみ
https://bunko.shueisha.co.jp/natsuichi/

「新潮文庫の100冊 2024」フェア
https://100satsu.com/



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ◆ 2024年テーマ:夢か奇蹟の物語 ◆

  新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2024から(3)

  新潮文庫・小川洋子『博士の愛した数式』

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●「新潮文庫の100冊 2024」フェア

【限定カバー】
「ヨルシカ×新潮文庫 コラボレーション限定カバー」
  『文鳥・夢十夜』(夏目漱石)
「季節限定カバー 夏Ver.」
  『世界でいちばん透きとおった物語』杉井光
「プレミアムカバー 2024」
古典名作や人気作を中心に選定した全8種のラインナップで、
作品に合わせたこだわりのカラーをセレクトしています。
●宮沢賢治『新編 銀河鉄道の夜』
●中島敦『李陵・山月記』
●ルイス・キャロル/著 、矢川澄子/訳『不思議の国のアリス』
●谷崎潤一郎『痴人の愛』
●エーリヒ・ケストナー/著 、池内紀/訳『飛ぶ教室』
●夏目漱石『こころ』
●太宰治『人間失格』
●星新一『宇宙のあいさつ』

【ラインナップ】――既読および気になった作品のみ挙げておきます。

「愛する本」
川端康成『伊豆の踊子』、深田久弥『日本百名山』、
谷崎潤一郎『痴人の愛』、宮本輝『錦繍』、
シェイクスピア 、中野好夫/訳『ロミオとジュリエット』、
夏目漱石『夢十夜』、宮沢賢治『新編 銀河鉄道の夜』、
三島由紀夫『金閣寺』、赤川次郎・他『吾輩も猫である』

「シビレル本」
カミュ 、窪田啓作/訳『異邦人』、
スティーヴン・キング/著 、山田順子/訳『スタンド・バイ・ミー』、
沢木耕太郎『深夜特急1』、村上春樹『螢・納屋を焼く・その他の短編』、
司馬遼太郎『燃えよ剣(上下)』、星新一『宇宙のあいさつ』、
夏目漱石『こころ』、ヘミングウェイ、高見浩/訳『老人と海』、
ガブリエル・ガルシア=マルケス/著 、鼓直/訳『百年の孤独』

「考える本」
太宰治『人間失格』、河合隼雄『こころの処方箋』、
遠藤周作『海と毒薬』、
ドストエフスキー/著 、工藤精一郎/訳『罪と罰』、
ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』、
ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2』、
ヘッセ/著 、高橋健二/訳『車輪の下』、
サイモン・シン/著 、青木薫/訳『フェルマーの最終定理』、
土井善晴『一汁一菜でよいという提案』
レイチェル・カーソン/著 、上遠恵子/訳『センス・オブ・ワンダー』、
コナン・ドイル/著 、延原謙/訳『シャーロック・ホームズの冒険』、
芥川龍之介『羅生門・鼻』、
ゲーテ/著 、高橋義孝/訳『若きウェルテルの悩み』

「ヤバイ本」
中島敦『李陵・山月記』、H・P・ラヴクラフト/著 、南條竹則/編訳
『アウトサイダー―クトゥルー神話傑作選―』、
フランツ・カフカ/著 、高橋義孝/訳『変身』、宮部みゆき『火車』、
星新一『ボッコちゃん』、安部公房『砂の女』、
ルイス・キャロル/著 、金子國義/絵 、矢川澄子/訳
『不思議の国のアリス』、西村賢太『苦役列車』、
ロバート・L・スティーヴンソン/著 、田口俊樹/訳『ジキルとハイド』、
梶井基次郎『檸檬』、江戸川乱歩『江戸川乱歩傑作選』

「泣ける本」
エーリヒ・ケストナー/著 、池内紀/訳『飛ぶ教室』、
吉本ばなな『キッチン』、三浦綾子『塩狩峠』
小川洋子『博士の愛した数式』、
サン=テグジュペリ/著 、河野万里子/訳『星の王子さま』

