茨城県に旅行に行った。僕がよく行くのは山と温泉が主だから、茨城で泊ったことはほとんどない。職員旅行で1回、個人では3回泊っただけ。自分の記録を見てみると、1996年に袋田温泉に行って以来。(この時は翌日に水戸芸術館に行って、ク・ナウカのお芝居を見たんだった。)実に17年ぶり茨城泊である。東京に住む僕でさえそうなんだから、全国から来る人はもっと少ないだろう。全国ブランドの観光地も、水戸偕楽園の梅、筑波山、袋田の滝くらいではないか。(今はひたち海浜公園が有名になりつつある。)
茨城に行かないでいた間に、東日本大震災があった。そして岡倉天心が作った六角堂が津波で流出してしまった。昔、近くの五浦観光ホテルに泊まったことがある。その時は年末で多くの施設が閉まっていた。その上六角堂も危険で見られない時代だったような気もする。その六角堂が昨年再建され、賑わっているという。東京スカイツリーなどはほとんど関心がないのだが、こっちの方は見ておきたい。茨城県は死亡・行方不明者が(千葉県と並び)20人以上という犠牲者を出した。(東北3県に比べ2ケタ少なかったけれど。)今もなお公開が中止の施設も多い。自分の車で行く場合、距離の問題で東北まで行くのは大変だが、復興支援の意味も込めて茨城県にそろそろ行ってみたいなと思うようになった。
日曜朝9時半ころに出て、常磐道に入る。家からは東北道が一番近いが、常磐道も環七、首都高経由で遠くない。空いているのでどんどん進み、お昼過ぎには北茨城へ。海沿いに五浦(いづら)まで行って、まずは六角堂へ。天心記念室を見てから六角堂に近づくが、完全に海沿いの狭いところにあって、全体像はその場では判らない。六角堂を出てから、近くの五浦岬公園まで行かないと全景が撮影できない。まずはその全景写真。六角堂の内部とあわせて。(再建六角堂は作ったばかりだから、まだきれいすぎる感じ。内部にある写真は、秋公開の映画「天心」のポスター。)

この近くは「ジオパーク」に指定されている地質的にも興味深い地域である。その景勝地が天心の気に行ったんだろうけど、もらったチラシに地震前と地震後が出ている。パソコンでないと大きく見えないだろうが掲載しておきたい。(最近行った、長瀞も伊豆もジオパークだった。)

岡倉天心(1863~1913)という人は、フェノロサとともに明治維新後忘れられていた日本美術を守った人である。「日本画」という概念を打ち立て、「日本美術院」を作った。ここに横山大観、菱田春草、下村観山などの弟子が結集し、近代日本画が作られたわけである。つまり、狩野派や浮世絵は「日本画」ではなく、近代になってヨーロッパの油絵が伝わってから作られた「新しい伝統」が「日本画」である。「西洋の衝撃」(ウェスタン・インパクト)があって作られたわけである。岡倉天心は1906年に日本美術院を五浦に移し、しばらくの間ここを拠点に活動した。その時の旧居が残されている。六角堂はそれに先立ち、1905年に自ら設計して建てられた思索のための場で、確かに波の音しか聞こえない素晴らしい場所である。

この六角堂のすぐそばに岡倉天心の墓がある。土饅頭型の小さな古墳のようなお墓である。もっとも東京・豊島区の染井霊園にある墓からの分骨だという。

岡倉天心は非常に面白い人物だと思う。ほとんど英語で教育され、英文で著述した。有名な「茶の本」を読んだのはずいぶん昔で、多分高校生の頃だけど(もちろん翻訳)、とても面白かった。でも、やはり啓蒙というか日本文化紹介という感じがあって、他には読まなかった。大岡信さんに評伝があり、それを読むと晩年にインドの女性詩人と美しい魂の交流があった。タゴール(アジア人初のノーベル文学賞受賞詩人)とも交流が深く、天心という人は詩人の魂を持っていた。それが政治に利用された時代があった。そのことも大切な点である。竹中直人主演で映画化され、今秋公開されるらしいので、岡倉天心は要注目。
六角堂に来たら、近くの五浦岬公園まで必ず行かないといけない。ここは素晴らしい眺望を楽しめるが、初めに書いたように六角堂は対岸から出ないと全体像が見えない。歩いて10分ほど。歩いて回ると、端の方に犬の銅像がある。何だろうと近づくと「忠犬ジョンの像」とあるが、何をしたのかというと「怜悧な」犬だったけど近所の人に毒を盛られて死んだという話で、どこが忠犬なんだかよく判らない。飼い主には悲劇だけど、飼い主を救ったという話ではないらしい。何だと思い写真は撮らず。像の足元を見ると、マムシグサが一杯咲いていた。

