実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

「ひきこもり」  実戦教師塾通信三百五十六号

2014-02-05 11:09:38 | 子ども/学校
 遠い子どもたち Ⅳ

     ~「ひきこもり」~


 1 「くらいね」


 もう死語となった「ネクラ」を覚えているだろうか。1980年代に流行した言葉だ。この言葉のもたらした勢いはものすごく、
「くらいね」
と、教室で誰かから言われたら最後、その子はその場をどうにかしないといけなかった。「泰然自若(たいぜんじじゃく)」「悠々自適(ゆうゆうじてき)」なる世界とは違う息苦しい世界が、子どもたちの世界をダイナミックに囲い込み(かこいこみ)始めたのだ。「くらいね」と言ったのは、誰かが言ったのではない。その場所(集団)が言ったのだ。
 言われたその子は例(たと)えば、

○ひとりで本を読んでいた
○一緒(いっしょ)にいるのだが、少し声が小さかった
○一緒にいても笑いが少なかった 等々

だけである。しかし、そう言われた瞬間からその子は、
本を読むのをやめないといけなかった/声を大きくしないといけなかった/大げさに笑わないといけなかった
のだ。恐ろしいほど集団が閉じ籠(こ)もる、その陰湿(いんしつ)な力が作用する時代の始まりと思えた。だがこの時はまだ、
「セイシュン(青春)だね」「なにセイシュンしてるの?」
なる別な言葉が併存(へいぞん)していた。ひとりで本を読んでいたり、窓でぼんやりしていると、この言葉が差し向けられた。分かると思うが、これは「ぼく/私」から「きみ/あなた」に向けられた言葉だ。「くらいね」と並べれば、なんて優(やさ)しい響(ひび)きを持った、親和(しんわ)的な言葉だろう。しかし、温かさを伴(ともな)ったこの言葉は、集団的な、どす黒い「くらいね」に圧倒(あっとう)され、フェードアウトしていく。
 校内暴力と並行(へいこう)して、子どもたちの世界でこんなことが起こっていたことに、私たちは慄然(りつぜん)としないといけない。この集団への同化(どうか)を強制するストレスが引き金となって、校内暴力が起こったわけではない。それとは異質な場所で、子どもたちが「きみ/あなた」と「向き合うことをしなくなる」ことを始めた。あるいは、「きみ/あなた」と「向き合わずにきた」子どもたちが、そのまま「成長」したのだ。
 「向き合う」とは「あなたとぼく」の世界のことだ。子どもが向き合えば、そこにはいさかいが絶(た)えない。その年齢が小さいほど、いさかいを起こす。その原因の根元(ねもと)には、人間が元来(がんらい)抱える「不安/不満」があり、常にそこで「違和感」が生まれるから、とは前回書いた。しかし、そのなかでこそ子どもは、自分とは違う「相手」という像(ぞう)を作り上げてきた。そして「折りあい」というものを身につけた。「折り合い」は、「あなたとぼく」が「向き合う」中で作られるのだ。しかし、
○そもそも少ない子ども
○大きく膨(ふく)れ上がった「してはいけないこと」
○それらを「早めに発見し」子どもに介入(かいにゅう)する大人
○人間(相手)なしで成立できる生活
そんな中で「あなたとぼく」の世界は、子どもたちには影が薄い(かげがうすい)ものとなっていった。そして、「折り合いをつける」ことを知らない、その必要もない子どもたちが「成長」していく。「あなたとぼく」の世界を通過しないままで、子どもたちは外に出たのだ。面食らったままの、あるいは面食らうことを経験していない子どもがいる。野球には打順があり、凧揚げ(たこあげ)には場所取りがあった。まだファミコンの時代には、順番もあり、それがテレビに切り換えられる時間さえあった。何より、それは「お茶の間」にあったのだ。しかし今や、ピカチューは自分の手(ゲーム機)の中にいて、「いつでも」「どこでも」出来るようになった。ゲーム機がお茶の間から子ども部屋に移行した頃、バブルが崩壊(ほうかい)した。その家に一番早く帰るのは父親だった。そしてその父は、塾やスポーツジムから帰る子どもや妻を待ったのだ。
 子どもたちの中で生まれる「違和感/不安/不満」は、その多くが未処理のまま時代は進んだ。事態は混迷(こんめい)に突入する。