――といったところでしょうか。
既読は他社版も含めて32点ぐらいです。


 ●小川洋子『博士(はかせ)の愛した数式』

で、今回は、小川洋子さんの『博士の愛した数式』を取り上げます。

★「新潮文庫の100冊 2024」フェア――
小川洋子『博士の愛した数式』新潮文庫 2005/11/26



 《ぼくの記憶は80分しかもたない――
  あまりに悲しく暖かい奇跡の愛の物語。
  [ぼくの記憶は80分しかもたない]博士の背広の袖には、
  そう書かれた古びたメモが留められていた──
  記憶力を失った博士にとって、私は常に“新しい”家政婦。
  博士は“初対面”の私に、靴のサイズや誕生日を尋ねた。
  数字が博士の言葉だった。やがて私の10歳の息子が加わり、
  ぎこちない日々は驚きと歓びに満ちたものに変わった。
  あまりに悲しく暖かい、奇跡の愛の物語。第1回本屋大賞受賞。》

いやあ、本当に、この言葉のままといってもいいでしょうね。
《悲しく暖かい、奇跡の愛の物語》です。

母子家庭の30前の派遣家政婦さんとその10歳の息子さんと、
派遣先の64歳の記憶に障害のある男性との三人の“友情”の物語です。

「泣ける本」に分類されていますが、ちょっと違うように思います。
何でも「泣ける」という形容詞でごまかすべきではない、と考えます。

これは「記憶」というもの「人間の存在」というものと、
三人のあいだに紡がれる友情について考えさせる物語です。


 ●ストーリー

過去に9人の派遣された家政婦さんたちが次々と辞めてしまった
という問題のお客様が、博士でした。
大学の数論の教師でしたが、17年前の交通事故で記憶に障害が発生し、
未亡人の義理の姉の住む家の離れに一人住んでいる。

義理の姉の話によると、

 《頭の中に八十分のビデオテープが一本しかセットできない状態》p.11

で、それを上書き使用する状況……。

今日挨拶をしても明日にはまた初めての出会いになるといい、
会わせてももらえません。

初めて会ったとき、いきなり君の靴のサイズは? と聞かれ、
「24」と答えると、「潔い数字だ、4の階乗だ」(p.13)と。
「カイジョウとは何でしょうか」と問うと、
「1から4までの自然数を全部掛け合わせると24になる」と。

すべてこういう調子で話が進んでいきます。

言葉の代わりに数字を、それが

 《他人と交流するために彼が編み出した方法だった。》p.14

それが相手と握手するために差し出す手であり、
自分の身を保護するためのオーバーだったのです。

誰も脱がすことができないもので、
とりあえず自分の居場所を確保する手段だったのです。

数学が二人の間を取り持つ言葉となり、
瞬間瞬間に生きる博士と「私」との
人間同士としての心の交流へと進んでゆきます。

博士は家にいるときも外出するときも、背広にネクタイのスーツ姿。
昔は美男子だったと思わせる面影が残り、

 《彫りの深い顔つきには心惹かれる陰影があった。》p.16

しかしその背広には、多くのメモがクリップで留められています。
一番古そうなメモは、唯一「私」に読み取れるもので、

 《僕の記憶は80分しかもたない》p.21

とありました。

あるとき、家政婦の「私」に10歳の息子がいると知った博士は、
「これはいかん」と、自分の夕食を作る「私」に
「明日からは学校が終わると直接ここへ来て宿題をし、一緒に食事を」
といい、《新しい家政婦さん》のメモに、
《と、その息子10歳》と書き加えます。

 《本当に私が警戒心を解き、博士を信用するようになったのは、
  博士と息子が出会った、最初の瞬間からだった。》pp.43-44

そして、次の冒頭の一節に帰ってきます。

 《彼のことを、私と息子は博士と呼んだ。そして博士は息子を、
  ルートと呼んだ。息子の頭のてっぺんが、
  ルート記号のように平らだったからだ。/
  「おお、なかなかこれは、賢い心が詰まっていそうだ」》p.6

初めて会ったその瞬間に、彼はルートを抱擁するのです。

 《その両腕には、目の前にいるか弱い者をかばおうとする、
  いたわりがあふれていた。》p.44

そんな息子の姿を見てしあわせに感じ、自分もまた
そのように博士に迎えられたい、という気にさえなる「私」でした。

なぜなら、息子は「私」が高校生の時に出会った大学生の子で、
妊娠を知ると逃げてしまったという無責任男が父親だったからで、
「私」も母子家庭の娘で、母親は男と出て行ってしまい、
息子は孫としても幸せな時間を過ごすことが少なかったからでした。


