レフティやすおの新しい生活を始めよう!

50歳からが人生の第二段階、中年の始まりです。より良き老後のために良き習慣を身に付けて新しい生活を始めましょう。

『左組通信』復活計画(31)『LL』復刻(4)LL5 1995年夏号-週刊ヒッキイ第668号

2024-07-27 | 左利き
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』(まぐまぐ!)
【別冊 編集後記】

第668号(Vol.20 no.13/No.668) 2024/7/20
「ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [31]
『LL(レフティーズ・ライフ)』復刻(4)LL5 1995(平成7)年 夏号」


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◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン

  右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
  左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
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第668号(Vol.20 no.13/No.668) 2024/7/20
「ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [31]
『LL(レフティーズ・ライフ)』復刻(4)LL5 1995(平成7)年 夏号」
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 久しぶりですが、今回はまた、季刊誌『LL(レフティーズ・ライフ)』
 の復刻で、ホームページに公開していたページのコピーです。


(画像:今はなきホームページ『レフティやすおの左組通信』の「レフティーズ・ライフ(LL)再録1・全号目次」のページ冒頭)

┏ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┓
ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [31]

  『LL(レフティーズ・ライフ)』復刻 (4)
 
   (内容紹介)LL5 1995(平成7)年 夏号
┗ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┛      

*(参照)――

・メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第43号(No.43) 2006/8/12
<「国際左利きの日」記念号>「私にとっての左利き活動(3)」
 ■レフティやすおの左利き活動万歳■ ―隔号掲載―
私にとっての左利き活動(3)『LL』の時代
(参照)※『レフティやすおの左組通信』のページ
○レフティやすおの左利き自分史年表
○レフティーズ・ライフ(LL)再録(1)全号目次 

・メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第602号(No.602) 2021/9/4
「創刊600号突破記念―
 私が影響を受けた左利き研究家・活動家(2)第二期・紙の時代―その1」
・ブログ『レフティやすおのお茶でっせ』2021.9.4
私が影響を受けた左利き研究家・活動家(2)第二期・紙の時代1
(創刊600号突破記念)-週刊ヒッキイ第602号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/09/post-57d0e5.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/e2aaaa56a6400bcc04d24d46a47d1d03

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 ●『Lefties' Lifeレフティーズ・ライフ』LL5 概要

LL5 1995(平成7)年 夏号
・ 前説The Compliments of the Summer Issue
 二年目に向けてToward the second year
・ From LHC (Left-handers Club/U.K.)レフトハンダーズ・クラブ
 (イギリス)より―新たなる希望!THE NEW HOPE!
・ From LHI (Lefthanders International/U.S.A)レフトハンダーズ・
 インターナショナル(アメリカ)より―左利きの人をガッカリさせる
 もの THINGS THAT ARE FRUSTRATING FOR LEFTIES!
・ 左利きの生活 To Live In The Right-Handed World
 ―こんな道具が不満です!
・ 左利き用の道具を知っていますか? 使ったことがありますか?
 その5―あなたは靴派? スリッパ派?―爪切りはさみセット
・ 知恵小僧の左熟語の基礎知識 なんの意味ダス!? その2
 Words & Phrase小学館『国語大辞典』より
・ 左利きの本だなぁ その2 激励編The Books on the
  Left-handedness―斎藤茂太著『左ききの人はなぜ才能があるのか
 ―左ききの性格分析』KKベストセラーズ/ワニ文庫刊


(画像:【左利きライフ研究家】レフティやすおの紙の時代の活動から・季刊誌『Lefties' Lifeレフティーズ・ライフ』LL5 1995(平成7)年 夏号 1ページ目)

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
LL5 1995(平成7)年 夏号
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前説 The Compliments of the Summer Issue
二年目に向けてToward the second year
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LL5
 1995(平成7)年 夏号
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 世の中には、様々な難問があります。人が生きているかぎり、
尽きることなく、次々と新たな問題が生まれ、消えていく…。
 それらの問題を解決するためには、まず最初に、その問題のなんたるか
を認識しなければなりません。
 あなたの病気が何なのかを知らなければ、治療法は見つかりません。
運がよければ、対処療法で、いつしか直るかもしれません。しかし、根本治療とはなりません。
 社会問題でも同様に、先ずその実態を知らなければなりません。
女性差別問題が、女性だけの問題ではないように、黒人差別問題が
黒人だけの問題でないように、それらは、それぞれの差別される側の
人だけに限られた問題ではないのです。
 左利きの問題もまた同じく、左利きの人だけの問題ではなく、
右利きの人も含めて、全人類の抱えている問題なのです。
 これを機会に、誰のためでもなく、自分自身の問題として、
もう一度考え直していただきたいものです。

 早いもので、二年目に入ります。最初は「自分の思い100%」で、
読者のことも考えず、内容も充分に練ることもなく、
とにかく何かやらなくては、という気持ちでスタートしました。
 しかし、そうして始めてみるとだんだんと欲が出て、ああもしたい、
こうもしたい。こうした方がいいのでは、ああした方がいいのでは、
といろいろ考えるようになりました。
 また、もっと読者に興味や関心を持ってもらう方法はないか、
とも考えるようになりました。
 少しずつ改良を加え、より読みやすく、中身のあるものにしていこう
と、努力しています。
 これからもなにとぞ暖かい目で見守り続けてください。
 そして、いつの日にかこのようなミニコミ誌が不要になる時が来る
ことを心から祈っています。
 輝ける明日のために…


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From LHC (Left-handers Club/U.K.)
レフトハンダーズ・クラブ(イギリス)より
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 素敵なレフトハンダーズ・デーと、クラブの幸運を祈る!
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新たなる希望!THE NEW HOPE!

 6月28日、イギリスのレフトハンダーズ・クラブから、
三ヶ月に一度の会報“The Left-Hander”No.20が届きました。
 なんと、第一面で私の手紙を紹介しています!
 
 “LL”3/冬号にかんたんな英語の説明をつけたものを同封し、
「日本における左利きの有利さ」として「日本の本は縦書きで、
ページは右から左にめくる」こと、そして「日本語はとても便利で、
縦でも横でも書ける」と指摘しておきました。

 この“LL”を日本版“The Left-Hander”としょうかいし、
私たちの『左組』を、LHC of JAPANとして認め、
声援を送ってくれています。
また、8月13日の“レフトハンダーズ・デー”に、
私とメンバーが参加するのを楽しみにしている、とも書いています。
(実際には、参加できればよいなぁ、と書いたつもりですが…。)

 彼らは、さらに、左利き用品専門店“エニシング・レフトハンデッド”
ALHは日本にフランチャイズ店をオープンしたい、新進の企業家は
連絡してくれ、といっています。
 はたして、日本に左利き用品専門店はできるのでしょうか?
(チャレンジしたいものですね!!)


(画像:LL第5号より「From LHC (Left-handers Club/U.K.)レフトハンダーズ・クラブ(イギリス)より―新たなる希望!THE NEW HOPE! 」の冒頭――“The Left-hader”に紹介された「LL」と左組についての記事と『LL』第5号の部分)


(画像:『LL』と手紙を紹介している、1995年6月28日に届いたイギリスのレフトハンダーズ・クラブから三ヶ月に一度発行されている会報“The Left-Hander”No.20の第一面)


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From LHI (Lefthanders International/U.S.A)
レフトハンダーズ・インターナショナル(アメリカ)より
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 私たちは、“LL”はじめ、
あなたのあらゆる試みが成功を収めることを祈っています。
―Carol Riddle
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左利きの人をガッカリさせるもの
 THINGS THAT ARE FRUSTRATING FOR LEFTIES!

日常生活で不便なこと―
・ 自動車AUTOMOBILES:ダッシュボードの設計
(イグニッション・スイッチの配置)
・ キッチンのレイアウト:戸棚・冷蔵庫のドア、
 各種電気製品等の器具類の配置が作業の流れに影響を及ぼす。
・ オフィスのレイアウト:照明、電卓(0、トータルキー)、
 机の配列(ファイル用引き出し等の位置)、電話の位置
・ 組立/生産ラインのレイアウト

台所用品―
・ コルク抜き(コルクスクリュー/ワインオープナー)、缶切り、
 おたま、セレイテッドナイフ、皮むき、芯抜き器、ポットホルダー・ミット、
 計量カップ、ケーキサーバー、アイスクリームすくい、
 グレープフルーツ・ナイフ、へら

家庭用品―
・ アイロン、ドアのノブ、ダスト・ミット
スクール・サプライ(学用品)―
・ ハサミ、スパイラル・ノート、ボールペン、鉛筆、定規、
 カリグラフィー・ペン、机、鉛筆削り

スポーツ用品―
・ 釣竿のリール、ゴルフ・クラブ、スポーツ手袋、野球のグローブ、
 ブーメラン、照準器付の銃

ツール―
・ 動力ノコ、モンキーレンチ、弓ノコ、左官用こて、
 刈り込み用ハサミ、ねじ

その他―
・ 時計、飲用噴水、ベルトのバックル、財布、カメラ、オムツのピン、
 トランプ、楽器、ピンボール・マシン

―LEFTHANDERS INTERNATIONALのキャロル・リドルさんの手紙に
 添えられていたものを紹介させていただきました。
 レフトハンダーズ・インターナショナルは アメリカのカンサス州の
 トペカに本部があり、ディーン・R・キャンベルの元、
 世界で唯一の左利きの人のための雑誌“LEFTHANDERS MAGAZINE”
 (隔月刊、二十年目)を発行している。
 連絡先:P.O.BOX 8249, TOPEKA, KANSAS 66608, U.S.A.


