父と母の路(1)
~本当だった交差点~
☆初めに☆
今回は大きく風呂敷を広げます。
両親、とりわけ父親のことを調べるようになったきっかけは、私が大学に入り、全共闘運動に足を踏み入れてからです。父は私が9歳の時に他界したので、本人からは何も聞けませんでした。調べ始めてから50年、文献もそうですがネットのおかげで、父親の周辺が少しずつ分かってきました。そして今回ようやく、長年解けなかった父(母)にまつわる謎のひとつが解けました。『モモ』に出てくる灰色の男みたいに、ある日我が家を訪れた男たち、その謎が解けました。緊迫した歴史の現場を見た気がしています。これからは、さらに深まった疑問を解いて行こうと思います。母が、そして父も仏壇でほほ笑んでいる気がします。
このシリーズ、長くなりますが、取り敢えず2回書きます。
1 歴史修正主義
長い能書きになる。父を語るためなので、お付き合い願います。
以前に書いた。吉田清治なる輩(やから)が、自分で実行するには不可能だった「慰安婦狩り」を「告白」した。そのいい加減な「事実」が暴かれることによって、慰安婦そのものが「なかった」という流れに大きく加担した。また、犠牲者の多さを理由に「南京事件はなかった」とするのも同じだ。これらを歴史修正主義と呼ぶ。しかし、「あった」ものを「なかった」とする歴史修正主義は、どこにもはびこる。日本共産党もそうだ。
現在、日本共産党は「暴力革命の方針を決めたことは一度もない」と公言している。戦後すぐ共産党は、平和的に民主的社会を作ろうした。それがソ連(現ロシア)の干渉によって、強引に党が破壊され方針が曲げられた、という。これはアメリカの「帝国日本の再生を許さない」占領政策に乗っかって「平和的に民主的社会を作ろうとした」ことを指す。それで共産党は何を思ったか、占領軍を「解放軍」と言った。「ソ連の干渉」とは、あっけにとられたソ連が、共産党を怒った(「コミンフォルム批判」という)ことを言う。事実、この民主化政策はすぐにひっくり返る。財閥の解体はストップし、争議行為も禁止となる。すべては「日本を反共の防波堤にする」ためであったことはご存じと思う。では人々にとって「民主化」とは、他人事だったのか。違う。1917年に起こったロシア革命に、世界中の人々が触発された。日本の人々も例外ではなかった。短い期間だったが、ソ連は人々の光だった。アメリカの記者ジョン・リードがレポートしたように、それは「世界を揺るがした」。また大正デモクラシー以降、すでに芽生えていた日本民衆の「民主化」への思いは、終戦後に大きく動いたのである。影響はあったとはいうものの、共産党のせいではない。
以前、1950年の朝鮮戦争の記事で書いたが、この米ソの代理戦争とも言える戦争を契機として、北朝鮮を支援するべく、日本共産党に武装闘争の指令が下りる。ここに武装闘争を明記した「50年綱領(テーゼ)」が生まれた。
共産党は、暴力による権力の奪取を明言したことを、歴史から葬り去ったのだ。
2 父の大学時代
父が大学に入ったのは1930年、しかし2年後に退学している。在学中、社会運動に身を投じ拷問を受け、入院治療を余儀なくされたからだ。治安維持法下です。小林多喜二たちが殺されたのは1933年、というのは参考のため。そして4年後、再入学して無事に卒業している。
大学時代に知り合ったらしい、郡司次郎生。郡司の書いた『侍ニッポン』は、父の自転車に乗せられて観に行った。別の映画だが、本人直筆の写真が残っていた。
父の社会運動が一体どんな活動だったのか、今となっては知る由もないが、獄中にいる時に救援してくれたのが、渡辺政之輔の母親だったという。労働運動の渦中、台湾で警官隊と交戦し観念、その場で自殺したのが渡辺である。ついでながら、その漢字をひとつもらったのが、私の「政人」だと聞かされて意味が分かったのは、私が高校生の頃だった。
卒業後、羽田精機という軍事運搬用車両を作る会社に就職したのは、1939年。そして4年後、母と結婚する。一体、父のような「前科者」のもとに、どうして関西の資産家の娘が嫁いだのか、これも分からない。媒酌人となった人は、たまに家を訪ねて来ていたので、そのいきさつを聞いたこともあった気がするが、記憶にない。きっと言葉を濁したんだと思う。結婚は5月3日。法学部を出た父の思い入れなのかなどと、いつも母と話した。
そして5か月後、ふたりの男たちが、両親の住む社宅にやって来る。
☆後記☆
コロナのことを最近語らないがどうしたのか、と言ってくださる方が結構いるのですが、関心が薄いのは今に始まったことではないのです。ワクチンなんてもっと関心がない。通知来ましたけどね。あ、そうだ。繰り返しますが「基礎疾患をお持ちの方」って、やめて欲しいなぁ。ダイヤモンドを持ってるんじゃないんだから。「基礎疾患のある方」でいいんです。
早くお店を開かせてあげて、ぐらいは思います。五輪についても、どうでもいいや、という気分です。でも、何があってもなくても、誰かのせいにするのはやめたいですね。政治家はどうにも判断が出来ない。でも、「どっちかはっきりしてくれよ」というテレビからの声に、私はもっと我慢できない気がしています。
☆☆
4チャンネルの「オモウマい店」見てますか。番組が面白いのは、店の味わいもだけど、コメンテーターのヒロミがいいんですね。ああいう媚びない自然なしゃべりって、出来る人ホントに少ない。ヒロミよろしく! サラメシ負けんなよ!
子ども食堂「うさぎとカメ」、明日ですよ!