レフティやすおの新しい生活を始めよう!

50歳からが人生の第二段階、中年の始まりです。より良き老後のために良き習慣を身に付けて新しい生活を始めましょう。

私の読書論176-読書週間に関する新聞記事から思ったこと-楽しい読書354号

2023-11-16 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年11月15日号(No.354)
「私の読書論176-読書週間に関する新聞記事から思ったこと」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年11月15日号(No.354)
「私の読書論176-読書週間に関する新聞記事から思ったこと」
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 先日、新聞に<読書週間>に関する記事が出ていました。
 11月3日の「文化の日」をはさんで、
 10月27日から2週間(9日まで)だそうです。

 産経新聞で見た記事をもとに、思うところを書いてみます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 - <読書週間>は読書習慣を付ける機会に -

  ~ より良い人生のために ~

  「本を読むから偉い」のでなく「本を読んだから偉くなれた」!? 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●月0冊が半数

2023年11月5日の産経新聞で見た記事によりますと、

活字離れ、月0冊が半数…本探しの一助に「選書サービス」
https://www.sankei.com/article/20231105-SFM3YMKRGJJZBD4YLJFOCSVJWY/


(画像:2023年11月5日産経新聞記事 活字離れ、月0冊が半数…本探しの一助に「選書サービス」より あなたは一ヶ月に何冊程度本を読みますか グラフ)

 半数の人が月に一冊も読まないというのです。

《9日までの読書週間も残りわずか。
 「秋といえば…」の代表格は「読書」だったが、
 活字離れがさけばれて久しく、あるアンケートでは、
 1カ月間に全く本を読まないとする回答が半数近くを占めた。
 原因の一つは「読みたい本が分からない」こと。
 そんな状況を変え、活字離れに歯止めをかけようと、
 編集者や書店員といった本の「プロ」がお勧めを紹介するなどの
 「選書サービス」がインターネット上で展開されている。》

というのですけれど……。

記事冒頭にもありましたように、
《「秋といえば…」の代表格は「読書」だった》のですが、
昨今では色々な娯楽や時間を潰す遊びも多く、情報源としても、
パソコンやスマホを使ったネットのSNSや動画サービスなども増え、
「本」に頼らなくても良い状況になっています。

そうはいっても、まとまった内容の知識を入手しようと思ったら、
本による方が安定した結果をえられるもの、と考えますけれど、ね。


 ●系統だった情報を入手する方法としては本が上では?

迅速かつ断片的な情報で良いのなら、ネット検索等で得られるものが、
手っ取り早いと思います。

ただ、じっくりと取り組むつもりなら、本による情報の方が、
自分の程度に合わせることもできますし、都合がいいはずです。

自分に合うレベルの情報をネットで探す方が、かえって時間がかかり、
結果的に内容理解までにかかる総時間数では
かなり不利になるのではないでしょうか。

系統だった知識を入手する方法としては、まとまった本による方が
結果的に速くかつ的確なものを得られるでしょう。


 ●「読書週間」と読書習慣

「読書週間」は、

《もともとは読書の力で平和な国家をつくろうと、
 先の大戦後まもなく始まった運動だった。
 文化の日を中心とした2週間は読書週間として定着し、
 読書の習慣をつける一助となってきた。
 しかし、現在、人々の読書に対する姿勢は様変わりしているようだ。》

といいます。

戦争に負けた?――戦争に至った?のは、文化の力の差だ、
という認識だったと記憶しています。

読書によって、物事を考える力を養おうというもの。

読書は習慣化することで身につけられるという考えで、
この「週間」をそのきっかけにしてほしい、ということだったのです。


 ●「本を読むから偉い」のでなく「本を読んだから偉くなれた」

読書について一言言いますと、勘違いしてはいけないこととして、
「本を読むから偉い」のでない、ということ。

ショウペンハウエル(昨今ではショーペンハウアーと表記するようです)
の『読書について』という名著があります。

岩波文庫他いくつかの訳書が出ています。
(私の手持ちの岩波文庫は1960年第一刷、1976年第18刷)



・『読書について 他二篇』ショウペンハウエル 斎藤忍随/訳 岩波文庫
改版 1983/7/1

・『読書について』アルトゥール・ショーペンハウアー 鈴木 芳子/訳
光文社古典新訳文庫 2013/5/14


そこにある有名な言葉――

 《読書は、他人にものを考えてもらうことである。》p.91
   ショウペンハウエル「読書について」
   (『読書について 他二篇』斎藤忍随/訳 岩波文庫)


同書収録の「思索」には、

 《読書は自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。》p.9

ともあります。

要するに、本を読むだけではダメで、
その上で自分なりに思索することで、
初めて自分の思想というものが生まれてくる。

それでこそ、読書の意義があるということなのです。

すなわち「本を読むから偉い」のでなく
「本を読んだから偉くなれた」というのが正しい理屈です。

これは一般人にも当てはまることだ、といいます。

 《作品は著者の精神のエキスである。(略)
  普通の人間の書いたものでも、結構読む価値があり、
  おもしろくて為になるという場合もある。
  まさしくそれが彼のエキスであり、
  彼の全思索、全研究の結果実ったものであるからだ。》p.99
   「読書について」