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左利きの生活 To Live In The Right-Handed World
こんな道具が不満です!
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 〔レフトハンダーズ・インターナショナルより〕欄で、左利きの人が
 日常生活で不満に思うものについていろいろ紹介しました。
 また今までにも、この欄であれこれ書いてきましたが、
 他にもいくつか拾ってみましょう。


ヘッドホンステレオ(ウォークマンなど)、ヘッドホン―
 コードが左側の耳元からたれているタイプのもの。
 右手を動かすことの多い右利きの人にとっては、
 コードがじゃまにならず便利かもしれないが、
 左利きには不便この上ない。

ビデオカメラ―
 右側にホルダーが付いていて右手に持って、右目でファインダーを
 のぞきながら撮るように設計されているものが大半。ファインダーの
 問題はなんとかガマンできても、左手に持って操作できないのは、
 致命的。シャープの液晶ビューカムはファインダーの問題はないが、
 各操作は、やはり右手でおこなう。

ワープロ/パソコンのキーボード―
 文字キーなどは、両手で使うように配置されているが、
 それ以外のキー(テンキーその他)は、右側に寄せられていて、
 マウスの接続なども右側になっている。

自転車―
 大部分の左利きの人は、利き足も左足で、左足は作業をする足
 (例えば、ボールを蹴る)、右足は体重を支える軸足。
 そのため、先ず右足をペダルに置いて軸足を固定してから、
 左足をペダルに乗せるのが、左利きの人の乗り方だろう。
 ところが、スタンドが左側になっているため、左側から
 乗り降りしなければならないので不便。鍵も左側に付いている。
 ブレーキは左が後輪、右が前輪。右利きの人は左半身に重心を
 かけているので、左手は常にハンドルに置いており、ブレーキも
 後輪からかけられる。しかし、左利きは逆に前輪からになり、
 やや危険度が増す。自転車のブレーキの主な役割は、後輪ブレーキは
 スピード調整用、前輪ブレーキは緊急停止用であり、後輪からかけて
 前輪も合わせて使う、というのがブレーキの正しい使用法である。
 ベルも右側についている。

 職場にある機械類もまたその多くが、左手は大雑把な仕事、
 右手は微妙かつ重要な仕事を受け持つ傾向にあります。

ボール盤(ドリルで穴を開ける機械)
 ドリルを押し下げるハンドルが右側にあるので、
 微妙な調整も右手でしなければならない。左手は品物を押さえるだけ。

あなたも、身の回りをもう一度、見直してみませんか。


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左利き用の道具を知っていますか? 使ったことがありますか? その5
 あなたは靴派? スリッパ派?
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〔靴とスリッパ〕―あるいは、靴と靴下の問題―

 靴とスリッパと聞いて、あなたはなにを思い浮かべますか?
「靴には右と左があるが、スリッパには左右の区別はない」
と答えた方は、もうこの続きを読まないで結構です。
すでにもう充分ご理解いただいていると思います。
そのとおり、右用と左用の違いについて考えるときに、
非常にわかりやすい例になると思うのです。

靴―人それぞれの足に合わせたもの。右足用と左足用とで一組。
 機能的、活動的。足を保護し、足の機能を損なわず、
 時にはプラスアルファの能力を引き出す。

スリッパ―左右対称に作られていて、どちらの足にでも合う。
 おおざっぱな大きさで、誰の足にも合う。履いたり脱いだりが簡単。
 非活動的、勝手に脱げてしまったり、駆け足急ぎ足には不適当。

 靴・スリッパともに、長所短所、適材適所がある。それぞれの持つ
特徴を生かして用いれば、これほど便利なものはありません。

 誰でも靴を買うときは、デザインや色、機能だけでなく、
サイズを確かめる。実際に履いてみて自分の足に合うかどうか試してみる
はず。ところがスリッパを買うときは、そこまではしないもの。
 誰も自分の足を靴にあわそうとは考えない。どんな気に入った品でも
サイズが合わないとわかれば、諦めて他のものを探すのがふつう。
 また、靴は値段が高いから、スリッパで済まそう という人は
まずいないでしょう。靴は靴、スリッパはスリッパ!
 ところが、世の中には靴もスリッパも区別しないで、
ごっちゃに考える人がいるのです!
 もちろんこれは比喩です。
(実際に靴とスリッパをごっちゃに履く人はいない―はずです)
 靴とスリッパは使い分けている人でも、それ以外の道具に関しては
どうでしょうか?


〔爪を切るときは、右手で左手、左手で右手!〕

 例えば、爪を切るとき、右利きの人は左手の爪は右手で切れますが、
右手の爪は左手で切らなければなりません。
 最近はハサミで切る人は少ないかもしれませんが、
ハサミで切るときは特に問題になります。これがなかなか難しい。
単に利き手でないため不器用にしか動かないというだけではなく、もっと
ほかに理由があるのでは? と感じている人も少なくないでしょう。
 原因はハサミそのものにあるのです。
 ハサミには、右手用と左手用があるというのは、
今までのこのコーナーで紹介して来ました。
 右足用の靴が右足のために作られているように、
左足用の靴が左足のためにあるように、
右手用のハサミとは右手で使うためのもの、
左手用のハサミは左手で使うためのものなのです。

 残念ながら、この単純な事実を理解していない人が多いのです。
靴やハサミのみならず、多くの道具には、
実は、右(手)用・左(手)用の区別があるのです。
そして、また一部の道具には、スリッパのように、
左右の区別が必要でない品物もあるのです。


〔スリッパで我慢していてはダメ! 自分に合う靴を手に入れよう!〕

 少数派である私たち左利きは、
今まで、多数派を占める右利きの人たちのために作られた、
右用の道具を使うことに慣らされてきました。
それが右利き用の道具であると知って使っていた人は少なく、
大半の人は、何も知らずに不便だと思いつつも「これはこういうものだ」
と思い込んでいたのです。

 道具などとにかく使えればそれでいいじゃないか! という人もいる
でしょう。しかし、名人といわれる人ほど道具を選ぶと言います。
人間が他の動物と異なる点は道具を使うことだとも言います。
道具を作った人のためにも、道具は正しく使い分けてやるべきでしょう。
スリッパはスリッパとして、靴は靴として―。

 スリッパで間に合うときはそれでいい。しかし、靴が必要なときは、
スリッパで我慢せず、靴を手に入れるべきです。

 人は自分にあった靴を履き、活動的に生きる。
 くたびれたときは、スリッパでくつろぐ。

 そんなメリハリをつけた生活を送って行こうではありませんか!


爪切りはさみセット
Set of two nail scissors in leather case /
ANYTHING LEFT-HANDEDより

 右手用と左手用の爪切りハサミがセットになって
 皮のケースに入っている。
 左利きの人のみならず、右利きの人にも便利な一品。


(画像:爪切りはさみセット Set of two nail scissors in leather case / ANYTHING LEFT-HANDEDより)

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知恵小僧の左熟語の基礎知識 なんの意味ダス!? その2
 Words & Phrases 小学館『国語大辞典』より
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ひだり―うちわ 左団扇=ひだり―おうぎ 左扇=扇を左手で使うこと。
 転じて、安楽に暮らすこと。また、得意になっているようす。
ひだり―がち 左勝=①左手ばかりを多く使うこと。また左利き。
 ②ひだりきき 左利②=好んで酒を飲むこと。酒に強いこと。
 また、その人。酒飲み。ひだり。
ひだり―がって 左勝手=①茶席で点前畳の左方に客畳があるもの。
 逆勝手。②左膝を立て、右膝をついたすわり方。③左手の方向。
 ④ひだりきき 左利①=右手よりも、左手のよくきくこと。
 また、その人。
ひだりきき 左利=(「ひだりぎき」とも)①右手よりも左手のよくきく
 こと。また、その人。左ぎっちょう。左ぎっちょ。ぎっちょ。ひだり。
 ②(大工や石工などが左手に「鑿(のみ)を持つ手」であるところから
 「飲み手」にかけたという)好んで酒を飲むこと。酒に強いこと。
 また、その人。酒飲み。ひだり。
ひだり―ぎっちょ 左ぎっちょ=(「ひだりぎっちょう」とも)
 ひだりきき 左利①=右手より左手がよくきくこと。また、その人。
ひだり―ざま 左様=正しい道にもとること。不正なこと。
 また、その様。左道(さとう)。
ひだり―とう 左党=左利の仲間。すなわち、酒の好きな人。酒飲み。
 さとう。
ひだり―なわ 左縄=①左よりにした縄。ふつう、縄は右よりにするが、
 注連縄など、吉兆の祭事に用いる縄に、左よりが多く見られる。
 ②物事が逆になること。物事が思うようにならないこと。

―特別に、悪い意味のことばを選んでいるのではないのですが、…。


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左利きの本だなぁ その2 激励編The Books on the Left-handedness
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 斎藤茂太著『左ききの人はなぜ才能があるのか―左ききの性格分析』
  KKベストセラーズ/ワニ文庫1993年4月刊 ¥480
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(画像:斎藤茂太著『左ききの人はなぜ才能があるのか―左ききの性格分析』KKベストセラーズ/ワニ文庫1993年4月刊)

 今回は、勉強はちょっと苦手だけど…、というあなたにも
読みやすくて、ためになる、元気の出る本を紹介します。
 
 1987年、MG出版より刊行された『左利きの人の本』を改題した、
文庫版です。

「この本で、少しでも多くの右ききの人たちが、あなたあの隣の、
愛すべき左ききの人たちを見つめ直してくれたらと思います。
そしてもちろん、左ききの人たちが、誇らしげに自分のきき腕を
さし上げてくれたら、私としては望外の喜びです。」

 とあるように、右利きの人たちに対しては左利き問題の啓蒙を促し、
左利きの人たちに対しては激励を与えている。さすが精神科の
お医者さんならではの、著者の体温を感じさせる、あたたかい本。

 右利きの人は気付かない―けれど、左利きの人なら、いつも気に
掛けている、生活のなかの様々な場面での、左利の苦労、不便さ。
その実例を挙げながら、左利きの問題を明らかにし、
また、少数派の左利きだからこそ有利になる場面(主にスポーツ)を、
多くの左利きの有名人の名を上げながら紹介していきます。
 さらに、このような状況のなかで育っていく、左利きの人の性格には、
特有のモノがみられるのでしょうか?
 著者は、利き手が性格を決定するのではなくても、左利きの人を社会が
どう扱うかによって、性格に悪影響を与える可能性のあることを、矯正を
例にとって述べています。
 また、左利きの子どもに対する接し方についても、役立つアドバイスを
与えています。
 左利きの人だけでなく、左利きのお子さんをお持ちの方
――身の回りに左利きの人がいる、という方は、ぜひお読みください。

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本誌では、「ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [31]『LL(レフティーズ・ライフ)』復刻(4)LL5 1995(平成7)年 夏号」と題して、今回も全紹介です。