 2 「仮面」
 
 集団(生活)、あるいは相手に対する違和感(不安/不満)を、私たちは一定の距離を置くことでやりくりする。「我慢(がまん)する」とか、同じことだが「目をつぶる」とか、また「様子を見守る」とかいうことは、その時々の私たちの態度である。実はこのことは言葉を変えれば、
「仮面を被(かぶ)る」
ということだ。「自分を抑(おさ)える/見せない」からだ。以前、「仮面」はペルソナ(persona)であって、それはパーソナリティ(personality)=個性として受け継(つ)がれる、と書いた。つまり、「仮面」の生活は、人間には避(さ)けられない、そして成長に不可欠なものだ、と書いたことがある。
「いい子の仮面を被っているのに疲れた」
とは、少し前はやった子どもの言い分や、それをかばう大人の言葉だ。おそらく今も、多くが言うに違いない。しかし、違う。「仮面」とは、
○自分の何かを代弁するものであること
○自分の仮の姿であること
である。つまり、人間はもとは「たくさんの自分(仮面)」を持っている。そしてそれは、仮面であるがゆえに「いつでも外(はず)せ」て、「取り替え可能」だった。「豊かな自分」は多くの仮面を見いだすことで作られた。「変身(へんしん)」することの喜びを、私たちは何度も経験したはずだ。ところが現代の仮面は、
「たった一個」
であるがゆえに、自分がとてつもなくつまらない存在におとしめられた。こんな窮屈(きゅうくつ)なものを「仮面」とは言わない。「自分探し」とやらが流行する所以(ゆえん)だ。
 1980年代後半に多く登場し、いじめの代名詞とも言えるものに、
「面白い(おもしろい)奴」
があった。それが「たった一個の仮面」の端的(たんてき)な例だ。みんなが同じ表情で過ごす中、少数の「変わり者」が注目される。多くの場合それは男だったと記憶しているが、彼がその役割(「変わり者」という役割)の「責任」をとるようにされていく。つまり、「仮面」を被り続けるような成り行きになっていく。「面白い奴」が「使いっ走り」になるまで、時間はそんなにかからなかった。
 いま残されているのは「無表情」という「仮面」だ。いっとき、風邪でもない、花粉症でもない「だてマスク」なる「ファッション」がはやって、今も街を歩いている。それにメディアが飛びついて、またしても同じように、
「これなら人の目を気にしないでいられる」だの、
「仮面(いい子等々)でいることに疲れた」
なる発言を取り出して喜んでいる。より正確には、
「自分(の仮面)が見いだせなくてうろたえている」
「無表情というマスクのやり場に困っている」
だけだ。もちろんマスクの下に別なマスク(仮面)があるわけではない。


 3 「ひきこもり」

 「折り合い」のつけ方を知らない子どもたち、そういう意味での「仮面を持たない」子どもたちが外に出た時、外の世界で「折り合い」をつけるように促(うなが)された。外の世界とは、ご近所だったり幼稚園だったり、そして学校だった。もちろんその場所とのかかわりを、子どもたちがうまく持てるはずがない。その時子どもたちのとった方法が、

○外からは閉じた集団として強力に結ばれる

ことだったのは疑いがない。自分たちが形成した集団に同化させようとする力は、ここで強化された。皮肉(ひにく)なことだ。本当は成長と修正を促すはずの外の世界が、子どもたちの「同盟」を強化した。分かるだろうか。これは集団の「ひきこもり」という現象だ。ここから「外れ」たり「はみ出し」たりすることはさらに困難となった。「同盟」が制裁(せいさい)を加えるからだ。「いじめられた結果、被害者がひきこもりとなった」などとよく言う。しかしこれは、「ひきこもり集団からの脱走(だっそう)を試みた」と通訳されるべきだ。
 この集団を強化した規律が、のちの「空気」だったことに読者も気がついたはずだ。そして子どもたちは、いや私たちもともに「空気を読む」世界に「速(すみ)やかに」移動し始めたのだ。

 ではどうしようもないのか。絶望ばかりが蔓延(まんえん)したこの世界に打つ手はないのか。ないはずがない。


 ☆☆
いま話題と言えば「ソチ五輪」と「都知事選」。安倍首相は、世界各国の首脳が敬遠(けいえん)している開会式に出席するんですね。選挙、余裕ってことですかね。

 ☆☆
今朝NHKのニュースで、争点のエネルギー問題に焦点(しょうてん)を当ててました。震災直後の計画停電を取り上げて「不安な電力」と言ってました。あの計画停電の検証はどうなったのですかね。「電気は余ってる」と言った菅元首相は、コテンパンにされました。

