古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】
2023(令和5)年3月31日号(No.339)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(21) ―曹丕(そうひ)」
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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年3月31日号(No.339)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(21) ―曹丕(そうひ)」
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「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」21回目です。
今回も引き続き、
曹操の息子で、父・曹操、四男・曹植(そうしょく)と共に
「三曹」と呼ばれる、次男・曹丕(そうひ)の詩から、
「寡婦」を取り上げます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆ 建安時代の文壇のリーダー ◆
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(21)
三曹(さんそう)から曹操の息子
~ 次男・曹丕(そうひ)「寡婦」 ~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今回の参考文献――
『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
「六、抵抗と逃避のあいだに――三国時代から魏へ」より
(画像:『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20 と『曹操・曹丕・曹植詩文選』川合 康三/編訳 岩波文庫 2022/2/17)
●曹丕(そうひ)「寡婦」
曹丕(そうひ 187~226年)は、父・曹操を受け継ぎ、
後漢の献帝から禅譲され、魏王朝を建国、初代・文帝となる。
父同様、文武両道の人。建安七子(けんあんしちし)の庇護者。
建安時代の文壇のリーダーとして実験的な試みをした。
四言、五言、六言、『楚辞』ふうと様々な形式で詩作し、
評論家として文学評論の先駆『典論』を書いた、といいます。
(画像:「魏文帝曹丕像」(伝閻立本「帝王図巻」部分 ボストン美術館蔵))
・・・
寡婦 曹丕
序文
「私の友人の阮元揄(げんげんゆ)が早く亡くなり、
その奥さんが一人で暮らしているのを悲しんで、彼女のために作った」
霜露紛兮交下 霜露(そうろ) 紛(ふん)として交〃(こもごも)下(くだ)り
木葉落兮淒淒 木葉(ぼくよう) 落(お)ちて淒淒(せいせい)たり
候雁叫兮雲中 候雁(こうがん) 雲中(うんちゆう)に叫(さけ)び
帰燕翩兮徘徊 帰燕(きえん) 翩(へん)として徘徊(はいかい)す
霜と露が入り混じり、共に地上に降り注ぎます
木の葉も散り落ち、寒さが身にしみます
渡り鳥の雁は雲の中に鳴き叫び、
南に変える燕はひらひらと飛び回っています
妾心感兮惆悵 妾(しよう)が心(こころ)
感(かん)じて惆悵(ちゆうちよう)し
白日忽兮西頽 白日(はくじつ) 忽(こつ)として西(にし)に頽(くづ)る
守長夜兮思君 長夜(ちようや)を守(まも)つて君(きみ)を思(おも)ひ
魂一夕兮九乖 魂(こん)は一夕(いつせき)に九(ここの)たび乖(そむ)く
私の心は秋の寂しさに打たれてしょんぼりしてしまい、
いつの間にか太陽は西に沈んでゆきました
この長い夜、眠れず過ごしてあなたを想い、
私の魂は一夜のうちに九回もわが身を離れ、
あなたのところへ行こうとしています
悵延佇兮仰視 悵(ちよう)として
延佇(えんちよ)して仰(あふ)ぎ視(み)るに
星月随兮天廻 星月(せいげつ) 随(したが)つて天(てん)に廻(めぐ)る
徒引領兮入房 徒(いたづ)らに領(うなじ)を引(ひ)いて
房(ぼう)に入(い)り
窃自憐兮孤栖 窃(ひそ)かに自(みづか)ら孤栖(こせい)を憐(あはれ)む
がっかりした気持ちのまま、じっとたたずんで夜空を眺めると、
星と月がいっしょに大空をめぐり動いています