前回の時も思い出話を書きました。
今回も少し書いておこうかと思います。

当時は今と違い、ネットも一般的ではなく(アメリカでは実用化されていたようで、国内でもパソコン通信というのでしょうか、そういうものはあったようです)、一般人が気軽に世界に向けて発信するということができにくい時代でした。

私はワープロで原稿を書き、作りあげた記事を切り貼りしてA4の紙面を作り、コンビニでコピーして、切ってたたんでホッチキスで留めるという作業をして小冊子を作り、封筒にワープロで印刷した宛名シールを貼って、友人知人、左利き用品メーカーさん等に送るという塩梅でした。

送り先のなかに、アメリカやイギリスの左利きの会もあり、簡単な英語でワンポイント解説のようなものを入れていました。

そのおかげで、本文中にもありますように、イギリスの会報で紹介されるという栄誉に預かりました。
英語が得意ではないので、それ以上の交流はできませんでしたが、紙の時代の一つの勲章だと思っています。

 ・・・

勲章に関していえば、もう一つエピソードを紹介しましょう。

この号で斎藤茂太先生の著作の文庫版『左ききの人はなぜ才能があるのか―左ききの性格分析』を紹介したことを、KKベストセラーズ/ワニ文庫気付で手紙を出しましたところ、斎藤茂太先生からお礼のお葉書をいただきました。

その前に、読書感想と私なりの左利き活動として『LL』を発行している報告の手紙を出し、お葉書をいただいていました。

著名人からこういうお返事をいただいたのは生まれて初めてのことでしたのは、光栄であり、嬉しいかぎりです。


(画像:斎藤茂太先生からいただいたお葉書二点)

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』


『レフティやすおのお茶でっせ』
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載

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<夏の文庫>フェア2024から(1)角川文庫『ナミヤ雑貨店の奇蹟』東野圭吾-楽しい読書370号

2024-07-16 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)
【別冊 編集後記】


2024(令和6)年7月15日号(vol.17 no.13/No.370)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2024から(1)角川文庫・
『ナミヤ雑貨店の奇蹟』東野圭吾」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2024(令和6)年7月15日号(vol.17 no.13/No.370)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2024から(1)角川文庫・
『ナミヤ雑貨店の奇蹟』東野圭吾」
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 今年も毎夏恒例の新潮・角川・集英社の
 <夏の文庫>フェア2024から――。

 昨年同様、一号ごと三回続けて、一社に一冊を選んで紹介します。

 第一回は、角川文庫から東野圭吾さんの『ナミヤ雑貨店の奇蹟』を。


【角川文庫の夏フェア】
「カドイカさんとひらけば夏休みフェア2024」特設サイト
https://note.com/kadobun_note/n/n94088457149e

集英社文庫『ナツイチ2024』フェア-
ナツイチ2024 言葉のかげで、ひとやすみ
https://bunko.shueisha.co.jp/natsuichi/

「新潮文庫の100冊 2024」フェア
https://100satsu.com/


(画像:新潮・角川・集英社 三社<夏の文庫>フェア2024のパンフレット)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ◆ 2024年テーマ:夢か奇蹟の物語 ◆

  新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2024から(1)

  角川文庫・『ナミヤ雑貨店の奇蹟』東野圭吾
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

●【角川文庫の夏フェア】

まず今回は、角川文庫から。

例年は新潮文庫から始めていましたが、
今年、集英社と角川文庫は、6月からスタートで、
新潮文庫は、7月1日スタートとのことでしたので、
早かったこの二社の内、すぐにこれだという本を見つけた順、
という感じで。


【角川文庫の夏フェア】
「カドイカさんとひらけば夏休みフェア2024」特設サイト
https://note.com/kadobun_note/n/n94088457149e

まずは、出版社の言葉――

--
■ はじめに
今年のテーマは「カドイカさんとひらけば夏休みフェア」!
本を読むことって、なんだか難しそう。
たくさんある本の中から、楽しいと思える1冊が見つかるかわからない。
そう思っている人は、少なくないはず。

けど、今年の夏は、
まずは1冊、本をひらいてみませんか?

カバーイラストが可愛い。
推しが好きと言っていた。
あらすじが面白そうだった。
きっかけは、なんだっていい。

目にとまった1冊をためしにひらけば、ドキドキ、わくわく、ハラハラ……
あたらしい世界がひらけるはず!
--

ということで、ラインアップを挙げておきましょう。


■ フェア対象書籍のご紹介
対象作品一覧①「はじめての扉!」13点

湊 かなえ『ドキュメント』『ブロードキャスト』
重松 清『かぞえきれない星の、その次の星』
伊与原 新『オオルリ流星群』
君嶋彼方『君の顔では泣けない』
米澤穂信『氷菓』
恩田 陸『ドミノ』
森沢明夫『エミリの小さな包丁』
斜線堂有紀『ゴールデンタイムの消費期限』
朝井リョウ『星やどりの声』
東野圭吾『ナミヤ雑貨店の奇蹟』
原田ひ香『ギリギリ』
クレハ『結界師の一輪華』


対象作品一覧②「ミステリの扉!」15点

米澤穂信『黒牢城』
浅倉秋成『六人の噓つきな大学生』
染井為人『悪い夏』
堂場瞬一『刑事の枷』
歌野晶午『家守』
東川篤哉『谷根千ミステリ散歩 中途半端な逆さま問題』
藤崎 翔『神様の裏の顔』
芦沢 央『僕の神さま』
五十嵐律人『六法推理』
鳴神響一『脳科学捜査官 真田夏希』
柚月裕子『検事の信義』
太田 愛『幻夏』
東野圭吾『鳥人計画』『夜明けの街で』『ラプラスの魔女』


対象作品一覧③「ホラーの扉!」&「名作の扉!」13点

■ ホラーの扉!
辻村深月『闇祓』
宮部みゆき『よって件のごとし 三島屋変調百物語八之続』『おそろし
三島屋変調百物語事始』
芦花公園『極楽に至る忌門』(角川ホラー文庫)
内藤 了『FIND 警察庁特捜地域潜入班・鳴瀬清花』(角川ホラー文庫)
小野不由美『ゴーストハント1 旧校舎怪談』
辻村深月『きのうの影踏み』
中野京子『怖い絵』

■ 名作の扉!
芥川龍之介『蜘蛛の糸・地獄変』
夏目漱石『こゝろ』
宮沢賢治『注文の多い料理店』
梶井基次郎『檸檬』
オイゲン・ヘリゲル 訳・解説=魚住孝至『新訳 弓と禅 付・「武士道的
 な弓道」講演録 ビギナーズ 日本の思想』(角川ソフィア文庫)


対象作品一覧④「ベストセラーの扉!」16点

佐藤 究『テスカトリポカ』
山田風太郎『八犬伝』上・下
高杉 良『転職』
群 ようこ『老いとお金』
雹月あさみ『トイレで読む、トイレのためのトイレ小説 よりぬき文庫』
(富士見L文庫)
坪田信貴『学年ビリのギャルが1年で
 偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話[文庫特別版]』
若林正恭『完全版 社会人大学 人見知り学部 卒業見込』
群 ようこ『これで暮らす』
垣谷美雨『うちの父が運転をやめません』
大泉 洋『大泉エッセイ僕が綴った16年』
松村涼哉『ただ、それだけでよかったんです【完全版】』
(メディアワークス文庫)
道草家守『青薔薇ブルーローズアンティークの小公女』(富士見L文庫)
パウロ・コエーリョ 訳=山川紘矢 山川亜希子
 『アルケミスト 夢を旅した少年』
伊坂幸太郎『グラスホッパー』『マリアビートル』『AX アックス』


対象作品一覧⑤「特別企画」&「コラボカバー」16点

■【朗読アリ】KISHOW(谷山紀章)さん おすすめ本
星 新一『きまぐれロボット』(★朗読アリ)
恩田 陸『ユージニア』(★朗読アリ)
小林泰三『人獣細工』(角川ホラー文庫)(★朗読アリ)
伽古屋圭市『猫目荘ねこのめそうのまかないごはん』
原田マハ『さいはての彼女』
■【朗読アリ】「文豪ストレイドッグス」コラボカバー作品
中島 敦『李陵・山月記 弟子・名人伝』(★朗読アリ)
泉 鏡花『高野聖』(★朗読アリ)
坂口安吾『暗い青春』(★朗読アリ)
芥川龍之介『羅生門・鼻・芋粥』
江戸川乱歩『魔術師』
中原中也 編=佐々木幹郎『汚れつちまつた悲しみに…… 中原中也詩集』
太宰 治『斜陽』『人間失格』
■ mt masking tape コラボカバー作品
太宰 治『女生徒』
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』

対象作品一覧⑥「Pick Up!」19点

■ 号泣文庫
汐見夏衛『ないものねだりの君に光の花束を』
一条 岬『今夜、世界からこの恋が消えても』(メディアワークス文庫)
岩井圭也『永遠についての証明』
山田悠介『スイッチを押すとき』
■ ハラハラ文庫
伊岡 瞬『残像』
染井為人『震える天秤』
本城雅人『宿罪 二係捜査(1)』
畑野智美『消えない月』
■ 猫文庫
西 加奈子『きりこについて』
夏目漱石『吾輩は猫である』
■ 大活字で読める文庫
太宰 治『100分間で楽しむ名作小説 走れメロス』
江戸川乱歩『100分間で楽しむ名作小説 人間椅子』
森 絵都『100分間で楽しむ名作小説 宇宙のみなしご』
恒川光太郎『100分間で楽しむ名作小説 夜市』
■ 時代文庫
鈴木英治『江戸の探偵』
横山起也『編み物ざむらい』
■ ごちそう文庫
標野 凪『ネコシェフと海辺のお店』
長月天音『キッチン常夜灯』
秋川滝美『おうちごはん修業中!』

――以上、92点。

既読は十数点ぐらいです。
夏目漱石、宮沢賢治、泉鏡花、芥川龍之介、太宰治、中島敦等の文学系。
エンタメ系では、江戸川乱歩、宮部みゆき辺りは読んでいるかも、程度。
作品としては、昨年の<私のベスト3>に選んだ、山田風太郎『八犬伝』。

