実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

実戦教師塾通信百八十四号

2012-07-04 15:07:44 | 子ども/学校
 <子ども>の現在 その2

           「態度」と「振る舞い」


 「お邪魔」


 地井さんが亡くなって、仕方がない、月曜9時からのBS6チャンネルは『吉田類の酒場放浪記』で喪に服している、って違うな、それで自らを慰めている。この吉田類は全国(首都圏が多い)の酒場に出没するわけだが、なんせ行く場所がその界隈の人にとっては「贔屓」や「憩い」の場所である。初めて行く人間にとっては普通「気後れのする」場所、ないしは「遠慮」の気分が入るものだ。そういう「旅」のムードとマナーをこの番組の吉田類が持っているので、いつの間にか「知る人ぞ知る」番組になったと思う。かなりの気遣いを感じるのだ。
 旅人の旅先での留意事項として一番目に挙げていいものは、

「図々しくも余所様の家(場所)に上がり込む失礼をお許し下さい」

という気持ちだろう。全国(世界中)どこに行っても、そこでは普段の生活をつましく、あるいは晴れがましく営んでいる。そこに足を踏み入れる時には、ある慎重さが必要なのだ。かなり珍しい光景や習慣に出会っても、そこで、
「キャー! あれ何やってんだ!」
などと大騒ぎしていいものか躊躇するのが普通だよ。せっかくの「旅」が、相手様を土足で踏み荒らすんじゃ「番組様が通る」になるわけで、もうチャンネルを変えるしかない。そこのところを地井さんは踏まえている、というより「体質」なんだな、こういうことは。「お邪魔します」の「振る舞い」は演技だったのかな、演技だとしたらいい演技だよ。他人様の領域に踏み込む遠慮がちな、しかし人懐こい振る舞いは、それで町の「ちいちい」になったのだ。「お邪魔」な気持ちを忘れて「オレ様が通る」とやっちまったら誰も見ない、振り向きもしないよ、誰かさんが後を引き継いだこの番組の視聴率を知りたいね。


 「相手」と「場所」あるいは「グレード」
 
 この間教え子から、私の家に来る旨連絡があった。
「遊びに行かせていただきます」
と来たよ。まぁそれこそ「お邪魔します」で充分なのだ。私はムラムラと、いやムカムカと来るものを抑えられずに、
「遊びにうかがいます」
だろ、と訂正の返信をした。以前も言ったがこの言葉づかいが間違っているわけではない。何か大切なものが欠けている。教え子が悪いのではない。今はすべからく「敬語とはこういうものだ」「相手を敬おうと思ったらこう言えばいい」状態になっている。つまり、
「この場」「この人」
に対する言葉になっていないことを意味する。相手不在・場所不定ということになる。誰かから「(家に)来ませんか」と言われたとして少しやってみると分かる。
「行かせていただきます」
「行かせてもらいます」
「参ります」
「うかがいます」
「お邪魔します」
「行きます」
「行くよ」
「いいとも」
こうして並べれば分かると思うが、この言葉ってやつは、「相手との距離」「親近度」を示してしまう。相手や行く場所によって私たちは言葉を変える。この「来ませんか-行く」のやりとりの中には、実は「歓迎」や「嬉しさ」の「行く!」もあれば、「遠慮」や「行きたくない」ものもある。「行かせていただきます」なんてのは、どっちか分かりゃしない。ここは「嬉しさ」を表したいとして考えよう。
「『行かせていただきます』って余りに他人行儀かも」
「でも『行くよ』じゃ軽すぎて申し訳ないか」
「じゃ『お邪魔します』かな」
という具合だ。考えるのだ。相手(「この人」)と場所(「ここ」)を考える気持ちとはそういうことだ。それで言葉は豊かになる。それで言葉は生きる。


