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50歳からが人生の第二段階、中年の始まりです。より良き老後のために良き習慣を身に付けて新しい生活を始めましょう。

「TOKIMEKIママ倶楽部」のママのお悩み

2005-06-08 | 左利き
久しぶりに左利きについてネット検索して見ました。
最近はブログの普及とともに、左利きに関する記事もグッと増えてきました。そんな中から興味深いホームページを紹介してみましょう。

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シャープが運営するスペースタウンに「TOKIMEKIママ倶楽部」というママを応援するコミュニティサイトがあります。
ここに「どうする?育児家事」コーナー「ひとこと言わせて!/ママのお悩み、みんなで解決!」という相談コーナーがあります。

2004年12月16日の相談は「年長の娘は左利き。右で書けるように直したほうが良い?」です。
「年長の娘は左利き。幼稚園で書き方の練習が始まったのですが、書くことだけでも右で書けるように直したほうが良いでしょうか。/来年から小学校に上がるので、心配です。」
リンク: TOKIMEKIママ倶楽部 ~ ママのお悩み、みんなで解決!.

"そうだんず三人組"ジョアンナ、クララ、マシュマロがそれぞれ代表的な意見を述べ、それぞれの投票数とコメントが紹介されています。
要約すると、以下のようになります。

ジョアンナ=変換賛成派(投票数3):左利きでは漢字など書きづらいことがある。他にも使いづらい道具もある。そこで、使いずらそうにしていたら、右手で使うと使いやすいよ、と無理なく自然に右手を使うように誘導してみては?

クララ=変換反対派(投票数11):左利きでいい。本人が使いづらいと思えば右手で書いてみようとする。得意なことも多いし。

マシュマロ=基本は反対、親の気の済むように一部容認派(投票数9):その子それぞれでいい。気になるなら右手も使えたらさらに素敵ね、という感じで右手を使えるように誘ってもみてもいい。

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コメントの中で私が気になるのは、「わが家はこうしたい」と言う家庭、親の方針を打ち出している場合です。
なるほど思想や倫理観など精神的な事柄に関しては、それで良いと思います。
しかし、物理的に変更不可能な性質にまでそれを持ち込むのはやはり問題があると思います。利き手の問題はそういう変更不可能な要素を含む問題であると考えられます。

左利きというのはひとつの個性である、と言われるようになりました。そして、それぞれの子供の個性を認めよう尊重しよう、と言う左利き肯定の方向に社会は進んでいます。
ただ、個性と表現すると誤解を生むおそれがあります。個性個性と言うが、個性なら何でも許してよいのか、それでは自分勝手な人間に成長するだけだ、良いことと悪いことはしっかり教えて躾けなければいけない、と考える人も現れます。

私は、利き手は才能だと例えます。
右利きとは、右手を主に左手を従に使う才能。左利きとはその逆で、左手を主に右手を従に使う才能です。
才能ですからこれは変えることはできない。人によりそのレベルも異なる(才能の豊かな子は、非利き手も使えるようになるかもしれません)。そこで、それぞれの才能を活かす方法を考えるべきだ、と理解できると思います。

しかも、人間には才能だけでなく、能力もあります。これは変えることができます、本人の意志と努力とによって。
人は才能である利き手は変えられないが、実際に使う手は才能の範囲内でその能力を伸ばすことができます。しかしそれはあくまで、本人の意志と努力の結実として身に付くものです。それは物心ついてから、十代に入ってからで十分です。(以前紹介した、左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」の小野二郎さん〔※注1〕は、板前になろうと決意した十代初めに包丁を右手に持ち替えたそうです。―山本益博・著『至福のすし―「すきやばし次郎」の職人芸術』新潮新書より。)
左利きというのは、脳神経系の機能という理由があってそうなっているわけですから、その原因を解消しなければ変えられるものではないのです。字を書くという行為も運動+言語という脳神経系の機能の複合の結果です。このような複雑な動作は利き手で行うほうが良いと思います。

基本的に幼児期においてはその持って生れた才能を十分に活かす方法を考えるべきです。
家庭の方針といって子供を縛るのは、利き手使い手の問題に関してはいかがなものか? と大いに疑問に思います。
ましてや、親の気が済むようにと、子供に右手使いを促すという行為も、どうでしょうか? 
子供は親のものではないのですから。子供を一番の考えるのが自然な子育てのあり方でしょう。
子供は親の喜ぶ顔見たさに、親の指図に従うかもしれませんが…。
親の笑顔を子供の喜びにさせるのではなく、子供の笑顔こそ親の喜びでしょう。

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それともうひとつ気になるのは、字は右手で書くようにできている、という思い込みです。
本来文字(漢字)の成り立ちというものを考えると、右手で書くように生れては来ていないということです。
生れた後に、一部の人達によって右手で書きやすいように改変させられ、それが正式な書き方であり、美しい文字であるという基準に落ち着いたということでしょう。

現代人は、文字というものは万民が使うありふれた道具だ、と思い込んでいます。しかし、何千年かの文字の歴史(漢字の歴史は三千三百年ぐらいという)の中で、実際に万民のものとなったのはついこのあいだのことです。二、三百年も前には、一部のエリートだけが使う道具だったのです。
字を書くという技術は、エリートのステイタスだったのです。(今でも識字率の低い国があります。)
当然そこにはのちのち色々な尾ひれ(流儀・作法)がついてくるわけです。そのひとつが文字は右手で書くものという固定観念につながっているのだと思います。

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全般的に見ると、変換反対派が多数を占めています。次に、一部容認派。変換賛成派はごく少数の意見となっています。それでも一部容認派を合わせると、五分五分というところです。
まずは常識的な線に落ち着いているようです。
反対派が多数を占めているのはうれしいのですが、内容的にはもうひとつ決定打に欠けるようで、私としては今ひとつ歯がゆい気分です。

また、一部容認派の中にも、私としては考えを改めて欲しいと思うものがあります。
やはり、一番大切なことは誰がそれを行うのか、という点です。それは子供自身です。子供は期待されればそれに応えようとするものです。その親の期待が子供にとってはどうなのか、ということを十分考えた上で結論を出して欲しいと思います。

※注1:
2005/05/20 左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」・その一 
お茶でっせ版新生活版
2005/04/06 左利きのすし職人『すきやばし次郎 旬を握る』 
お茶でっせ版新生活版

※本稿は、ココログ版「レフティやすおのお茶でっせ」より転載して、テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。
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