そんな感じでほぼ全滅に近い状況です。
例年、この機会に新しい作家さんとの出会いを考えるのですが、
せいぜい3社合わせて一人程度ですね。

今年も結局は、昨年(集英社文庫『白夜行』)に引き続いて、
また東野圭吾さんにしました。


 ●東野圭吾『ナミヤ雑貨店の奇蹟』

東野圭吾『ナミヤ雑貨店の奇蹟』角川文庫 2014/11/22

(画像:【角川文庫の夏フェア】「カドイカさんとひらけば夏休みフェア2024」パンフレットと『ナミヤ雑貨店の奇蹟』)

フェアの紹介文によりますと――

--
東野圭吾『ナミヤ雑貨店の奇蹟』

東野作品史上最も泣ける感動作! 手紙が紡ぐ奇蹟の物語。

悪事を働いた3人が逃げ込んだ廃屋。
そこはかつて悩み相談を請け負っていた雑貨店だった。
店内に突然届いた、悩み相談の手紙。
過去と現在、時空を超えた温かな手紙交換が始まる。
悩める人々を救ってきた雑貨店は、再び奇蹟を起こせるか? 
心ふるわす物語。
--


(画像:【角川文庫の夏フェア】「カドイカさんとひらけば夏休みフェア2024」)パンフレットの『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の紹介ページと『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の本と)

ストーリーは、窃盗程度の悪さしかできない青年三人組が
逃げ込んだ廃屋で出会う“奇蹟”の物語です。

なかなかのハート・ウォーミングなお話です。

東野さんといえば、ミステリ、推理小説の印象ですが、
こういうファンタジー系の小説もあるのですね。
へぇー、という感じでした。

そういう点からこの作品に決めました。


 ●主なストーリー

こういうエンタメ系の小説では、あまり詳細なストーリーを語りますと、
興ざめな面となりますので、ポイントだけを紹介しましょう。

彼らが逃げ込んだこの「ナミヤ雑貨店」は、
週刊誌でも取り上げられたほどの、悩みの相談で有名となった店でした。
最初は小学生のとんち話的ないたずら半分の相談でしたが、
あるとき真剣な悩みの相談があり、それ以来、
悩みの相談は深夜までに店のシャッターの郵便受けに入れてもらい、
返事は裏通りの牛乳配達箱に入れる、というルールができました。

彼らの潜り込んだこの店に、なんと相談の手紙が投入されます。
彼らは、一から相談された経験も無く、それが逆に新鮮で、
自分らなりに考えて答えを書きます。

 《「だってさ、ふつうなら俺たちが誰かの悩みを聞くなんてこと
  ないだろ。俺たちになんか、誰も相談しようとしない。
  たぶん一生ないぜ。これが最初で最後だ。
  だから一回ぐらいいいじゃないかってこと」》p.29

オリンピックを取るか不治の病の恋人の看病を取るか、
という悩みでした。

彼らの何度かの返事に対し、最終的にお礼の手紙が来ます。

 《(略)「誰かの相談に乗るなんてこと、これまでの人生では一度も
  なかったからなあ。まぐれでも結果オーライでも、相談して
  よかったと思われるのは嬉しいよ。(略)」》

するとまた第二の手悩みの相談が届きます。
音楽の道を進むべきか、というものでした。(以下、第2章)

彼らは、相談者とのやりとりの末、彼の曲を聞き、
音楽の道を進むのはムダにならない、あなたの曲で救われる人がいる、
あなたの音楽は残る、それだけは信じてくださいと答えます。

なぜならそれは、彼らの知っている曲だったからです。

彼らが潜り込んだこのナミヤ雑貨店は、なぜかタイムマシンのように、
相談者たちの過去と彼らの現在をつなげるものだったのです。

第3章では、このナミヤ雑貨店の店主で相談役の親父さんが登場します。

人生相談を始めたいきさつを語り、
いつしかこの人生相談が生きがいとなったこと、
しかしある事件をきっかけに、自分の回答が本当に役にたったのか、
実状を知りたいと思うようになり、息子さんにあることを依頼します。

それは自分の33回忌の日に、一度だけこの相談受付が再開される、
という告知でした。

その時、病院を抜け出した店主は、多くの礼状を手にします。
それはもちろん未来からのものでした。

 ・・・

このナミヤ雑貨店のあるまちの近くに丸光園という養護施設があり、
こことナミヤ雑貨店には何かしら因縁があるようなのです。

この丸光園は女性篤志家が始めたもので、
死後も天の上から見守っていると言い残したといういわくつきでした。
ところが、その後丸光園を引き継いだ男が悪いやつで、
園の存続が難しくなっていました。

そんな時にこの事件が起こったのでした……。


 ●悩みと人生相談とその回答について

このナミヤ雑貨店と丸光園との関係は、読んでのお楽しみということで、
ここでは、悩みと人生相談とその回答の在り方について、
考えて見ましょうか。

相談の回答者となった浪矢雄治はこう言います。

 《「(略)『ナミヤ雑貨店』に手紙を入れる人間は、
  ふつうの悩み相談者と根本的には同じだ。心にどっか穴が
  開いていて、そこから大事なものが流れ出しとるんだ。その証拠に、
  そんな連中でも必ず回答を受け取りに来る。(略)ナミヤの爺さんが
  どんな回答を寄越すか、知りたくて仕方ないわけだ。(略)
  だからわしは回答を書くんだ。一所懸命、考えて書く。
  人の心の声は、決して無視しちゃいかん」》p.142

息子の貴之は、子供たちが巣立ち、十年前に妻を亡くし、一人暮らしの
父親にとって、たぶん生きがいというやつなんだろう、と思うのでした。

 《「長年悩みの相談を読んでいるうちわかったことがある。多くの
  場合、相談者は答えを決めている。相談するのは、それが正しい
  ってことを確認したいからだ。だから相談者の中には、回答を
  読んでからもう一度手紙を寄越す者もいる。たぶん回答内容が、
  自分が思っていたものと違っているからだろう」(略)
  「これも人助けだ。面倒臭いからこそ、やり甲斐がある」》p.150

そんな雄治が店を閉じます。

 《(略)大事なのは、あのときのわしの回答が本当に正解だったのか
どうかだ。
  (略)これまでに書いてきた無数の回答が、それぞれの相談者たちに
  とってどうだったのかが重要なんだ。わしは毎回、懸命に考えて
  答えを書いてきた。適当に書いたことなんてただの一度もない
  と断言できる。しかしそれでも、その回答が相談者たちのために
  なったかどうかはわからない。もしかしたら、わしの回答の通りに
  行動して、とんでもなく不幸になってしまった、なんてこともある
  かもしれない。そのことに気付いた瞬間、わしはもういてもたっても
  いられなくなったんだよ。もう、気楽に相談窓口を開けている気分で
  はなくなった。だから店を閉めたんだよ」》p.172

 《(略)わしの回答が、誰かの人生を狂わせてしまったのではないか
  と思うと、夜も眠れなかった。病気で倒れた時も、わしは思ったん
  だ。これは天罰じゃないか、とね」》p.172

そして夢の中で、相談者たちが自分の人生がどう変わったかを知らせる
手紙を投函してくれるのを、雄治は知るのでした。
今行けばそれを受け取れると、貴之に話すのです。
そして実現します。

 《「(略)殆どが、わしの回答に感謝してくれている。
  それはありがたいと思うが、読んでみると、わしの回答が役に立った
  理由はほかでもない、本人の心がけがよかったからだ。本人に、
  真面目に生きよう、懸命に生きようという気持ちがなければ、
  たぶんどんな回答を貰ってもだめなんだと思う」》p.180-181


 ●70年生きてきて思ったこと

そう、たぶんそうなんでしょうね。
結局はどんな人生を生きるかは、本人の心がけによる、ということ。

そして、70年生きてきて私が思うことは、
やっぱり自分らしくある、ということ。

どんな時もどんな状況にあっても、
本来の自分の在り方を変えることなく、生きてゆくという姿勢が大事だ、
と思うのです。

自分らしく、といっても難しいのですが、
自分の性格に合わせた生き方というのでしょうか、
真面目な人は真面目に、ちょっと大胆な人は大胆に、
でも、大胆にとはいっても、基本的には階段を一段ずつ登るように、
こつこつやる、ということです。

人生に近道はない、ということ。

で、やるべき時にはやる、ということ。

「幸運の女神には前髪しかない」という言葉があります。
「チャンスの女神には後ろ髪がない」ともいいます。

「後悔先に立たず」ともいいます。

やってしまったこと、もしくは逆にやらずにしまったことは、
後からではどうすることもできない、ということです。

チャンスは確実にその時にしっかりとつかんでおけ、という教えです。

そうはいいましても、なかなか潔く決断できないのが、人間です。

でも、それはそれでいいのだと思います。
人生に遅すぎるということはない、ともいいますから。


昨今は、人生100年時代ともいいます。

若い頃のようには行かなくても、
それなりに生きることはできるようです。

要は、あきらめないことでしょうか。

私も今この程度のことはできています。
毎日こつこつと積み重ねることで、できることもあるようです。


青年たちが投じた白紙の手紙に対するナミヤ雑貨店の爺さんの回答が、
一つの答えかも知れません。
(あえて引用は辞めておきます。)


 ●奇蹟は起こる?

