レフティやすおの新しい生活を始めよう!

50歳からが人生の第二段階、中年の始まりです。より良き老後のために良き習慣を身に付けて新しい生活を始めましょう。

2022年8月13日国際左利きの日合併号(続)左利きとアイデンティティ-週刊ヒッキイ第625号

2022-09-04 | 左利き
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』別冊編集後記

第625号(No.625) 2022/9/3
「2022年8月13日国際左利きの日合併号(続)
左利きとアイデンティティ ~《ピープル》シリーズから考える」



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン

  右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
  左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第625号(No.625) 2022/9/3
「2022年8月13日国際左利きの日合併号(続)
左利きとアイデンティティ ~《ピープル》シリーズから考える」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 先月は、
 八月合併号として8月13日<国際左利きの日>に発行しました。
 
 今回は、その続きで、前回途中まで書いた
「左利きとアイデンティティ」についてお話しします。

┏ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┓
2022年8月合併号(続)
― 左利きとアイデンティティ ― 
  心の癒やし ~ 《ピープル》シリーズ から考える
┗ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┛      

 ●前回後半のおさらい

前回の後半では、「左利きとアイデンティティ」について、
ゼナ・ヘンダースン<ピープル>シリーズ『果てしなき旅路』
について書かれた赤木かん子さんの
『こころの傷を読み解くための800冊の本 総解説』
の該当文章を引用しながら、私の左利きの経験を交えて書いてみました。


--
『こころの傷を読み解くための800冊の本 総解説』
赤木 かん子/著 自由國民社 2001/5/1

  自分はまわりと違う、という孤独感と孤立感に悩まされ、
  不安で不幸な人々が自分と同じ人々と出会い、救われ、解放され、
  幸福になる……そういう話が――。そうしてそのテの物語を、
  “ピープル・タイプ”と呼んでいました。それは今考えればみな、
  アダルト・チルドレンの物語だったのです。/
  当時のSF作家たちは超能力者だけではない
  いろいろなSF的手法を使って、
  ACの癒やしの物語を紡いでいたのでした。なぜか……?!
  彼ら自身がそうだったから……、そしてそうやって
  自分自身を癒やそうとしたのではないかと私は思います。》p.69


《自分はまわりと違う、という孤独感と孤立感に悩まされ、
 不安で不幸な人々》

まさに、当時の私は、そういう「不幸な左利きの一人」だったのです。

そんな
《人々が自分と同じ人々と出会い、救われ、解放され、幸福になる》
としたら、どうでしょうか。

こんな素晴らしいお話は他にはありませんよね。
--

*ゼナ・ヘンダースン<ピープル>シリーズ
1.『果てしなき旅路』ゼナ・ヘンダースン/著 深町眞理子/訳
ハヤカワ文庫 SF ピープル・シリーズ 1978/7/1

2.『血は異ならず』ゼナ・ヘンダースン/著 宇佐川晶子, 深町眞理子/訳
ハヤカワ文庫 SF 500 ピープル・シリーズ) 1977/12/1



 ●ゼナ・ヘンダースン<ピープル>シリーズ

私がこれらの作品に出会ったのは、
高校生を卒業する前後だったでしょうか。

高校二年の夏から『ミステリマガジン』や
同じ出版社のエンタメ系雑誌『SFマガジン』を読んできました。

『ミステリマガジン』は連載小説等に惹かれて定期購読していましたが、
『SFマガジン』の方は、好きな作家の作品が掲載されたときのみ、
購読していました。

そんな好きな作家の一人にこのゼナ・ヘンダースンもなりました。

偶然読んだのが最初の一編が、3作目?の「ヤコブのポタージュ」
(『果てしなき旅路』のなかでは、第3章に「ヤコブのあつもの」として
 収録)だったのか、その辺のところははっきりしませんが、
この作品を原作とするアメリカ製作の単発テレビ映画は
のちにNHKで『不思議な村』というタイトルで放送され、
楽しく見たのを記憶しています。


*『不思議な村 SF超能力者の村・消滅惑星ザイラスの秘密』
(日本語吹替収録版) [DVD]
■ゼナ・ヘンダースン原作「果てしなき旅路」を映像化
■F・F・コッポラが製作総指揮を務めたSF・TVムービー
■コッポラの父、カーマイン・コッポラが魅惑的な音楽を提供。
■「スター・トレック 宇宙大作戦」のカーク船長役の
 ウィリアム・シャトナーが熱演。
原題 : THE PEOPLE 製作年 : 1971年 製作国 : アメリカ

