台南・ダイアリー

台湾の台南市で3年、新竹市で2年駐在して、色々な所へ行ったり美味しいものを食べたりしました。

これまでの ” 台南・ダイアリー ” 全 リスト-1

2021年12月31日 | 台湾
2020年5月1日 ”熊厚呷-桃園機場的鹹酥雞 “ (小吃)
2011年6月3日 ”國光手工饅頭-台南包子研究中心第拾弐個 ” (うまいもの)

2011年5月21日 ”花園夜市2011(2)-台湾夜市8 ” (夜市)

2011年5月6日 ”花園夜市2011(1)-台湾夜市8 ” (夜市)

 2010年8月13日 ”台湾牛肉泡麺第17口-満漢大餐麻辣鍋牛肉麺 ” (うまいもの)
 2008年10月22日 ”台湾牛肉泡麺第16口-一度贊清燉牛肉麺 ” (うまいもの)
 2008年5月25日 ”台湾牛肉泡麺第15口-味味一品川味麻辣牛肉鍋 ” (うまいもの)
 2008年5月4日 ”台湾牛肉泡麺第14口-京御満堂紅焼牛肉麺 ” (うまいもの)
 2008年4月17日 ”和緯市場-台南黄昏市場② ” (買い物)
 2008年4月6日 ”台湾牛肉泡麺第13口-一度賛川味牛肉麺 ” (台南)”
 2008年3月20日 ”南台電影城で長江七號を見て ” (台南)”
 2008年3月10日 ”台湾牛肉麺第12口-満漢大餐葱焼牛肉非油炸麺 ” (うまいもの)”
 2008年3月4日 ”台湾牛肉麺第11口 ” 満漢大餐葱焼牛肉麺 ” (うまいもの)”
 2008年3月2日 ”台湾牛肉麺第10口 ” 康師傳紅焼牛肉麺 ” (うまいもの)”
 2008年2月18日 ”民国97年春節之様子 (台湾)”
 2008年2月6日 ”台南玉皇宮の春節(2) (台南)”
 2008年2月3日 ”台南玉皇宮の春節(1) (台南)”
 2007年10月30日 ” 台湾牛肉泡麺第9口 味味一品皇朝牛筋麺 (うまいもの)”
 2007年10月23日 ” 台湾牛肉泡麺第8口 味味一品小四川牛肉麺 (うまいもの)”
 2007年10月20日 ” 台湾牛肉泡麺第7口 一度贊牛肉麺 (うまいもの)”
 2007年10月16日 ” 台風の日、北門街、牛肉麺 (その他)”
 2007年10月8日 ” 台湾牛肉泡麺第6口 満漢大餐珍味牛肉麺 (うまいもの)”
 2007年10月1日 ” 台湾牛肉泡麺第5口 一度贊紅焼牛肉麺 (うまいもの)”
 2007年9月25日 ” 台湾牛肉泡麺第4口 味味一品珍味源汁牛肉麺 (うまいもの)”
 2007年9月21日 ” 空心菜育成結果報告 ” (その他)
 2007年9月16日 ” 台湾牛肉泡麺第3口 阿Q紅焼牛肉桶麺 ” (うまいもの)
 2007年9月12日 ” 台湾牛肉泡麺第2口 康師傳紅焼牛肉麺 ” (うまいもの)
 2007年9月10日 ” 台湾牛肉泡麺第1口 統一牛肉麺 ” (うまいもの)
 2007年9月9日 ” 民国96年之牛肉麺 ” (台南)
 2007年4月15日 ” 台湾高鉄(台湾新幹線) ” (台湾)
 2007年3月19日 ” 孔子廟/府中街/窄門 ” (台南)
 2007年3月14日 ” 吹牛-台湾ゲーム① ” (その他)
 2007年2月11日 ” 【全面広告】 2007年春節 蕾営業のお報せ 【全面広告】 ” (飲み屋)
 2007年2月4日 ” 瑞穂沙茶火鍋-台南火鍋1 ” (うまいもの)
 2007年1月23日 ” 貴族世家 VS 我家牛排-台湾牛排1 ” (うまいもの)
 2007年1月4日 ” 情人夜市-台南夜市7 ” (夜市)
 2006年12月25日 ” 鼎泰豊 忠孝東路店-台北牛肉麺10 ” (うまいもの)
 2006年12月19日 ” 2006 ING安泰台北国際マラソン ” (ランニング)
 2006年11月28日 ” 概説台湾牛肉麺(永久保存版) ” (うまいもの)
 2006年11月17日 ” 2006台北国際牛肉麺フェスティバル(後編) ” (うまいもの)
 2006年11月10日 ” 2006台北国際牛肉麺フェスティバル(前編) ” (うまいもの)
 2006年11月4日 ” 張家清真黄牛肉麺-台北牛肉麺9 ” (うまいもの)
 2006年10月31日 ” 洪師父麺食桟-台北牛肉麺8 ” (うまいもの)
 2006年10月24日 ” 桃源街老王記-台北牛肉麺7 ” (うまいもの)
 2006年10月12日 ” 牛PAPA牛肉麺-台北牛肉麺6 ” (うまいもの)
 2006年10月8日 ” 洪家店牛肉麺-台南牛肉麺6 ” (うまいもの)
 2006年10月3日 ” 上好吃牛肉麺-台南牛肉麺5 ” (うまいもの)
 2006年9月28日 ” 小放牛牛肉麺-新竹牛肉麺4 ” (うまいもの)
 2006年9月23日 ” 關鬼門 ( 番外編 ) ” (風習・習慣)
 2006年9月21日 ” 湖南味-台中牛肉麺4 ” (うまいもの)
 2006年9月18日 ” 仁義牛肉麺大王-台中牛肉麺3 ” (うまいもの)
 2006年9月16日 ” 洛陽味-台中牛肉麺2 ” (うまいもの)
 2006年9月9日 ” 老牛肉麺-台南牛肉麺4 ” (うまいもの)
 2006年9月5日 ” 永康牛肉麺店-台北牛肉麺5 ” (うまいもの)
 2006年8月31日 ” 陳師傳牛肉麺大王-台中牛肉麺1 ” (うまいもの)
 2006年8月28日 ” 阿銘牛肉麺-台南牛肉麺3 ” (うまいもの)
 2006年8月24日 ” 老陳牛肉麺-新竹牛肉麺3 ” (うまいもの)
 2006年8月21日 ” 老董牛肉細粉麺店-台北牛肉麺4 ” (うまいもの)
 2006年8月17日 ” 老張牛肉麺店-台北牛肉麺3 ” (うまいもの)
 2006年8月14日 ” 饌王精品牛肉麺-台北牛肉麺2 ” (うまいもの)
 2006年8月10日 ” 南京牛肉麺館-台南牛肉麺② ” (うまいもの)
 2006年8月7日 ” 牛肉麺大王-新竹牛肉麺② ” (うまいもの)
 2006年8月3日 ” 粘記-台南牛肉麺① ” (うまいもの)
 2006年7月26日 ” 清真牛肉麺館-新竹牛肉麺① ” (うまいもの)
 2006年7月21日 ” 水交社之回憶 ( 後編 ) ” (台南)
 2006年7月16日 ” 水交社之回憶 ( 前編 ) ” (台南)
 2006年7月5日 ” 麻婆豆腐-新竹手工料理① ” (うまいもの)
 2006年7月1日 ” 萬吉-台南日本料理10 ” (うまいもの)
 2006年6月27日 ” 燕南水餃-台南水餃其之五 ” (うまいもの)
 2006年6月20日 ” 延平郡王祠前陽春麺-台南陽春麺③ ” (うまいもの)
 2006年6月14日 ” 老黄陽春麺-台南陽春麺② ” (うまいもの)
