『ハンドダウンキッチン』を観る
~現在を「気持ちよく生きる」こと~
『珈琲BEAN』
以前よく行っていた南柏の喫茶店がつぶれた。駅東口の開発に伴い、あんなに賑わっていた西口の商店街は文字通りシャッター通りとなった。先日、そのつぶれた喫茶店をさらに線路沿いを行くと、新しい店が出来ているのに気付いた。ちょうどコーヒーの豆を切らしたところだったので、私はまるで昔の駄菓子屋のような風情の店『珈琲BEAN』のドアを開けた。
焼きそばでも食べるようなテーブルと椅子の、そのひとつに腰掛けた歳の頃70にかかろうかという女の人は、私を見ると立ち上がって、いらっしゃいませと言った。豆をひいて欲しいんですが、と私が言うと、奥にいる旦那さんに尋ねている。老いた夫婦がちんまりとやっているらしいこの店は、これから豆をひくという。用足しがっあった私は、一時間もしたろうか、そのあとにこの店に寄った。香ばしい空気を道にまで漂わせて豆は待っていた。コーヒーを炒る釜は、道路のかぶりつきで働いていたのだ。
いやぁせっかくこうして釜に火を入れたからね、こうやって別な豆も炒っているんだよ、そう旦那さんが言う傍らで奥さんがニコニコ笑って、お待たせしましたと言う。そして、少し食べてみますか、と旦那さんが私に目の前で炒っているコーヒー豆を差し出す。炒り立てだ、おいしいよと言う。食べられるんですか、という私に、食物(ショクモツ)ですから、と奥さんの勧められるまま、私は恐る恐るそれを口に入れる。
「コーヒーだ!」
バカみたいな言い方だが、温かい豆の殻を噛み砕くと、苦みとコクの中からほのかな甘味が口の中を流れてくる。それは新鮮な驚きだった。コーヒーでしょ?という優しい旦那さんの相槌が、そしてそれをまた、いい豆ですからね、と奥さんの言葉が追いかける。
豆を慈しむようにしているこの夫婦の店へ、私は豆をまた買いに来ると思った。しかし、この店でコーヒーを飲もうとは思わなかった。二人の温かい空気は、店のたたずまいをすべて作り上げていて、そこに他人が入っていく余地がない気がした。「ご近所の憩いの場」としては最適なのかも知れないが…難しいものである。夫婦にとってこの店は近所のたまり場でいいのかも知れない。でもやはり、昼下がりか会社の帰りか、駅の近くのこの店にたまたま寄った客から「この店のコーヒーはおいしいですね」と、言われることをまた格別な喜びとしているに違いないと思えた。難しいものである。
しかし、私はあの夫婦の笑顔が見られる豆屋さんにまた行くのだろう、それもまた確かなことなのだ。
第三の道
「田舎のめし屋が一番大変なんじゃないのかな」
ラストに近いところでシェフの父親勇次郎(江守徹)がそうつぶやく。いつも通り、そのセリフを私の勝手に解釈をすれば、自分なりという道は楽じゃない、ということだった。そんなに派手でなくともいい、しかし、妥協したくはない、そういうことは一体どこで折り合いがつくのだろう。
「都会から遠く離れた山の麓にある…話題のフレンチレストラン」、その人気の秘密はどこに、というのがこの舞台『ハンドダウンキッチン』のテーマである。
「地に足のついた、軽くない、甘くない、中味の詰まった」
舞台です、是非観てください、とシェフで主役の誠(仲村トオル)は言った。これらを耳にした時、この舞台は私に勇気や力をくれる、そう思った。「小さな場所」と「華麗な場所」、そこでそれぞれ息づくものたちの切実な思いは、みんな行き場所を失っている。
