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家族の肖像 実戦教師塾通信七百五十二号

2021-04-16 11:48:03 | 子ども/学校

家族の肖像

 ~ヤングケアラー~

 

 ☆初めに☆

GIGAスクール構想のことで、その後も現場の先生方や議員さんたちと話し、行政の人たちからは聴き取りをしています。びっくりするような現状だと思うばかりです。大変なお金をかけて、子どもたち一人一人の周りに固い壁を作っているとしか思えません。この不安を多くの方と共有しているのが、ほんのわずかな希望と考えます。追って報告します。

コロナの中を一年通過した私たちです。昨年の今ごろは、たとえばトイレ掃除担当は生徒、とすることが英断だった。そして一時期ですが、消毒液の経費をPTAが負担する学校もあったのです。多くの家族が、それまでは見えなかった姿を露出することもありました。むやみに「寄り添う」なる言葉を使えない、そんな現実にも遭遇したと思っています。

 

 1 「家族」という姿

 だいぶ前と言っても、コロナの騒ぎが始まった頃に受けた相談である。詳細は書けないが、報告したい。

 父親が突然倒れた。家族/子どもたちに訪れた厳しい現実。やがて父親は自宅で療養するようになる。身動きの出来なくなった父親を、専門スタッフが来て回診/介護した。長い療養生活が始まってすぐ、一番上の子が学校を休むようになる。やがて、次の子も不登校になる。子どもの多い家庭である。みんなが不登校を経験する。日々の生計は、母親の収入と父親の障害手当によるやりくりである。

 子どもたちは、父親が心配で家から出るのが不安になったわけではない。元気だった父親が、口をきくことさえままならない状態で帰宅したのだ。朝、自分より早く出かけて、夜は暗くなって帰宅していた父親が、一日中、家の空気の中に入り込んでいる。声をかけても、父親が積極的な声や動きを返すことがない。子どもが食事の介護を出来るわけでもない。起こった明確な変化は、つまり「家庭のリズム」だ。だから、不登校の原因はと言われれば、不調を来したとしか言いようがない。

 この家族は何とかなると思った。いくつかの要因がある。母親は、相方のことでは覚悟を決めた。次に、最初の子の不登校で、母親は学習した。仕方がない、本人を責めることではない、でも誰かに原因があることでもない、きっといつまで続くことではない等々。すごい母親である。だから次の子、そしてまた次の子が不登校になっても、母親はたじろがなかった。一方、父親は元気な時、強力な育児/教育方針だった。子どもたちは、父親の考えを決して歓迎していたわけではなかった。父親が倒れておとなしくなった時、子どもたちはこの不幸を受け入れ難かったと同時に、肩の荷が下りたのかも知れない。

 担任は家庭訪問をした時、学校生活への復帰を催促しないように気をつけた。十分に大変な思いをしている生徒に、身勝手と言える「お父さんのためにも頑張れ」は、最低な言葉だ。生徒はこんな担任を嫌がることはなかったが、登校への積極的姿勢は見せなかった。みんなが不登校で家にいたわけではない。母親の姿勢もあったのだろう、大体はひとりずつ順番のようだった。母親は優しく、雲のようにふんわりと。そして、みんなで支えなくてはいけない父親。しかし、それは大変な重荷であると同時に、この家族にはなくてはならない存在のように思えた。担任の話からは、しっかりと結び合った家族が、闇の中にぽっかりと浮かび上がって見えた。

 

 2 ヤングケアラー

 ヤングケアラーの存在が、堰(せき)を切ったように語られ始めている。大人の代わりに家族の世話をしている子どもが、中・高生の20人にひとりいるという。これは、実態調査に回答した中・高生(1万4千人弱)で「世話している」と答えた生徒から割り出された数字だ。私には日本の「家族問題」が、露出しているようにしか思えない。「アルコール・薬物などの問題を抱えた家族に対応している」は、家庭内虐待ではないかと思えるし、「幼い兄弟の世話をしている」も、多くが「シングル」親のケースだろう。また、元気だった両親が、ついに介護を必要とするようになり、しかも施設に入ることが出来なかったとき、息子・娘の家に転がり込む。孫にあたる子どもは、そこで「新しい家族」を迎えるのだ。

 ヤングケアラー問題に、実はひとつひとつの「家族の物語/歴史」がある。だから、ニュースは「とびっきり」な例を取り上げて啓発するのだが、どのヤングケアラーも別々な物語を持っている。ひとつとして例外がないとすれば、家族の成員が「固唾(かたず)を飲む」ような思いで過ごしていることか。不幸な家庭を私は多く見てきたし、今も見ている。しかし、それで子どもが「不当な扱い」を受けているわけではないケースも多い。「親がだらしがない」わけではないからだ。

 前項で書いた家族は、「大変」ではあっても、「不幸」ではないと思えて仕方がない。

 

 ☆後記☆

少し一服いたしましょう。おいしいコーヒーとマロンロール。向こうのテーブルに、良く見るとセナのマシンが乗ってますヨ。

子ども食堂「うさぎとカメ」、明日ですよ~ なんか雨っぽいですねえ。