 ●博士という人

博士には、意外な趣味や好みがあるようで、
だんだんと明るみに出てきます。

一つは野球カードを集めていたこと。
阪神タイガースの江夏投手の大ファンだったようで、
理由の一つは「28」という数字にあったようです。

「完全数」だそうで、

「私」 《「28の約数を足すと、28になるんです」》p.62

「博士」《「完全の意味を真に体現する、貴重な数字だよ」》p.63

 《「完全数は連続した自然数の和で表すことができる」》p.71

28=1+2+3+4+5+6+7


ルートは阪神タイガースのファンで、
阪神タイガースが町にやって来るというので、
「私」はチケットを手に入れ、三人で試合を見に行くことにします。

ルートがねだるので売り子さんからジュースを買おうとすると、
博士が「いかん」と止めます。

 《「ジュースを買うのならば、あのお嬢さんからにしなさい」》p.141

 《「あちらのお嬢さんが、一番可愛らしいからです」/
  博士の審美眼は間違っていなかった。ざっと見回したところ、
  彼女が一番美人で、一番感じのいい笑顔を振りまいていた。》
pp.141-142

彼女が近づいてくると、博士が「はいっ」と勢いよく手を挙げ、
ルートにジュースを買ってくれます。
それだけではなく、頼んでもいないのに、
ポップコーンやアイスクリームまで買ってくれたのです。

博士が球場のジュース売りのお姉さんに恋したエピソード、でした。


また博士は、不意に目の前に現れ、腕を組み、
じっと食事の用意をする「私」を見つめています。

 《「君が料理を作っている姿が好きなんだ」》

というのです。

「私」は、息子のルートが小さかった頃、
雇い主にいじめられて泣いていたときに慰めてくれた言葉

 《「ママは美人だから大丈夫だよ」》p.84

にもあるように、どうやら美人らしいのです。

博士という人は案外、……なようです。


 ●友達

阪神戦の観戦の夜、博士は熱を出し、
義姉から母屋には出入りするなと言われていた「私」は、
一晩つきっきりで看病します。

ところが、これが悪くとられ、クビになります。

さらに、ルートはお友達になっていた博士のもとを勝手に訪れ、
それがまた悪く取られます。

 《「どうして辞めた家政婦さんの子供が、
   義弟のところにやって来る必要があるのでしょうか?」》p.183

義弟を丸め込んでお金を取ろうとしている、というのです。

さすがに「私」は反論します。

 《「友だちだからじゃありませんか」/私は言った。/
  「友だちの家に、遊びに来てはいけないんですか」/
  「誰と誰が友だちというのですか?」/
  「私と息子と、博士がです」》p.186

 《「義弟に友人などおりません。一度だって友人が訪ねてきた
   例(ため)しなどないのです」/
  「ならば、私とルートが最初の友だちです」/
  不意に博士が立ち上がった。/
  「いかん。子供をいじめてはいかん」》p.187

そう言うと博士はポケットからメモ用紙を取り出し、数式を一つ書いて、
席を立ちます。

 《あらかじめ、そうすべきことが決まっていたかのような、
  毅然とした態度だった。そこには怒りも混乱もなく、
  ただ静寂だけが彼を包んでいた。》p.187

 《もう誰も余計な口をきかなかった。(略)彼女の瞳から少しずつ
  動揺や冷淡さや疑いが消えていくのが分かった。
  数式の美しさを正しく理解している人の目だと思った。》p.188

こうしてまた「私」は博士宅の家政婦に戻ります。
理由は定かではないままでした。

「私」はこの数式について町の図書館で調べます。
偶然目を惹いたフェルマーの最終定理の本に、この数式を見いだします。

では、なぜ博士はあのときこの公式を書き付けたのか?

 《ただ一つ間違いないのは、彼の一番の心配はルートであった、
  ということだ。自分のせいで母親たちが争っているとルートが
  思い込んでしまわないか、怖れていた。だからこそ彼独自の、
  自分にできる唯一の方法で、ルートを救い出した。/
  今振り返っても、博士が幼い者に向けた愛情の純粋さには、
  言葉を失う。それはオイラーの公式が不変であるのと同じくらい、
  永遠の真実であった。》pp.199-200


 ●ルートの11歳の誕生日と博士の一等賞お祝いパーティー

季節は巡り、いつしか博士の記憶のタイマーが狂い出します。

博士が何日も苦しんで解いた数学雑誌の懸賞問題で一等賞を取ったとき、
「私」とルートが喜びたいので、お祝いをしようと提案します。
9月11日のルートの11歳の誕生日と一緒に、というと、
やっと関心を示します。