 2006年5月29日 ” 民国95年國華人壽RACE ” (ランニング)
 2006年5月23日 ” 飯攤-台南虱目魚屋③ ” (うまいもの)
 2006年5月9日 ” 民国95年統一杯鉄三角RACE ” (ランニング)
 2006年5月3日 ” 膨湖島旅遊記 ” (イベント)
 2006年4月27日 ” 山東水餃大王 品尚坊-台北牛肉麺① ” (うまいもの)
 2006年4月22日 ” 金鳳陽春麺-台南陽春麺① ” (うまいもの)
 2006年4月19日 ” [全面広告] 梅鐸法式料理[ 全面広告] ” (うまいもの)
 2006年4月12日 ” 民国95年3月5日の【台南一日ラーメン屋】 ” (その他)
 2006年4月3日 ” 大台南活力夜市-台南夜市6 ” (夜市)
 2006年3月29日 ” 油庫口麺線-台北麺線2 ” (うまいもの)
 2006年3月22日 ” 菜園-新竹円卓料理1 ” (うまいもの)
 2006年3月18日 ” 総理大餐廰-台南円卓料理1 ” (うまいもの)
 2006年3月14日 ” 2006年台南燈会 ” (イベント)
 2006年3月10日 ” 傳家-台南客家菜2 ” (うまいもの)
 2006年3月6日 ” みなさんありがとう! 謝謝大家! ” (その他)
 2006年3月1日 ” 美濃客家菜-台南客家菜2 ” (うまいもの)
 2006年2月26日 ” 民国95年3月5日の ” 台南1日ラーメン屋 ” ” (その他)
 2006年2月22日 ” 赤蟹将軍之逆襲 ” (うまいもの)
 2006年2月19日 ” 民国九十五年元宵月之天燈 ” (風習・習慣)
 2006年2月16日 ” 民国九十五年初一之温泉旅遊 ” (イベント)
 2006年2月14日 ” 民国九十五年之除夕 ” (風習・習慣)
 2006年1月3日 ” 2006年元旦之食事会 ” (イベント)
 2005年12月28日 ” 2005 ING安泰国際RACE ” (ランニング)
 2005年12月23日 ” [全面広告] 一番居酒屋 [全面広告] ” (うまいもの)
 2005年12月11日 ” [全面広告] 雪媽の店 [全面広告] ” (うまいもの)
 2005年12月06日 ” 魯味坊-台南魯味4 ” (うまいもの)
 2005年12月02日 ” 新府城魯味-台南魯味3 ” (うまいもの)
 2005年11月28日 ” 成功大学前麺線-台南麺線1 ” (うまいもの)
 2005年11月24日 ” 四季小館-台南四川料理其之弐 ” (うまいもの)
 2005年11月21日 ” 阿進仔-台南夏林路海産其之伍 ” (うまいもの)
 2005年11月17日 ” 台南別類収集2 ” (その他)
 2005年11月13日 ” 萬川號-台南包子研究中心第拾壹個 ” (うまいもの)
 2005年11月09日 ” 沙卡里巴-台南碑酒屋6 ” (飲み屋)
 2005年11月06日 ” 吉時市場-台南黄昏市場 ” (買い物)
 2005年11月02日 ” 大道包子-台南包子研究中心第拾個 ” (うまいもの)
 2005年10月30日 ” [全面] 蕾のモノトーンDAY [広告] ” (飲み屋)
 2005年10月26日 ” 新・花園夜市2-台南夜市5 ” (夜市)
 2005年10月23日 ” 新・花園夜市-台南夜市5 ” (夜市)
 2005年10月18日 ” 東門市場-台南朝市4 ” (買い物)
 2005年10月15日 ” 麺條王海産麺-続・長楽(永楽)市場 ” (うまいもの)
 2005年10月12日 ” 開元寺(後編)-台南古跡探訪1 ” (台南)
 2005年10月09日 ” 開元寺(中編)-台南古跡探訪1 ” (台南)
 2005年10月06日 ” 開元寺(前編)-台南古跡探訪1 ” (台南)
 2005年09月19日 ” 裕成水果-台南水果氷 ” (うまいもの)
 2005年09月18日 ” 民国94年之中秋節 ” (習慣・風習)
 2005年09月14日 ” 国華街之小吃(前)-台南地域情報2 ” (台南)
 2005年09月11日 ” 長楽市場-台南朝市攻略3 ” (買い物)
 2005年09月6日 ” 火車站東側-台南地域情報1 ” (台南)
 2005年09月3日 ” 不貳門-台南広東粥2 ” (うまいもの)
 2005年08月30日 ” 激闘記録-台南 ONE DAY 拉麺屋 ” (その他)
 2005年08月28日 ” 試作会報告-台南 ONE DAY 拉麺屋 ” (その他)
 2005年08月27日 ” おしらせ-台南 ONE DAY 拉麺屋 ” (その他)
 2005年08月23日 ” 飯王之王-台南炒飯1 ” (うまいもの)
 2005年08月18日 ” 關鬼門 ( 後編之2 ) ” (風習・習慣)
 2005年08月15日 ” 關鬼門 ( 後編之1 ) ” (風習・習慣)
 2005年08月12日 ” 光復朝市-台南朝市攻略2 ” (買い物)
 2005年08月08日 ” 京膳-台南日本料理店8 ” (うまいもの)
 2005年08月04日 ” 里-台南日本料理店7 ” (うまいもの)
 2005年08月01日 ” 赤嵌担仔麺-台南担仔麺1 ” (うまいもの)
 2005年07月28日 ” 開元朝市-台南朝市之壱 ” (買い物)
 2005年07月25日 ” 大統一夜市-台南夜市之小吃4 ” (夜市)
 2005年07月20日 ” 黒恤隊最后之日-台南日記第一場/The END(2) ” (その他)
 2005年07月15日 ” 胃検査-台南日記第一場/The END(1) ” (その他)
 2005年07月13日 ” 水餃之家東館-台南水餃其之四 ” (うまいもの)
 2005年07月10日 ” 開元屋之午飯-鶏蛋粥 ” (生活情報)
 2005年07月03日 ” 十七號麺館-台南水餃子其之参 ” (うまいもの)
 2005年06月30日 ” 水餃之家-台南水餃子其之弐 ” (うまいもの)
 2005年06月27日 ” 嘉義就是我包子大王-台南包子研究中心第玖個 ” (うまいもの)
 2005年06月24日 ” 台湾的結婚式(本編) ” (風習・習慣)
 2005年06月20日 ” 和記-台南的鍋貼 ” (うまいもの)
 2005年06月16日 ” 台湾的結婚式(予告編) ” (風習・習慣)
 2005年06月13日 ” 台南的梅雨-台湾第二大気象災害 ” (台湾)
 2005年06月10日 ” 農暦端午節-台湾最初的龍船比賽(後編) ” (風習・習慣)
 2005年06月09日 ” 農暦端午節-台湾最初的龍船比賽(前編) ” (風習・習慣)