とも書いています。

私のような普通の人間の場合も同様であることを願っています。
私なりに考えた上で書いている文章ですので、
それなりに読む価値があるのでは、と。


そういう思索につながるものが本来の読書という行為です。


 ●「読む時間が確保できない」

さて、先の新聞記事の話題に戻って――

月に一冊も読まない、というのは、
やっぱり本好き、読書好きの私としては寂しいものがあります。

私自身、仕事で忙しかった時期でも月に一冊は読んでいたものでした。
本を読むことが私の心の安らぎでもあり、
“前進”感(物事を前に進めているという実感)
を抱かせるものでもありました。

読まない理由の最も多かったのは「読む時間が確保できない」、
3番目に多かったのが「読みたい本がない」だそうです。

時間に関しては、これは何事においても言われることですが、
要するに気持ちの問題ですね。
要はやる気があるかないか、です。
切実な理由があれば人はやるものなのです。
そういう切実な理由がない、ということでしょう。

もう一つは、先ほどもいった習慣化しているかどうか。
朝起きて顔を洗うとか、夜寝る前に歯を磨くとかと同じで、
一日に一度は本を開かないと落ち着かない、といったものです。

昨今、小学校では朝読という時間を作って、
子供たちに読書の習慣を付けようとしてきました。
小学生ではそれが一応の成果を出しているようです。
しかし、それが上の学年になるにつれて、失われてしまっている。

その辺の事情が、他の活動や遊びの時間の増加というところに、
原因があるというのでしょう。

しかし、実際には必要性の問題があるのではないか、と考えられます。
必要性を感じさせないので辞めてしまうということ。

勉強したい、研究したいという欲求があれば、
本を読むという行動につながると思うのです。

そういう目標を持たせるものがあるかどうかではないでしょうか。

○○を究める、というものですね。

イチローさんや大谷さんも、
若い頃に目指すべきものを見つけるということが大事だ、
とおっしゃっていますよね。

そういう目標のために本を読んで勉強する、という形ですね。
これなら、時間がない、などという気持ちにはなりませんよね。


 ●「読みたい本がない」について

次に「読みたい本がない」についていいますと、
先ほども書きましたように、自分の求めるものがあれば、
こういう現象は起きません。
よく言われるように、一冊の本から芋づる式に
次はこれその後にあれというふうに、
読むべき本、読みたい本が出て来るものです。

そういう目標を持たない人には、自分の好みにあわせて、
自分なりにガイド本を当たってみる、という方法があります。

自分の好みすら分からない、という人には、
最近、話題が出ている選書サービスというものがあります。

「フライヤー」というのは、ビジネス本、自己啓発本などを
その道の専門家(経営者や出版業界関係者、大学教授など)が紹介する
というもの。

あるいは、書店員やさまざまな経歴を持つ選書のプロが選ぶというもの。

というふうに色々な取り組みがあるそうです。

ただ思うのですが、基本的に本を読もうという意思がなければ、
このような選書サービスも心に引っかからないでしょう。

要は、いかに興味を湧かせるか、ということでしょうか。

いくら種をまいても、条件が整わなければ、芽は出ないわけです。
しかし条件だけ整えても、肝心の種がなければ……、というところです。


 ●書店の新形態――無人の店舗、コンビニ併設

最近テレビの情報番組でも、取り上げていましたが、
近年、急速に減っている書店について、新たな形態の書店が現れました。

この新聞記事にも出ていました。

無人の店舗だったり、コンビニに併設されているものだったり。

人件費が一番のネックという意味では無人店舗は、
これからの商業施設での必須条件になるかもしれません。
ただ、物を買うという行為での楽しみの一つに、
店員さんとのやりとりというものもあると思います。
そういう意味ではちょっと寂しいですよね。


コンビニとの併設なども、昔からあります。
他の物品販売業と協業するというパターンですね。

それは前回も書いたかと思いますが、悪くはないのですが、
あまり大きな変化は期待できません。

絶対的な救世主にはなり得ない気がしています。


 ●本屋さんの生き残りに期待

とにかく、本屋さんがなくなるというのが一番の悲劇だと思っています。
何らかの形で残って欲しい、という強い願望があります。

ふらりと入った本屋さんであれこれ見ることで、
「あっ、こんな本が出てる!」という偶然の出会いがあります。

それが本好きにとっての一番の至福の時間かもしれません。

私は、本屋さんにいるときが一番楽しい時です。
図書館も楽しみですが、本屋さんの方が、より新しい顔を見られる、
という点で楽しみが大です。

今の私があるのは、ひとえに本屋さんあればこそ、と思っています。
私の人生の一番の友、それが本で、その友との出会いの場が本屋さん、
なんです。

最近読んだ本に著者が「謝辞」のなかで
書店員さんにお礼を述べる文章がありました。

 《書店員の方々にお礼を申しあげたい。
  みなさんは読者の手に本を届けるというすばらしい仕事に従事され、
  この一年、信じられないほどの困難に直面しながらもその仕事を
  つづけてくださった。本と読書に対するみなさんの尽きることのない
  情熱と献身、そして<自由研究には向かない殺人シリーズ>の成功に
  おいて計り知れないほど大きな役割を果たしてくださったことに、
  心の底から感謝申しあげる。》