奇蹟は、本当に起こるのでしょうか。
もちろん、そんなことはわかりません。
しかし時には、起こって欲しい、
という願いを抱かせるものでもあるように思います。

ある人が一生懸命生きているのならば、
その人のまわりではなにかしら良いことが起きてほしいものです。

そうでなければ人生なんて、
生きるに値しないものになってしまいますから。

神様仏様が存在するのなら、ときには奇蹟も起こってほしいものです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2024から(1)角川文庫・『ナミヤ雑貨店の奇蹟』東野圭吾」と題して、今回も全文転載紹介です。

私は人生相談というものに特別に興味はないものの、新聞の人生相談などはつい見てしまうことがあります。
どういうものを見るかといいますと、やはり自身高齢化したこともあって、そういう手の老後の在り方といったものですね。
それと、逆に若者の進路相談などにもつい目が行くことがあります。

よりよい人生航路を始めて欲しいという願いが出てしまうようです。

さて、本書では、未来を知っているゆえに、青年たちでも適切な相談ができてしまう部分があって、こういう風に未来を見通し、人生を俯瞰して生きて行ければいいのになあ、と思ってしまいますね。

実際には、白紙の人生であっても、そこにどんな人生地図を書いてゆくのか、人それぞれなわけです。
むずかしいけれど、だからこそおもしろいとも言えるわけです。

死の瞬間まで人は迷いながら生きてゆくものなのでしょうか。
あるいは、ある瞬間になにかしら確かな確信を抱けるものなのでしょうか。

まだ私にはわかりません。

 ・・・

弊誌をおもしろいなあと感じた方は、ぜひご購読の申し込みをお願い致します。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

『レフティやすおのお茶でっせ』
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載

" target="_blank"><夏の文庫>フェア2024から(1)角川文庫『ナミヤ雑貨店の奇蹟』東野圭吾-楽しい読書370号

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楽器における左利きの世界(22)左利きは左弾きヴァイオリンで(1)-週刊ヒッキイ第667号

2024-07-10 | 左利き
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』(まぐまぐ!)
【別冊 編集後記】

第667号(Vol.20 no.12/No.667) 2024/7/6
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(22)左利きは左弾きヴァイオリンで」


------------------------------------------------------------------

◎左利きニュース◎

6月末に左利きの歴史本が出ました。

『左利きの歴史:ヨーロッパ世界における迫害と称賛』
ピエール=ミシェル・ベルトラン/著 久保田 剛史/訳 白水社 2024/6/27


フランス人の著者も、訳者さんも左利きだそうです。
「訳者あとがき」には、
日本で出版された左利き本についても簡単に紹介されています。


日本だけではなく、
諸外国――特に西洋諸国でも左利きが迫害されていた、
という歴史をご存じない人も多いのではないか、という気がします。

改めて、こういう左利きの歴史についても知ってほしいものです。

日本でも左利きに関して、
「迫害」という表現が許される時代になったのかな、
という気がしています。

昔は、私が「左利きの問題」などと周囲の右利きの人たちに訴えても、
「右手を使えば済む問題」と軽くあしらわれたものでしたから。

*参照:
『レフティやすおのお茶でっせ』2024.7.3
新しい左利き本『左利きの歴史:ヨーロッパ世界における迫害と称賛』
発売される
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2024/07/post-e66fa0.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン

  右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
  左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第667号(Vol.20 no.12/No.667) 2024/7/6
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(22)左利きは左弾きヴァイオリンで(1)」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 前号では、「左利きでもヴァイオリンは右弾きで」という
 左利きヴァイオリニストの意見を紹介しました。
 今回は、
 「なぜ左利きは左弾きヴァイオリンでなければいけないのか」
 その理由を述べ、反論していこう、と思います。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ◆ <めざせ!実現!!左用ピアノ!!!>プロジェクト ◆

 {左利きの人は左利き用の楽器で演奏しよう!}

- 「左利きに優しい社会」づくりは左用楽器の普及から! -

 左利きとヴァイオリン演奏について考える

   なぜ左利きは左弾きヴァイオリンでなければいけないのか(1)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ●左利きでも右弾きを薦める人たちの理由

前回は「左利きとヴァイオリン演奏」についての発言のあれこれを
見てきました。

左利きのヴァイオリニストの人も含めて、ほぼ全員が
「左利きの人でもヴァイオリンは右弾きで」と発言されていました。

今回は、それぞれのご意見に対して、
私なりの見地からおのおの反論してみよう、と思います。

まずは前回まとめた右弾きを薦める理由についてあげておきましょう。

 ・・・

【左利きでも右利き用で右弾きを薦める理由】

1.左利き用のヴァイオリンは右用とは構造が違い、手に入りにくい
→ 道具がないので、手に入るもので我慢しましょう!?

2.右手も左手も重要で、利き手の有利不利は関係ない
→ 右手も左手もどちらでも、慣れたら一緒!?

3.ヴァイオリンは集団で演奏することが多く、左弾きは立ち位置が難しい
→ 左弾きでは隣の右弾きの人と弓が当たる、
  弓の動きが逆で一人目立つ、ので困る!?

4.利き手も定かではない、小さい頃から習う人が多いので、
 利き手は関係ない
→ 利き手も小さい頃からなら換えられるという人もいるじゃないか!?


では、次にそれぞれの意見に反論してゆくことにしましょう。


 ●理由1.への反論=なければ作ればいいだけ

理由1.左利き用のヴァイオリンは右用とは構造が違い、手に入りにくい
→ 道具がないので、手に入るもので我慢しましょう!?

道具がないというのなら、単純に作ればいいのです。

それが人類の歴史でした。
より便利な生活のために人は色んな道具を作ってきました。

ない、というのなら、作ればいい。
他の左利き用の道具もそうでした。

そういう歴史を私たちは築いてきたのです。

現実に全くないわけではありません。
一部には存在します。




「左用の名器はない」という意見に対しては、
「今はなくても、将来の名器につながるものを作ればいい」
といいましょう。


昔左用(左利き用)のハサミというのは、特注品しかありませんでした。
一部の専門家の人がどうしても必要で、特注で作ってもらっていました。

しかし、そのうち「左用も必要ではないか」と考える人たちが増え、
特に子供用の左用ハサミは必要ではないかと考えるメーカーの人たちが、
これを開発し販売しようと活動し、実用化しました。

今では子供用ハサミにおいては、右用と左用が同一価格で併存するのが、
当たり前のこととなりました。
右用と左用を利き手によって選択する時代となっているのです。


 ●理由2.への反論=利き手と非利き手は役割が違う

理由2.右手も左手も重要で、利き手の有利不利は関係ない
→ 右手も左手もどちらでも、慣れたら一緒!?

利き手と非利き手では役割に違いがあります。

『手と脳 増補新装版』久保田競 紀伊国屋書店 2010/12/24
によりますと、

「第7章 利き手と脳」<言語脳と空間認知脳>

p.187《右脳の方が空間関係の認知に優れているだけでなく、
    認知された情報に基づいて手で処理する機能も、
    右脳の方が優れている》

といいます。
右利きの人は右脳-左手で、左利きの人ではその逆が。

ゆえに、利き手でない方の手(非利き手)の方が、
空間情報の処理に優れているのですから、
右弾きヴァイオリンでは、音程や音の調節をするといった、
弦を押さえる「位置」に関する動きに対しては、
「非利き手である左手」を用いる方が有利、と考えられます。

実際に右利きの人では左手で行っています。

 ・・・

左用のヴァイオリンの多くが、
左手の指が使えなくなった人のために作られた、といわれています。

左手の指が使えなくなった人が弓を持ち替えるというのは、
そういう理由からでしょう。

そういう意味で「左手が重要」という考えが生まれてくるのでしょう。

前回、ルドルフ・コーリッシュさんが、

《左手を負傷したため、止むをえず、右手でヴァイオリンを支え、
 左手で弦を動かさなければならなかった。》p.223
『左ききの本』マイケル・バーズリー 西山浅次郎訳
 TBS出版会(発売・産学社)1973――「十九 音楽における左きき」

というのも、そういうところでしょう。

以前、同様の理由から左弾きに変えたチェリストの話もありました。

 ・・・

しかし、弦を押さえる手は、基本は非利き手の役割です。
一方、弓を動かす手は、利き手の役割です。


 ●右手の役割と左手の役割

もう一度ヴァイオリンにおける右手と左手の役割を見ておきましょう。


【右手】の役割
[音を出す]要素
・ボウイング:弓を持って、上げ下げして、弦を弾く
・ピッチカート:弓を使わず指で弦を弾く

【左手】の役割
1.[音の調整]要素
・フィンガリング:指使い、運指(音程を作る)
・ポジションチェンジ
・ビブラート
2.ヴァイオリン本体の支持

これぐらいで間違いはないでしょう。


右手と左手、「利き手と非利き手の使い分け」という問題があります。

脳科学者・久保田競さんの『手と脳 増補新装版』
「第7章 利き手と脳」<手を使いわけよう>によりますと、

 《手を使うときには、右と左の特徴を使いわけるほうがいい。》p.197

 《利き手は言語を媒介する機能、言葉で考えたことを実現する機能、
  単純につかむ、つまむ、にぎることから書くことまでの機能に
  使われるべきで、非-利き手は手探り、空間認知、さらにそれを
  手がかりとして実現する機能に使われればよいのである。
  われわれの脳は左右に特殊化されているので、
  それに都合のよいように手を使わなければならない。》p.198

非利き手は《手探り、空間認知、それを手がかりとして実現する機能》と
あり、これはズバリ弦を押さえる手といっていいでしょう。

一方、利き手は《単純につかむ、つまむ、にぎること》=弓を持つ、
《言葉で考えたことを実現する機能》=どのような演奏をするか、
に使うべきだといいます。
これは、まさに弓を持つ手にふさわしい役割でしょう。

 《日本の古典楽器の琴、鼓、三味線などは片手で操作できない楽器で
  ある。利き手で弦をはねるが、非-利き手で音色と音域の調子を
  微妙に変え、調節をつづけねばならず、これをマスターするのは、
  言葉を司る利き手の側ではむずかしく、感覚を司る非-利き手の側に
  おぼえこませなければならない。
  このような楽器の練習に左右の手を使い分けることは、
  専門家にならなくても手の訓練として重要なことである。》pp.198-199

とあります。

手の訓練云々は別にして、演奏に関していいますと、
やはり利き手と非利き手の役割の認識が重要です。

右利きの人にとっての最適な方法=右手に弓、左手にヴァイオリン本体、
は裏返しますと、左利きの人にとっての最悪の選択といえるでしょう。


*参考文献:
『手と脳―脳の働きを高める手』久保田競 紀伊国屋書店 1982(昭和57)4/30
――利き手(作用の手)と非利き手(感覚の手)の役割の違いなど。

『手と脳 増補新装版』久保田競 紀伊国屋書店 2010/12/24
――《【旧版との違い】脳科学の新たな成果をアップデートするとともに、
読みやすいレイアウトに。/第2章、9章は全面的に書き下ろし》


 ●身体に合った道具を!