近くに昔はなかった茨城県立天心記念美術館(1997年開館)が立っている。すごくきれいな美術館で、こんなに大きいとは思わなかった。天心や日本画について多くのことを理解できるので、一度行く意味はあると思う。けれどなんだか大きすぎる感じもしないではない。でも、この美術館のカフェは大変気持ちがいい。そこはおススメ。(美術館の写真は撮らなかった。)そこを出たすぐ近く、平潟港のあたりに「風船爆弾」を飛ばした場所がある。第二次世界大戦末期、日本は風船爆弾なるものを作った。それは実際に気流に乗って米国西岸に着き死亡者も出た。今は平和の碑が立てられている。開発側の情報は、明大生田校舎にある「明治大学平和教育登戸研究所資料館」で知ることができる。(放たれた場所はここだけではなかった。)

時間がなくなり、行くつもりだった野口雨情記念館などはまたの機会に。行く途中に寄った中郷サービスエリアに野口雨情の詩碑がたくさんあった。「赤い靴」「青い目の人形」「七つの子」「シャボン玉」などを作った童謡詩人である。今日は海沿いの宿ではなく、あえて中へ入って温泉の宿を見つけた。多分ほとんどの人が知らないだろう、常陸太田市の横川温泉と言うところである。茨城だから加熱、循環の湯は仕方ない。延々と里山を行くと三軒の宿がある。かなり大きな中野屋、かやぶきの巴屋、それと山田屋である。インターネットで取れる山田屋にしたけど、他に誰もいなかった。まあ日曜だけど、そこまで空いてるのは初めて。今は燃料費が高騰し、低温の湯の宿は苦しいのではないか。そういう宿も苦しい中頑張っているので、源泉掛け流しもいいけど他の宿も応援しないといけないと思う。お湯は塩素臭もなく、ツルツル系の透明の湯。源泉は硫黄泉。食事はとてもおいしく、8000円台でこれだけ美味しいものを食べられるなら、他の人にもおススメ。
茨城に行かないでいた間に、東日本大震災があった。そして岡倉天心が作った六角堂が津波で流出してしまった。昔、近くの五浦観光ホテルに泊まったことがある。その時は年末で多くの施設が閉まっていた。その上六角堂も危険で見られない時代だったような気もする。その六角堂が昨年再建され、賑わっているという。東京スカイツリーなどはほとんど関心がないのだが、こっちの方は見ておきたい。茨城県は死亡・行方不明者が(千葉県と並び)20人以上という犠牲者を出した。(東北3県に比べ2ケタ少なかったけれど。)今もなお公開が中止の施設も多い。自分の車で行く場合、距離の問題で東北まで行くのは大変だが、復興支援の意味も込めて茨城県にそろそろ行ってみたいなと思うようになった。
日曜朝9時半ころに出て、常磐道に入る。家からは東北道が一番近いが、常磐道も環七、首都高経由で遠くない。空いているのでどんどん進み、お昼過ぎには北茨城へ。海沿いに五浦(いづら)まで行って、まずは六角堂へ。天心記念室を見てから六角堂に近づくが、完全に海沿いの狭いところにあって、全体像はその場では判らない。六角堂を出てから、近くの五浦岬公園まで行かないと全景が撮影できない。まずはその全景写真。六角堂の内部とあわせて。(再建六角堂は作ったばかりだから、まだきれいすぎる感じ。内部にある写真は、秋公開の映画「天心」のポスター。)


この近くは「ジオパーク」に指定されている地質的にも興味深い地域である。その景勝地が天心の気に行ったんだろうけど、もらったチラシに地震前と地震後が出ている。パソコンでないと大きく見えないだろうが掲載しておきたい。(最近行った、長瀞も伊豆もジオパークだった。)


