実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

〈新〉と〈旧〉Ⅵ  実戦教師塾通信三百十九号

2013-09-25 15:18:48 | 子ども/学校
 〈新〉と〈旧〉Ⅵ

      ~「希望のありか」 その2~


 1 教室という場所


 私が教師になってまだ2、3年の頃だった。小学生で中学年だったその子は、ふだんから落ち着きがなかったが、どうにも止まらないことが何日か続いた。授業中も周囲の邪魔(じゃま)をし、我が物顔にふるまった。腕力(わんりょく)がある子だったので、男子は我慢(がまん)し、女子はなだめるということが続いていた。とうとう私の方が耐えきれず、ビンタをしてしまった。結構な力の入りかただったと記憶している。すると、その子が机の上で泣き崩(くず)れた。さめざめと声なく涙を落とす姿が、私にはとても意外で、困惑(こんわく)した。後悔(こうかい)の念があとから繰り返しやってきた。
 その日のうちに家庭に連絡したかどうか忘れたが、しばらくたった保護者面談の時だったと思う。その子の母親が、ウチの子が万引きをして捕(つか)まったと、私に報告したのだ。私はそれで、またしてもしまったと思った。時期は私がビンタした時とほぼ同じだったからだ。ビンタしたから万引きした、だから失敗したとそんなことではない。自分にはどうにもならないことをその子が抱えていたのに、私が気付けなかったからだ。母親は、万引きの件で目が覚めた、自分があの子のそばにいれば、あの子の気持ちも分かったはずなのに、ここしばらくの間、ちっともかまってあげられなかった、という反省をして帰っていった。私も同じ気持ちだった。
 このことは、子どもは教室の中だけで生きているわけではない、というごく当たり前のことを私に教えた。もっとしっかり子どものことを見ろよ、子どもはちゃんと自分のことを伝えているんだと教えたと思った。この反省が生きたということでもないが、正体不明の出来事は、私を引きつけずにおかないでいる。
 次は中学校でのことだ。2年生を受け持つと、面白い子がいた。男子だ。連絡帳よりはプリントでの連絡、というやりかたが行き渡ってきた時期だと思う。帰りの会で渡されるプリントが5、6枚というのが珍しくなかった。それを渡されると、必ず1~2枚をその子は破った。いや、破ってない。グシャグシャにするのだ。1、2枚は我慢して受け取って、それなりに折るのだが、やがて、顔が歪(ゆが)んで、叫び声とともに紙をつぶてのようにしてしまう。そしてその行為(こうい)の後にカバンに収めるのだ。初めの頃は、この教室内の異変を、周辺のものだけが違和感(いわかん)と共に流していた。しかし、この儀式(ぎしき)めいた出来事は、みんなの注目すべき、そして興味ある出来事に変わっていく。それぐらい本人には制止出来ないことみたいだ、と分かっていく。その日のコンディションや、教室での生活には無関係に、この「プリント処刑」は行われているらしいというクラスの目は、むしろ温かった。私が作る学級便りは、私の思い入れで、いつもプリントの最後に配っていた。今はしまって、家に帰ってから読んでね、の私の声を無視して読み続ける子どもたちがかわいらしかった。しかし、その静寂(せいじゃく)の中で、しばらくすると、ウォ~ッという声とともに、学級便りをグシャグシャにする音が響くのだ。やっぱりやるんだ、という周囲の顔と、そのプリントのしわを伸ばしてカバンに収めてあげるすぐ近くの女子、みんな優しかった。それを確認したあと、我にかえったような、後悔(こうかい)したような本人の顔。
 この「儀式」をしばらくの期間見たあとの私の結論は、

○しつけの厳(きび)しい「母親」が育ててている

だった。そして、もうひとつ、この子が

○「不自由」のない暮らしをしている

だった。
 不自由がない子がどうしてこんな不自由を訴(うった)えるのか、と読者は思うだろうか。この場合の「不自由」は、
「一体なにが不満なのだ」
と、親が思うような生活環境のことだ。そんな場所で子どもが「自由」に生きられるはずがない。この子は裕福(ゆうふく)な家で生まれ、それゆえに母が「行き届いた」育児をしていた。案の定(あんのじょう)、家庭訪問の時、母親は息子のグチばかりを言った。


 2 希望の入口

 この母親は、子育てを任(まか)された責任者として、その仕事を全う(まっとう)していた。三度の食事は丁寧(ていねい)に作り、小さい頃は絵本や遊びにも「手を抜かない」。しかし、私はそこに、「楽しい/幸せな」ことが欠けているように思えて仕方がなかった。これは想像でしかないが、例えば、この子が三歳の時、絵本は「三~四歳児用」のものを与えられ「初めから」「順序にしたがい」読む(聞く)ものだったのではないかと、かんぐってしまう。今は、なんでもことさらに「適正年齢(てきせいねんれい)」やらが設定される時代だ。この子の場合、表紙に見入って先に進めない、などが許される「読み聞かせ」だったら良かったのだが、と思ってしまう。大体に絵本の醍醐味(だいごみ)は、読み聞かせを目的とするものなんかではなく、絵本を楽しむ時の方にある。絵本の世界を共有することの「幸せ」こそ、絵本の楽しみだ。この子は絵本を「つまらない」と言えたのだろうか、とも思った。食べ物で言えば、子どもに偏食(へんしょく)はつきもの、と同じく、本にも本人の好みがあることを分かってもらってただろうか、と私の想像は尽(つ)きなかった。

