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「生きづらい」子どもたち  実戦教師塾通信三百五十五号

2014-02-02 11:56:08 | 子ども/学校
 遠くの子どもたち Ⅲ

     ~「生きづらい」子どもたち~


 1 「シカト」の誕生


 いわずと知れた「シカト」とは、無視(むし)することである。おおかたの見方では、花札の鹿(十点=トオの札)が、そっぽを向いていることから来たネーミングだと言われている。この「シカト」は、隠語(いんご)という、あくまで発祥(はっしょう)を明確にしない言葉だ。今や社会を覆(おお)い尽くしているこの言葉が、博打(ばくち)の世界から出たというも、いつブレイクしたやらはっきりしない。私の推測ではあるが、校内暴力がピークを過ぎた頃であるのは間違いないように思われる。それまでは「無視」が使用されている。
 思えば、1980年代をピークにした校内暴力を契機(けいき)に、「有無(うむ)を言わさぬ指導」や体罰を「反省」した学校/教師である。そして、生徒を表面上だけ理解しようと打ち立てたのが「共感的理解」や「カウセリングマインド」だ。こんなインチキをやっていてうまくいくわけがない。
 私はこんな時、終戦後の教室をよく想像する。昨日まで「鬼畜米英(きちくべいえい」「一億玉砕(ぎょくさい)」と言っては生徒を殴って鼓舞(こぶ)していた教師が、手のひらを返すように、
「今日から平和になったんだよ」
と、にっこり笑う姿を、小さい子どもたちはどう受けいれたのだろう。どうせこの教師たちは、
「こら! しっかり黒くしないか!」
と叫んで、今まで使っていた国定教科書を、今度は子どもたちに真っ黒に塗りつぶさせていたのは間違いない。やっていたインチキは同じだった。
 そして時代が変わり、40発のビンタをし、伸びた頭髪(とうはつ)の「指導」をしていた教師が、ある日にっこり笑って、
「分かった分かった」
と言ったところで、生徒をだませるはずがない。生徒はなんにも聞かれないうちに、そしてなんにも言わないうちに「分かった」などと言われて、意識下(いしきか)に教師への軽蔑(けいべつ)を蓄(たくわ)えたのだ。教師の方は「共感」をはき違えたか、やはりなんにも分かってなかった。いじめがマグマのように噴(ふ)き出すのは、このあとなのだ。私には1986年の中野富士見中学校の鹿川君自殺は、その始まりと思えて仕方がない。今一度、鹿川君の思いをここに少しでも残したい。『葬式ごっこ』(1994年風雅書房)の帯から、その一節。

「サザンオールスターズが好きだった鹿川裕史君の霊前(れいぜん)には、桑田佳祐からの花束があった。あれから8年」

 さて昔、無視も含めたさまざまな嫌(いや)がらせをする連中は、その理由を、
「こいつがいやな奴だから」「嫌いだから」
と言った。そのことに対し私たちは、
「いやなら関わることはない」「そっとしておいてくれないか」
と言った。これが間違っていたわけではない。しかし、無残(むざん)な「次」が待っていた。目に見える嫌がらせに代わり、目に見えない「集団的無視」が始まる。「シカト」の誕生(たんじょう)である。
 この事態に対して、私たちは慌(あわ)てふためきながら、
「どうして自分の個人的な好みを関係ない周囲まで巻き込むのだ」
「オマエとあいつ(いじめの被害者)の間の問題のはずだ」
と軌道修正(きどうしゅうせい)を試(こころ)みた。
 しかし、流れは恐ろしいほどの大きなうねりとなっていった。


 2 「生きづらい」子どもたち

 もう少しばかり深いところまで行って、事態を考える必要がある。子どもたちのやっていることが、卑劣(ひれつ)で許せないことだと断罪(だんざい)することはやさしい。しかし、子どもたちがそんなことがなぜ出来るのか、私たちは考えないといけないはずだし、言われなくても考えてしまう。そんな時、
「ちゃんとしつけられて来なかったからだ」
という結論付けは、あまりに怠惰(たいだ)だと言える。こんなもの、
「言うことが聞けないのか」
と、大人が畳みかけた、かつてのやり方だ。大人が信頼されていれば、この「言うことが聞けないのか」なる方法も有効性はあるのだが、そうではない。

