写真立て
夏休み
いわきでも市街地の平地区は首都圏のような暑さだが、中央台高久の仮設住宅には避暑地のような風が吹いていた。駐車場には隣接したプールでの子どもたちの声が、いつものようにこだましていた。この小学校も夏休みなのだから、プール開放で来ている子どもたちの嬉しそうな声だ。
この日、いつもより第一仮設集会所は人が少ないようだった。でも、どんな日でも必ず来ているお二方は嬉しそうな顔で、そしてこんな日でもいるんだという恥ずかしそうな顔をして出迎えてくれた。たまたまなのかも知れないが、テーブルの上には何も乗っておらず、二人とも冷えた麦茶を飲んでいた。お坊さんたちのボランティア「足湯」の時だったかと思うが、私は「この人たちの口にはいつもなにか入ってて」と、お坊さんたちのいる前で言ってしまったことを少し後悔した。
でも、この日手土産に持って行った『三万石』の水ようかんを差し出すと、二人は相好を崩してくれた。「いつもどうも」「たまには手すきで来てよ」と言う二人に私は、つい買ってしまうんです、と自然に口が動く。今はみんないないし、よく冷やしてあとでいただこうか、と管理人(市職)さんに、これ冷蔵庫、と頼んでいる。明日みんなが来た時にでもどうぞ、と私が言えば、いやいや明日とは言わねえ、と顔の前で手を振る屈託のなさが私にはたまらない。確かにまだお昼前のことだから、午後に食べてもいいというものだ。こんなことがあるだけで私はお土産を持ってきた甲斐があったと思う。
ふと気がつくと、本棚の脇の飾り台に、つい先日まではなかった写真立てが置いてある。2月、味噌とチョコレートの配布をした時、飛び入りで参加した仲村トオルと皆さんが入った写真がそこにはあった。社協(社会福祉協議会)の人がこの間置いてってくれたんだ、という。
ナカムラはいつも、皆さんによろしく、と言ってるんですよ、是非また来たいと言ってるんです、と私が言うと、
「そうかい、ありがたいねえ」
「でも、ああいう人は忙しいんだろうしね」
と言う。この写真立てをはさんで写真をとりましょう。私は誘いをかける。二人は、モデルは美人じゃねえとな、と求めに応じる(冒頭写真)。
読者の皆さんは覚えているだろうか。2月のチョコは、仲村トオルからの支援だった。私はあのチョコの入った缶ケースはどうなったのか聞いてみた。
「もちろんあるよ。捨てでねえわ」
「ウチは孫が持ってっちまった」
「わたしんとこは、娘の付けまつげのケースよ」
と、途中から顔を出した副会長さんも言う。
プレハブ住居で、隣の生活音はまるで同居している家族のように筒抜けだという。話し声や咳払い、床を這う足の音まで伝わるという。一個つながりの長屋のように見えるプレハブだが、よく見ると一戸一戸の間にわずかなすきまはあるのだ。
「でも、そんなのかんけーねえ。よく響くんだわ」
お互いさまだからさ、我慢するしかねえのよ、と彼女たちは言う。そんな暮らしの中で、ミッキー&ミニーのハート(or丸)型缶が残されている。つつましく残っている。
話は一転、ぼやきとなった。夏休みのイベントである。京都は真言宗のお寺の誘いで、仮設の子どもたちがお寺に招待された。一週間、ただではないが(交通費もすべて込みで一万円)お寺の暮らしを体験するという。
「いいよねえ」
「料理も精進料理なんだど」
「子どもなんかいいんだから。年寄りを招待しろって」
次々に出てくる言葉。
おいとまを告げる。そんな私に、またゆっくり来てね、お盆もいますから、という声が追いかけてくる。
「お盆もいますから」
という彼女たちの声。前、暑中見舞い用の葉書をたくさん置いていった時、嬉しそうな彼女たちはしかし、
「ここ(仮設)からは(葉書を)出せねえんだよ」