身体に合った道具に関してもう少し書いてみます。

私にはこういう経験があります。
私は中学生の時から父の買ってきたカメラを使い、
大人になってからも「写るんです」のようなカメラを使ってきました。

また、ソニーの8ミリビデオも使っていました。
これも右手で保持して、カメラのズームや録画などの操作も
みな右手一本で行うものでした。

それらを使っていても、なかなか慣れるということはなく、
常になにかしら違和感を抱いていました。

「隔靴掻痒」という言葉があるように、
まさに靴の上から足をかくような、
「はがゆくもどかしいこと」「思うようにいかず、じれったいこと」
「物事の核心や急所に触れず、もどかしいこと」という状況です。

あるいは、ガラス越しにものを見るというか、
夾雑物越しにものに触るときのような、
しっくりこないものがありました。

ところが、
左手用カメラ「京セラ・サムライ左手用廉価版 SAMURAI Z2-L」
を買いに行ったとき、初めて触ったのに、
まるでずっと昔から使ってきたかのような、
身体にフィットする操作感がありました。

これだ! と思いました。

あのときの感動は、初めて近視の眼鏡をかけた時の感動と同じように、
忘れられないものがあります。


このカメラは、左手でカメラ本体を握るように保持し
(落とさないように指にかけるストラップが付いています)、
左手の人差し指で、ズーム・レバーの操作や、
シャッター・ボタンを押す操作をします。

自分の好みの構図とシャッター・チャンスを
利き手である左手で操作できるのです。

まさに“自分のために作られたのか!”という印象でした。

毎度お話ししていますように、
これがきっかけとなり、左利きは左利き用の道具を! という、
私の左利き活動が始まったのです。



*参照:京セラ・サムライ左手用廉価版 SAMURAI Z2-L
『レフティやすおのお茶でっせ』
・2004.8.5
今は昔 世界初左手用カメラ、京セラ サムライSAMURAI Z2-L
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2004/08/__samurai_z2l.html
・2020.3.7
2020年は左利き公認60年&左利きライフ研究30年(2)
その後の30年(1)左手用カメラ-週刊ヒッキイ第566号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2020/03/post-fe5897.html


二本目の「その後の30年(1)左手用カメラ」にも書いていますように、

 《「慣れたら一緒」なんて嘘です。
  利き手に合わない道具を使うのは、
  靴を左右入れ替えて履くようなものです。》

まあ、靴の左右を入れ替えても「慣れたら一緒」
と言い張る人はいるんでしょうけれど……ね。


 ●<利き手は心につながっている>

このカメラの経験から、
私は利き手にあった道具を使うことを推薦するのです。

私の持論は<利き手は心につながっている>です。
《利き手では、反復練習で身につく作業より、心の作業を!》です。

ヴァイオリンの演奏でいえば、音を発する弓を持つ手こそ主役であり、
心の発現だからです。

音の調整は二義的なことです。
運指が巧みでも、肝心の音を出さないければ、音楽にはなりません。

カメラでいえば、まずはシャッターを押すこと。
ピントの調整ができるだけでは写真にはなりません。
写真を撮れるのは、シャッターを押したときだけです。

 ・・・

以上、ここでいったん区切ります。

次回また、理由3.と4.を取り上げ、
さらにもう一点つけ加えておきたい事柄について説明しましょう。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25― 楽器における左利きの世界(21)左利きヴァイオリニストの発言から」と題して、今回も全紹介です。

本来ですと、四つの理由をすべて書くつもりでしたが、思いのほか長くなってしまったので、二階に分割することにしました。

また、冒頭欄外に左利きニュース(左利きの著者と訳者による左利き本『左利きの歴史:ヨーロッパ世界における迫害と称賛』ピエール=ミシェル・ベルトラン/著 久保田 剛史/訳 白水社)を入れています。

実は、この本はヨーロッパ社会でのは左利き迫害の歴史を語るもので、左利きでもヴァイオリンを右弾きすることが当然とされる根拠の一つといいますか、そもそもの最大原因でもある左利きを認めない社会であったことを証明する本、といっていいものです。

ヴァイオリンを左弾きしている例として語られるケースの多くがアメリカでのカントリー・ミュージックの演者であり、ヨーロッパでのオーケストラや正規の楽団などではその例がないという事実は、要するにこのヨーロッパ社会での左利きの認知度によるものだ、ということなのです。

左利きの存在を邪悪視する社会において、その上流社会の趣味である音楽演奏の場で、左弾きの演奏家が認められるはずがありませんからね。

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』


『レフティやすおのお茶でっせ』
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
楽器における左利きの世界(22)左利きは左弾きヴァイオリンで(1)-週刊ヒッキイ第667号
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新しい左利き本『左利きの歴史:ヨーロッパ世界における迫害と称賛』発売される

2024-07-05 | 左利き
新たに「左利きの歴史」本が発売されました。

『左利きの歴史:ヨーロッパ世界における迫害と称賛』
ピエール=ミシェル・ベルトラン/著 久保田 剛史/訳 白水社 2024/6/27


出版社の著者紹介によりますと、著者は1962年生まれの左利きのフランス人で、『左利き事典』(Dictionnaire des gauchers, Imago, 2004)という著書もあり、《フランスでは在野の歴史家として知られ、左利きの歴史をテレビやラジオなどで解説することもある。》とのこと。

副題にもありますように、ヨーロッパ――主にフランスを中心にその周辺国におけるものです。

2008年の第二版の翻訳です。
ちなみに翻訳者さんも左利きだそうです。
「訳者あとがき」に、日本で出版された左利き本についても簡単に紹介されています。


(画像:2021年から2024年にかけて出版された左利きの本および関連本(実用書をのぞく)――
上段左から(1)八田武志『左対右 きき手大研究』DOUJIN文庫 2008年DOUJIN選書の増補文庫版 (2,3)マーティン・ガードナー『新版 自然界における左と右』(上下)ちくま学芸文庫 2021年 1992年紀伊國屋書店版の文庫化再刊
下段左から(4)加藤俊徳1万人の脳を見た名医が教える すごい左利き 「選ばれた才能」を120%活かす方法』ダイヤモンド社 2021年 (5)本書『左利きの歴史』白水社 2024年 (6)大路直哉『左利きの言い分 右利きと左利きが共感する社会へ』PHP新書 2023年)

16年前の本ということになります。

すでにお隣の韓国など世界7カ国で出版されているとか。

日本でも、このような「左利きの迫害の歴史」を描く本が出版される時代になったのですね。

もちろん、過去にも日本で出版された左利き本で、そういう歴史は大なり小なり語られてきました。
しかし、ここまで正面切って「迫害」と表現されることは少なかったように感じます。
そういう意味で、この本が出版されるような社会状況になるまでに掛かった歳月は、16年だったということでしょうか。

昔は、私が「左利きの問題」などと周囲の右利きの人たちに訴えても、「右手を使えば済む問題」と軽くあしらわれたものでしたから。

 ・・・

日本での左利き差別の歴史については、昨年出版されました、日本左利き協会の大路直哉さんの『左利きの言い分』などにもありますように、せいぜいここ数十年前までの日常茶飯事でありました。

*参照:『レフティやすおのお茶でっせ』2023.9.20
大路直哉『左利きの言い分 右利きと左利きが共感する社会へ』(PHP新書)買いました
(「新生活」版)
『左利きの言い分 右利きと左利きが共感する社会へ』大路 直哉/著 PHP新書 2023/9/16

外国では、特に西洋は自由と民主主義の国が多いので、日本とは違いかなり早い時期から左利きに関しても、容認されていたのでないか、とお考えの方も少なくないでしょう。
しかし実態は、比較的早くから左利き「矯正」の弊害が知られていたアメリカをのぞきますと、そうでもなかったということがこの本でも明らかになりました。

もちろん、本書「序論」にもありますように、左利き解放の歴史的な流れは、解放へ向けての一方的な流れではなく、寄せては返す波のように、一進一退、比較的いい時期もあればまた悪い時期に戻るといったものでした。

本書は、そういった左利きに対する寛容と非寛容の歴史を描く文化史です。

本書の目次を紹介しましょう。

【目次】
第二版の序文 
序論 
第一部 正しい手と邪悪な手 
第1章 なぜ人類は右利きなのか 
第2章 右手主導の規則 
第3章 左利きによる秩序の転覆 

第二部 軽蔑された左利き 
第4章 左利きという異常性 
第5章 左利きという烙印 
第6章 下等人間の特性 
第7章 不寛容のはじまり 
第8章 虐げられた左利き 

第三部 容認された左利き 
第9章 中世の黄金時代 
第10章 近代の解放にいたる長い道のり 
第11章 二つの右手の神話 

第四部 称賛された左利き 
第12章 左利きの卓越性 
第13章 左利きの巨匠たち 
結論 

付録 
訳者あとがき 
参考文献 
原注 


まだ全巻通読したわけではないのですが、やはり、前半の非寛容(といいますか、迫害)の時代を読むのはつらいものがあります。

「おい、いい加減にしろよ」と怒鳴りたくなるような記述が多々出て参ります。
まあ、それでもこれが現実だったのですから、致し方ないところです。

「第二版の序文」にもありますように、これは

 《左利きの歴史はおそらく第一には右利きの歴史でもあるのだ》p.8

ということです。

ですので、左利きの人のみならず、右利きの人たちもその点をよく理解した上で、ぜひお読みいただきたいものです。

 《左利きの人々の境遇に関心を抱くということは、おそらく彼らを正当に評価すること、とりわけ、われわれの精神的遺産の知られざる側面を問うことを意味する。それは、現在の自分をよりよく理解するために、かつての自分を知ることである。》p.9

といいます。
そして大いなる歴史であれ、小さな歴史であれ、これこそが歴史の正当性だ、と。

歴史書を読むとは、そういうことなのですね。


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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
新しい左利き本『左利きの歴史:ヨーロッパ世界における迫害と称賛』発売される
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私の読書論187-2024年岩波文庫フェアから『タタール人の砂漠』-楽しい読書369号

2024-07-02 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)
【別冊 編集後記】


2024(令和6)年6月30日号(vol.17 no.12/No.369)
「私の読書論187-2024年岩波文庫フェアから『タタール人の砂漠』」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2024(令和6)年6月30日号(vol.17 no.12/No.369)
「私の読書論187-2024年岩波文庫フェアから『タタール人の砂漠』」
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 本来は、月末で
 古典の紹介(現在は「漢詩を読んでみよう」)の号ですが、
 今月は岩波文庫のフェアが始まっていますので、
 恒例化ということで、今年もやります。