情けない政治のおかげで、よくポピュリズム(大衆迎合)という言葉を聞くようになっている。調理前に、お肉の繊維の向きと直角に包丁を入れるテクをご存知だろうか。言うに及ばず、そうすることによって繊維をつなぐ筋が切られ、食べる時に「柔らかい」からである。柔らかさをめぐって、様々な調理法やお店が、そして味わい方がと姦しい。確かに「柔らかさ(食感)も味のうち」ではある。恐らく初めのうちは違っていた。それまで食べていた肉にあった歯ごたえがない肉と出会った時の驚き、それは純粋だったはずだ。「これが肉1?」が「肉はこうでないと」に変わるには、しょうもない成り上がり根性が形成されるバブルという時期が必要だった。それから20年あまりが過ぎた。ちなみに欧米人からすると「柔らかい肉」への評はそれほど高くない。
「このレストランは最低だ! ここに来るテレビも雑誌も、ここにいる従業員も、ここで修行したいと言ってくる志願者もみんな、みんな最低だ!」
とシェフの誠が叫ぶ。椅子も鍋も飛ばす勢いで言う誠は、このレストランの下で修行したいとやってきた若き料理人(柄本ゆう)に、冒頭と違う激しさで迫る。
「どうしてここに来た!」
答えに窮する若者に、じゃあ言ってやる、と誠の口から次々と繰り出される言葉を、私たちは耳が痛い思いで聞くのだ。こんなことでいいのか、オレたちもオマエたちも、みんなみんなくだらない道へと突き進んでいるんだぞ、と誠は言っているかのようだ。
しかし、誠もまたその道をゆくひとりだ。オレは店の借金を返し、店も大きくしたと誠は言い、父親もそれに感謝している。
「オレの料理ではこうは出来なかった」
と。フランス仕込みではあっても、新しさがないため流行らなかったと思っている父親。しかし、誠は今の状態を「最低のレストラン」と吐露した。
では方や、信念に燃えた、あるいは「本来の」とかいうやり方はどうか。その愚直な姿勢は愚直なまま貫けばいい。愚直だからだ。その真剣勝負とやら、客である相手に押し付けた瞬間に愚直でなくなる。曰く、
「こっちは死ぬ気でやってるんだ。黙って食え!」だの「うちではうなぎと飯は分けて出すから。余所と違って乗せたりしないんだ。いやだったら帰ってくれ」
別に帰ってもいいんだが、怒ることはない。自分のやってることに自信があればこんなに怒ったり出来るものではない。曲がりなりにもこっちは注文する側の客だよ。そのお客に注文をつけるって世界は、間違いなく愚直ではない。
どちらにせよ答えを見いだせず、身悶えする誠にスタッフたちは優しい。「オマエだってやめたがってるんじゃないのか」「この店をつぶすのは許さない」。二人のスタッフは、誠の中に残っている、引きずっている思いを見てきたからこそこう言える。それはそのまま誠の思いだ。きっと私たちもそんな思いでいつも生きている。
「もうこんな事続けるのやめようよ」
姉(YOU)がこう言うのは、インチキをやめようとか、金儲けはたくさんだとかいうことではない。結局、誠自身も逃れられない、持ち続けている(残している)気持ちがなんなのか、それを確かめないで店を続けるのはやめよう、そう言ってる。この舞台の場合、その鍵を握っているのは、父親と姉からわずかに、ほんとにわずかに口にされる死んでしまった「母」だと思われる。
「いつからこうなったのか」「どうしてこうなったのか」そして、
「これからどうなるのか」
姉と誠は初めて向き合う。姉とそして誠の中に「残り(残し)続けてきた」ものが何なのか、それを確かめるため向き合う。それを父親とスタッフが優しく見守る。
そんなラストに私たちが向き合っている。
良かったと思い、そして頑張るぞと思って向き合っている。
拍手。カーテンコール。拍手。
☆
この公演、渋谷パルコは今月の3日(日)まで、そして5日福岡、9,10日が大阪、14日名古屋と続きます。是非観てください。これを読んでる福岡の方たち、お勧めですよ。
太宰やバナナ