   ホリー・ジャクソン『卒業生には向かない真実』服部京子/訳
    創元推理文庫 2023/7/18


コロナ禍の感染拡大期には、
書店も一部では休業するところもありました。

地方の書店のみならず、都会の書店でも店舗の賃貸料の値上げ等で、
店をたたむところが増えています。

私は、書店・本屋さんは、地域の文化の担い手だと考えています。

がんばれ本屋さん!

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本誌では、「私の読書論176-読書週間に関する新聞記事から思ったこと」と題して、今回も全文転載紹介です。

今回は「読書週間」という読書の習慣を付けましょうという、年間行事に関連した新聞記事から感じること、思ったことを書いています。

私にとっては、読書=人生みたいなものがあり、月に一冊も本を読まないという人がいることが考えられない、というのが本当のところです。

そうはいいましても、私も子供の頃は必ずしもそういう人間ではありませんでした。
私が本を読む日々を過ごすようになったのは、中学3年の三学期が始まるお正月以降のことでした。
それまでは時に娯楽として本を読む時期があるという程度で、毎週漫画雑誌を読むことはあっても、毎日のように書籍を読むということはありませんでした。

そういう人間からみて、どうすれば本を読む習慣を身につけられるか、という観点から少し書いています。

どうでしたでしょうか。

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

『レフティやすおのお茶でっせ』
〈メルマガ「楽しい読書」〉カテゴリ

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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載

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楽器における左利きの世界(16)鍵盤ハーモニカの世界(2)-週刊ヒッキイ第652号

2023-11-06 | 左利き
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』【別冊 編集後記】

第652号(No.652) 2023/11/4
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(16)
 左利きの知らない 鍵盤ハーモニカの世界(2)」



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◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン

  右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
  左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
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第652号(No.652) 2023/11/4
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(16)
 左利きの知らない 鍵盤ハーモニカの世界(2)」
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 9月以来の「楽器における左利きの世界」です。

 9月は「左利きの知らない 鍵盤ハーモニカの世界」でした。
 左用の<鍵盤ハーモニカからピアノへ>の展開を考えて、
 鍵盤ハーモニカについて勉強してみました。
 いくつか思うところが見つかりました。
 それをどう具体的なものに変えてゆくか、という点がまだ不明です。

 まずは、過去のメルマガで左利きと鍵盤ハーモニカ始め楽器を
 どう扱ってきたのか、その辺を振り返ってみたいと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ◆ <めざせ!実現!!左用ピアノ!!!>プロジェクト ◆
 {左利きの知らない 鍵盤ハーモニカの世界}(2)

- 人のためにあるのが「作法」 -
  過去の弊誌の音楽・楽器関連記事から
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●弊誌の音楽・楽器関連号

まずは最近のものから、2018年には
 <【左手・左利き用品を考える】右用と左用の違い(19) 楽器編>
があります。

--
第512号(No.512) 2018/2/17「【左手・左利き用品を考える】
右用と左用の違い(19) 楽器編(1)バイオリン」
バイオリン―右手用と左手用との違い
 ●楽器とカメラ
 ●利き手で行うべき心の作用
 ●楽器には左用がない
 ●左利き用バイオリン
 ●純丘曜彰さんの左利きバイオリンに関する意見
 ●「RISAバイオリン教室」の瀧澤理紗さんの意見
 ●左利き用のバイオリンが普及しない理由
 ●利き手を無視して教えてきた楽器
 ●プロ野球の王選手も鳥谷選手も転向派
 ●自分の持って生まれた特質を活かす
 ●<楽器は心につながる利き手で演奏する>

第514号(No.514) 2018/3/17「【左手・左利き用品を考える】
右用と左用の違い(20) 楽器編(2)カスタネット」
最初に出会う楽器―カスタネット
 ●最初に出会う楽器
 ●「正しい」? 楽器の叩き方
 ●既定の枠にこだわらないクリエイティブなやり方
 ●いつも変らぬ結論
--
私の持論――
「利き手は心につながっている」
のですから、

楽器の演奏も心の表現であるかぎり、
利き手主役で行うべきことです。

おんがく(音楽)は、「音学」ではなく、
「音を楽しむ」と書きます。

楽器の演奏も、辛いだけの“訓練”や“勉強”ではなく、
“楽しめるもの”であるべきでしょう。

そのためにも、楽器メーカーさんは
利き手に対応した楽器を用意して欲しいものです。
--

第516号(No.516) 2018/4/21「【左手・左利き用品を考える】
右用と左用の違い(21) 楽器編(3)リコーダー」
学校で出会う楽器―リコーダー
 ●鍵盤ハーモニカ
 ●リコーダーは左右平等?
 ●リコーダーの正しい持ち方
 ●左用リコーダー
 ●片手リコーダー
 ●両用リコーダーの試み