 2005年06月06日 ” 郷村(台南)-台湾黒鮪魚的季節 ” (うまいもの)
 2005年06月03日 ” 鹿港振味珍-台南包子研究中心第捌個 ” (うまいもの)
 2005年05月31日 ” 大菜市包子王-台南包子研究中心第柒個 ” (うまいもの)
 2005年05月28日 ” 台北潮州包子-台南包子研究中心第陸個 ” (うまいもの)
 2005年05月25日 ” 迪化街紅麺線-台南郷巴LKK的台北探検5 ” (うまいもの)
 2005年05月22日 ” 2005舒包杯RACE ” (ランニング)
 2005年05月18日 ” 天福楼-台南北京料理 ” (うまいもの)
 2005年05月15日 ” 拉麺之家-台南拉麺事情其之弐 ” (うまいもの)
 2005年05月12日 ” 高雄金獅湖肉包-台南包子研究中心 第伍個 ” (うまいもの)
 2005年05月08日  ” 永康福州香-台南胡椒餅之弐 ” (うまいもの) 
 2005年05月03日  ” 両家東河包子-台南包子研究中心 第参&肆個 ” (うまいもの) ☆
 2005年04月29日  ” 福州香-台南胡椒餅 ” (うまいもの)
 2005年04月26日  ” 港都茶楼-台南郷巴LKK的高雄探検1 ” (うまいもの)
 2005年04月23日  ” 台南禄記肉包-台南包子研究中心 第貳個 ” (うまいもの)
 2005年04月19日  ” 新竹黒猫包-台南包子研究中心 第壹個 ” (うまいもの)
 2005年04月16日  ” 上海点心家-台南小籠湯包其之七 ” (うまいもの)
 2005年04月13日  ” 梅金海産-台南夏林路海産其之四 ” (うまいもの) ☆
 2005年04月09日  ” 賞味亭-台南和風洋食其之壱 ” (うまいもの)
 2005年04月06日  ” 阿宗麺線-台南郷巴LKK的台北探検4 ” (うまいもの) ☆
 2005年04月03日  ” 鼎泰豊-台南郷巴LKK的台北探検3 ” (うまいもの)
 2005年03月31日  ” 丸林魯肉飯-台南郷巴LKK的台北探検2 ” (うまいもの)
 2005年03月27日  ” NIKE 台北国際国道 RACE ” (ランニング)
 2005年03月24日  ” 麻吉-台南海鮮夏林路其之参 ” (うまいもの)
 2005年03月21日  ” 大東夜市-台南夜市之小吃3 ” (夜市) ☆
 2005年03月18日  ” 渝苑川菜-台南四川料理其之壱 ” (うまいもの)
 2005年03月15日  ” 青紗草龍-続台南焼肉屋事情 ” (うまいもの)
 2005年03月12日  ” 老友-台南水餃子其之壱 ” (うまいもの)
 2005年03月09日  ” ”蕾”の新学期 ” (飲み屋)
 2005年03月06日  ” 2005年台湾燈会 ” (イベント)
 2005年03月03日  ” 中華料理之食事作法其之弐 ” (生活情報) ☆ 
 2005年02月27日  ” 中華料理之食事作法其之壱 ” (生活情報) ☆ 
 2005年02月24日  ” 威笠二壘 -台南異国料理 ” (飲み屋) 
 2005年02月21日  ” 滬豊-台南小籠湯包其之六 ” (うまいもの) ☆ 
 2005年02月18日  ” 長園-港式飲茶其之弐 ” (うまいもの) 
 2005年02月15日  ” 上海華都-台南小籠湯包其之伍 ” (うまいもの) 
 2005年02月12日  ” 武聖夜市-台南夜市之小吃2 ” (夜市) 
 2005年02月09日  ” 鍋焼意麺-全球最初的速食麺 ” (うまいもの) ☆ 
 2005年02月08日  ” 除夕 ” (台湾) 
 2005年02月03日  ” 小杜意麺-我的人生之秋 ” (うまいもの) 
 2005年01月31日  ” 同郷山西刀削麺 ” (うまいもの) 
 2005年01月29日  ” 星期六之早餐 ” (小吃) 
 2005年01月25日  ” 功夫 ” (その他) 
 2005年01月20日  ” 卓家汕頭魚麺 ” (うまいもの) 
 2005年01月16日  ” 開元屋之晩飯-東披肉 ” (その他) ☆ 
 2005年01月14日  ” 阿瑞意麺-台南出来的伊府麺 ” (うまいもの) 
 2005年01月10日  ” 連絡!連絡! ” (その他) 
 2005年01月09日  ” 公園拉麵-台南日式拉麺事情 ” (うまいもの) 
 2005年01月06日  ” 進福炒喜魚意麺-広東式意麺 ” (うまいもの) ☆ 
 2005年01月03日  ” 阿龍意麺-福州/鹹水式意麺 ” (うまいもの) ☆ 
 2005年01月01日  ” 2005年之音速号 ” (その他) 
 2004年12月31日  ” 台南県跨年晩会 ” (台南) 
 2004年12月26日  ” 花園夜市-台湾夜市之小吃1 ” (夜市) ☆ 
 2004年12月22日  ” 板橋胡椒餅-台南郷巴LKK的台北探検1 ” (うまいもの) 
 2004年12月19日  ” ING安泰国際レース ” (ランニング) 
 2004年12月18日  ” ING安泰国際レース報到 ” (ランニング) 
 2004年12月15日  ” 高麗館-台南最好吃的焼肉屋 ” (うまいもの) 
 2004年12月06日  ” [全面広告]”蕾”のⅩ'MAS PARTY ” (飲み屋) 
 2004年12月03日  ” 大歓喜小炒碳烤 ” (うまいもの) 
 2004年11月30日  ” 和楽-挑戦対生鶏蛋 ” (うまいもの) 
 2004年11月28日  ” 大永和豆漿 ” (うまいもの) 
 2004年11月25日  ” 色狼的俄羅斯人 ” (風習・習慣) 
 2004年11月23日  ” 郷里-黒輪及甜不辣之考察 ” (うまいもの) ☆ 
 2004年11月21日  ” 因為我很愛猫子 ” (その他) 
 2004年11月19日  ” 萬寶龍と夢普蘭と白朗峰 ” (台湾) 
 2004年11月17日  ” 枕頭公!枕頭婆! ” (風習・習慣) 
 2004年11月01日  ” 炭佐麻里中華店-台南焼肉屋事情 ” (うまいもの) 
 2004年10月30日  ” 九族文化村-台湾原住民 ” (台湾) ☆ 
 2004年10月27日  ” 埔里酒廠-台湾紹興酒 ” (名産) ☆ 
 2004年10月24日  ” 日月潭文武廟-台湾史超簡介 ” (台湾) ☆ 
 2004年10月21日  ” 進財小吃 ” (うまいもの) 
 2004年10月19日  ” 大同路漫遊行 ” (うまいもの) 
 2004年10月17日  ” 中華汽車杯10Km結果報告 ” (ランニング) 