と言った。私は思わず、エ? と聞き返したが、同じ言葉を彼女たちは繰り返した。私はもう繰り返し質問出来なかった。ただ、そうなのか、そうだったのか、いやそうではないのか、とあれこれ考えただけだ。そして私たちに彼女たちのことなんて、これっぽっちも分かっていないのだ、という気持ちを改めて味わったような気がした。
「お盆もいますから」
私は、嬉しくも、申し訳ないような気持ちになる。
地元情報(線量偽造)
浪江町の建設作業員が会社(「ビルドアップ」)の指示で、線量計を鉛のカバーで覆って作業をしていたことは知っていると思う。その問題を、全国のニュースよりはるかに地元のニュースは大きく扱った。『福島民友』(7月24日)が詳しく報告している。以下はその記者会見の様子である。
-鉛カバーを製作したのはなぜか
「現場調査に行った時、高線量で鳴り続ける線量計のブザーの音に作業員が驚いた。ブザー音が減れば作業員の不安を解消できると思った」
-効果があった場合は使い続けるつもりだったのか。
「使い続けていた。間違った判断だった」
-カバーの装着は強制だったのか。
「強制していない。使用中止を決めた後で装着を拒否した3人を作業から外したのは、今後作業をする上で自分の指示に的確に対応してくれないと考えたから」
つまり「使用は強制だった」ということだ。
いつも通りパオに立ち寄った時、このことが話題になった。職員が相槌とともに、地元でしかニュースにならなかったことならまだあるわよ、とふたつ。
① モニタリングポスト
福島県内のモニタリングポストの周辺の土は広範囲にわたって掘削され、取り除かれていた。モニタリングポストの出してくるデータは低かった。
② スクールバス
除染が終えて開校した広野町の小学校。まだ住居は高い線量のため自宅に児童は戻れない。それで町のスクールバスで町外から通学をする。学校が終われば多くは隣のいわき市に戻っている。そのスクールバスが、それ以前は原発作業員が現場の原発と、寮(Jビレッジ等)の往復に使われていた、ということ。それはいいのだ。そのバスが除染されずに渡されていたことが地元では大騒ぎとなった。
給食の材料は多くが県外のものを使用している、とは前にも報告したが、本当はそんなにたいしたことではないのよ、という。給食がセンター方式になった時点で、食材を県内生産品ではまかなえなくなっていたらしいのだ。原発の事故がそれにダメを押した結果だという。
それにしても、目を凝らしていないといけない。
☆☆
イチロー電撃移籍!でしたね。すごいですね。ルーキーの道を選んでしまう凄さです。背番号の保証がないことはもちろん、もしかしたらスタメンから外されるという現実も分かっている。いつもは読まないスポーツ紙もそば屋やコンビニで読みました。難しい立場にいたことも確かでしょうが「このままで終わってたまるか」「メジャーナンバー1という栄光が欲しい」とかいうそんな気持ちではない、もっと厳しいところに自分は自分を追い込んできたはずだ、というイチローの決意を感じた私です。
被災地も24、25日は天気の挨拶代わりにこの話。
松井選手も戦力外通知という現実の中で闘っています。ファンというものはそんな本人たちの苦労も知らず、ただ応援するだけ。それでいいのですよね。
☆☆
大津市皇子山中事件は、遺族が第三者調査委員に「尾木直樹を」と提案したようです。私に言わせれば中味のない「有名/高名」を軸とした考えの提案と思えます。尾木が、自分の名声を投げうっても遺族の話を聞いてくれるような人間だと思ったのでしょうか。また遺族は「自殺といじめの関係の徹底解明」を訴えたともいいますが、本当なのでしょうか。「犯人」の「犯行」を明らかにするとかいうバカげたことに意味があるとは思えません。いずれにせよ、行く末をきちんと見ていかないといけません。
「確かにいろいろと問題のある親だったようだけど、そんな親がもしかしたらこの事件で初めて『親になる』きっかけを持てたのかも知れない」
と言ったのは優秀な私の仲間です。優秀だな、と改めて思いました。
