テレビや映画の時代劇には当時の医師、鍼医がよく出て参ります。
昨日放送された大河ドラマ『鎌倉殿の13人 第31回:諦めの悪い男』の冒頭にも頼家の左前腕に鍉鍼(ていしん・刺さずに擦る鍼)で施術する医者が登場いたします。余談ですが、この医者は源頼朝の父である義朝に従い戦った平治の乱で敗れ坂東に逃れた元近江の豪族、佐々木秀義(佐々木のじいさん)の孫という設定でした。
「第31回:諦めの悪い男」のあらすじは以下。
えー、さて。
日本に中国医学が伝来したのは562年と言われております。平安時代(794~1185年)になると朝廷の図書館には中国医学書が蓄えられており、鎌倉時代(1185年~1333年)には本格的な鍼灸治療が行われていたようです。頼家を診ていたのもこの時代の鍼医だったのだと思われます。
後に病から多少の回復がみられたとはいえ、この時の頼家はもはや死んだも同然の扱いを受けております。それほどまでに重い病状となる病とは何だったのでしょうか?『吾妻鏡』には詳しい病状は記されておりません。諸説ありますが、病気の理由は霊神の祟りだとされています。
でもまぁ、そんなわけない(笑)。
『病因指南』『脈経』などの古典には「邪崇」という言葉が出て参ります。本来は見えないなものが見えたり、何かに憑依されたりすることを示しています。つまり古典医学では「霊の祟り」というのは体の不調のサインであると考えているのです。ですから頼家は精神的に病んで体調を崩した、と考えるのが自然かなぁと考えます。頼家はそれほどまでに周囲の人々を信じられず、人間不信に陥り、思い悩んでいたのかも知れません。
第31回の冒頭のシーン。
医者が郄門(心包経の郄穴)、間使(心包経の金穴)のあたりに補法で鍉鍼を添えていることからも、証は脾虚胃虚熱証で急性病に対して気を巡らせるための選穴であることが推測できます。わずか数秒のシーンでしたが、きちんと考証された、古典医学的な根拠に裏打ちされたシーンだったと思います。
いや、知らんけど。