これまでの ” 台南・ダイアリー ” 全 リスト-2

2021年12月31日 | 台湾
 2004年10月16日  ” 中山足球場報名 ” (ランニング) 
 2004年10月15日  ” 福寿司 ” (うまいもの) 
 2004年10月13日  ” 家来福売的魚 ” (その他) 
 2004年10月12日  ” 要不要来隻大閘蟹? ” (うまいもの) ☆ 
 2004年10月11日  ” 黒胡椒蛋 ” (うまいもの) 
 2004年10月09日  ” 安平貴記美食文化館 ” (うまいもの) 
 2004年10月06日  ” 萬紅刀削麺 ” (うまいもの) 
 2004年10月04日  ” 吉成蝦仁飯 ” (うまいもの) 
 2004年10月02日  ” 新竹米粉・貢丸 ” (名産) 
 2004年09月30日  ” 太陽餅・老婆餅・奶油酥餅 ” (名産) 
 2004年09月28日  ” 農暦中秋節 ” (風習・習慣) 
 2004年09月25日  ” 茶大文化芸術茶苑 ” (茶芸) 
 2004年09月23日  ” 扁魚 ” (うまいもの) ☆ 
 2004年09月21日  ” 新口味火鶏肉飯 ” (うまいもの) 
 2004年09月19日  ” 關鬼門 ( 中編 ) ” (風習・習慣) ☆ 
 2004年09月17日  ” 海南羊肉刷 ” (うまいもの) ☆ 
 2004年09月15日  ” 東東粤菜餐館 ” (うまいもの) 
 2004年09月14日  ” 全福荘-台南客家菜1 ” (うまいもの) 
 2004年09月13日  ” 關鬼門 ( 前編 ) ” (風習・習慣) 
 2004年09月10日  ” 二五八 ” (うまいもの) 
 2004年09月08日  ” 正芳扁食 ” (うまいもの) 
 2004年09月06日  ” 友愛鹽酥鶏 ” (うまいもの) 
 2004年09月05日  ” 開元夜市 ” (夜市) 
 2004年09月02日  ” 拝拝 ” (風習・習慣) ☆ 
 2004年08月30日  ” 農歴中元節 ” (風習・習慣) ☆ 
 2004年08月29日  ” 林家魚皮-台南虱目魚② ” (うまいもの)  
 2004年08月28日  ” 萬福楼 ” (うまいもの)  
 2004年08月26日  ” 壹等品・覇王豚脚 ” (うまいもの)  
 2004年08月25日  ” 茂雄蝦仁肉圓 ( 情報提供者其之三 ” 李秀玲 ” ) ” (うまいもの)  
 2004年08月24日  ” 葉家小巻米粉 ” (うまいもの)  
 2004年08月22日  ” 元気堡早餐店 ” (うまいもの) ☆ 
 2004年08月20日  ” 帝一嘉海鮮楼 ” (うまいもの) ☆  
 2004年08月19日  ” 日月食堂 ” (飲み屋) ☆ 
 2004年08月18日  ” 胡椒蝦 ” (うまいもの) 
 2004年08月17日  ” 感性魯味 ” (うまいもの) 
 2004年08月16日  ” 不餓門広東粥 ” (うまいもの) 
 2004年08月14日  ” 八方雲集 ” (うまいもの) 
 2004年08月13日  ” 佟記餡餅粥坊 ” (うまいもの) ☆ 
 2004年08月11日  ” 鐡蛋 と 魚酥 ( 情報提供者其之二 ” 許彦儀 ” ) ” (うまいもの) 
 2004年08月09日  ” [ 全面広告 ] 月曜は蕾の ゆ・か・た・DAY ” (飲み屋) 
 2004年08月07日  ” 阿中碳烤-オヤジのミセ ” (うまいもの) 
 2004年08月06日  ” 新市豚脚 ” (うまいもの) 
 2004年08月05日  ” 夜猫子啤酒屋 ” (飲み屋) ☆ 
 2004年08月04日  ” 海中鮮 ( 情報提供者其之一 ” 戴裕峰 ” ) ” (うまいもの) 
 2004年08月02日  ” 上海好味道小龍湯包 ” (うまいもの) 
 2004年08月01日  ” 上海黒豚小龍湯包 ” (うまいもの) ☆ 
 2004年07月30日  ” 天堂鳥燒烤居酒屋 ” (飲み屋) 
 2004年07月29日  ” 同心園-台南小籠湯包其之壱 ” (うまいもの) 
 2004年07月27日  ” 馬芝林啤酒城 ” (飲み屋) 
 2004年07月24日  ” カラオケスナック ” 蕾 ” ” (飲み屋)  
 2004年07月22日  ” 台湾で誕生日に食べるもの ” (風習・習慣) ☆
 2004年07月20日  ” 台南-海鮮-海産-夏林路 ” (うまいもの) 
 2004年07月19日  ” 波士頓啤酒 ” (飲み屋) 
 2004年07月17日  ” 尚軒-港式飲茶 ” (うまいもの) 
 2004年07月16日  ” 台北魯肉飯と台南肉燥飯 ” (うまいもの) ☆ 
 2004年07月14日  ” "C" 海産 ” (飲み屋) 
 2004年07月13日  ” 精碳號 ” (飲み屋) 
 2004年07月12日  ” 台南蔡虱目魚専売店-台南虱目魚① ” (うまいもの) 
 2004年07月10日  ” 里港扁食 ” (名産)
 2004年07月08日  ” 手工拉麺 ” (うまいもの) 
 2004年07月06日  ” 府城魯味 ” (うまいもの) 
 2004年07月04日  ” 陽明山 10.6km レース中止 ” (ランニング) 
 2004年07月03日  ” 中山足球場報到 ” (ランニング) 
 2004年06月27日  ” 夜市で麺線、塩酥鶏、煎餃を買う ” (夜市) 
 2004年05月24日  ” 練習方法変更! ” (ランニング) 
 2004年05月23日  ” 舒跑盃10km RACE ” (ランニング) 
 2003年12月21日  ” 現代三陽台北国際馬拉松 ” (ランニング) 


-------- NOTE ---------
(1) このBLOGでは書き込みを大歓迎しています。
    しかし、制作者は怠け者です。
    反応がなくても、怒ったり、見捨てたりしないでください。

(2) リンクを貼る場合は、ご自由にお願いします。
    制作者への連絡等は、何も必要ありません。
    バナーは下のものをコピーして使ってください。         
    

(3) トラックバックは、原則的には勘弁して頂いています。

(4) ☆が付いている記事は、割と評判が良かったものです。

(5) ご意見、ご要望など、kool_tada に直接連絡される場合は、
    こちらへ → tainan_hurrier@mail.goo.ne.jp

花園夜市2011(2)-台湾夜市8

2011年05月22日 | 台湾


ずーっと、
えらい忙しかったり、ひどい病気だったりして
何も書いてなかったこのBLOG。

この前、GWでたまたまのぞいて見たら
なんと 1日で700以上もの閲覧がある日もある。
( そのあと、2000以上 - っていう日もあった)

あまりの申し訳なさに
この休暇を利用して少しだけ更新させてもらうことにした。

書かせてもらうのは
台南観光でも一番人気かなと思う
”花園夜市”
の今の様子だ。

大体の感じは
 2005年10月23日 ”新・花園夜市 ” (夜市)
で書いた内容と変わっていないが
屋台の食べ物とかが
かなり新しいものに変わっている。

(1)では、そこらへんを中心に書いたんで

今回(2)では、
昔ながらの/以前の状態に少しアレンジが加わった
ものについて
ちーっと書かせて頂く。

今回の 記事を読んだだけで
初心者の アナタも
台湾B級グルメ について
ちょびっと詳しく なれるかも知れませんゼ。
(万一なれなくても まぁ 文句は言いっこナシにしてくれ)




花園夜市は ”海安路3段 ” にあるけど、
(駅から)タクシーに乗ったり歩いたりして行くと、
公園南路をずっと行って右に道が曲がった先にある
- っていうイメージだ。