 ☆☆
腹の立つことばかりですね。あの頃の記者会見で、大手メディアはパソコンのキーボードの音ばかりさせて、ちっとも声を出さなかった。声を出したのはフリーの記者。計画停電の提案に対して、
「電気が一体どれぐらい足りないんだ」
と、上杉隆たちが追求したことはあまり知られてません。足りない400万キロワットは鹿島の火力を再開すればなんとかなる、それも数日のうちに可能だ、と「うっかり」東電は答えてしまってるんですよね。

 ☆☆
都知事選、どうなりますかね。

「生きづらい」子どもたち  実戦教師塾通信三百五十五号

2014-02-02 11:56:08 | 子ども/学校
 遠くの子どもたち Ⅲ

     ~「生きづらい」子どもたち~


 1 「シカト」の誕生


 いわずと知れた「シカト」とは、無視(むし)することである。おおかたの見方では、花札の鹿(十点=トオの札)が、そっぽを向いていることから来たネーミングだと言われている。この「シカト」は、隠語(いんご)という、あくまで発祥(はっしょう)を明確にしない言葉だ。今や社会を覆(おお)い尽くしているこの言葉が、博打(ばくち)の世界から出たというも、いつブレイクしたやらはっきりしない。私の推測ではあるが、校内暴力がピークを過ぎた頃であるのは間違いないように思われる。それまでは「無視」が使用されている。
 思えば、1980年代をピークにした校内暴力を契機(けいき)に、「有無(うむ)を言わさぬ指導」や体罰を「反省」した学校/教師である。そして、生徒を表面上だけ理解しようと打ち立てたのが「共感的理解」や「カウセリングマインド」だ。こんなインチキをやっていてうまくいくわけがない。
 私はこんな時、終戦後の教室をよく想像する。昨日まで「鬼畜米英(きちくべいえい」「一億玉砕(ぎょくさい)」と言っては生徒を殴って鼓舞(こぶ)していた教師が、手のひらを返すように、
「今日から平和になったんだよ」
と、にっこり笑う姿を、小さい子どもたちはどう受けいれたのだろう。どうせこの教師たちは、
「こら! しっかり黒くしないか!」
と叫んで、今まで使っていた国定教科書を、今度は子どもたちに真っ黒に塗りつぶさせていたのは間違いない。やっていたインチキは同じだった。
 そして時代が変わり、40発のビンタをし、伸びた頭髪(とうはつ)の「指導」をしていた教師が、ある日にっこり笑って、
「分かった分かった」
と言ったところで、生徒をだませるはずがない。生徒はなんにも聞かれないうちに、そしてなんにも言わないうちに「分かった」などと言われて、意識下(いしきか)に教師への軽蔑(けいべつ)を蓄(たくわ)えたのだ。教師の方は「共感」をはき違えたか、やはりなんにも分かってなかった。いじめがマグマのように噴(ふ)き出すのは、このあとなのだ。私には1986年の中野富士見中学校の鹿川君自殺は、その始まりと思えて仕方がない。今一度、鹿川君の思いをここに少しでも残したい。『葬式ごっこ』(1994年風雅書房)の帯から、その一節。

「サザンオールスターズが好きだった鹿川裕史君の霊前(れいぜん)には、桑田佳祐からの花束があった。あれから8年」

 さて昔、無視も含めたさまざまな嫌(いや)がらせをする連中は、その理由を、
「こいつがいやな奴だから」「嫌いだから」
と言った。そのことに対し私たちは、
「いやなら関わることはない」「そっとしておいてくれないか」
と言った。これが間違っていたわけではない。しかし、無残(むざん)な「次」が待っていた。目に見える嫌がらせに代わり、目に見えない「集団的無視」が始まる。「シカト」の誕生(たんじょう)である。
 この事態に対して、私たちは慌(あわ)てふためきながら、
「どうして自分の個人的な好みを関係ない周囲まで巻き込むのだ」
「オマエとあいつ(いじめの被害者)の間の問題のはずだ」
と軌道修正(きどうしゅうせい)を試(こころ)みた。
 しかし、流れは恐ろしいほどの大きなうねりとなっていった。


 2 「生きづらい」子どもたち

 もう少しばかり深いところまで行って、事態を考える必要がある。子どもたちのやっていることが、卑劣(ひれつ)で許せないことだと断罪(だんざい)することはやさしい。しかし、子どもたちがそんなことがなぜ出来るのか、私たちは考えないといけないはずだし、言われなくても考えてしまう。そんな時、
「ちゃんとしつけられて来なかったからだ」
という結論付けは、あまりに怠惰(たいだ)だと言える。こんなもの、
「言うことが聞けないのか」
と、大人が畳みかけた、かつてのやり方だ。大人が信頼されていれば、この「言うことが聞けないのか」なる方法も有効性はあるのだが、そうではない。