 最近のものでは↓

2023(令和5)年6月30日号(No.345)
「私の読書論172- 2023年岩波文庫フェア「名著・名作再発見!
 小さな一冊をたのしもう」から 上田秋成『雨月物語』「蛇性の婬」」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2023.6.30
私の読書論172-2023年岩波文庫フェアから上田秋成『雨月物語』
「蛇性の婬」-楽しい読書345号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2023/06/post-ec8330.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/417d68371321fb4e635a0fa83166e4d2


2022(令和4)年6月15日号(No.320)
「私の読書論159-エピクテトス『人生談義』―『語録』『要録』
―<2022年岩波文庫フェア>名著・名作再発見!から」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2022.6.15
私の読書論159-エピクテトス『人生談義』―
<2022年岩波文庫フェア>から-楽しい読書320号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2022/06/post-98be91.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/6a52aba9e4f9468c46611a84cd31f14f


2019(令和元)年6月30日号(No.250)-190630-
「2019年岩波文庫フェア「名著・名作再発見!」小さな一冊...」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2019.6.30
2019年岩波文庫フェア「名著・名作再発見!」小さな一冊...
―第250号「レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記
http://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2019/06/post-b015ac.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/e3a5116ac2b0a7abfec291e180ec97ce
 ◎取り上げた本:
芥川竜之介『羅生門・鼻・芋粥・偸盗』岩波文庫 改訂版 2002/10/16


 国内(芥川龍之介)、海外(エピクテトス)、国内(上田秋成)
 と来ましたので、今年は海外作品を――。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 - 人生、または時の遁走 -

  ~ 『タタール人の砂漠』ブッツァーティ ~

  2024年岩波文庫フェア
「名著・名作再発見! 小さな一冊をたのしもう」から
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●<2024年岩波文庫フェア「名著・名作再発見!」>から

今年も6月になり、<2024年岩波文庫フェア
「名著・名作再発見! 小さな一冊をたのしもう」>から、
「一冊これは」というものを取り上げます。


2024年岩波文庫フェア「名著・名作再発見! 小さな一冊をたのしもう」
https://www.iwanami.co.jp/news/n56405.html

《毎年ご好評をいただいている岩波文庫のフェア「名著・名作再発見!
 小さな一冊を楽しもう!」を今年もご案内いたします。
 岩波文庫は古今東西の典籍を手軽に読むことができる、
 古典を中心としたシリーズです。
 できるだけ多くの皆さまに名著・名作に親しんでいただけるよう、
 本文の組み方を見直し、より読みやすい文庫を
 と心がけてまいりました。
 いつか読もうと思っていた一冊、誰もが知っている名著、
 意外と知られていない名作──岩波文庫のエッセンスが詰まった
 当フェアで、読書という人生の大きな楽しみの一つを
 存分にご堪能いただければ幸いです。》

※2024年5月28日発売(小社出庫日)

■:以前弊誌、もしくはブログで取り上げた作品
◆:同、他社の本による
▼:既読、本書・他社本等による

<対象書目>
◆風姿花伝【青1-1】  世阿弥/野上豊一郎、西尾実 校訂
◆学問のすゝめ【青102-3】  福沢諭吉
◆武士道【青118-1】  新渡戸稲造/矢内原忠雄 訳
■代表的日本人【青119-3】  内村鑑三/鈴木範久 訳
風土──人間学的考察【青144-2】  和辻哲郎
君たちはどう生きるか【青158-1】  吉野源三郎
◆老子【青205-1】  蜂屋邦夫 訳注
■ブッダの 真理のことば・感興のことば【青302-1】  中村 元 訳
◆ソクラテスの弁明 クリトン【青601-1】  プラトン/久保 勉 訳
◆怒りについて 他2篇【青607-2】  セネカ/兼利琢也 訳
■マルクス・アウレーリウス 自省録【青610-1】  神谷美恵子 訳
◆方法序説【青613-1】  デカルト/谷川多佳子 訳
ルソー 社会契約論【青623-3】 桑原武夫、前川貞次郎 訳
永遠平和のために【青625-9】  カント/宇都宮芳明 訳
■ラッセル幸福論【青649-3】  安藤貞雄 訳
■ロウソクの科学【青909-1】  ファラデー/竹内敬人 訳
生命とは何か【青946-1】 シュレーディンガー/岡 小天、鎮目恭夫 訳
ウィーナー サイバネティックス【青948-1】
  池原止戈夫、彌永昌吉、室賀三郎、戸田 巌 訳
何が私をこうさせたか【青N123-1】  金子文子
伊藤野枝集【青N128-1】  森まゆみ 編
史的システムとしての資本主義【青N401-1】
  ウォーラーステイン/川北 稔 訳
▼古事記【黄1-1】  倉野憲司 校注
▼古今和歌集【黄12-1】  佐伯梅友 校注
■新訂 方丈記【黄100-1】  鴨 長明/市古貞次 校注
◆新訂 徒然草【黄112-1】  吉田兼好/西尾 実、安良岡康作 校注
閑吟集【黄128-1】  真鍋昌弘 校注
芭蕉 おくのほそ道【黄206-2】 松尾芭蕉/萩原恭男 校注
■源氏物語(一) 桐壺―末摘花【黄15-10】  紫 式部/柳井 滋、
    室伏信助、大朝雄二、鈴木日出男、藤井貞和、今西祐一郎 校注
◆こころ【緑11-1】  夏目漱石
夜叉ケ池・天守物語【緑27-3】  泉 鏡花
◆羅生門・鼻・芋粥・偸盗【緑70-1】  芥川竜之介
葉山嘉樹短篇集【緑72-3】  道籏泰三 編
放浪記【緑169-3】  林 芙美子
自選 谷川俊太郎詩集【緑192-1】  谷川俊太郎
大江健三郎自選短篇【緑197-1】  大江健三郎
けものたちは故郷をめざす【緑214-1】  安部公房
まっくら──女坑夫からの聞き書き【緑226-1】  森崎和江
北條民雄集【緑227-1】  田中 裕 編
安岡章太郎短篇集【緑228-1】  持田叙子 編
権利のための闘争【白13-1】  イェーリング/村上淳一 訳
危機の二十年【白22-1】  E.H.カー/原 彬久 訳
政治的なものの概念【白30-2】  カール・シュミット/権左武志 訳
▼日本国憲法【白33-1】  長谷部恭男 解説
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神【白209-3】
  マックス・ヴェーバー/大塚久雄 訳
大衆の反逆【白231-1】  オルテガ・イ・ガセット/佐々木 孝 訳
▼自由論【白116-6】  J.S.ミル/関口正司 訳
■曹操・曹丕・曹植詩文選【赤46-1】  川合康三 編訳
知里幸惠 アイヌ神謡集【赤80-1】  知里幸恵/中川 裕 補訂
サロメ【赤245-2】  オスカー・ワイルド/福田恆存 訳
灯台へ【赤291-1】  ヴァージニア・ウルフ/御輿哲也 訳
終戦日記一九四五【赤471-2】  エーリヒ・ケストナー/酒寄進一 訳
▼ラ・ロシュフコー箴言集【赤510-1】  二宮フサ 訳
タタール人の砂漠【赤719-1】  ブッツァーティ/脇 功 訳
白い病【赤774-3】  カレル・チャペック/阿部賢一 訳
やし酒飲み【赤801-1】  エイモス・チュツオーラ/土屋 哲 訳
失われた時を求めて 1 スワン家のほうへⅠ【赤N511-1】
  プルースト/吉川一義 訳
サラゴサ手稿(上)【赤N519-1】  ヤン・ポトツキ/畑 浩一郎 訳
サラゴサ手稿(中)【赤N519-2】  ヤン・ポトツキ/畑 浩一郎 訳
サラゴサ手稿(下)【赤N519-3】  ヤン・ポトツキ/畑 浩一郎 訳
シェフチェンコ詩集【赤N772-1】  シェフチェンコ/藤井悦子 編訳


以上、取り上げた作品は、60点中17点程度でした。
既読は5点。

全体のせいぜい三分の一程度でした。
まだまだ未読や取り上げていない古典の名著・名作がたくさんあります。

今回は、以前、地元の図書館で見て気になりつつも、
そのままだった本がありましたので、それを取り上げることに。


 ●タタール人の砂漠【赤719-1】ブッツァーティ/脇 功 訳

『タタール人の砂漠』ブッツァーティ/作 脇 功/訳
 岩波文庫 2013/4/17


 がそれです。

岩波文庫 赤(外国文学/南北ヨーロッパ・その他)719-1
タタール人の砂漠
https://www.iwanami.co.jp/book/b248369.html

《カフカの再来と称される,現代イタリア文学を代表する世界的作家
 ディーノ・ブッツァーティの代表作.20世紀幻想文学の世界的古典.》

刊行日 2013/04/16 ISBN 9784003271919

《この本の内容
 辺境の砦でいつ来襲するともわからない敵を待ちながら,
 緊張と不安の中で青春を浪費する将校ジョヴァンニ・ドローゴ――.
 神秘的,幻想的な作風で,カフカの再来と称され,
 二十世紀の現代イタリア文学に独自の位置を占める作家
 ディーノ・ブッツァーティ(1906―72)の代表作にして,
 二十世紀幻想文学の世界的古典.1940年刊.》



 ●イタリア文学の幻想小説家? ブッツァーティ

「二十世紀幻想文学の世界的古典」という点に興味を感じていました。
いつか読もうと思いつつ、そのままだった本です。

イタリア文学は若い頃に読んだアルベルト・モラヴィア以来でしょうか。


でも、この人の他の作品に『神を見た犬』(光文社古典新訳文庫)という
短編集があり、この本を過去に読んでいるようなのです。

『神を見た犬』ディーノ・ブッツァーティ 関口 英子/訳
光文社古典新訳文庫 2007/4/12


いま『タタール人の砂漠』と並行してこの短編集を読んでいるのですが、
既読感のある作品にぶつかり、あれっという感じです。

読書記録を繙けば、読んでいるのかどうか判明すると思うのですが、
2007年に出た本なので、十何年分かチェックすることになりますので、
ちょっと面倒です。
もう少し読んでいけばはっきりするかな、という気もしています。

昔から<幻想と怪奇>と呼ばれるジャンルの小説が好きで、
そういう触れ込みの本は結構読んできましたので、
この人の作品も読んでいたのかも知れません。

かなり記憶はいい方なのですけれど、ね。
どうでしょうか。

あるいは、何かのアンソロジーに入っているのを読んだのか?