そこで私はむなしく首を伸ばすようにあなたを想い、
部屋に戻り、なおも人知れず自らの一人暮らしを悲しむのです
願従君兮終没 願(ねが)はくは君(きみ)に従(したが)つて
終(つひ)に没(ぼつ)せん
愁何可兮久懐 愁(うれ)ひは何(なん)ぞ
久(ひさ)しく懐(いだ)く可(べ)けん
どうかあなたの側へ行って人生を終えたい
このような愁い、悲しみは、
どうしていつまでも抱き続けることができるでしょう
《友人の奥さんの境遇、心境を思いやって作った心やさしい作品》と、
宇野さんの解説。
四句ずつに分かれます。
第一段は、秋の季節感の描写から――
霜、露、木の葉、雁、燕などを並べるのは、
宋玉が秋の悲しみを歌った「九弁」を思い出す。
第二段は、秋の夜の夫をしのぶ心境を告白。
第三段は、一人となった自分の悲しみを強調。
最後の二句は、願望で結び、“私には耐えられません”と終えます。
●曹植と曹丕
曹丕には曹植の恋人にまつわる逸話があるといいます。
かつて曹植が宮廷に出入りするある人の娘さんを好きになりますが、
父の曹操は、どんな事情か、その娘さんを兄の曹丕の嫁に――。
曹丕は即位して文帝となり、その娘さんは皇后となります。
が、都に来た曹植に、曹丕は彼女の形見の枕を見せます。
他の宮女の告げ口で殺されていたのです。
こういうふうに、二人のあいだには継承争いをめぐって確執があった
とされています。
しかし、この骨肉の争いとされるものも、二人の対立というよりも、
自らの野望を達成しようとする側近たちがあおり立てたものだった。
曹丕が先に亡くなったとき、曹植が真情に溢れた追悼文を書いている。
ずっと兄を敬愛していた節がある、と宇野さんはいいます。
《曹丕を悪者に、曹植を犠牲者にするのは伝承の世界でのこと
と思えてなりません。》p.225
●建安七子と曹丕
この<漢詩を読んでみよう>を始めてもう何年かになります。
その間の2022年に、
岩波文庫から『曹操・曹丕・曹植詩文選』という本が出ています。
(この本のなかでは「建安の七子」と表記。)
今回はそこから少し書いておきます。
・・・
建安とは、後漢最後の年号(196-220)で、
建安年間には魏の曹操が実験を握っており、群雄との戦いが続く時代。
一方で、魏で開花した新しい文学は建安文学と呼ばれ、
曹植が世を去った魏・明帝(曹丕の子)の太和(たいわ)6年(232)
あたりまでの約30年間ほどを指します。
建安七子と呼ばれる文人たちが曹操のもとに集まったのは、
曹操自身が文人であったからといわれています。
七子は、孔融(こうゆう)・徐幹(じょかん)・応瑒(おうとう)・
陳琳(ちんりん)・劉楨(りゅうてい)・阮瑀(げんう)・王粲(おうさん)
の七人を総称しています。
曹丕の散文、ともに遊んだ呉質への書翰、
「朝歌令呉質に与うる書」「呉質に与うる書」は
《失った仲間たちを懐かしむ思い、人との交わりを慈しむ気持ち、
そんな曹丕の真情があふれ、今でも直截に我々の心を捉える。》
「解説」p.577
建安の文学は、それぞれの個性が顕在化する契機となり、
個人の言葉である詩が生まれようとしていた、といいます。
それまでは詩というよりは歌謡であり、「楽府(がふ)」と呼ばれ、
人びとの政治の意見を聞くという意味で、
巷間で歌われていた歌の歌詞を採取する職掌があり、
そうして記録された歌を「楽府」と呼び、
詩の一ジャンルとして定着しました。
それらは、人びとの間で共有される思いを歌うもので、
特定の個人が表出する詩とは異質のもので、
作者の名はありませんでした。
集団の中から生まれた楽府と、
個人が表出する建安の個別の文人の手になる詩とを繋ぐものとして、
以前紹介しました後漢後期の「古詩十九首」がありました。
「楽府」→「古詩十九首」→(個人的な言語表現の)建安の五言詩
《集団的歌謡から個別的作者の詩へと変化する文学の転折点、
そこに建安文学は位置するのである。》「解説」p.568
曹丕の詩は、個性という点では曹操や曹植に比べると目立たない
といわれていますが、楽府・五言詩・七言詩と形式が多様で、
建安七子の遺稿を編んで文集を作ったとされています。
また、曹丕は『典論』という中国最初とされる文学論も書いています。
●曹丕の散文から「少壮にして…努力すべし」
「呉質に与うる書」より、気になった部分を紹介しましょう。
《少壮(しょうそう)にして真(まこと)に当(まさ)に努力(どりょく)
すべし。
年(とし)一(ひと)たび過(す)ぎ往(ゆ)けば、何(なん)ぞ