 実は、子どもたちの「生きづらさ」は今に始まったことではない。大人でもそうではあるが、子どもたち特有の「生きづらさ」がある。

○生きる中で出会う多くが「初めて」であること
○それらは避(さ)けられないものであること
○それらを自分が選べないこと

である。たとえば、生まれた時には自分のそばに親がいる。この例でも、すでに上記の条件をすべて兼ね備え(かねそなえ)ている。「生きづらさ」の始まりである。

○(自分の意志とは関係なく)生まれてしまった
○もっといい親が良かった(とは思ってないのだが)
○空気を吸うのが苦しい、うるさい 等々。

つまり、子どもたちは本質的に、
「現実に不安/不満を持つ」
ものとして存在する。しかし、子どもたちはこの生きづらさを、生きる中で克服(こくふく)していく。親とか環境(かんきょう)を仕方なく、あるいは幸せに、段々受けいれていく。だがもう分かると思うが、この克服の筋道を、今の子どもたちはあまり与えられていない。親も含んだ社会が、子どもにたくさんの愛情を注(そそ)ぐ状態にないからだ。父親は自信をなくし、母親は「自分のこと」に忙しい(いそがしい)。ゲーム機を離そうとしない子どもを親が後ろから押して、ようやく危なっかしく電車から降りる光景は、その象徴的(しょうちょうてき)な例と言える。
 子どもたちは常に「いらだち」を、あるいは「不安/不満」を抱えつつ生きている、生きてきた。今の子どもたちが「違和感(いわかん)」を攻撃的なものの材料にするのは、ここをきっかけとしている。周囲から承認され、周囲を承認する機会が少なかった子どもたちが誰かやその場に違和感を持った時、その処理・処置に困る。ある子はじっと耐えるのだ。しかしある子は「気に入らねえ」となる。
 この「気に入らねえ」と思った子が、じっと耐えている子に対して、
「オマエひとりが大変そうな顔してんじゃねえよ」
と思うのは自然な成り行きと思える。断(ことわ)るが、子どもたちはそう思って言うわけではない。何度も繰り返すが、子どもたちのそのエネルギーは、「違和感」から来ているのだ。
 

 3 「匿名(とくめい)」

 次回の予告もかねて考えたい。
 「シカト」は、いさかいや事件から「確信」の色をそぎ落とすきっかけとなった。そして、犯人が「匿名」となるきっかけになった。この「匿名性」が強化されて、犯人自身が自分のやったことを自覚しないところまで行くのに、そんなに時間はかからなかった。つまり、
「オレかやったがどうした」
という牧歌的(ぼっかてき)時代はとうに終わり、次に、
「誰がやったか分からない」から、
「誰もやってない」
という変化を遂(と)げる。
 その変化をさせるのに、携帯が大きな役割を果たしたことは間違いない。


 ☆☆
えらそうに書いているオマエは、担任やってる時、クラス内でいじめはなかったのか、と言われそうですね。今のうち言いますが、ないわけない。必ずある。あった。当たり前ですよ。開き直ってるわけではありません。その答えが今回の記事とも言えます。おそらくどの家庭でも経験したであろう「心配」と「見守る」(これがどんなことを指すのか、実にさまざまな方法を言うのですが)、それ以外のことを私はしていません。
私たちの課題がなんなのか、そのことも何回かあとに書くことになると思います。なんかこの連載、長くなりそうです。ご愛読よろしくです。

 ☆☆
ドラマ『明日、ママがいない』がずいぶん話題になってますね。私の好きな城田優が、
「全部見てから考えてほしい」
と言い、三上博史は舞台あいさつの記者会見で無言(むごん)を通したと言います。いつかこういうこともちゃんと書かないといけないと思ってます。
ひとつだけ言います。岡田准一主演の映画『SP革命篇』、結構私は楽しみにしていたんです。でも、見に行かなかった。みなさんも同じだったんじゃないでしょうか。震災の翌日(よくじつ)が封切りでしたね。見ようという気にならなかった。娯楽(ごらく)もいいもんだという気持ちに、今はなってますが、この「明日ママ」騒動(そうどう)は、震災の風化(ふうか)を物語ってる気がしてなりません。