泊まりで行く人は、
同じ海安路3段に
”家新飯店”
ができて、清潔で安いから
利用すると良い。




さて、
一番に紹介するのは2005年の時も書いた
”麻辣鴨血/港式魚蛋”
のミセだ。

ちなみに、
”麻辣(マーラー)” っていうのは
麻の実が入っていて舌がジーンとする、
そして辛い っていう意味。
”鴨血(ヤーシエ)”
はアヒルの血を混ぜて蒸したもち米を
寄せて固めたもの
(やわらかい中にもっちり感あり 想像するような臭みはない)。

”港式(カンスー)” は香港風の意味。
”魚蛋(ユイタン)” はちっちゃな丸天だ。

前に書いたときは
ほんの出始めだったこの 陳さんのミセは
いまや花園夜市の中に数店ある人気者になった。

魚蛋は4種類の味から 1個からでも選んで買える。
1個ずつ4種類買って 一本の串にさしてもらっても良いぞ。




”豆乳鶏”
も2005年にはすでにあったミセだが、
当時は確か
”鶏翅(チーツー、手羽のこと)”
しかなかったと思うけど、

今や
”脖子(ホーズ、喉の部分)”

”七里香(チーリーシャン、ぼんじり/しっぽの先”
なんかも売っている。

”豆乳鶏(トウルージー)”
っていうと、なんか
豆乳で溶いた粉を使った唐あげ
かと思っている人が多いが、

こいつは 実はとり肉に
”豆腐乳(トウフルー)”
っていう塩漬け豆腐を発酵させた食品
(チーズのようでもあり、味噌っぽい風味もするよ
塩なしの麹だけでつくった塩辛くないのもある)
で下味をつけてから
サツマイモ粉をまぶして揚げたもんである。

うまいし、
高くない部位を使ってあるから
ボリュームの割には値段が安い。
(でっかいぼんじり四個を刺した串が1本20元
立派な手羽串も10元だ)

”月世界豆乳鶏”
なんていうチェーン店もあるよ。




”旗魚黒輪(チーユイヘイルン)”
も 北部では見ないが 高尾や台南には前からある
食いもんだ。

”旗魚”
は 字ヅラから想像できる通り、カジキのことだが
”黒輪”
は、実は日本語の
”おでん”
に台湾語の 似たような発音の漢字を 当て字したもんだ。

黒(オ)輪(レン) だよ。

普通の練り物だが、
揚げたてを 色々な種類のタレで食うと
なかなかうまい。




”碳烤(タンガオ)”
っていうのは、何でも焼いてくれるBBQ屋だが、

オレ的な整理として、
何でもダシで煮てくれる
”魯味(ルーウェイ)”
に対抗する位置にあるもんだ。

前は 花園夜市みたいな大きな夜市には
3店くらいはあったもんだが
今はこの 尚豪碳烤 1店しかない。

マチに出れば人気のある食いもんなんで、
やっぱ夜市にわざわざ出かけるときには
みんな
普段見ない 珍しいもの を求めているのかな。




上で
焼き物 の方の ”碳烤” を書いたんで、
今度は
煮物 の方の ”魯味(ルーウェイ)”
を紹介する。

並んでいる材料から好きなもんを選ぶと
さっと甘辛いダシで煮て食わせてくれる。
オレの大好きな食べもんだ。

これも、前は夜市中いーっぱいあったんだが、
今は少なくなっている。
しかし、このミセだけは巨大化したなー。

材料の種類も、一つ一つの量も増えたので、
大きなバケツに色々な食材を突っ込んだものが
沢山並んでいて壮観だ。

看板になっている
”冰鎭鴨翅(ピンチンヤーツー)”
は、
冷たくしたアヒルの手羽先の魯味のことだが、
大概 鶏ゼラチンの煮凝りがからんでいて
なかなかうまいもんだ。




上の写真の

”香腸(シャンチャン)”
は、中華風の甘い香りのソーセージで
”大腸(ダーチャン)”
は、豚の腸にもち米を入れて蒸したものだ。

昔からある食いもんだが、
(香腸は 焼いておいてにんにくスライスを挟んで出されてた)

最近、 台北など北部の屋台では
大腸 の中に 香腸を挟み込んで ホットドッグみたいにした
”大腸包香腸(ダーチャンパオシャンチャン)”
っていうのが、よく売られている。

花園夜市には ”大腸包香腸” は無いけれど、
上の
”紅妃(ホンフェイ)”
っていうミセは 大腸と香腸を
独特の方法で調理して売っている。

大腸、香腸、をスライスしたものと
”九層塔(ジョウツェンタオ)”
っていう
アサリと炒めたり、鶏のから揚げにまぶしたりして 使う
濃い緑色の香草を
一緒に炒めて食わせてくれるんだ。

オレは
”この食い方もうまいなー。”
と思いながら 満足して食っているが、
こういう香りに弱い日本の人もいるね。




上の写真は、
”脆皮猪脚(ツェイピーツーチャオ)”
っていう 炭火焼きトン足だ。

台湾じゃあ
”猪脚” は、
醤油味で煮込んであるケースが多いが、
ここでは、
日本の焼き鳥屋のトン足みたいに
カリッと焼いてくれている。

ところで、
日本で ”豚” と書く ブタは
台湾の漢字では ”猪” と書き、

日本で ”猪” と書く イノシシは、
台湾では ”山猪” と呼んでいる。

また、
台湾では ”猪脚”と言っている
トン足は
中国では ”豚足”で
日本と同じ漢字で 書かれる。

同じ様な漢字を使っている
台湾-中国-日本だが、 字が同じでも、
違うものを表していることも多いし、
確認は必要だな。

台湾で
”羊肉”
って書いてある肉も

実は、日本でいうところの
”ヤギ”
の肉で

ジンギスカン みたいには臭くなくて
油も少ないから
焼肉や 火鍋でどんどん食うと良いゾ。




上は2005年にも取り上げた
”石頭玉米(シートウユイミー)”
っていうトウモロコシのミセ。

ワンピースの主人公
みたいな子が 描かれている 看板も
昔のままだ。

黄色いトウモロコシは日本で食うのと同じだが、
紫色が混じったヤツは
遥かにモチモチした歯ざわりで
こっちの方がうまい。

どうしてまだ日本では余り見かけないんだろう。
どちらも1本10元で大変お安い。




さて上の写真は、以前 一生懸命調べて

 2005年1月3日 ”阿龍意麺-福州/鹹水式意麺 ” (うまいもの)

 2005年1月6日 ”進福炒喜魚意麺-広東式意麺 ” (うまいもの)

 2005年2月9日 ”鍋焼意麺-全球最初的速食麺 ” (うまいもの)

なんかの記事で紹介した
台湾では 同じ ”意麺” という名前で呼ばれている
全く違った 2種類の麺

”福州/鹹水式意麺(アヒルの卵で練った生麺)”

”広東式意麺(煮戻して食う揚げ麺)”

の内、広東式意麺の方だ。
(詳しいことは上の記事のリンクをクリックしてみてくれ)


2年前のちょうど今日、ある人が

「 唐沢俊一
っていう有名人 (こん時オレは知らなかったけど)
が、
”昭和日本怪人伝(大和書房)”
という本の中で
上の オレが書いた
”進福炒喜意麺” の記事を
ほぼ丸写しにして話を書いている。」