攀援(はんえん)す可(べ)けん。
古人(こじん) 燭(しょく)を
炳(と)りて夜(よる)も遊(あそ)ばんことを思(おも)うは、
良(まこと)以(ゆえ)有(あ)るなり。》pp.216-217
《若い時にはほんとうに努力すべきです。
時は一度過ぎてしまえば、引き寄せることはできません。
古人が灯燭(とうしょく)を手にして夜も遊ぼうと言ったのは、
まことに言われのあることです。》p.219
人生は取り戻せない、一度過ぎ去った時を戻すことはできません。
だからこそ、今を大切に生きていきましょう、
と故人となった仲間たちを悼み、改めて人生を思う言葉でしょうか。
私も年寄になって、同じように感じます。
若いうちにもっと色々勉強したり、経験しておけばよかった、と。
それなりに努力はしてきたつもりですが、
つもりでは無く、本当に、懸命になって取り組むべきでした。
何もやらずに後悔するのではなく、
仮に失敗してもやっておくべきだった、と悔やんでいます。
*参考文献:
『曹操・曹丕・曹植詩文選』川合 康三/編訳 岩波文庫 2022/2/17
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★創刊300号への道のり は、お休みします。
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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(21) ―曹丕(そうひ)」と題して、今回も全文転載紹介です。
三曹と呼ばれる曹操、曹植に続いて曹丕を扱っています。
曹丕は、曹植の兄ですので、順番としては曹植の方をあとに扱うべきかもしれません。
しかし、この順番は単に私の参照している文献の取り上げ順に従っています。
曹丕は、曹操や曹植に比べてその詩の評価は低いように言われています。
この順は、そういうことが理由になっているのかもしれませんね。
・・・
*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』
『レフティやすおのお茶でっせ』
〈メルマガ「楽しい読書」〉カテゴリ
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(21) ―曹丕(そうひ) -楽しい読書339号
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2023(令和5)年3月31日号(No.339)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(21) ―曹丕(そうひ)」
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「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(21) ―曹丕(そうひ)」
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「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」21回目です。
今回も引き続き、
曹操の息子で、父・曹操、四男・曹植(そうしょく)と共に
「三曹」と呼ばれる、次男・曹丕(そうひ)の詩から、
「寡婦」を取り上げます。
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◆ 建安時代の文壇のリーダー ◆
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(21)
三曹(さんそう)から曹操の息子
~ 次男・曹丕(そうひ)「寡婦」 ~
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今回の参考文献――
『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
「六、抵抗と逃避のあいだに――三国時代から魏へ」より
(画像:『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20 と『曹操・曹丕・曹植詩文選』川合 康三/編訳 岩波文庫 2022/2/17)
