実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

分断と知恵 実戦教師塾通信七百四号

2020-05-15 12:39:49 | ニュースの読み方

 分断と知恵

 ~福島と重ねて考える~

 

 ☆初めに☆

聞き慣れない言葉とにらめっこする日々となってますね。一方でクラスターなる言葉があっと言う間に色あせるのは、それが今までもあった状態だからでしょう。「基礎疾患」は「持病」ではいけなかったのか、また「陽性だが無症状」なることを「元気です」と言うわけにもいかず、「知らず知らず他人に移しているかも」と、何ともおぼつかない。ウィルスが正体不明なことで、分かりやすさや判断を回避しているのでしょう。少し整理したいと思います。

 

 1 「共存」「線引き」「分断」

 2018年、被曝線量は「年間20ミリシーベルト以下」で避難指示を解除できるとし、それまでの「年間1ミリシーベルト以下」の変更に政府は踏み込んだ。そして帰還困難区域の双葉や大熊の立ち入り規制緩和を明言する。こんなことでいいのかと思うが、ここで年間被爆量について議論するつもりはない。こんな中で、福島の人たちが先行きの道筋をどう付けてきたのかを振り返りたい。

 福島に戻ると決めた人たちは、放射能を「受け入れて暮らす」ことを選択した。「安心できないなら近づかない」、あるいは「洗う」「測る」ことを怠らないで、福島での生活を再開しようと思った(放射能とウィルスと一緒にするのではないが、まるでこれは、現在私たちが毎日やっている作業だ)。「無くす」のが無理なら「安全な状態」を選ぶ、本物の「苦渋の選択」だった。これは放射能の「克服」ではない。いつしか「共存」と、私は思うようになった。この状態まで来るのに、エリアによって2~8年の開きがある。「共存」を拒む人もいた。その選択をする人しない人の間には、いがみ合いが起こった。当初は「なぜ(ふるさとから)逃げる!」「どうして今さら戻ってきた!」等という言葉で、この対立/分断は始まった。そしてその後、警戒区域の線引きが始まり、それが補償のガイドラインとなる。それは新たな対立/分断の始まりだった。

 「無くならないものとの共存」「線引き/補償」「対立/分断を超えるもの」等。今回のコロナ騒動においても、福島から私たちが学ばないといけないことは、きっとたくさんある。

 

 2 危機と不安の中で

 2011年の原発事故の際、当時の政権・枝野幹事長は「放射能がただちに健康に影響を及ぼすものではない」と、実は「原発から半径170㎞の住民を強制移動」という最悪のシナリオをバックに言っていた。他方、現在の首相は「週明け(と言ったのは木曜日)全国の小中高校の一斉休校を要請する」と、実はこれを「調査やデータに基づいて」言っていなかった。前者は「残るも地獄/去るも地獄の判断停止」、後者は「危機回避と政権浮揚への大博打(ばくち)」と思われる。そんなことはどうでもよろしい、こんな時私たちの中でどんなことが起こるのか起きていたのか、それは考えたい。

 危機や不安に陥(おちい)った時、私たちは強力な支えを必要とする。その時私たちは「強力なリーダー」を求める。しかし、リーダーへの「信頼」よりは「依存」が大きいとき、危機はより高まる。「要請」だったものは「強制」となり、「自粛」だったものが「禁止」という一人歩きが始まったのを、私たちは見たはずだ。「どうして言うことを聞けないんだ!」という人々の声は、窮屈という場所から出ているのに、もっと強い束縛を作っている。社会が危機にある時、強いリーダーが強い政策を出し、それを強く支えないといけないという気持ちを、私たちは育てるようだ。

 

 3 ふたつの「憶測」

 報道は「今やアフリカにもコロナは及んでいる」という。今年アフリカでコロナによって亡くなる人は、8~19万人と見込まれている。一方、アフリカでのマラリアによる死者は44万人(2017年)、また少し古い数字だが、エイズによる死者は240万人(2,000年)なのだ。また前に書いたが、2019年、日本でのインフルエンザによる死者は3000人(感染者は1000万人)である。検索すれば分かることだが、これらの数字を私たちは報道で目にしたことがあるだろうか。私にはこれらが、報道関係者の「自粛」によっているとしか思えない。世の中が「用心するに越したことはない」と足並みを揃(そろ)える中、「余計な憶測を生む」ようなものは「触れる(公表する)必要はない」とすることで起こっていると思える。ここで「緩(ゆる)んではいけない」と思うからなのだろう。しかし、私たちに寄せられる「危険」度が、本当は別の「憶測」に因(よ)っているのかも知れないという態度を忘れてはならない。

 都知事の動向も忘れてはいけない。政府が4月、全国に緊急事態宣言を発表すると、知事は「もっと早く出しても良かった」と言う。しかし2月段階で北海道は、独自に緊急事態を発表している。また、東京の感染者数が3月25日とは遅すぎる発表なのだが、この前日にオリンピックの延期が決定された。私は、築地の仲卸(なかおろし)の人たちの声を、都知事が突然聞かなくなったことを鮮明に思い出す。「ロックダウン」は早々と引っ込めたが、「命を大切に」という強いメッセージに思わず首をすくめるのは、私だけだろうか。

 

 4 気持ちと知恵

 古い記事がある。震災からあと2カ月で一年となる『福島民友』の記事だ。

危険な区域にまだ11人の住民が残っているという。残っている理由は、「故郷を捨てられない」「身体が悪い人がいる」等である。自治体は説得してきたが「一定の理解を示し」ている。記事の後半は「気持ちは分かる」「同情できない」という県民の複雑な思いがつづられる。写真では切れてるが、記事は「取り締まりを求める声はない」と結ばれている。「仕方がない」と思ったのは「去った」方ばかりでなく、「残った」方もなのだ。ここでお互い罵(ののし)り合うことを避ける手だては、お互い話し合うことで気持ちを確かめること以外になかった。

 これから続く「コロナとの生活」の中で、様々な「続ける/続けない」判断が迫られる。そしてそこに、「エリア」「補償」の「線引き」が続く。「分断への道」は広く開かれている。ひとつ言える。「取り締まりを求める」ことに出口はない、ということである。

 

 ☆後記☆

それにしても、私たちが不安と混乱の中にあるというのに、法解釈の変更までして司法界の定年延長など、そんなことこそ「不要不急」じゃないのか、とは誰もが思うことです。混乱に拍車をかけるねらいがあるのか、と勘ぐってみたくなります。強行するのかな。

何年ぶりだろう、久しぶりに咲いた我が家のバラ。かわいい。

 ☆ ☆

今回の記事を読んで、オマエは常磐線の全線再開を喜んでたはずなのにオカシイと思った人は、ここの読者にはいませんよね。念のため。

帰還して住み続けに、被曝線量が年間20ミリシーベルト以下で避難指示を解除できる
帰還して住み続けた場合に、被曝線量が年間20ミリシーベルト以下で避難指示を解
帰還して住み続けた場合に、被曝線量が年間20ミリシーベルト以下で避難指示を解除できる

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