って教えてくれた。

この ”唐沢”っていう人は
B級文化の評論家で
”トリビアの泉”
のスーパーバイザー や
”世界一受けたい授業”
の講師をやって、
本もいっぱい書いている。

ただ、
ホントかどうかは知らないが
この人は オレみたいな素人のブログの記事を
無断でパクって本にしちゃうことでも
結構有名らしい。

UFOのことを書いたブログから
記事を無断転載して
長いことモメてたみたいだ。

まぁ、オレは別に
誰かがオレの書いたことを写したって
別に気にはしないね。

だって、オレだって
台湾の郷土史家が書いてることを
そのまま使ってるもんね。

でも、
パクった/パクってない は別にしても

カップヌードル のモトが 広東式意麺だ! ”

っていう この本のメインの ご意見自体は
かなり 調子っぱずれ だな。
だって 麺食い人の間で

チキンラーメン のネタは 広東式意麺か? ”

っていう話が 結構な議論になったのが
すでに
ずーっと 昔のことだもんね。




さて、話は変わって
上の写真は 言わずと知れた

”臭豆腐(チョウトウフ)”

豆腐を納豆菌などが入った漬け汁に入れて
発酵させたもんだ。

当然、たんぱく質が発酵した際の
アンモニア臭がきつくするんだが、
揚げてあると、煮たものに較べて
臭いが弱い。

夜市では 臭豆腐は 揚げて 串にさしたもんが
よく売られているが、大概
調味料代わりの 包菜(パオツァイ)が添えられている。

包菜 はキムチに似ているが、
台湾では
かなり甘く作ってあるのが普通だな。

このミセは
臭豆腐を割って 中に包菜を挟んで、
よく味がなじむように うまく作っているので
人気があるよ。




上は
”阿彬哥(アビンク、ビンにいちゃん)”
の 飲料店だ。

オーナーの 彬にいちゃん の写真が、
看板になっているけど
なかなか 人の良さそうな 農民すがただ。

けど、
ミセではたらいてるのは、
彬にいちゃん の家族とは とても思えないような
若い カワイ子ちゃんばっかりだぞ。
( 大体 夜市の屋台の娘さんは 可愛い子が多いよ )

右上の写真に写っているのは、
飲料に入れる ゼリーみたいな

”愛玉(アイユイ/オーギョー、黄色の方)”

”珍珠(チンズー、黒い方)”
だ。

愛玉 は
愛玉子(オーギョーチー、カンテンイタビ)
っていう植物から作る カンテンだ。
この植物の種には ペクチンが多く含まれているので
水中で種をもんでいると
自然に 水が寄ってきて カンテンができる。

愛玉は 結構高いものだし、
こればっかりで作ると 少し苦いから
安い飲料店では、
やっぱり普通のカンテンも使ってる。

珍珠 は
西米露(シーミールー)と同じで
タピオカ(キャッサバ っていうイモの粉を煮たもの)
の玉だ。
ねっとりプルルンとしているね。




上の写真は
冷たい ”愛玉” を
専門に売っているミセ。

愛玉の実は
上の両方の写真の 真ん中くらいに写っている。

でかい茶色の実じゃなくて
その周りの 緑色のヤツだよ。
( 茶色で 毛もじゃみたいなヤツを
見た人もいるだろうが、そいつは
この 緑の実の 内側の方だぜ )

愛玉子のことは
台湾にしかない植物 と思っている人がいるけど
実は 日本でも暖かい地方(和歌山とか愛媛)
の海岸なんかには
結構自生してたりするんだぜ。
( - らしい。
ちょっとだけ種類が違うみたいだけどな )

普通、
愛玉 はゼリーとして
冷やしてレモンシロップをかけて売っている。

珍珠 はアイスミルクティーに入れて
売っているんだが、
その
”珍珠奶茶”
を一杯飲むと
本当に 腹がふくれるから 要注意だな。




最後に オレは
このために 残しておいた 腹のスキマに
いつもの 鉄板牛排 を詰め込んだ。

普通なら
この ”小統一 ” の方は
混みすぎていて 食えやしないから

2008年3月20日 ”南台影城で長江七號を見て”(台南)

の回でも書いた
”全塁打(ホームラン)”
の方に行くんだけど、

( あの時は ”全塁打” という言葉
の意味をあえて 書かなかったから
中国語のスラング に詳しくない人は
まぁ 意味が 判らなかっただろう。

”全塁打” ってのは 日本語で言ったら、
ABC の中の ”C” のことサ )

今回は
結構遅い時間で 人も少なくなってたから
”小統一 ”
の方に行った。

そして、
前には 気づかなかった あることに
今更ながら 気がついた。

鉄板牛排屋の 鉄板麺は
北部では 細い油麺なのに(太いのもあるが)
台南みたいな 南部だと
どうしていつも
うどんみたいな 白い太麺 なんだろう?

長いことかかって
だいぶと 台湾の色んなことを覚えたけれど
まだまだ知らなくて
調査が必要なことも 多いみたいだな。




日本の九州と ほぼ同じ大きさの 台湾。

でも、
そんな狭いところに
色んな民族がいて、使われる言葉の種類も沢山あり、
文化もバラエティに富んでいる。

新幹線で
台北から1時間超で 台南駅におりれば
すでに、生えている植物まで 全然違う。

夜市の 輪投げ屋 の大きさだって
わけ判んないほど でかいんだゼ。

左上の写真の 奥の方を見てみ。
どーやったら
あんな遠くの賞品に 輪がかけられるってんだろう。


- っていうところで
今回の 花園夜市 の記事も おしまいだ。


5月13日のヒット数 - 2157
14日のヒット数 - 529
15日のヒット数 - 649
16日のヒット数 - 605
17日のヒット数 - 609
18日のヒット数 - 751
19日のヒット数 - 513
20日のヒット数 - 472

5月15日と18日と今日は
ウェイトと6K坂道インターバル やりましたが
それ以外はダラリ。


今週は なんでだか
めちゃくちゃ 閲覧数が多かったです。

こんな
1年に1回くらいしか更新してない
ナマケたブログを 読みにきてくれた皆様には
本当に 心から 感謝しています。

前回
”日本人の庶民文化エネルギーが落ちてきてるのか”
とか
書いてしまいましたが、

毎年日本で開かれる
”B級グルメ大賞”
にあれほど沢山の人が行くこと、

そして
こんな BLOGにさえ
読みにきてくれる方が 沢山いること、
を考えると

なかなか
我々日本人の 庶民エネルギーも
まだ健在のようでもあります。

でも、そうだとすると
あと、何があれば 我々に
こーいう
台南の花園夜市 みたいな
元気がでて来るんだろう。


花園夜市2011(1)-台湾夜市8

2011年05月06日 | 台湾


ずーっと、
えらい忙しかったり、ひどい病気だったりして
何も書いてなかったこのBLOG。

今日、GWでたまたまのぞいて見たら
なんと 1日で700以上もの閲覧者の人がいる日もある。

あまりの申し訳なさに
この休暇を利用して少しだけ更新させてもらうことにした。

書かせてもらうのは
台南観光でも一番人気かなと思う
”花園夜市”
の今の様子だ。

大体の感じは
 2005年10月23日 ”新・花園夜市 ” (夜市)
で書いた内容と変わっていないが
屋台の食べ物とかが
かなり新しいものに変わっている。

今回はそこらへんを中心に書いて見る。
( それで、長くなりそうだから
  (1)(2)の 2回に分けさせてもらうのでよろしく )