●曹丕(そうひ)「寡婦」
曹丕(そうひ 187~226年)は、父・曹操を受け継ぎ、
後漢の献帝から禅譲され、魏王朝を建国、初代・文帝となる。
父同様、文武両道の人。建安七子(けんあんしちし)の庇護者。
建安時代の文壇のリーダーとして実験的な試みをした。
四言、五言、六言、『楚辞』ふうと様々な形式で詩作し、
評論家として文学評論の先駆『典論』を書いた、といいます。
(画像:「魏文帝曹丕像」(伝閻立本「帝王図巻」部分 ボストン美術館蔵))
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寡婦 曹丕
序文
「私の友人の阮元揄(げんげんゆ)が早く亡くなり、
その奥さんが一人で暮らしているのを悲しんで、彼女のために作った」
霜露紛兮交下 霜露(そうろ) 紛(ふん)として交〃(こもごも)下(くだ)り
木葉落兮淒淒 木葉(ぼくよう) 落(お)ちて淒淒(せいせい)たり
候雁叫兮雲中 候雁(こうがん) 雲中(うんちゆう)に叫(さけ)び
帰燕翩兮徘徊 帰燕(きえん) 翩(へん)として徘徊(はいかい)す
霜と露が入り混じり、共に地上に降り注ぎます
木の葉も散り落ち、寒さが身にしみます
渡り鳥の雁は雲の中に鳴き叫び、
南に変える燕はひらひらと飛び回っています
妾心感兮惆悵 妾(しよう)が心(こころ)
感(かん)じて惆悵(ちゆうちよう)し
白日忽兮西頽 白日(はくじつ) 忽(こつ)として西(にし)に頽(くづ)る
守長夜兮思君 長夜(ちようや)を守(まも)つて君(きみ)を思(おも)ひ
魂一夕兮九乖 魂(こん)は一夕(いつせき)に九(ここの)たび乖(そむ)く
私の心は秋の寂しさに打たれてしょんぼりしてしまい、
いつの間にか太陽は西に沈んでゆきました
この長い夜、眠れず過ごしてあなたを想い、
私の魂は一夜のうちに九回もわが身を離れ、
あなたのところへ行こうとしています
悵延佇兮仰視 悵(ちよう)として
延佇(えんちよ)して仰(あふ)ぎ視(み)るに
星月随兮天廻 星月(せいげつ) 随(したが)つて天(てん)に廻(めぐ)る
徒引領兮入房 徒(いたづ)らに領(うなじ)を引(ひ)いて
房(ぼう)に入(い)り
窃自憐兮孤栖 窃(ひそ)かに自(みづか)ら孤栖(こせい)を憐(あはれ)む
がっかりした気持ちのまま、じっとたたずんで夜空を眺めると、
星と月がいっしょに大空をめぐり動いています
そこで私はむなしく首を伸ばすようにあなたを想い、
部屋に戻り、なおも人知れず自らの一人暮らしを悲しむのです
願従君兮終没 願(ねが)はくは君(きみ)に従(したが)つて
終(つひ)に没(ぼつ)せん
愁何可兮久懐 愁(うれ)ひは何(なん)ぞ
久(ひさ)しく懐(いだ)く可(べ)けん
どうかあなたの側へ行って人生を終えたい
このような愁い、悲しみは、
どうしていつまでも抱き続けることができるでしょう
《友人の奥さんの境遇、心境を思いやって作った心やさしい作品》と、
宇野さんの解説。
四句ずつに分かれます。
第一段は、秋の季節感の描写から――
霜、露、木の葉、雁、燕などを並べるのは、
宋玉が秋の悲しみを歌った「九弁」を思い出す。
第二段は、秋の夜の夫をしのぶ心境を告白。
第三段は、一人となった自分の悲しみを強調。
最後の二句は、願望で結び、“私には耐えられません”と終えます。
●曹植と曹丕
曹丕には曹植の恋人にまつわる逸話があるといいます。
かつて曹植が宮廷に出入りするある人の娘さんを好きになりますが、
父の曹操は、どんな事情か、その娘さんを兄の曹丕の嫁に――。
曹丕は即位して文帝となり、その娘さんは皇后となります。
が、都に来た曹植に、曹丕は彼女の形見の枕を見せます。
他の宮女の告げ口で殺されていたのです。
こういうふうに、二人のあいだには継承争いをめぐって確執があった
とされています。
しかし、この骨肉の争いとされるものも、二人の対立というよりも、
自らの野望を達成しようとする側近たちがあおり立てたものだった。
曹丕が先に亡くなったとき、曹植が真情に溢れた追悼文を書いている。
ずっと兄を敬愛していた節がある、と宇野さんはいいます。
《曹丕を悪者に、曹植を犠牲者にするのは伝承の世界でのこと
と思えてなりません。》p.225
●建安七子と曹丕
この<漢詩を読んでみよう>を始めてもう何年かになります。
その間の2022年に、
岩波文庫から『曹操・曹丕・曹植詩文選』という本が出ています。
(この本のなかでは「建安の七子」と表記。)
今回はそこから少し書いておきます。