公演終了後、主役と話す時間をいただけた。表現者としてのけじめなのだろう、この主役は意見や感想にあえて激しいリアクションをしない。しかし「いい俳優」という私の言い方は、この舞台の「いい味とは」「本格的な味とは」というテーマにも触れる。珍しく「それはあくまで『好みの俳優』ということであって、『いい俳優』というのとは…」とかぶりを振った、ような気がした。
表現者の端くれである私は、
「自分はお客が喜ぶ料理を出したい。でも、それはあくまで自分の好みの味付けで」
という太宰治の言葉や、よしもとばななの
「電車に乗ったりして客を見ていると、あ、こういう話を書くと『売れる』と分かる」
という言葉を思い出す。
この主役は、常に自分自身を監督の思い・考えに沿えるような「透明な」状態にしている。同時に、めまぐるしく移りゆく情報や時代の流れを引き受けながら自分の衣を変えている。と私は思っている。そして、その中から「滲み出て」くる自分を「待って」いるように見える。
それは『いい俳優』とかいうことでなく、俳優にとって「楽しい」ことなのか、などと思いながら、帰りの電車はもうなくなろうとしていた。
☆☆
公演が終えてパルコのレストランを歩くと、
「ベンさんじゃないですか?」
と声をかけられました。懐かしい私のあだ名! ここは夜の渋谷のレストラン。なんという偶然。相手は下で映画を見たあとだという。このあだ名を言えるのは18~22歳までの年齢層。看護女子学校で研修中という、担任ではなかったけれど、授業は担当していた子でした。そしてこれも偶然ですが、この日の舞台の主役と同じ名前の子でした。
「気がついてくれてありがとう」と、まるで『奇ッ怪』(その1)に出てくるようなセリフを言ってしまいました。
☆☆
『いい俳優』についてはコメントしません。が、『いい先生』はいますね。「子どもを好きな先生」です。「オマエのためを思う」先生は『いい先生』ではありません。「オマエを好き」な先生を『いい先生』というのです。
~現在を「気持ちよく生きる」こと~
『珈琲BEAN』
以前よく行っていた南柏の喫茶店がつぶれた。駅東口の開発に伴い、あんなに賑わっていた西口の商店街は文字通りシャッター通りとなった。先日、そのつぶれた喫茶店をさらに線路沿いを行くと、新しい店が出来ているのに気付いた。ちょうどコーヒーの豆を切らしたところだったので、私はまるで昔の駄菓子屋のような風情の店『珈琲BEAN』のドアを開けた。
焼きそばでも食べるようなテーブルと椅子の、そのひとつに腰掛けた歳の頃70にかかろうかという女の人は、私を見ると立ち上がって、いらっしゃいませと言った。豆をひいて欲しいんですが、と私が言うと、奥にいる旦那さんに尋ねている。老いた夫婦がちんまりとやっているらしいこの店は、これから豆をひくという。用足しがっあった私は、一時間もしたろうか、そのあとにこの店に寄った。香ばしい空気を道にまで漂わせて豆は待っていた。コーヒーを炒る釜は、道路のかぶりつきで働いていたのだ。
いやぁせっかくこうして釜に火を入れたからね、こうやって別な豆も炒っているんだよ、そう旦那さんが言う傍らで奥さんがニコニコ笑って、お待たせしましたと言う。そして、少し食べてみますか、と旦那さんが私に目の前で炒っているコーヒー豆を差し出す。炒り立てだ、おいしいよと言う。食べられるんですか、という私に、食物(ショクモツ)ですから、と奥さんの勧められるまま、私は恐る恐るそれを口に入れる。
「コーヒーだ!」
バカみたいな言い方だが、温かい豆の殻を噛み砕くと、苦みとコクの中からほのかな甘味が口の中を流れてくる。それは新鮮な驚きだった。コーヒーでしょ?という優しい旦那さんの相槌が、そしてそれをまた、いい豆ですからね、と奥さんの言葉が追いかける。