 白鵬と天皇

 名古屋場所がはじまる。先場所優勝した旭天鵬がしつこく「連続優勝」をメディアから迫られている。どうせメディアは期待よりは、旭天鵬へのサービスという意地悪がスケスケなのだが、旭天鵬の笑みを浮かべつつの「無理です」は、誠実さと節度の現れだ。
 覚えていることと思うが、先場所の優勝パレードで旭天鵬の旗持ちをやったのは、同門ではない、そして「横綱」の白鵬だ。聞けば横綱が自ら申し出たものだという。相撲を物心がついた幼少の頃から見ているが、横綱が格下のものの「旗を担ぐ」なんてことは見たことも聞いたこともない。その白鵬は仕度部屋のテレビで旭天鵬優勝の瞬間を見た。十歳年上の先輩が優勝するのは「自分が優勝するより嬉しかった」と、涙があふれたそうだ。
 白鵬自身はもちろん、横綱という立場で旗持ちをすることがどんなことであるのか、重々分かっている。私はメディアのつまらないバッシングを心配したりもした。しかし、パレードの車上で旭天鵬の脇をしめる白鵬の笑みは抜けるようだった。迷いなど微塵もないその姿に私はただただ感動した。
 しかしながら「横綱」を守るのか「先輩」をたたえるのか、という複雑な問題をこの白鵬がどんな風にクリアしたのか、やはりそこは大切なことだ。
 二年前の名古屋場所での白鵬は、天皇賜杯がない寂しさと悔しさに、土俵上でハラハラと大粒の涙を落とした。それを見た(からだと思うが)天皇が、ねぎらいの言葉を送っている。
 そこで前回のブログで触れたことに移る。この天皇の被災地での振る舞いと、白鵬の旗持ちが私には重なって見える。避難所の被災者の前で、天皇が膝をつく姿に驚いたのは私だけなのだろうか。周囲のお役人は立っているのだ。というよりはもともとが「見ている」側近なわけだから、立っているのだろう。しかし、首相はじめ閣僚たちの時は膝をついたのだろうか。多分ついたことはついたのだと記憶している。おそらくは映像からも伝わってくる「距離感」で、その「膝をついた」感覚に歴然とした違いを感じたのだ。昭和天皇の時だったら考えられない場面だ。あの避難所での天皇の姿、映像には「この人(たち)」「この場」に対する気持ちが見えた気がする。


 敬うこと

 さて、ずいぶんと長くなったが本論を短くまとめよう。震災直後、公共広告機構がえんえんと流した「家族を友だちを、仲間を大切に」だったか、ニュースの合間に流れたコピーを覚えているだろう。この「お父さんお母さんを大切に」なる類の言葉に、子どもたちがある混乱を経験することを、私たち学校現場にいるものは知っている。中三の面接指導の時がそれである。それ以前も国語の授業の「敬語」のところで通過はするが、右から左である。それぞれの家庭で改まった時でもあれば、そうする家もあっただろうが、全般的かつ実用的に登場するのはこの受験期をおいてないと思う。
 自分の親を「父」「母」と言わないといけなのだという。もう死語となったかの「ふつつかもの(不束者)」「愚息」は、親が子どもたちを指して言っていた。しかし、子が親を指して言うところの「父」「母」は残っている。富士山のように燦然と残っているのだ。この面接指導をされると、子どもたちの反応は二つに分かれる。ふだん自分の親を「ジジイ」「ババア」と悪態をついている連中は一様に不快感を示す。この場合はまさに「父」「母」は敬語なのだ。しかし他方で、ある驚きとさわやかな緊張感の混じった表情をする子どもたちが多いのも事実なのだ。その子どもたちは「父」「母」が果たして敬語なのか、という思いか、まるで自分が少し大人になったかのようなそんな気持ちにとらわれているのが分かる。普段呼び捨てにしたことのない親に対して、そして「両親を大切に」と言っている機関(学校)が自分の親を呼び捨てにしろと言う。
 どちらにせよ、ここでは「これから外に出て行く」ものが必要なものを身につける、という経験をしている。「父が/母が」という物言いは、外に出て行くのが自分だけではない、ということを子どもたちは経験している。猿之助襲名披露の時、中車(香川照行)の小さい息子は「お父様を超える役者になる」と言っていたはずだ。「お父様」だったと思う。幼い時自分が
「お母様がこうおっしゃってました」
と言ったとしても微笑むのが社会ならば、大きくなった自分が今度それを言うと嘲るのも社会だったはずだ。「この人への」「この場での」言葉とはそういうことだ。
 もともと文化というものが古来の、あるいは歴史的なものであるという定義を外したかのような「若者文化」「文化のさきどり」となっている現状である。そんな中で行き場を失っている言葉や態度だ。白鵬や天皇を道しるべに、というのではない。態度や振る舞いにはきちんとした根拠があるというものだ。それは誤魔化しようもなく、身についたものだということだ。「この場」をどうすればいいのか、「この人」にどう言ったらいいのかという私たちの気持ちと混乱は、大切にされないといけない。


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「<子ども>の現在」久しぶりで、2回目かどうかも記憶が定かでありません。今回もまだ助走です。

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GTOはじまりましたね。少し見ました。やはり書きたくなったので、次回に書きたいと思ってます。あわせて、仲間から指原のこのブログの記事に異論が入ったので、あわせて書こうと思ってます。