 実は、子どもたちの「生きづらさ」は今に始まったことではない。大人でもそうではあるが、子どもたち特有の「生きづらさ」がある。

○生きる中で出会う多くが「初めて」であること
○それらは避(さ)けられないものであること
○それらを自分が選べないこと

である。たとえば、生まれた時には自分のそばに親がいる。この例でも、すでに上記の条件をすべて兼ね備え(かねそなえ)ている。「生きづらさ」の始まりである。

○(自分の意志とは関係なく)生まれてしまった
○もっといい親が良かった(とは思ってないのだが)
○空気を吸うのが苦しい、うるさい 等々。

つまり、子どもたちは本質的に、
「現実に不安/不満を持つ」
ものとして存在する。しかし、子どもたちはこの生きづらさを、生きる中で克服(こくふく)していく。親とか環境(かんきょう)を仕方なく、あるいは幸せに、段々受けいれていく。だがもう分かると思うが、この克服の筋道を、今の子どもたちはあまり与えられていない。親も含んだ社会が、子どもにたくさんの愛情を注(そそ)ぐ状態にないからだ。父親は自信をなくし、母親は「自分のこと」に忙しい(いそがしい)。ゲーム機を離そうとしない子どもを親が後ろから押して、ようやく危なっかしく電車から降りる光景は、その象徴的(しょうちょうてき)な例と言える。
 子どもたちは常に「いらだち」を、あるいは「不安/不満」を抱えつつ生きている、生きてきた。今の子どもたちが「違和感(いわかん)」を攻撃的なものの材料にするのは、ここをきっかけとしている。周囲から承認され、周囲を承認する機会が少なかった子どもたちが誰かやその場に違和感を持った時、その処理・処置に困る。ある子はじっと耐えるのだ。しかしある子は「気に入らねえ」となる。
 この「気に入らねえ」と思った子が、じっと耐えている子に対して、
「オマエひとりが大変そうな顔してんじゃねえよ」
と思うのは自然な成り行きと思える。断(ことわ)るが、子どもたちはそう思って言うわけではない。何度も繰り返すが、子どもたちのそのエネルギーは、「違和感」から来ているのだ。
 

 3 「匿名(とくめい)」

 次回の予告もかねて考えたい。
 「シカト」は、いさかいや事件から「確信」の色をそぎ落とすきっかけとなった。そして、犯人が「匿名」となるきっかけになった。この「匿名性」が強化されて、犯人自身が自分のやったことを自覚しないところまで行くのに、そんなに時間はかからなかった。つまり、
「オレかやったがどうした」
という牧歌的(ぼっかてき)時代はとうに終わり、次に、
「誰がやったか分からない」から、
「誰もやってない」
という変化を遂(と)げる。
 その変化をさせるのに、携帯が大きな役割を果たしたことは間違いない。


 ☆☆
えらそうに書いているオマエは、担任やってる時、クラス内でいじめはなかったのか、と言われそうですね。今のうち言いますが、ないわけない。必ずある。あった。当たり前ですよ。開き直ってるわけではありません。その答えが今回の記事とも言えます。おそらくどの家庭でも経験したであろう「心配」と「見守る」(これがどんなことを指すのか、実にさまざまな方法を言うのですが)、それ以外のことを私はしていません。
私たちの課題がなんなのか、そのことも何回かあとに書くことになると思います。なんかこの連載、長くなりそうです。ご愛読よろしくです。

 ☆☆
ドラマ『明日、ママがいない』がずいぶん話題になってますね。私の好きな城田優が、
「全部見てから考えてほしい」
と言い、三上博史は舞台あいさつの記者会見で無言(むごん)を通したと言います。いつかこういうこともちゃんと書かないといけないと思ってます。
ひとつだけ言います。岡田准一主演の映画『SP革命篇』、結構私は楽しみにしていたんです。でも、見に行かなかった。みなさんも同じだったんじゃないでしょうか。震災の翌日(よくじつ)が封切りでしたね。見ようという気にならなかった。娯楽(ごらく)もいいもんだという気持ちに、今はなってますが、この「明日ママ」騒動(そうどう)は、震災の風化(ふうか)を物語ってる気がしてなりません。