夏休み
いわきでも市街地の平地区は首都圏のような暑さだが、中央台高久の仮設住宅には避暑地のような風が吹いていた。駐車場には隣接したプールでの子どもたちの声が、いつものようにこだましていた。この小学校も夏休みなのだから、プール開放で来ている子どもたちの嬉しそうな声だ。
この日、いつもより第一仮設集会所は人が少ないようだった。でも、どんな日でも必ず来ているお二方は嬉しそうな顔で、そしてこんな日でもいるんだという恥ずかしそうな顔をして出迎えてくれた。たまたまなのかも知れないが、テーブルの上には何も乗っておらず、二人とも冷えた麦茶を飲んでいた。お坊さんたちのボランティア「足湯」の時だったかと思うが、私は「この人たちの口にはいつもなにか入ってて」と、お坊さんたちのいる前で言ってしまったことを少し後悔した。
でも、この日手土産に持って行った『三万石』の水ようかんを差し出すと、二人は相好を崩してくれた。「いつもどうも」「たまには手すきで来てよ」と言う二人に私は、つい買ってしまうんです、と自然に口が動く。今はみんないないし、よく冷やしてあとでいただこうか、と管理人(市職)さんに、これ冷蔵庫、と頼んでいる。明日みんなが来た時にでもどうぞ、と私が言えば、いやいや明日とは言わねえ、と顔の前で手を振る屈託のなさが私にはたまらない。確かにまだお昼前のことだから、午後に食べてもいいというものだ。こんなことがあるだけで私はお土産を持ってきた甲斐があったと思う。
ふと気がつくと、本棚の脇の飾り台に、つい先日まではなかった写真立てが置いてある。2月、味噌とチョコレートの配布をした時、飛び入りで参加した仲村トオルと皆さんが入った写真がそこにはあった。社協(社会福祉協議会)の人がこの間置いてってくれたんだ、という。
ナカムラはいつも、皆さんによろしく、と言ってるんですよ、是非また来たいと言ってるんです、と私が言うと、
「そうかい、ありがたいねえ」
「でも、ああいう人は忙しいんだろうしね」
と言う。この写真立てをはさんで写真をとりましょう。私は誘いをかける。二人は、モデルは美人じゃねえとな、と求めに応じる(冒頭写真)。
読者の皆さんは覚えているだろうか。2月のチョコは、仲村トオルからの支援だった。私はあのチョコの入った缶ケースはどうなったのか聞いてみた。
「もちろんあるよ。捨てでねえわ」
「ウチは孫が持ってっちまった」
「わたしんとこは、娘の付けまつげのケースよ」
と、途中から顔を出した副会長さんも言う。
プレハブ住居で、隣の生活音はまるで同居している家族のように筒抜けだという。話し声や咳払い、床を這う足の音まで伝わるという。一個つながりの長屋のように見えるプレハブだが、よく見ると一戸一戸の間にわずかなすきまはあるのだ。
「でも、そんなのかんけーねえ。よく響くんだわ」
お互いさまだからさ、我慢するしかねえのよ、と彼女たちは言う。そんな暮らしの中で、ミッキー&ミニーのハート(or丸)型缶が残されている。つつましく残っている。
話は一転、ぼやきとなった。夏休みのイベントである。京都は真言宗のお寺の誘いで、仮設の子どもたちがお寺に招待された。一週間、ただではないが(交通費もすべて込みで一万円)お寺の暮らしを体験するという。
「いいよねえ」
「料理も精進料理なんだど」
「子どもなんかいいんだから。年寄りを招待しろって」
次々に出てくる言葉。
おいとまを告げる。そんな私に、またゆっくり来てね、お盆もいますから、という声が追いかけてくる。
「お盆もいますから」
という彼女たちの声。前、暑中見舞い用の葉書をたくさん置いていった時、嬉しそうな彼女たちはしかし、
「ここ(仮設)からは(葉書を)出せねえんだよ」