 ●ストーリー

さて、『タタール人の砂漠』です。

士官学校を出たばかりの青年将校ジョヴァンニ・ドローゴ中尉は、
北の辺境の地にある任地のバスティアーニ砦に向かいます。

北の砂漠の国のタタール人が侵略に対抗するべく設けられた砦で、
多くの兵士が駐在し、厳格に勤めを果たしています。
彼らは、いつかやって来るであろう敵を撃退し、この地を守ることで
手柄を立て出世しよう、という願いを持っているのでした。

ジョヴァンニは、当初自分の志願した地ではないということで、
早期に町の近くの任地に転勤できるよう願い出るのでした。

ところがあれこれと説諭され、砦に留まります。
まだ、あの手柄を立てるという可能性を信じることができたから。
そして、まだ自分は若いと思っていたからでした。

最初に考えていた月日はたち、しかし、これといった事態の変化はなく、
日は過ぎていきます。

《彼は自分をここに引き留めようとする目に見えぬ罠が
 まわりに張りめぐらされいくのを感じるような気がした。(略)
 なにか正体不明の力が彼が町へ帰ろうとするのを阻む作用を
 働かせているのだった。》p.55


そんなとき小さな変化が起きます。
二年が過ぎたある日、敵の兵士が乗っていたのかもしれない、
一頭の鞍をつけた馬が見つかります。
自分の馬だといった砦の兵士が、隠れてこの馬を捕まえに行きますが、
捕まえられず帰ってきたところ、合い言葉が分からず、
軍務違反で砦に入れず射殺されます。


《北の砂漠からは彼らの運命が、冒険が、誰にでも一度は訪れる
 奇跡の時がやって来るに違いない。時が経つとともに次第にあやしく
 なっていくこうした漠とした期待のために、大の男たちがこの砦で
 人生の盛りをむなしく費やしているのだった。》p.85


北の王国が国境線の画定のために北の山稜に人員を送って来たのです。
こちらからも国境確保のために兵を出すのですが、
病気を押して任務を続けた一人の中尉が凍死する事件が起きます。
しかし、国境を確定すると北の兵士は去ってしまいます。


四年後、ジョヴァンニは町に帰りますが、家も母も、友人たちも、
もう彼の生活からは離れたものとなっていました。
友人の妹とも話がかみ合わず、大きな隔たりを感じます。
もはや自分の住む世界、生活は砦にしかないと。

あるとき、高倍率の良い望遠鏡を持つシメオーニ中尉が、
山の方に光があるといい、北の国が道路を建設しているのだといいます。
当初、司令部は否定していたのですが、実際に工事が始まります。
ところが、またしても道路を作るだけで、戦闘には発展しません。

一方、もう北の脅威はない、ということで、
軍はこの砦の規模を縮小することに決定します。
まわりのものはみな、彼には知られないように、
転勤を要請していたのでした。
取り残されたジョヴァンニ。

砦に戻るとき、新任の中尉と道連れになります。
それはちょうど自分が新任してきたときとまったく同じ状況でした。


そして三十年が過ぎ、ジョヴァンニは病気に倒れます。
その時に、とうとう待ちに待ったともいうべき、事態が発生します。
北の国から例の道路を敵が進撃してきたのです。
病気の彼にはここでの戦いの力になれない、
馬車を呼んでいるので町に療養に帰れ、と命令されます。
実は、援軍が来るので、彼らのために部屋を開けてくれ、というのです。

旅の途中、見知らぬ町の旅籠で遂に最期を迎えます。


 ●古希を迎えた私の人生の場合

私は今年古希、70歳となりました。
自分の人生を考えるときがあります。

正直、自分の人生は、残念な人生だった、と思っています。
自分のやりたいことをまったくといっていいぐらいできない、
できなかった人生だったからです。

私がやりたかった人生というのは、
大好きな女の子と一緒にしあわせに暮らすこと、でした。
できることなら自分の子供を産んでもらって、云々。

何が悪かったのかというと、結婚生活というのは、
まずはお金だと思っていました。
ところが自分は、その辺が全くだめという感じで、
実際はそれなりに稼いではいたので、豪邸を建てられような、
そういう結婚生活を考えるべきではなかった、というところでしょうか。

人生に置いて大事なことは、若いうちに自分の目指すべき将来の姿を、
自分の思うような生き方を、まずは考えるべきだろう、と思います。

そういう点で、まったく先のことを考えずに生きてきたのが、
一番の問題だったのでしょう。
とりあえずその時その時を生きるだけ、という生き方でした。

このように、流されるような生き方では
いい成果を挙げることは難しいものです。


 ●寓意性のある小説

さて、『タタール人の砂漠』です。
これはまさに「人生」を描いている小説です。

幻想小説とされていますが、確かに現実感の少ないストーリーです。
国境が未確定な部分もある辺境の地の砦で、いつか来るであろう敵襲で、
手柄を挙げて出世する、という希望を抱いた軍人たちの物語。

砦に向かう途上、そんな砦はない、聞いたこともないと言われたり、
最初から非現実的な展開で、

《(略)まさしくその夜に、
 彼にとっては取り返しようのない時の遁走がはじまったのだった。》

といった記述が出てきます。

時間を追ったリアリズムの小説というより、
全体を俯瞰したような記述があり、幻想的な小説という感じがします。

しかし、寓意性というのでしょうか、
そういう意味では、非常に現実的な展開でもあり、
一人の男の生き方を示しているともいえましょう。

人生とは、生きるため、食うために、
同じ場所で日々単調な生活を続けざるを得ない部分があります。
それらの日々のなかで、何かしらの希望や期待を胸に生きている、
という部分があります。
それでいて、何かが起きるかというと、何も無いまま終わってしまう、
ということも、まま起きるものです。
そういう生き方を象徴しているような物語です。


 ●何かを待つ人生の果てには

青春は待ってくれない、といいます。

ジョヴァンニの場合もそういう一つの罠に掛かったような、人生でした。

でも、早々に転勤を願い出て砦を出て行く者もあり、
それでもこの場に留まり、一か八かではないけれど、
一つの希望を抱いている者もいるのが現実でした。

彼らは何を人生に期待したのか、
あくまでも軍人としての出世だけだったのでしょうか、
それとも何かもっと異なる何かがあったのでしょうか。

その辺は本当のところはわかりません。
人それぞれに求めるものがあり、期待するものがあるのですから。

最終的に、この物語は何を語っているのでしょうか。

人生というものは、時の流れというものは、待ってはくれない、
ということなのでしょうか。

結局その時その時を生きるのではなく、やはり先々を考えながら、
今を生きることが大事ということでしょうか。

目先のことだけではなく、広く人生を考えることが重要なのでしょう。

それと、やはり自分の思いを大切に生きるべきだということでしょうか。
その結果が、ジョヴァンニの選択と同じであったとしても、
自分の選んだ道ならそれでいい、というのが人生なのかも知れません。

やはり思うのですが、いかな人生であったとしても、
それは「自主性を持った選択の結果」であるべきだろう、と。
そういうものであれば、いかな人生であっても、
最終的に納得がゆくものとなるのではないでしょうか。


とはいえ、70年生きてきても、まだ私にはよくわかりません、
人生の真実とか、良い人生とは何か、ということは。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「私の読書論187-2024年岩波文庫フェアから『タタール人の砂漠』」と題して、今回も全文転載紹介です。

毎年の恒例になりました、<岩波文庫フェアから>の一冊です。

昔から幻想小説といったものも結構好きで読んできたつもりです。
どちらかといいますと、幻想小説そのものというより<幻想と怪奇>系の小説を多く読んでいました。

特に、英米系のそういう小説に比べますと、他のヨーロッパ諸国のものとではかなり傾向が異なるように感じます。
フランスやイタリアというのは、結構トンデいる感じがします。

このブッツァーティの『神を見た犬』の短編などは、本当に楽しいというか愉快というか、そういうものから本当に怖いものまで、実にレパートリーを感じさせます。

一方、今回取り上げました出世作といいますか、彼の名を最初に有名にした『タタール人の砂漠』の場合は、非常に人生というものを考えさせる内容だったと思います。

光文社文庫版『神を見た犬』の訳者・関口英子さんの「解説」に、本書についての当時のブッツァーティの言葉が紹介されています。
当時彼は新聞社で働いていて、
《単調でつらい仕事の繰り返しに、歳月ばかりが過ぎていった。私はこれが永遠に続くのだろうかと自問していた。希望も、若者ならば誰しも抱く夢も、しだいに萎縮してしまうのではないだろうか」》(p.380)
と感じていた、といいます。

『神を見た犬』の中の一編「天国からの脱落」に、天国で友人と談笑していた聖人の一人が、ふと下界の青年たちの姿を垣間見、
《二十代の若者だけに許された希望をひしひしと感じ取ったのだ。未来という無限の可能性を秘めた若者たちの力やエネルギー、嘆きや絶望、そしてまだ荒削りの才能を、まざまざと見せつけられた。》(p.262 関口英子訳)
という場面があり、結果この聖人は、もう一度そういう人たちの仲間入りをしたいと、万能の神に願い出ます。

まあ、そういう不確定だけれど、心浮き立つ希望に満ちた若さに魅力を感じるという気持ちはわかります。

どんな状況にあっても、人は未来に希望を抱くものであり、そこにこそ生きがいというか、エネルギーが湧いてくるものがあるように思います。

この『タタール人の砂漠』の砦の人々も、一つの希望を持って毎日軍務に精を出してきたのでしょう。
ただ、その流れに流されてしまう人もいれば、区切りをつける人もいるということなのでしょう。

どちらが正しいのかはなんとも言えませんが、やはり「自分をしっかりと持つ」ということが大事なんだろうな、という気はします。

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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
私の読書論187-2024年岩波文庫フェアから『タタール人の砂漠』-楽しい読書369号
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