第518号(No.518) 2018/5/19「【左手・左利き用品を考える】
右用と左用の違い(22) 楽器編(4)鍵盤ハーモニカ・前編」
学校で出会う楽器―鍵盤ハーモニカ・前編
 ●なぜ鍵盤ハーモニカを習うのか
 ●ピアノ演奏と左利きの苦悩
--
ガボちゃんのブログの3月30日の記事
「楽器の利き側の話を読むと思う事」
https://plaza.rakuten.co.jp/gabochan2007/diary/201803300000/

に紹介されていた
《学校では教えてくれない、音楽のことを書いてい》る
ブログ『ブー先生の音楽教室』の3月28日の記事

「左利きとピアノ演奏」
http://boosensei.hatenablog.com/entry/left-handed-play-piano-lesson

 《ピアノの楽譜は大体が2段で出来ていて、
  大抵の場合は右手がメインのメロディー、
  左手はサブ的存在の伴奏を担当しています。》

 《たとえ上級になっても、左手のための曲や、
  左手で弾く指示が無い場合、
  楽譜は「上段が右手」「下段が左手」が普通なんですよね。》

上段が右手担当で、下段が左手担当らしいのですが、

 《右利きの自分からしたら考えたことも無かったのですが、
  左利きの人は「メインが左・サブが右」
  が当たり前の生活をしているのに、
  ピアノを弾くときだけ逆にしろ
  っていうのは難しい話なわけで…。

  ピアノの「右手メイン」に違和感を感じてしまうのも
  当然でしょう。》
--
 ●縦書き右開き本と横書き左開き本の違い
 ●ピアノも左利き仕様と共存へ
 ●左用ピアノと心の表現としての音楽
 ●ピアノと鍵盤ハーモニカとの左用の可能性

第520号(No.520) 2018/6/16「【左手・左利き用品を考える】
右用と左用の違い(23) 楽器編(5)鍵盤ハーモニカ・後編」
学校で出会う楽器―鍵盤ハーモニカ・後編
 ●鍵盤ハーモニカと左利き
--
事業機関「鍵盤ハーモニカ研究所」の運営する
鍵盤ハーモニカ情報サイト
「鍵盤ハーモニカ奏者ピアノニマス公式ブログ」の記事
「左利き用の鍵盤ハーモニカについて」
http://www.pianonymous.com/entry/2014/08/19/%E5%B7%A6%E5%88%A9%E3%81%8D%E7%94%A8%E3%81%AE%E9%8D%B5%E7%9B%A4%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%82%AB%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
■対策1:ホースを延長して、反対側まで伸ばす。
■対策2:右手を鍛えるための試練とおもって頑張る
■対策3:もういっそのこと私と同じスタイルで弾こうよ!
 《…以上、あまり解決に導けなくて申し訳ない。》
 《※追記 2014/09/04
  左利き用の鍵盤ハーモニカについて
  スズキ楽器製作所へ直接問い合わせを行った。
  結論からいうと、
  現状どのメーカーも製造は一切していないようだ。
  というのも左利き用のパーツを製造するには
  倍以上のコストがかかり、
  作りたくてもどこも作れない状況とのこと。
  うちのサイトにきてくれた左利きの皆様、
  有力な情報が提供できずすみません。》
 ●相談サイトでは……
 ●「ちょっと」だからこそ簡単!?
--
身体に服を合わせるのが、普通の考え方です。
服に身体を合わせるなんて、あり得ない! のでは?
手や腕は、右と左の二つしかありません。
単純に考えれば、
右用があれば、左用があっていいのではないでしょうか。
作っても二つだけです。
利用者全体の総数が違う、というかもしれませんが、
だからといって、多数決で決める必要はありません。
洋服のサイズを多数決で決められても困るでしょう。
...
結局は、心がけの問題ではないでしょうか。

発想の問題。

一人でも多くの人に音楽を楽しんでもらいたい、
と考えるかどうか。

心の優しさ、思いやりの問題とも言えそうです。
--
 ●左右平等の思想で……
--
右利きが多数派だから「右へならえ」せよ、
ではなくて、
左右平等で考えてほしいものです。

人は、みんなやっぱり人なのです。
心もあれば、それぞれに痛みも感じるのです。

「自分だけがしあわせであれば良い」
なんて、誰も思いませんよね。

「みんながしあわせになれる」
そういう社会にかえてゆきましょう

まずは楽器から、始めてみませんか?
--

第522号(No.522) 2018/7/21「【左手・左利き用品を考える】
右用と左用の違い(24) 楽器編(6) 最終回まとめ編」
―最終回まとめ編
 ●心と身体の能力
 ●自分がされてうれしいことを他人にする
 ●楽器も学用品
 ●演奏方法と利き手
 ●右尊左卑を改めよう
 ●やる気があるかどうか、やる気になるかどうか
 ●上に立つ人の考え方と疑問に思う想像力
 ●左用の楽器の有無
--

