実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

密と疎・上 実戦教師塾通信八百三十二号

2022-10-28 11:39:58 | 子ども/学校

密と疎・上

 ~往復する私たち~

 

 ☆初めに☆

「うさぎとカメ」ですが、ありがたいことに、あちこちから支援を受けることが多くなりました。先日も、社会貢献活動の一環としてお聞かせ願いたいと、経営者の方からのヒアリングの申し出も受けました。お芋やお米を届けていただく中でも、いろいろなことを感じているこの頃です。

先日の「うさぎとカメ」の様子をお伝えしながら、その手ごたえを書いていきます。来年の話はまだ早いですが、私たち「うさぎとカメ」の足跡を、スタッフ間できちんと確認しようとも思っています。それは、コロナを渡りゆく中で味気なくなったことにも、何らかの力になると信じて疑いません。「めんどくさいのが大切」がキーワードです。どうも一回で終わりそうにありません。

 

 1 「渡す」「受け取る」

 会食形式がすっかり定着してテーブルが足りず、今月は会場に出せるだけ出してみた。これが全て埋め尽くされる。お持ち帰りの方にも喜ばれ、料理やお土産も幸せだ。

感動のあまり撮った写真。見事に並んだ靴は、スタッフや親が並べ直したものではない。配膳しながら、子どももみんな上り口でかがんでいるのに気が付いた。教室ぐらいのサイズのフロアにブルーシートを敷いた即席の「食堂」だ。段差があるわけではない。これは、和室で開催した時、皆さんが気持ちよさそうにくつろぐ様子をみて、椅子とテーブルではない座布団と座卓というやり方に変更したからである。小さな靴もある。あくまで「自分で靴が履ける」子どもたちだが、注意深く脱いでそろえる姿は、まことに心を和ませた。

調理スタッフ奮闘中。この日は生姜焼きとカボチャのみそ汁でした。

テーブルの掃除までして帰る人も多い。そのまま帰る人はひとりとしていない。みんな食べ終えた食器を配膳台まで持ってくる。前も言ったと思うが、スタッフ間で気を付けていることがある。そのままテーブルに置いといてください、という声掛けは行わない。食器を返却するテーブルも設けない。運ぶのは大変だろうという気遣いや、片付けの迅速さよりも大切なものがあると考えたからだ。食器を渡そうという気持ちをしっかり受け止めたい。そこで必ず発生する「対面」が、私たちの大切にしたいものだ。

 

「お金を受け取ってもらえないんですねぇ」

というスーパーのレジでのお年寄りの声は衝撃だった。コロナ下で進んだ非接触の生活。逆に、おつりをもらう客が「この中に入れろ」と自分の財布を開いて店員に指示する等という例は腐るほど聞いている。そんな話をしたいのではない。お年寄りの嘆きを聞いて分かったのは、支払う時にやっていたのが、お金のやり取りではなかったことだ。コロナ下でレジや仕事上のやり取りは、確かに迅速で無駄が無くなった。そんな中、「うさぎとカメ」がやっていることは、ひどく効率の悪いものに違いない。配布するお菓子や野菜も、袋詰めしておけば「簡単」だ。しかし、自由にお持ちください、と書かれた貼り紙を見る大人は野菜を自分で選ぶし、このお菓子は取り放題だよとか選んでねと言われた子どもたちは、喜んだり迷ったりするのである。「面倒な対面」に伴うアクティビティは大きい。

 学校によって違うが、登校後に子どもたちが健康状態をタブレット上にグレードで報告するところがある。絵文字だったりもする。これだと担任ばかりでなく、教科担任・副担任に共有される。いいこと尽くしのようだが、この報告を丸ごと信用するほど現場は硬直してはいないはずだ。子どもたちが自分の状態をデジタルな記号に置き換える時一体何が起こっているのか、そこには結構深いものがある。前号で紹介したが、普通に朝の会で「元気です」と答えるところも、まだある。ここでも教師のキャパは問われる。「元気です」がどれほどのものか、声や顔色やの様々なトーンをうかがう必要が発生する。どちらにせよ、それは確認に留まらない、手のかかるものが控えているのだ。

 

 2 私たちを「選ぶ」人たち

 2011年、支援の任意団体「いつかは米百俵」を立ち上げ、私たちは醤油や味噌を仮設住宅で配った。月に一本の醤油か一個の味噌を、200世帯の人たちに配り、仮設住宅が閉鎖される2015年までは続けた。被災地には、その他色んな人たち・団体がいた。すごいと思えることが、被災者には必ずしもそうではないことがあった。カツオやサバの缶詰が、ひと家族にひと箱支援で届いたことがある。ちっとも嬉しくなかったという。食べたいと思う時に欲しいものなんだ、それはひとつでいいんだという。必要なものがたくさんあれば安心する、というものではなかったのかと思った。また、大手の会社が、何がどのぐらい必要なのかとやって来た時の話だ。我々は今まで十万食配って来た、胸を張って言ったそうだ。十万食とは、これもスゴイと思ったのだが、被災者側は違っていた。要らないから帰ってくれと言ったという。缶詰の時は、仮設住宅の集会所に届いた。部屋に山と積み上げられた缶詰のひと箱を、被災者の皆さんは自分の部屋まで運ぶのだ。あるいは、集会所に「〇〇社は福島と共に頑張るぞ!」の大きな字のバックに社員の勢ぞろいした制服姿が写っている、そんな写真をたくさん見た。社員たちのガッツポーズの傍らに、仮設の人たちではない荒れ果てた海岸が写っていた。

 缶詰ひと箱がいけないというのではない。たとえば、こども食堂で余計なことをすることはない、たくさん配ればいいという考えだってある。それもひとつである。私たちがカバーする対象はすべてだとは思っていない。ただ「顔が見える」とは何か、考え続けている気がする。私たち「いつかは米百俵」のする支援は、たったの一本・たったの一個だった。でも、顔を見ながら渡す時の手ごたえは確かだった。ちょうどなくなったところです、いつもありがとうございますの声を、必ず受け取った。

 こども食堂「うさぎとカメ」も、同じことをしていると思う。

 

 ☆後記☆

808号「市立柏」の記事、一部訂正しました。記事前半の「学校が遺族の意向を確かめずに調査を始めたことだ」の部分です。このような表記は報告書にはありません。しかし、記事にも書きましたが、学校側の不誠実な対応が続いた後、学校とのやり取りを「代理人を通す」方法に遺族が変更しました。そのことがあったため、私は上記のような判断に至りました。関係者に確かめた結果、この部分の誤りが判明しました。お詫びいたします。

 ☆☆

統一教会の記事を書かないのか、という問い合わせをいくつかいただいてます。思った通りの展開になっているので、ほったらかしていたのですが、いずれ近いうちに書こうと思います。よろしくお願いします。

すっかり紅葉した我が家のコキアです。


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