この時期は、記憶は定かではありませんが、
麻丘めぐみさんの「わたしの彼は左きき」のヒット曲や、
箱崎総一先生の主宰する「左利き友の会」などが出現し、
左利きに対する見方が味方が変化し始める<左利き観の転換期>
1970年代の初めのころでありました。

最初の本『果てしなき旅路』が出たのは、1978(昭和53)年でした。
私が24歳の時になります。


*参照:

『「古典から始める レフティやすおの楽しい読書』
2014(平成26)年6月15日号(No.129)-140615-
「私の読書論-57-「私のおススメの古典から」(4)
-人生の教科書-『ミステリ・マガジン』(2)コラム編」

2014.6.15
人生の教科書『HMM』+『SFマガジン』も―
私の読書論57おススメ古典4
http://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2014/06/574-206e.html
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-11877568307.html

--
ゼナ・ヘンダースン(ヘンダーソン)です。
「されば荒野に水わきいで…」(SFマガジン 1973年10月号)が
最初だったと記憶しています。
これを読んだ直後だったと思うのですが、
NHKでアメリカ製だろうと思われるドラマか映画が放送されました。

これは、<ピープル>シリーズと呼ばれる
地球に不時着して隠れて生きる異星人たちの物語の連作です。のちに
『果てしなき旅路』と『血は異ならず』の二冊にまとめられました。

繊細な精神の持ち主が読むのにふさわしい作品だと思っています。
--


 ●「人と違う」――疎外された人の心の痛み

この作品を読みますと、
多くの世間から疎外された人々の記憶に出会います。

特殊能力を持った異星人であることを知られれば、
魔女狩りのように殺されてしまうこともあるのです。

 《異常であるということは、
  他人のふるまうようにふるまわないことである。
  正常でないとは、普通のひとがやらないことをやることである。
  とうさんがあんなに怒ったのは、そのせいかもしれない!
  もしかしたらぼくは、正常でないことをしでかしたのかもしれない!
  ぼくは途方に暮れて地面を見つめた。
  ぼくの一家はどこがちがっているのだろう。(略)
  自分がほかのものとへだたっているという感じ。
  そしてそれを意識するとともに、
  警戒心が、隠さねばならぬという認識が湧いてきた。
  もしどこかおかしいところがあるのなら、
  だれにもそれを知られてはならない――
  うっかりそれを外にあらわしてはならないのだ……》p.93-94
   (『果てしなき旅路』「ギレアデ」より)

異星人であるがゆえに疎外される、差別される人々――
そこに私の心の琴線に触れるところがありました。
私もまた左利きという「人とは違う」という点で差別され、
疎外感にさいなまれていた経験があったからです。


鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)さんの
『「空気」を読んでも従わない 生き苦しさからラクになる』
(岩波ジュニア新書 2019/4/20)


にこうあります。

 《「世間」は、まとまりを強くするために、
  意識的にも無意識的にも、「仲間外れを作る」のです。》
   <16「世間」のルール4 仲間外れを作る> p.101

左利きに関して言えば、
“無意識的”な「仲間外れ」という差別でしょう。

なにしろ右利きの人は、それが「普通」という感覚であり、
社会の在り方そのものが、そういう右利きの人のために
最適な環境を作っている「右利き優先」
あるいは「右利き偏重」の社会であることに
全く気付いてもいないのです。

それ故に、右利き以外の人を除外している社会だ、
という事実に気付いていないわけです。

右利きの人は「自分が右利きである」という事実も認識していない、
のが現実です。


 ●左利きというアイデンティティ

それに対して、左利きの人にとっては「左利きである」という事実が、
重要なアイデンティティ(の一つ)になるのです。

アイデンティティとは、(先の赤木かん子さんの本のよりますと)

 《とてもカンタンに言ってしまえば、/“アナタは、ダレですか?”
  ときかれた時に、その人が答える“こと”です。
  それは人種だったり国籍だったり
  (この両者は必ずしも一致するとは限りません)、
  仕事だったり、性別だったり、それこそ星の数ほどあると思います。
  そうしてどういう仕組みか、人間は自分のアイデンティティが
  不安定だと精神的にも不安定になるようだし、
  それを理由にいじめたり排斥したりもするので、
  人が傷つく大きな原因のひとつになるわけです。/不思議だね?》