「右用と左用の違い 楽器編」は、以上です。

第520号(No.520) 2018/6/16「【左手・左利き用品を考える】
右用と左用の違い(23) 楽器編(5)鍵盤ハーモニカ・後編」

で、《事業機関「鍵盤ハーモニカ研究所」の運営する
鍵盤ハーモニカ情報サイト
「鍵盤ハーモニカ奏者ピアノニマス公式ブログ」の記事
「左利き用の鍵盤ハーモニカについて」》
を紹介しています。

これは、前回の「鍵盤ハーモニカの世界(1)」で紹介しました、
『鍵盤ハーモニカの本』の著者・南川朱生(ピアノニマス)さんの
記事でした。
鍵盤ハーモニカの専門家なので、それについて検索すれば、
この出会いは偶然ではなく当然のこと、だったようです。

こんな風に色々と考えてきたわけですが、
基本的に私の姿勢は変わっていないと思います。

「左利きには左利きの楽器が必要だ」という考え方です。
なぜなら、それが利き手というものの性質だから、です。


 ●「左利き講座<左利きQ&A>」

その十年前、2007~2008年には、
「左利き講座<左利きQ&A>」のなかで、【左利き用の楽器】や
「左利きに有利な楽器」という問いについての文章を書いていました。

--
第127号(No.127) 2008/4/5 
  「<左利きQ&A>(17)左利き用品って?《3》」
  ☆【左利き用の楽器】☆彡 
  ――――――――――――

・第84号(No.84) 2007/6/2「<左利きQ&A>(8)左利きと音楽」
「左利き講座<左利きQ&A>/(8)左利きと音楽―序の口」
 
「左利きと音楽」と題して、左利き用の楽器を調べてみました。

●左利き用ギター
 これは単純に弦を張り替えるだけでは、
 必ずしも左利き用にはならない、
 やはり専用のギターを購入すべきだそうです。


(画像:左利き用と右利き用の違い それぞれフェンダー・ストラトキャスター、ギブソン・レスポール(「エレキギター博士/左利き用(レフティ)エレキギターについて」https://guitar-hakase.com/lefty/より無断拝借))

●左利き用ピアノ
 「左側が高音、右側が低音」と従来のものとは逆の構造で、
 右利きの人同様に利き手(左手)でメロディラインが弾け、
 伴奏には非利き手(右手)を使える、という。


(画像:左利きピアニストで、自分で左利き用ピアノを作り演奏しているクリストファー・シード(Christopher Seed)さん)

●左利き用バイオリン
 「全てを左右逆に作ってある特注品」を使っている人がいる。

しかし、幸いなことに、
左利き用バイオリンを市販する会社も出てきました。
前回「左利き用品って?《2》」(第122号)で紹介しました。

2007.09.07 左利き用バイオリン
http://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2007/09/post_3896.html
「e-String」というネット通販サイトで販売
トップページ > 楽器 > ・ 左利き用バイオリン
 楽器 バイオリン 左用
 バイオリン 左利き用 130,000円(税込)


(画像:左利き用バイオリン)

●リコーダー、ホルン
 サイト「クラシックギターのフォーラム」の
 「左利きって?」の質疑応答、
 ギター初心者は右利き用がよいのか左利き用がよいのか、
 のなかで「待雪」氏のコメントより。

「リコーダーには左利き用の楽器が存在していた」
「現在でもリコーダーの一番下の管(足部管)は回転しますが、
 これは左利き右利きを切り替えるため」
「ホルンはベルに突っ込んでいる手の操作が音色や音程にダイレク
 トに影響するので、極めて稀ですが、左利き用(つまり左手をベ
 ルに突っ込む)のホルンというのがある」

さらに探してみれば、
色々な楽器において左利き用が作られているケースがある、
と思われます。


(画像:左利き用(左)と右利き用(右)のフルート(『フルートと音楽の日々』「Aihara 左利き用フルート:Yamano Flute World '14」より))

  ☆ 左利き用の鍵盤ハーモニカ ☆彡 
  ―――――――――――――――――

相談でよく問われるのが、
「左利き用の鍵盤ハーモニカ」の有無です。

・第89号(No.89) 2007/7/7
「<左利きQ&A>(9)鍵盤ハーモニカ」
「左利き講座<左利きQ&A>/(9)左利きと音楽・序二段
―鍵盤ハーモニカ」

どうやら、「鍵盤ハーモニカは右手で使う」というのが、
現状では仕方のないこと、ということに落ち着きそうです。

しかし、左手用鍵盤ハーモニカが現れ、
それを左利きの子供たちが左手で扱うようになれば、
その発展形として、
将来、左利き用ピアノが普及するようになるかもしれません。
--