・・・
建安とは、後漢最後の年号(196-220)で、
建安年間には魏の曹操が実験を握っており、群雄との戦いが続く時代。
一方で、魏で開花した新しい文学は建安文学と呼ばれ、
曹植が世を去った魏・明帝(曹丕の子)の太和(たいわ)6年(232)
あたりまでの約30年間ほどを指します。
建安七子と呼ばれる文人たちが曹操のもとに集まったのは、
曹操自身が文人であったからといわれています。
七子は、孔融(こうゆう)・徐幹(じょかん)・応瑒(おうとう)・
陳琳(ちんりん)・劉楨(りゅうてい)・阮瑀(げんう)・王粲(おうさん)
の七人を総称しています。
曹丕の散文、ともに遊んだ呉質への書翰、
「朝歌令呉質に与うる書」「呉質に与うる書」は
《失った仲間たちを懐かしむ思い、人との交わりを慈しむ気持ち、
そんな曹丕の真情があふれ、今でも直截に我々の心を捉える。》
「解説」p.577
建安の文学は、それぞれの個性が顕在化する契機となり、
個人の言葉である詩が生まれようとしていた、といいます。
それまでは詩というよりは歌謡であり、「楽府(がふ)」と呼ばれ、
人びとの政治の意見を聞くという意味で、
巷間で歌われていた歌の歌詞を採取する職掌があり、
そうして記録された歌を「楽府」と呼び、
詩の一ジャンルとして定着しました。
それらは、人びとの間で共有される思いを歌うもので、
特定の個人が表出する詩とは異質のもので、
作者の名はありませんでした。
集団の中から生まれた楽府と、
個人が表出する建安の個別の文人の手になる詩とを繋ぐものとして、
以前紹介しました後漢後期の「古詩十九首」がありました。
「楽府」→「古詩十九首」→(個人的な言語表現の)建安の五言詩
《集団的歌謡から個別的作者の詩へと変化する文学の転折点、
そこに建安文学は位置するのである。》「解説」p.568
曹丕の詩は、個性という点では曹操や曹植に比べると目立たない
といわれていますが、楽府・五言詩・七言詩と形式が多様で、
建安七子の遺稿を編んで文集を作ったとされています。
また、曹丕は『典論』という中国最初とされる文学論も書いています。
●曹丕の散文から「少壮にして…努力すべし」
「呉質に与うる書」より、気になった部分を紹介しましょう。
《少壮(しょうそう)にして真(まこと)に当(まさ)に努力(どりょく)
すべし。
年(とし)一(ひと)たび過(す)ぎ往(ゆ)けば、何(なん)ぞ
攀援(はんえん)す可(べ)けん。
古人(こじん) 燭(しょく)を
炳(と)りて夜(よる)も遊(あそ)ばんことを思(おも)うは、
良(まこと)以(ゆえ)有(あ)るなり。》pp.216-217
《若い時にはほんとうに努力すべきです。
時は一度過ぎてしまえば、引き寄せることはできません。
古人が灯燭(とうしょく)を手にして夜も遊ぼうと言ったのは、
まことに言われのあることです。》p.219
人生は取り戻せない、一度過ぎ去った時を戻すことはできません。
だからこそ、今を大切に生きていきましょう、
と故人となった仲間たちを悼み、改めて人生を思う言葉でしょうか。
私も年寄になって、同じように感じます。
若いうちにもっと色々勉強したり、経験しておけばよかった、と。
それなりに努力はしてきたつもりですが、
つもりでは無く、本当に、懸命になって取り組むべきでした。
何もやらずに後悔するのではなく、
仮に失敗してもやっておくべきだった、と悔やんでいます。
*参考文献:
『曹操・曹丕・曹植詩文選』川合 康三/編訳 岩波文庫 2022/2/17
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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(21) ―曹丕(そうひ)」と題して、今回も全文転載紹介です。
三曹と呼ばれる曹操、曹植に続いて曹丕を扱っています。
曹丕は、曹植の兄ですので、順番としては曹植の方をあとに扱うべきかもしれません。
しかし、この順番は単に私の参照している文献の取り上げ順に従っています。
曹丕は、曹操や曹植に比べてその詩の評価は低いように言われています。
この順は、そういうことが理由になっているのかもしれませんね。
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
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