利き手もそういうアイデンティティになるのです、左利きの人の場合は。
これは先ほども書きましたように、右利きの人にはまずありません。

「左利きである」ということが、
自分が「ほかの人と違う」点として認識する項目の一つだ、
ということであり、
その点を右利きの人が左利きの人を攻撃するポイントにしていた、
ということでもありす。

そして特に、私のようにある程度の年齢以上の左利きの人では、
この「左利きアイデンティティ」を
より強く感じているのではないでしょうか。

差別の記憶がそうさせているのだと思うのです。

この思いがなくなる日が来るのかどうか、
そして、左利きをアイデンティティとすることがいいことなのかどうか、
私には、まだ分かりません。


 ●左利き生活向上のために

そこで思うことは、この「国際左利きの日」を機会に、
もっと多くの人が、左利きについても考えてもらえるように、
この左利き啓蒙活動を広めてゆきたいということです。

精神的にも肉体的にも、心理的にも物理的にも、
左利きの人の生活が向上する――幸せになるために
ぜひ、読者の皆様のご協力を乞うものです。


先に紹介しました鴻上尚史さんの『「空気」を読んでも従わない』に
こういうことも書いてありました。

 《「世間」の悪い面は、
  意識的に変えようと思わないとなかなか変わりません。
  放っておいて自然に変わるということはないのです。》
   <16「世間」のルール4 仲間外れを作る> p.107


さらに、<18「世間」はなかなか変わらない>には、こうあります。

 《「世間」はすでにあって、
  これからもずっと続くものと思われているからです。
  「世間」は変えるものでなく、
  そこにあるものと思ってしまうのです。》p.117

日本人は、そういうとき、
「世間」や「社会」を変えようとするのではなく、
「しょうがない」という言葉でやり過ごしてしまう、といいます。
ガマンしてしまう。

そうではなく、

 《自分たちの生きている「世間」や「社会」を
  よりいいものにするのは、
  私たちの権利であり義務でもあると思っているのです。/(略)
  「世間」や「社会」に身をまかさないで戦う必要がある
  と僕は思っているのです。》 <同> p.118


私もまた、この意見に賛成で、「長いものには巻かれろ」ではなく、
「誤りは正す」姿勢が大切だ、と考えています。

表題下にも書いていますように、従来の

 「右利き偏重社会」を
 「左利きにも優しい左右平等、左右共存の社会」に

変えてゆきましょう。

たとえどんな小さなことからでもいいのです。
始めてみましょう

鴻上さんは、こうも書いておられますから。

 《小さな戦いが、この国の大きな「世間」をゆさぶり、
  変えるきっかけになることは間違いないのです。》
   <20 強力な「世間」との戦い方> p.136

そして、「おわりに」には、

 《あなたの戦いは、あなただけの戦いではない。》p.189

ともあります。
それを期待して、私もこの戦いを続けたいものです。


*参照:「レフティやすおのお茶でっせ」
 過去の「8月13日は<国際左利きの日>」の関連記事

カテゴリ:<8月13日国際左利きの日>
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/cat24364203/index.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 「★600号までの道のり」は、お休みです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「2022年8月13日国際左利きの日合併号(続) 左利きとアイデンティティ ~《ピープル》シリーズから考える」と題して、今回も全紹介です。

ゼナ・ヘンダースン《ピープル》シリーズについては、前号およびその編集後記でも書いていますので、そちらを参照していただくとして、今回は、左利きとアイデンティティについて書いてきました。

いいたいことは、要するに左利きの私にとっては、この現在あるこの「社会そのもの」が「間違っている」ということで、それを「左利きの人にも優しい社会に変えてゆこう」。
そのためにどん些細なことであっても、おろそかにせず、取り組んでいけたらいいなあ、ということです。

皆様もご協力いただければ嬉しく思います。

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』


『レフティやすおのお茶でっせ』〈左利きメルマガ〉カテゴリ

--
『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
2022年8月13日国際左利きの日合併号(続)左利きとアイデンティティ-週刊ヒッキイ第625号
--

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新潮・角川・集英社<夏の文... | トップ | 私の読書論160-小説の王道、... »
最新の画像もっと見る

左利き」カテゴリの最新記事