第97号(No.97) 2007/9/1
「<左利きQ&A>(11)左利きに有利な楽器」

では、音楽人類学の研究者の著作
『楽器からのメッセージ 音と楽器の人類学』西岡信雄/著
 音楽之友社(2000)より「利き手と楽器の右左」の章から紹介。

西岡信雄氏は、利き手との関連で楽器を三種に分類しています。

 1・左右の手の役割が自由に交代できるタイプ…打楽器
 2・どちらか一方の手が演奏を主担するタイプ…金管楽器
 3・両手がつねに演奏に関与するタイプ…木管・弦・鍵盤楽器

1は、「好きなように叩けばよいのであるから
    利き手の左右に有利不利がない」
2は、「逆にこれが明確である」
「トランペットやトロンボーンは右利き、
ホルンは左利きが絶対に有利である。」

ところが、ネットで調べてみますと、ホルンにおいて、
実際に楽器を持ち、機械的なバルブの操作を行うのは左手ですが、
右手には重要な音の調節という役割があることがわかり、
決して左手有利な楽器ではない、というのです。

リコーダーの件も、
フィルドゥング(S. Virdung 1465~?)の音楽教本
『Musica getutscht und ausgezogen』のリコーダーの挿絵を示し、
左右の手のどちらが上でも下でもよかったこと、
楽器もそれに合わせて穴位置が工夫された構造になっていること
(リコーダーの一番下の小指が担当する穴は、
左右両側にあいていて、使わないほうをろうでふさぐ。)
というふうに、昔は左右の手の決まりはなかった、というのです。

次に、「音大生の利き手と楽器アンケート」を紹介しています。

--
「木管楽器に限らず、作法が成立する以前の時代の絵画には
現在から見ると左右逆の例がいくらでもある。」

これらの左右逆転の例は、

「右利き左利きの問題を提起しているというより、
当時は作法がなかったということを伝えているに過ぎない
と思いたい。」

  ☆ 音大生の利き手と楽器アンケート ☆彡 
  ――――――――――――――――――――

「このあたりを解明するためのヒントになれば」

と1993年5月、氏の講義を受講する音大生約200人に
アンケート調査をしたそうです。

3のタイプの楽器に対して

・自分の専攻する楽器に自分の利き手が不利と感じている者 …31%
・自分の専攻する楽器で左手が音楽的により重要な役割を果たしている
 と感じている者  …34%
・現状とは左右逆の作法で演奏できる楽器が存在したらいい
 と願っている者  …7%
・将来左利きの子供が生まれたら
 右利きに矯正したいと思っている者  …61%

この結果に対して、氏は、
「非常に複雑な心理的葛藤が内在していることを示す」
と注釈されています。

「三人に一人が自分の利き手を不利に思い、
 現在の楽器は左手がより重要と感じている」
「一方で現状の作法が変わって欲しくない」
「しかし右利き優位社会を肯定する」
「作法という文化的条件が
 利き手という生理的条件に優先していることを示す」
「器楽の場合、左利きがぎっちょと考えるより、
 作法に対して左右逆であることをぎっちょと考えるほうが
 説明しやすいことを示している」

結語として、詭弁と断りながら、

「現状の作法が全世界的に解体したとしたら、
 左利きの人も右利きの人もその三分の一が
 晴れて今とは逆の作法で演奏することを予言している」
「オーケストラなどはなかなか愉快の光景であろう。」
--

--
本来、人のためにあるのが「作法」であり、
「作法」のために人が「ある」わけではありません。

多数派のための文化から、少数派も無視しない文化へ
と踏み出して欲しいと願っています。
--

というふうに、私は締めています。

 ・・・

今回はあちこちの文章をつぎはぎしたものです。

次回は、
9月に出版された大路直哉さんの著書『左利きの言い分』から、
「第5章 左利きの才人、偉人たち」の音楽家たちについて
思うところを書いてみましょう。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25― 楽器における左利きの世界(16)左利きの知らない 鍵盤ハーモニカの世界(2)」と題して、今回も全紹介です。

といいましても、今回は過去の弊誌の記事をあれこれ継ぎはぎしたような内容になっています。

過去に2007~2008年のものや、2018年のものです。
そんな前から左利き用品の一つとして左用の楽器について考えていたのだと知っていただきたい、という気持ちです。

ハサミを筆頭に生活必需品的な左手・左利き用品に関しては、かなり普及してきました。

そういう状況にあって、楽器は、一番遅れている左利き用品のジャンルの一つだ、と思っています。

しかし、楽器こそ“心”の生活必需品だと思っています。

音楽というのは、いつもいいますが、音を楽しむもの。
心から楽しむためには、心につながっている利き手で、利き手主体で演奏してこそ、心を満たすことができるものだと思います。
演奏する自分自身の心も、演奏を聴く人の心にも、届くようになるのだ、と。

音楽(楽器)こそ利き手で演奏を! と力説したいものです。

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

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『レフティやすおのお茶でっせ』
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
楽器における左利きの世界(15)鍵盤ハーモニカの世界(2)-週刊ヒッキイ第652号
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中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)陶淵明(2)「飲酒二十首 其の五」-楽しい読書353号