豆を慈しむようにしているこの夫婦の店へ、私は豆をまた買いに来ると思った。しかし、この店でコーヒーを飲もうとは思わなかった。二人の温かい空気は、店のたたずまいをすべて作り上げていて、そこに他人が入っていく余地がない気がした。「ご近所の憩いの場」としては最適なのかも知れないが…難しいものである。夫婦にとってこの店は近所のたまり場でいいのかも知れない。でもやはり、昼下がりか会社の帰りか、駅の近くのこの店にたまたま寄った客から「この店のコーヒーはおいしいですね」と、言われることをまた格別な喜びとしているに違いないと思えた。難しいものである。
しかし、私はあの夫婦の笑顔が見られる豆屋さんにまた行くのだろう、それもまた確かなことなのだ。
第三の道
「田舎のめし屋が一番大変なんじゃないのかな」
ラストに近いところでシェフの父親勇次郎(江守徹)がそうつぶやく。いつも通り、そのセリフを私の勝手に解釈をすれば、自分なりという道は楽じゃない、ということだった。そんなに派手でなくともいい、しかし、妥協したくはない、そういうことは一体どこで折り合いがつくのだろう。
「都会から遠く離れた山の麓にある…話題のフレンチレストラン」、その人気の秘密はどこに、というのがこの舞台『ハンドダウンキッチン』のテーマである。
「地に足のついた、軽くない、甘くない、中味の詰まった」
舞台です、是非観てください、とシェフで主役の誠(仲村トオル)は言った。これらを耳にした時、この舞台は私に勇気や力をくれる、そう思った。「小さな場所」と「華麗な場所」、そこでそれぞれ息づくものたちの切実な思いは、みんな行き場所を失っている。
情けない政治のおかげで、よくポピュリズム(大衆迎合)という言葉を聞くようになっている。調理前に、お肉の繊維の向きと直角に包丁を入れるテクをご存知だろうか。言うに及ばず、そうすることによって繊維をつなぐ筋が切られ、食べる時に「柔らかい」からである。柔らかさをめぐって、様々な調理法やお店が、そして味わい方がと姦しい。確かに「柔らかさ(食感)も味のうち」ではある。恐らく初めのうちは違っていた。それまで食べていた肉にあった歯ごたえがない肉と出会った時の驚き、それは純粋だったはずだ。「これが肉1?」が「肉はこうでないと」に変わるには、しょうもない成り上がり根性が形成されるバブルという時期が必要だった。それから20年あまりが過ぎた。ちなみに欧米人からすると「柔らかい肉」への評はそれほど高くない。
「このレストランは最低だ! ここに来るテレビも雑誌も、ここにいる従業員も、ここで修行したいと言ってくる志願者もみんな、みんな最低だ!」
とシェフの誠が叫ぶ。椅子も鍋も飛ばす勢いで言う誠は、このレストランの下で修行したいとやってきた若き料理人(柄本ゆう)に、冒頭と違う激しさで迫る。
「どうしてここに来た!」
答えに窮する若者に、じゃあ言ってやる、と誠の口から次々と繰り出される言葉を、私たちは耳が痛い思いで聞くのだ。こんなことでいいのか、オレたちもオマエたちも、みんなみんなくだらない道へと突き進んでいるんだぞ、と誠は言っているかのようだ。
しかし、誠もまたその道をゆくひとりだ。オレは店の借金を返し、店も大きくしたと誠は言い、父親もそれに感謝している。
「オレの料理ではこうは出来なかった」
と。フランス仕込みではあっても、新しさがないため流行らなかったと思っている父親。しかし、誠は今の状態を「最低のレストラン」と吐露した。
では方や、信念に燃えた、あるいは「本来の」とかいうやり方はどうか。その愚直な姿勢は愚直なまま貫けばいい。愚直だからだ。その真剣勝負とやら、客である相手に押し付けた瞬間に愚直でなくなる。曰く、
「こっちは死ぬ気でやってるんだ。黙って食え!」だの「うちではうなぎと飯は分けて出すから。余所と違って乗せたりしないんだ。いやだったら帰ってくれ」