と言った。私は思わず、エ? と聞き返したが、同じ言葉を彼女たちは繰り返した。私はもう繰り返し質問出来なかった。ただ、そうなのか、そうだったのか、いやそうではないのか、とあれこれ考えただけだ。そして私たちに彼女たちのことなんて、これっぽっちも分かっていないのだ、という気持ちを改めて味わったような気がした。
「お盆もいますから」
私は、嬉しくも、申し訳ないような気持ちになる。
地元情報(線量偽造)
浪江町の建設作業員が会社(「ビルドアップ」)の指示で、線量計を鉛のカバーで覆って作業をしていたことは知っていると思う。その問題を、全国のニュースよりはるかに地元のニュースは大きく扱った。『福島民友』(7月24日)が詳しく報告している。以下はその記者会見の様子である。
-鉛カバーを製作したのはなぜか
「現場調査に行った時、高線量で鳴り続ける線量計のブザーの音に作業員が驚いた。ブザー音が減れば作業員の不安を解消できると思った」
-効果があった場合は使い続けるつもりだったのか。
「使い続けていた。間違った判断だった」
-カバーの装着は強制だったのか。
「強制していない。使用中止を決めた後で装着を拒否した3人を作業から外したのは、今後作業をする上で自分の指示に的確に対応してくれないと考えたから」
つまり「使用は強制だった」ということだ。
いつも通りパオに立ち寄った時、このことが話題になった。職員が相槌とともに、地元でしかニュースにならなかったことならまだあるわよ、とふたつ。
① モニタリングポスト
福島県内のモニタリングポストの周辺の土は広範囲にわたって掘削され、取り除かれていた。モニタリングポストの出してくるデータは低かった。
② スクールバス
除染が終えて開校した広野町の小学校。まだ住居は高い線量のため自宅に児童は戻れない。それで町のスクールバスで町外から通学をする。学校が終われば多くは隣のいわき市に戻っている。そのスクールバスが、それ以前は原発作業員が現場の原発と、寮(Jビレッジ等)の往復に使われていた、ということ。それはいいのだ。そのバスが除染されずに渡されていたことが地元では大騒ぎとなった。
給食の材料は多くが県外のものを使用している、とは前にも報告したが、本当はそんなにたいしたことではないのよ、という。給食がセンター方式になった時点で、食材を県内生産品ではまかなえなくなっていたらしいのだ。原発の事故がそれにダメを押した結果だという。
それにしても、目を凝らしていないといけない。
☆☆
イチロー電撃移籍!でしたね。すごいですね。ルーキーの道を選んでしまう凄さです。背番号の保証がないことはもちろん、もしかしたらスタメンから外されるという現実も分かっている。いつもは読まないスポーツ紙もそば屋やコンビニで読みました。難しい立場にいたことも確かでしょうが「このままで終わってたまるか」「メジャーナンバー1という栄光が欲しい」とかいうそんな気持ちではない、もっと厳しいところに自分は自分を追い込んできたはずだ、というイチローの決意を感じた私です。
被災地も24、25日は天気の挨拶代わりにこの話。
松井選手も戦力外通知という現実の中で闘っています。ファンというものはそんな本人たちの苦労も知らず、ただ応援するだけ。それでいいのですよね。
☆☆
大津市皇子山中事件は、遺族が第三者調査委員に「尾木直樹を」と提案したようです。私に言わせれば中味のない「有名/高名」を軸とした考えの提案と思えます。尾木が、自分の名声を投げうっても遺族の話を聞いてくれるような人間だと思ったのでしょうか。また遺族は「自殺といじめの関係の徹底解明」を訴えたともいいますが、本当なのでしょうか。「犯人」の「犯行」を明らかにするとかいうバカげたことに意味があるとは思えません。いずれにせよ、行く末をきちんと見ていかないといけません。
「確かにいろいろと問題のある親だったようだけど、そんな親がもしかしたらこの事件で初めて『親になる』きっかけを持てたのかも知れない」
と言ったのは優秀な私の仲間です。優秀だな、と改めて思いました。