2023-11-05 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年10月31日号(No.353)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)陶淵明(2)
「飲酒二十首」から「序」と代表作「其の五」」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年10月31日号(No.353)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)陶淵明(2)
「飲酒二十首」から「序」と代表作「其の五」」
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 「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」25回目は、
 前回に引き続き、陶淵明の第二回です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆ 自然のなかに「真」がある ◆

 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)

  ~ 陶淵明(2) ~
  「飲酒二十首」から「序」と代表作「其の五」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回の参考文献――

『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
「九、達観を目指して――陶淵明の世界」より


 ●飲酒二十首 序

まずは、お酒好きの陶淵明さん、
飲酒についての詩が多く残っているそうで、
連作「飲酒二十首」があります。

その中から、まず「飲酒二十首 序」という連作の序文を。

 ・・・

飲酒二十首 序  飲酒(いんしゆ)二十首(にじつしゆ) 序(じよ)

余閑居寡歓、   余(よ) 閑居(かんきよ)して
          歓(よろこ)び寡(すくな)く、
兼比夜已長。   兼(か)ねて此(このご)ろ夜(よる)
          已(はなは)だ長(なが)し。
偶有名酒、    偶々(たまたま)名酒(めいしゆ)有(あ)り、
無夕不飲。    夕(ゆふべ)として飲(の)まざる無(な)し。
顧影独尽、    影(かげ)を顧(かへり)みて独(ひと)り尽(つく)し、
忽焉復醉。    忽焉(こつえん)として復(ま)た酔(よ)ふ。
既酔之後、    既(すで)に醉(よ)ふの後(のち)は、
輒題数句自娯。  輒(すなは)ち数句(すうく)を題(だい)して
          自(みづか)ら娯(たの)しむ。
紙墨遂多、    紙墨(しぼく) 遂(つひ)に多(おほ)く、
辞無詮次。    辞(じ)に詮次(せんじ)無(な)し。
聊命故人書之、  聊(いささ)か故人(こじん)に命(めい)じて
          之(これ)を書(しよ)せしめ、
以為歓笑爾。   以(もつ)て歓笑(かんしよう)と為(な)さん爾(のみ)。


詳しい現代語訳は本書『漢詩を読む1』にはないので、
ごくごく簡単に、私なりに記しますと、

私、世間を離れ、一人で暮らすようになって、喜び事が少なく、
夜がやたらに長い。
たまにいい酒があると、夜はつい飲んでしまう。
興に乗ると詩の文句をあれこれと書き留め、
それがたまると一つ一つの詩にまとめ、
友人に清書させては笑いの種に楽しんでいる。

といったところでしょうか。


 ●飲酒二十首 其の五

次に、代表作とされる「飲酒二十首 其の五」を見てゆきましょう。

 ・・・

飲酒二十首  飲酒(いんしゆ)二十首(にじつしゆ)  陶淵明

其五  其の五(そのご)

結廬在人境  廬(いほり)を結(むす)んで人境(じんきよう)に在(あ)り
而無車馬喧  而(しか)も車馬(しやば)の喧(かまびす)しき無(な)し
問君何能爾  君(きみ)に問(と)ふ 何(なん)ぞ能(よ)く爾(しか)ると
心遠地自偏  心(こころ)遠(とお)ければ
        地(ち)も自(おのづか)ら偏(へん)なり

私は粗末な家を構え、しかし山の中ではなく、
 人通りのある村里に暮らしている
それでいながら、車や馬に乗った貴族たちとのうるさい付き合いはない
あなたはどうしてそんな事ができるんですか
私の心がもう世間から遠くなっているから、どこに住もうとその土地は、
 うるさい場所から遠ざかっているのと同じなんだよ


采菊東籬下  菊(きく)を采(と)る東籬(とうり)の下(もと)
悠然望南山  悠然(ゆうぜん)として南山(なんざん)を望(のぞ)む
山気佳日夕  山気(さんき) 日夕(につせき)に佳(よ)く
飛鳥相与還  飛鳥(ひちよう) 相(あひ)与(とも)に還(かへ)る

或る秋の夕暮れ、私は東の垣根の側で聞くのは名をつんだ
起き上がって、はるかに落ち着いた気持ちで南の山に祈る
山のたたずまいはこの夕暮れ時、まことに美しい
飛ぶ鳥が連れ立って帰ってゆくじゃないか


此中有真意  此(こ)の中(うち)に真意(しんい)有(あ)り
欲弁已忘言  弁(べん)ぜんと欲(ほつ)して
        已(すで)に言(げん)を忘(わす)る

こういう眺めの中にこそ、人生のほんとうの姿が表れているのだ
それを君に説明したいのだけれど、
 そう思った瞬間、言葉を忘れてしまったよ

 ・・・

この詩は、全体として隠者の心構え、生活態度を詠んでいる、と
解説の宇野直人さんはいいます。

第一段では、隠者の心構えです。
騒がしい村の中に住んでいても、粗末な家には貴族は訪ねてこないし、
私の心は世間から遠く離れているので、どこに住もうと同じだ、
と自問自答している。
これは“隠者は山に住むもの”という固定観念への反抗心だ、
と宇野さんの解説。