花園夜市は ”海安路3段 ” にあるけど、
(駅から)タクシーに乗ったり歩いたりして行くと、
公園南路をずっと行って右に道が曲がった先にある
- っていうイメージだ。

泊まりで行く人は、
同じ海安路3段に
”家新飯店”
ができて、清潔で安いから
利用すると良い。




さっそく食い物について適当な順番で書き始める。

以前の花園夜市にも沢山あった
” 葱抓餅(ツォンツァーピン ) ”
- 葱入りの薄いお好み焼みたいなもの
は、
今 行ってみるとぜんぜんなくなって、

上の写真にあるような
”葱餅(ツォンピン )”
- 葱が中に入ったパンみたいなもの
とか
”葱香餅(ツォンシャンピン )”
- 葱入りの厚い揚げピザみたいなもの
に変わっている。

今でも、
普通の町中だったら
”葱抓餅”
の方しか売られていないところを見ると、

みんな、夜市に行くときには
”普通とは少し変わった 夜市でしか食べられないもの”
を求めているのかもしれない。

”葱餅”と ”葱香餅”
どっちも かなりデカいから
夜市で色んな種類のものを食いたい人は
友達と 半分こ か それ以下にしておいた方が良い。




”肉圓( バーワン )”も、
以前主流だった、町中と同じタイプの
15cm直径くらいで 低温でまる揚げしたヤツは無くなって、
一口で食える蒸したものに変わっている。
健康志向かな。

一粒5元で、
中身は、肉/海老/野菜/イカ
が選べる。
一個ずつ四種類でも良いんだ。

汁たっぷりの中につけて食うとなかなかうまい。

こういう丸いの以外に
カドカドしているヤツも売ってるけど
オレはこっちが良いな。





”轟炸氷” っていうのは、
まぁ 簡単に言うと
”アイスクリームの天ぷら” だ。

これは 花園夜市にも無かったし
どこでもそんなに見かけないもんだね。

オレが写真をとろうとしたら
おじさんが
”ちょっとまってな”って 言って
目の前でコロンと1個揚げてくれたんで
買ってしまった。

皮が思ったより薄いんだが、
もうすっかり暑い台南では 結構うまいスナックだ。




”轟炸氷” を紹介したんで
同じようなコンセプトの
”炸鮮奶”
についても書いちゃおう。

こいつは、
少し甘みをおさえたクリームの天ぷら
みたいなもんだが、
パンみたいなものにコンデンスミルクっぽいものを浸して
揚げてあるんだな。
揚げてあっても 色が白くて かわいいルックスだ。

”轟炸氷” は殆どどこでも見かけないが
”炸鮮奶” は 他の色々な夜市にもあるよね。




揚げ物のニューウェーブが続いたので もうひとつ
”蕃薯椪”
っていうのについて紹介。

”蕃薯(ハンシュー)”
は おイモのことだって知ってると思うが
”椪(ポン)”
は丸っこいまんじゅうみたいなもんのことだよ。

サツマイモをすった皮のなかに
少し甘い芋アンをいれたものが入っている。
想像がつきやすい味なんで、日本から来た人なら
同じようなもんで
”地瓜球(甘いイモをふわっと中空に揚げたもの”
の方が楽しいかもしれないな。




上は 日本で言うところの
”アメリカンドッグ”
だが なぜか ここでは
”日式熱狗(日本風ホットドッグ)”
という名前で売っている。

関係ないけど、
この食い物の本来の発祥地のアメリカの呼び名だが、
別に何もトウモロコシとは関係ないのに
”コーンドッグ”
って言っている。

ずっと前から台湾にもある食いもんだが、
ここ最近は、
皮の部分に数ミリ角のジャガイモが混ぜててあって
ゴロゴロした感じに揚げてあるものが
人気になってきている。




さて揚げ物ニューウェーブの最後だが、
”爆醤猪排/鶏排”
っていうのがあって
豚や鶏のカツサイズの揚げ物なんだが、

中にチーズとかタレが入っていて
こってり若い人向けになっている。
( 右上の写真は”爆醤”じゃなくて、
同じ店で売ってる 一口揚げ鶏 の方だよ )




上の写真は
まるっきり正真正銘の ”焼き餅”の屋台だ。
目の前でこんがり焼いてくれて
小豆/ピーナッツ/チーズ 何かの味をつけてくれる。

売ってるおばちゃんも自分で
”やきもち”
って言って、
ちゃんと日本語で説明してくれた。




上の写真の
”春巻”
っていうのは、
本来 清明節(日本でいうお彼岸)の日に食べる
小麦の薄い皮の中に何でもかんでも巻き込んだ
食い物だ。

清朝の太平天国の乱の時に
墓にお供え物をきれいに並べる余裕がなくて
何てもかんでも包んで供えた
- のが起源だっていう説明がある。

ここで売られているものがちょっと違う点は
普通なら生の春巻が
”生蒸包(香港風焼き肉まん)”
みたいに 油焼きにしてある っていう点だ。

こーいうのは 実は初めて見たね。




上は、
これも全く初めて見る
”新彊餅(シンチャンピン)”

新彊 - っていうのは中国の西部の方だ。

オレ的に大雑把な感想だが、
食い物にこの地名がついてる場合は
大概 オレの好きな
コリアンダーの香りがぶいぶいついている。

インドネシア/マレーシア のサテ(焼肉)も
同じ系統の風味だね。

最後には鉄板麺が食いたかったもんで、
ここではセーブして買わなかったんで
本当の味はわからないけど
色んな種類のアンが入った
焼きたての感じはなかなか良いぞ。




この写真の
”無骨鶏脚凍”
は、本当はまるきりのニューウェーブ じゃあなくて
2005年位から広まってきたもんだ。

基本的に
鶏の足(モミジ)の甘辛煮(魯味)だが、

以前あった
骨ありで、しゃぶりついて遊びながら食う
”鳳抓”
に比べて、
すでに骨を抜ききった 薄い足の皮だけを売っている。

オレは 遊びながら食う前のタイプが好きだったが、
状況は常にイージーな方向変わって行く。

今の花園夜市には もう前みたいなモミジを売る店はなくて
こういう骨なし鶏脚の店が沢山出ている。




最後に
食い物以外の遊戯のニューウェーブを紹介して
今回の記事を終わりにする。

上の写真は
ホント ニユーウェーブのビール注ぎゲーム。

箱の中にある3個の蛇口からランダムに
ビールが出てくるので
ジョッキを左右に動かして
そのビールを受ける。

ただしジョッキには底に穴があいていて
うまく 出てくるビールをキャッチしないと
空っぽになってゲームセットだ。

逆に調子よくビールを受け続けて
ジョッキが満杯になれば
次のステージに進める。

オレもやってみたが、
結構面白くて盛り上がれる。

ちなみに 写真の女の人二人は
関係ない人だってば。



さて今回、
花園夜市の新しい食べ物を中心に話をまとめてみたんだが
実に入れ替わりが多かったのに驚いた。

日本の縁日の屋台なんかだと
中国の人が参加してきたりして 多少は新奇なものも見かけるが
大体は
焼きそば、焼き鳥、お好み焼き、フランクなんかの
見慣れたもんが殆どだ。

その理由として、
日本じゃあ 若い人は屋台なんかやらない また、
屋台は 結構縄張りとかの問題があって 普通人は参加しにくい
という様な背景もあると思うが
( 花園夜市は確か小一コマ一晩300元位のショバ代で
商売したい人はどんどん参加できた と思う )