岡倉天心(1863~1913)という人は、フェノロサとともに明治維新後忘れられていた日本美術を守った人である。「日本画」という概念を打ち立て、「日本美術院」を作った。ここに横山大観、菱田春草、下村観山などの弟子が結集し、近代日本画が作られたわけである。つまり、狩野派や浮世絵は「日本画」ではなく、近代になってヨーロッパの油絵が伝わってから作られた「新しい伝統」が「日本画」である。「西洋の衝撃」(ウェスタン・インパクト)があって作られたわけである。岡倉天心は1906年に日本美術院を五浦に移し、しばらくの間ここを拠点に活動した。その時の旧居が残されている。六角堂はそれに先立ち、1905年に自ら設計して建てられた思索のための場で、確かに波の音しか聞こえない素晴らしい場所である。


この六角堂のすぐそばに岡倉天心の墓がある。土饅頭型の小さな古墳のようなお墓である。もっとも東京・豊島区の染井霊園にある墓からの分骨だという。



岡倉天心は非常に面白い人物だと思う。ほとんど英語で教育され、英文で著述した。有名な「茶の本」を読んだのはずいぶん昔で、多分高校生の頃だけど(もちろん翻訳)、とても面白かった。でも、やはり啓蒙というか日本文化紹介という感じがあって、他には読まなかった。大岡信さんに評伝があり、それを読むと晩年にインドの女性詩人と美しい魂の交流があった。タゴール(アジア人初のノーベル文学賞受賞詩人)とも交流が深く、天心という人は詩人の魂を持っていた。それが政治に利用された時代があった。そのことも大切な点である。竹中直人主演で映画化され、今秋公開されるらしいので、岡倉天心は要注目。
六角堂に来たら、近くの五浦岬公園まで必ず行かないといけない。ここは素晴らしい眺望を楽しめるが、初めに書いたように六角堂は対岸から出ないと全体像が見えない。歩いて10分ほど。歩いて回ると、端の方に犬の銅像がある。何だろうと近づくと「忠犬ジョンの像」とあるが、何をしたのかというと「怜悧な」犬だったけど近所の人に毒を盛られて死んだという話で、どこが忠犬なんだかよく判らない。飼い主には悲劇だけど、飼い主を救ったという話ではないらしい。何だと思い写真は撮らず。像の足元を見ると、マムシグサが一杯咲いていた。

近くに昔はなかった茨城県立天心記念美術館(1997年開館)が立っている。すごくきれいな美術館で、こんなに大きいとは思わなかった。天心や日本画について多くのことを理解できるので、一度行く意味はあると思う。けれどなんだか大きすぎる感じもしないではない。でも、この美術館のカフェは大変気持ちがいい。そこはおススメ。(美術館の写真は撮らなかった。)そこを出たすぐ近く、平潟港のあたりに「風船爆弾」を飛ばした場所がある。第二次世界大戦末期、日本は風船爆弾なるものを作った。それは実際に気流に乗って米国西岸に着き死亡者も出た。今は平和の碑が立てられている。開発側の情報は、明大生田校舎にある「明治大学平和教育登戸研究所資料館」で知ることができる。(放たれた場所はここだけではなかった。)

時間がなくなり、行くつもりだった野口雨情記念館などはまたの機会に。行く途中に寄った中郷サービスエリアに野口雨情の詩碑がたくさんあった。「赤い靴」「青い目の人形」「七つの子」「シャボン玉」などを作った童謡詩人である。今日は海沿いの宿ではなく、あえて中へ入って温泉の宿を見つけた。多分ほとんどの人が知らないだろう、常陸太田市の横川温泉と言うところである。茨城だから加熱、循環の湯は仕方ない。延々と里山を行くと三軒の宿がある。かなり大きな中野屋、かやぶきの巴屋、それと山田屋である。インターネットで取れる山田屋にしたけど、他に誰もいなかった。まあ日曜だけど、そこまで空いてるのは初めて。今は燃料費が高騰し、低温の湯の宿は苦しいのではないか。そういう宿も苦しい中頑張っているので、源泉掛け流しもいいけど他の宿も応援しないといけないと思う。お湯は塩素臭もなく、ツルツル系の透明の湯。源泉は硫黄泉。食事はとてもおいしく、8000円台でこれだけ美味しいものを食べられるなら、他の人にもおススメ。