第二段では、夕暮れの一コマで、有名な部分。
「南山」は、不老長寿の象徴ですので、お祈りをするのです。

《この「南山を望む」の「望む」という字を
 「見る」に作る伝本が多いのですが、「南山を見る」だと、
 ただ単に“南山が目に入る”という意味になって、
 “不老長寿の象徴をじっとみつめて祈る”意味が消えてしまいます。
 ここはやはり「望む」がよいでしょう。》p.334

最後の二句では、人生のほんとうの姿を山の中の風景に見いだしたが、
その言葉は忘れてしまった、と弁舌を重んじる貴族への風刺なのか、と。

《この「真意」とは“人間が生きるほんとうの意味”、
 或いは“私のほんとうの気持ち”などの意味かもしれません。》p.334


 ●「此の中にこそ真意あり」

夏目漱石の『草枕』の冒頭に、この部分が引用されています。

 《うれしい事に東洋の詩歌(しいか)は
  そこを解脱(げだつ)したのがある。
   採菊(きくをとる)東籬下(とうりのもと)、
   悠然(ゆうぜんとして)見南山(なんざんをみる)。
  ただそれぎりの裏(うち)に暑苦しい世の中を
  まるで忘れた光景が出てくる。
  垣の向うに隣りの娘が覗(のぞ)いてる訳でもなければ、
  南山(なんざん)に親友が奉職している次第でもない。
  超然と出世間的(しゅっせけんてき)に
  利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。(略)》

これほどに有名な句だというのですね。

で、陶淵明はこのような風景の中に、人生の真意を見たというのです。

この最後の部分について、こういう解説がありました。

小尾郊一『中国の隠遁思想 陶淵明の心の軌跡』
(中公新書902 1988/12/1)



(画像:Amazonより拝借)

 《「此の中」とは、上の夕方の美しい山の気配、
  ねぐらに連れだって帰る飛ぶ鳥の姿である。
  このなかに「真の意」があるという。「真」とは、(略)
  真実であり、老荘のいう道であり、自然であるといえよう。
  この風景のなかに、真実があるというのである。》p.164

それは《人間の作りあげた技巧ではない、自然のままの姿である》。

この日常の風景のなかに真実なる道が存在しているのだ、というのです。

そして、

 《この句の背後には、『荘子』「外物篇」の
  「筌(やな)というものは、魚を捕るものである。
   魚を捕ってしまえば、筌のことは忘れてします。
   蹄(わな)は兎を捕えるものである。
   兎を捕えてしまうと蹄のことは忘れてしまう。
   と同じく、言語というものは、意味を伝えるものである。
   その意味を会得してしまえば、言語は忘れられる」
  ということを踏まえている。
  淵明は、「真の意」があることを会得することが大事であって、
  今や自分は会得したので説明する必要もないというのである。/
  自然の風景のなかに真実があるという自然観は、広くいえば、
  隠遁から生まれた注目すべき収穫であって、
  後世にまで伝わる自然観である。》p.165-166

といい、
自然にあこがれるという場合、山水に隠遁するという風潮であったのが、
陶淵明は、田園に隠遁するという考え方をうみ、
さらに大きな自然観を生んだ、といいます。

 《それはわれわれをとりまく環境の自然のなかに「真」がある
  という考え方である》p.162

 ・・・

次回は、来年になります。

引き続き、陶淵明の詩を取り上げます。
「飲酒二十首」の続き、もしくは「田園の居に帰る五首」当たりを
紹介する予定です。
乞うご期待!

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)陶淵明(2)「飲酒二十首」から「序」と代表作「其の五」」と題して、今回も全文転載紹介です。

本文にも書きましたが、陶淵明は、われわれの日常的な自然の風景のなかに「真」がある、と考えました。
これが、当時の老荘的な「無為自然」「無私無欲」の人間本来のあるがままの姿を尊重するものであるとする考え方で、官僚世界の儒教的なものの見方にはまったくないものだった、といいます。
陶淵明のこの考え方がその後の自然観を生んだ、というのです。

老荘的な生き方というのは、ちょっと気になる生き方でもあります。
あるがままの姿でいいのだというのは、なにかしら楽な気がしますよね。

ちょっと話は違いますが、仏教の教えとして「悉皆成仏」(「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」)という考え方があります。
「ものみなすべて仏となる」というものです。
こういう風に言われますと、かなり気が楽になりますよね。
むずかしく考えますと、無用な殺生をするなとか、色々大変な部分もありますが。

老荘的な生き方もそれに似た、気楽さにつながるものがあると思います。

儒教的な生き方はある意味で「倫理、倫理」とうるさくなりかねません。
「あれをしてはいけない、これをしてはいけない」と、「戒」が多い感じです。

くわしいことは知りませんが、西洋の『旧約聖書』でも何かと「戒」が出てきて、ついて行けない気がします。

老荘的なものは、その辺でちょっとやさしい生き方になるような気がしています。

 ・・・

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中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)陶淵明(2)「飲酒二十首 其の五」-楽しい読書353号
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