実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

続・家族の肖像 実戦教師塾通信七百五十三号

2021-04-23 11:50:31 | 子ども/学校

続・家族の肖像

 ~「場所」を壊す~

 

 ☆初めに☆

前回の記事に、思いの外(ほか)反響がありました。肯定的な評価をいただいているのですが、どうも伝えたいところがうまく届いてない気がします。ヤングケアラーなる扱いは、かつての「モンスターペアレント」「孤独死」や、さらに逆上れば、「M教師」(覚えていますか?)等、メディア上をにぎわして来た、いや、メディアがあおったものと同じです。危機感と「正義」を再生産して来たという意味です。

今回も、以前に受けた相談です。高齢になった親が家に入り込み、子どもたちと絡んでいく例です。今度こそ「カテゴリー」ではなく、「あなたと私」の問題として考え直していただけたらと思います。

 

 1 異なるリズム

① 台所スポンジ

 狭い古い家に暮らす母親を、息子は自分のところで呼んで一緒に暮らそうと思った。南向きの広い部屋を親にあてがう。庭も広いし、まだ学校に通う子ども(孫)たちも喜ぶ。ご近所のお付き合いは順調で、外への用足しが好きな母親の抵抗を受けたが、息子夫婦は実行に移す。

 きっかけは台所だったらしい。同居を始めた母親が、洗い物をした台所スポンジを使ってシンク(流し)を磨いた。息子の嫁は困惑し「別な物を使用すること」とシンクに張り紙をした。共働きの夫婦だ。嫁が帰宅する時には、母が炊事を終えていることも多かった。当初の「お母さんの味を教えてもらう」は、やがて「勝手に料理をしないで欲しい」になった。また、以前住んでいた家で惣菜のやり取りなどが日常だったご近所は、「嫁のいる家」には足が向かなくなった。「何の問題もない」はずの同居は、数年で破綻(はたん)する。子どもたち(孫)たちは、おばあちゃん、出て行かないでと泣いた。

 しかしその後、母親は慣れ親しんだ生活で張りを取り戻し、子どもたち(孫)の「お泊まり」も再開する。学校でいじめを受けていた孫のひとりは、家で元気を回復する。

② 公民館

 広いマンションに住み替えることとなった。息子は年老いた母親に、そこの一部屋をあてがった。新しい家は新しい家族となり、住み慣れた家を後にした母親も気持ちを切り換えた。しかしそれも初めのうちだった。家族には、それまでいなかった母親が加わったのだ。今までと空気が変化するのは、前のケースと同じだ。やがて母親は、自分の部屋にテレビやお茶の用意を調(ととの)える。どう考えても不経済だ、せっかく同居したのにという息子の気持ちは、子ども(孫)の言葉にもトゲを作った。その後、ひとりで暮らしたいという母親からの提案を受け入れたのは、それが失敗することで気が済むかも知れないと思ったからだ。

 しかし、前の家と離れたアパートでのひとり住まいを、母親は気に入った様子だった。週に何度かの「公民館通い」が、母親の大切な習慣となっているようなのだ。こちらの母親は先の例と違い、外とのお付き合いは極めて少なかった。孫たちが公民館に付き添った報告によれば、母親(祖母)は誰かに会いに行くわけではなく誰かと話すわけでもなく、談話室でひとりお茶を飲みながら過ごしていたという。母親が同居した当時、子ども(孫)が不登校になった。しかし、母親が「自立」することになって、子どもに落ち着きが戻ったという。

 一体何が起こっていたのか。

 

 2 「場所」の肯定

 これらのことに私たちは、「年寄りによくある話さ」と反応するはずだ。その通りなのかも知れない。でも、その括(くく)り方こそ、カテゴリーでの裁断だ。一方、ここで登場する子ども(孫)たちも、ひと括りで「ヤングケアラー」とされるにちがいない。この子たちがアンケートに対し、きっと「大人の世話をしている」と答えるからだ。また、この「自立した」母親(祖母)たちが亡くなれば、今度は「孤独死」という「あってはならない」出来事として報道されることは知れている。しかし、ここで登場する孫たちは祖母を煙たがるばかりでなく、頼りにもしており、また母親(祖母)たちも、それぞれに違った物語を抱えている。

 ①の母親は、自分が作って生きてきた「場所」を再認識し、そこに帰りたいそこで生き続けたいと思った。そこに見慣れた顔や手入れした庭や馴染んだ空気、何より使い込んだ習慣があるからだ。そこで彼女は、「我が家」や「近所」という密着した空間を所有したのである。②の母親の全く対照的なところは、取り立てて「我が家」や「ご近所」が必要ないことだった。彼女は家で一日中ひとりでいても良かったはずだ。しかし、彼女はそうしなかった。彼女には公民館で、いやそれは路上でもよかった、そこから聞こえて来る近隣の出来事や姿が必要だったのだ。周りから見れば「孤独」に見える彼女は、そうして近隣との折り合いをつけたというより、近隣と「共に生きた」のだ。私はこの母親から、「ぽっち」を思い出す。学生たちが教室や研修室でお昼を食べている時、一人だけ離れて「一緒」に食べる「ぽっち」のことだ。ひとりであえて、外で食べようとしない彼(彼女)は、そこでみんなと「一緒」に食べるのである。「ひとりじゃない」のである。

 これらの「物語」が示すのは、それぞれの「時」「場所」「相手」である。この「物語」を破壊しようとするものたちへ、彼女たちは反逆をしたのだろうか。そうではあるまい。②の母親は、マンションが形作る家族共同体、つまり近隣と隔絶したものと和解をしようとした。しかし、それは拒絶されたのである。残された道は、マンション家族からの一方的な取り込みか、元の場所に戻ることだった。こうして①と②の母親は、かろうじて息子や孫とともにする「場所」をつなぎ留めた。これらは示唆(しさ)に富んでいる。頻発(ひんぱつ)する言葉狩りと暴走する敬語に、私は同じ現実を見てしまう。

 

 ☆後記☆

話がいきなり飛んでしまいました? そんなことはありません。近いうちに書こうと思います。

先週のこども食堂「うさぎとカメ」、調理のショットです。雨にもたたられず、皆さんからありがたい感謝の言葉をいただきました。お好み焼き弁当、好評でした。

こちらは受け付け。会食が解禁となるまで、まだ遠いですね~

最後は若葉の光。ビオトープだそうです。