「過保護(かほご)と放任は同じものだ」

とは、ひと昔言われた。私はこのことを今風に言い替えないといけないと思っている。なぜなら、この「保護」の形が変わったからだ。あの「新聞オレんじゃねえ騒動」があった電車の話に戻して考えよう。システム化された「保護」社会とは、「三人分の優先席」や「点字ブロック」を用意している。「女性専用車両」なんてのまで出現した。「保護」が進んだのではない。社会が、お年寄りや目の不自由な人、そして女性に対して横柄(おうへい)になったから、それらが出来た。正確にいえば、そんなことにかかずらう余裕(よゆう)を人々がなくしたのだ。それだったら社会が代行(だいこう)しましょう、ということになった。ハンディを負った人々が、世の中から愛されているわけではない。
 「保護」とは昔、そんな場面や人に遭遇(そうぐう)した時、あるいはそんな時期に差しかかった時、人々がする自然な気遣い(きづかい)だった。オリンピックの時に言った「hospitality(ホスピタリティ)」を指していた。だから「過保護」とは、そんな時期をもう過ぎたというのに、必要がなくなっているのに、続ける行為(こうい)を指していた。今の「保護」は、「努力の指標(しひょう)」のように思えて仕方がない。すべての福祉設備は
「あとは自分でやってください」
と言っているように見える。それで最近注目したのが、バスにお年寄りをエスコートする車掌(しゃしょう)がついた、というニュースである。高齢者のバス内事故が、バスの停止・出発の時に多いことへの対策だという。車掌が、まだ座っていてくださいとか、席まで手を引いて案内する。昔懐かし(なつかし)、バス内で切符の確認、販売をする「バスガール」(「バスガイド」ではない)を思い出した。ボンネットバスの頃だ。道は舗装(ほそう)もないバンピーな中を、彼女たちはお年寄りや子どもに笑いかけながら、切符を切ってお金のやりとりをした。下こそスラックス(パンツ)だったが、帽子も上着もすべて日本航空のキャビンアテンダントのコピーで、当時は女性あこがれの職業でもあった。これがワンマンバスの登場でいなくなった。まだ小学生でひとりバスに乗った時、持っていたはずの切符を紛失(ふんしつ)し、青くなって一緒(いっしょ)に探してもらったことなど、ほっこりする記憶も数限りない。
 それは、「右に曲がります」「急ブレーキにご注意ください」
というアナウンスや表示を入れても、ノンステップのバスを作っても、車椅子(いす)のコーナーを作ろうが、決して追いつくことのできない世界だ。
「どうしました?」
というバスガールの微笑み(ほほえみ)には追いつけない。

 「希望の入口」には、こう書いておきたい。いつも言っていることではあるが。

○相手(子ども)の言うことをよく聞かないといけない。相手をよく見ないといけない。なぜなら、相手(子ども)は、自分(私たち)の期待している考えや人物であるとは限らないからだ。
○私たちは、相手(子ども)に自分(たち)のことをきちんと伝えないといけない。なぜなら、相手(子ども)は、私たちのことを知らないからだ。

 たったこれだけのことだが、難しい。相手の心を知ることなく、一方的に相手の部屋(心)にずかずかと足を踏み込む(ふみこむ)不作法(ぶさほう)と、その真逆(この言い方キモワル!)の無関心を、今の私たちはしっかりと身につけているからだ。


 ☆☆
白鵬負けましたねえ。あまりの大雑把(おおざっぱ)な取組に、一体なにがあったんだと思ってしまいました。「とったりで、もう勝ったと思ってしまった」という白鵬の談話です。いやあ、「油断」てあるんですねえ。まあいいや、優勝・記録は二の次なんですから。白鵬がどのような「勝負」「技」を見せてくれるか、ですからね。いよいよ後半戦、楽しみです。

 ☆☆
室井佑月のコラム、ネットに載ってました。読みましたか。東京オリンピック開催決定の頃(いや、その決定の日だった)、確かに覚えてます。
「原発事故の責任問わず 菅元首相ら全員不起訴(ふきそ)」
という新聞の見出し。これは、東電株主代表による訴訟(そしょう)です。訴訟の相手は、東電の経営陣(けいえいじん)と、事故後に原発や放射能の安全キャンペーンを担った(になった)学者たち30数人。そして東電本社。なのです。なんと、菅元首相は入っていない! でも見出しは「菅元首相ら全員不起訴」です。
驚きましたね。いやあ、やるもんだ。そして、これがネットのコラムで知らされるという現実です。参った参ったって言ってたらダメですね。

 ☆☆
福島県魚連「試験操業再開」を発表しましたね。あくまで「試験操業」なので「販売して状況を見定める」ということです。福島で確認してきます。ついでですが、どっかの首相が、
「原発は安全、完全にコントロールされている」
と言ったことに対し、規制委員会の田中委員長が、
「首相は福島の魚をたくさん食べてほしい」
と言ったことが『福島民友』で報道されています。田中委員長って福島(福島市)出身だったんですね。