別に帰ってもいいんだが、怒ることはない。自分のやってることに自信があればこんなに怒ったり出来るものではない。曲がりなりにもこっちは注文する側の客だよ。そのお客に注文をつけるって世界は、間違いなく愚直ではない。
どちらにせよ答えを見いだせず、身悶えする誠にスタッフたちは優しい。「オマエだってやめたがってるんじゃないのか」「この店をつぶすのは許さない」。二人のスタッフは、誠の中に残っている、引きずっている思いを見てきたからこそこう言える。それはそのまま誠の思いだ。きっと私たちもそんな思いでいつも生きている。
「もうこんな事続けるのやめようよ」
姉(YOU)がこう言うのは、インチキをやめようとか、金儲けはたくさんだとかいうことではない。結局、誠自身も逃れられない、持ち続けている(残している)気持ちがなんなのか、それを確かめないで店を続けるのはやめよう、そう言ってる。この舞台の場合、その鍵を握っているのは、父親と姉からわずかに、ほんとにわずかに口にされる死んでしまった「母」だと思われる。
「いつからこうなったのか」「どうしてこうなったのか」そして、
「これからどうなるのか」
姉と誠は初めて向き合う。姉とそして誠の中に「残り(残し)続けてきた」ものが何なのか、それを確かめるため向き合う。それを父親とスタッフが優しく見守る。
そんなラストに私たちが向き合っている。
良かったと思い、そして頑張るぞと思って向き合っている。
拍手。カーテンコール。拍手。
☆
この公演、渋谷パルコは今月の3日(日)まで、そして5日福岡、9,10日が大阪、14日名古屋と続きます。是非観てください。これを読んでる福岡の方たち、お勧めですよ。
太宰やバナナ
公演終了後、主役と話す時間をいただけた。表現者としてのけじめなのだろう、この主役は意見や感想にあえて激しいリアクションをしない。しかし「いい俳優」という私の言い方は、この舞台の「いい味とは」「本格的な味とは」というテーマにも触れる。珍しく「それはあくまで『好みの俳優』ということであって、『いい俳優』というのとは…」とかぶりを振った、ような気がした。
表現者の端くれである私は、
「自分はお客が喜ぶ料理を出したい。でも、それはあくまで自分の好みの味付けで」
という太宰治の言葉や、よしもとばななの
「電車に乗ったりして客を見ていると、あ、こういう話を書くと『売れる』と分かる」
という言葉を思い出す。
この主役は、常に自分自身を監督の思い・考えに沿えるような「透明な」状態にしている。同時に、めまぐるしく移りゆく情報や時代の流れを引き受けながら自分の衣を変えている。と私は思っている。そして、その中から「滲み出て」くる自分を「待って」いるように見える。
それは『いい俳優』とかいうことでなく、俳優にとって「楽しい」ことなのか、などと思いながら、帰りの電車はもうなくなろうとしていた。
☆☆
公演が終えてパルコのレストランを歩くと、
「ベンさんじゃないですか?」
と声をかけられました。懐かしい私のあだ名! ここは夜の渋谷のレストラン。なんという偶然。相手は下で映画を見たあとだという。このあだ名を言えるのは18~22歳までの年齢層。看護女子学校で研修中という、担任ではなかったけれど、授業は担当していた子でした。そしてこれも偶然ですが、この日の舞台の主役と同じ名前の子でした。
「気がついてくれてありがとう」と、まるで『奇ッ怪』(その1)に出てくるようなセリフを言ってしまいました。
☆☆
『いい俳優』についてはコメントしません。が、『いい先生』はいますね。「子どもを好きな先生」です。「オマエのためを思う」先生は『いい先生』ではありません。「オマエを好き」な先生を『いい先生』というのです。