11に対して、

 《「美しい素数だ。素数の中でもことさらに美しい素数だ。
  しかも村山の背番号だ。素晴らしいじゃないか、君」》p.238

博士へのプレゼントとして江夏の野球カードを、と二人で決めたものの
たいていはすでに博士の持っているものでした。

 《「途中止(や)めしたら、絶対正解にはたどり着けないんだよ」/
  それがルートの意見だった。》p.250

やっと見つけたカードは、限定版の江夏のカード。

そして、パーティーの最中にちょっとしたトラブルが起きます。
博士の記憶が“時間切れ”となりますが、貼ってあったメモのお陰で、
なんとかパーティーを続けることができました。

ルートは、少年野球用の本格的なグローブを貰います。
それは未亡人の義姉が博士の希望を聞いて買ってきてくれたものでした。


 ●記憶と記録

最後まで紹介するのはやめておきましょう。
ここまででもいくつかのエピソードを省いてはいますけれど。

はっきりしたことはわかりませんが、
未亡人の義姉と博士のあいだには、
どうもある秘密が隠されているようです。

それもおもしろい謎ではありますが、
ここまでではっきりしていることは、
とにかく博士と「私」とルートのあいだに、ある友情が育まれたこと、
特に博士が子供に対して抱いている優しさというものが、
非常に心に残る作品でありました。

この三人の交流はまさに「奇蹟」の一つだったのかも知れません。


 《私たち三人にとって、夕方は貴重な時間帯だった。
  朝、初対面の者同士として出会ってから、
  わずかでも博士の緊張が和らぎだし、そしてルートが帰ってきて
  無邪気な声を振りまくのが、夕方だったからだ。》p.96

 《私とルートは決して、「その話はもう聞きました」と言わないよう、
  固く約束し合った。江夏について嘘をつくのと同じくらい、
  大事な約束だった。たとえどんなに聞き飽きていても、
  誠意を持って耳を傾ける努力をした。こんな幼稚な私たちを
  数論学者のように扱ってくれる博士の努力に、ルートと私は
  報いる必要があったし、なにより彼を混乱させたくなかった。
  どんな種類であれ混乱は、博士に悲しみをもたらした。私たちさえ
  黙っていれば、博士は失ったものの存在について知ることもなく、
  何も失っていないのと同じになるのだ。そう考えると、
  「その話はもう聞きました」と言わないでいるくらい、
  たやすく守れる約束だった。》p.96


このお話には、数学的な美しさといったものと同様に、
人の心の美しさというものも描かれているように思いました。

人を思う気持ちというものは、何物にも代えがたいものであり、
それはたとえ人の記憶が失われたとしても、
永遠に続き、残るものなのではないでしょうか。

そして大事なことは、記録するという行為です。
ちょっとしたメモでもいい、何かしら書いたものを残しておく。
それをたどることで、記憶が甦ってきたり、
何かしら印象が残っていることに気付く。

そういうことが大きく言えば、人類の遺産となるのでしょう。

そんなこんなを考えさせられたお話でした。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2024から(3)新潮文庫・小川洋子『博士の愛した数式』」と題して、今回も全文転載紹介です。

当初図書館本で済ますつもりでしたが、あまりに気になる部分が多く、抜き書きしておくのも大変で、本屋さんで買ってしまいました。
今年は、角川文庫の『ナミヤ雑貨店の奇蹟』も買った本なのですけれど。

通常は、昔買った本を再利用したり、図書館本で済ますことが多いですね。
でも、最近は新たな作家さんを開拓しようと、その年のフェア本で初めて登場したような作品を買うことがあります。

今年一番気になった本は、やっぱりよく売れているという、ガブリエル・ガルシア=マルケス/著、鼓直/訳『百年の孤独』ですね。
これを取り上げて見ようかと思ったのですが、ちょうど売り切れていたりして……。

新潮文庫は、フェアの本を買うと、「ステンドグラスしおり」というのを一冊につき一枚もらえるそうで、書棚をバックにしたものを選びいただいてきました。
思えばこういう経験は初めてでしたね。
たまにはいいものですね。


よその文庫を買ったときにはそういう「必ずもらえる」というものがなかったのか、もらったことがないですね。
フェアの冊子だけは必ずもらうようにしているのですけれどね。

 ・・・

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(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
<夏の文庫>フェア2024から(3)新潮文庫・小川洋子『博士の愛した数式』-楽しい読書372号
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