「 夜市/縁日 にいって 変わったものを食いたい! 」
っていう気持ちを
我々消費者側がそれほどもってない
( もしかすると日本人の庶民的
エネルギーレベルが 低くなっているのか)
状況もあるかな

なんぞと思う今日この頃でありました。

次回は
それほど変わっていないミセを中心にじわっと話をまとめる予定。





四日前のヒット数 - 724
一昨昨日のヒット数 - 379
一昨日のヒット数 - 344
昨日のヒット数 - 471

一昨昨日は、ダラリ
一昨日は、ウェイトと6K坂道インターバル。
昨日は、ダラリ
今日は、ウェイトと20分のインターバル。

”台湾牛肉泡麺第15口-味味一品川味麻辣牛肉鍋” (うまいもの)

2008年05月25日 | 台湾


   

今日は
台湾牛肉泡麺 ( カップ牛肉麺 ) シリーズの
15食目。

ここまであんまり成績が良くない
” 味味一品 ”
シリーズの最新作
” 川味麻辣牛肉鍋 ”
を食った。

最初から結論を言っとくが、
今回も
” 味味一品 ”
のパフォーマンスはイマイチだった。

だから、
いつも最後に書いている
”オレの好きな台湾の食いモン”
については、
本編とのバランスをとるために
画像3枚使って、
まことに結構なスィーツを紹介するから、
最後までちゃんと読んでくれヨ。




” 川味麻辣牛肉鍋 ”
の中身は、
ほかの一般的なレトルト牛肉入りカップ牛肉麺と同じ
揚げ麺、粉末スープ、調味油
それにレトルト牛肉パックだ。




上の写真が、
レトルトの牛肉パックの中身を
皿にあけてみたもんだ。

前回の、
” 京御満堂 ”
の牛肉と比べれば、
処理が悪くてばらばらになってしまっているのがよくわかる。

においも
味味一品独特のこげっちいようなもんで
ちょっといただけない。




お湯を入れて3分間、
蓋を開いて中身をぐるぐる混ぜ、
レトルトの牛肉を上にのせてみた。

すると、
牛肉の処理も悪く、
臭いも少し変なんだが、
食ってみると、
そんなに悪くはない。

じっくりスープと麺をかみしめると、
「ありゃりゃ、
 これもヒット商品の” 満漢大餐葱焼牛肉麺 ”のコピーみたいだゼ。」

先回の京御満堂も、
葱焼牛肉麺のコピーっちかったけど、
牛肉の質と処理がすごく良くて
評価が高くなったが、
今回はどうなるかナ。




- ってぇことで
まとめとして、
いつもやってる点数表に評価を書いてみた。

まぁ当然だが、
そんなに良い点数は出ていない。

多分オレも
二度とこいつを買いやしないだろうナ。

ごめんよ
前回の記事からだいぶ間もあいたのに
こんな美味くもないカップ麺の話を書いちまって。

それで、
今度こそホントだけど、
この
” 台湾カップ牛肉麺 ”
シリーズは、
あと2回で終わる。

そして、
その2回とも、
過去にはなかった60点越えの
うんま~いヤツを紹介するゾ。

そんでこのシリーズも
怒涛のフィナーレにするヨ!

だから、まぁ、
今回のことには懲りずに
また、
ガンガン見に来てくれよナ!!





さて、
冒頭書いたように
今回はオレの本当のお気に入りの
台湾スィーツについて書く。

そいつは、
台北の基隆路でやっている
” 臨江街夜市 ”
にある
” 九分芋圓 ”

” 削氷、チョアピン ” だ。




削氷の上に、
タピオカみたいなでんぷん系のゼリーをトッピングした食い物は
台湾以外でも
フィリピンやインドネシアみたいな
東南アジアのどこでもよく見られるスィーツだよネ。

でも、
このミセのは
ホントに他のとは全然違うんだ!




どう作ってるのか判らないが、
台湾のねっとりした芋頭を、
QQ感のあるゼリーみたいなモンに
上手に仕上げていて、
またその味が、どえらく濃厚だ。
( もっとショボイやつならどこにでもあるがナ )

削氷と一緒にでてくるんじゃなかったら
ちょっとくどい位の味わいの
その芋圓を、
麦芽糖の蜜やたっぷりの氷と一緒に食うと、
芋や蜜の味が氷にぐぃーんとからんで、

「 ほぇぇぇ~~~、うめーよーォ♪ 」

氷に白玉のっけてる日本の
カキ氷だって、
確かにうまいんだけど、

正直、
汗だくで臨江街夜市を歩いてから
人ごみをかきのけてやっとありつく
この屋台の
” 九分芋圓 ”
の、
” のりょ~っ ”
とした美味さには、
どうやったって、
勝てネーかも知んねーなぁ・・・・


じゃあネ!



5月22日のアクセス数 - 323
5月23日のアクセス数 - 355
5月24日のアクセス数 - 535

5月22日の練習 - ジムでウェイト&トレッドミル6km
5月23日の練習 - 休み
5月24日の練習 - ジムでウェイト&トレッドミル6km

民国97年春節之様子

2008年02月19日 | 台湾




       ( 除夕の様子 )

先回の記事があんまり
” 台湾の正月 ”
っぽく無いんじゃねーの 
- っていうヤツがいたから、

納得が行くように
赤い色がいっぱいの写真をアップしてみた。




上の写真は
台南じゃなくて、新竹のものだが、
昔からある東寧宮の周囲の情景で、
正月の飾りを売っているとこだ。

こーいう除夕の様子は
新竹でも台南でも変わりは無い。




正月にオレは
やけに温厚なローカルの部長と、
ちょっとキツイ日本人の社長と拝拝に出かけた。

会社が、
別に大もうけをしなくたってイイけど、
事故とかトラブルでひどいことにだけはなんないように
” 土地公、トゥーティーコン ”
に正月の拝拝をやりにいったんだ。

拝拝とか土地公について知りたい人は、
” 拝拝 ”
 の回を、参考にしてくれ!


 

上の写真が
オレが行った土地公の様子だが、
神社の狛犬みたいなヤツがいるのが
面白い。
( 日本統治時代の影響なんだろうか、後で調べてみよう・・・ )

右の方には、
台湾の正月にはつきものの爆竹をやるための
金網のかごがある。
( 便利だ! )




上の写真は、
台北とか新竹みたいな北部では
あんまり見る機会がないけど、

台南のような南部では
正月には
いたるところで目にする
” 歌仔戯、ゴアヒー ”
って言う街頭ミュージカルみたいなもんだ。

上の写真みたいにナマの人間がやるときもあるけど、
人形劇の時が結構多い。

全部台湾語なんで
ストーリーとかはよく判らないけど、

たまたま通りの仮設舞台で見かけた
人形使いの人のなかには
技とか歌みたいなモンの技術がスゴくて
思わず鳥肌が立つことだってあるんだヨ。

もし、台湾でゴアヒーを見かけるようなことがあったら、
少し立ち止まって
聞いてみるのもいいかもしれない。


と言うような取りとめも無い内容で
今回は終わってしまうのであった。






2月15日のアクセス数 - 554
2月16日のアクセス数 - 399
2月17日のアクセス数 - 423
2月18日のアクセス数 - 469

2月15日の練習 - トレッドミル6km + ウェイト
2月16日の練習 - トレッドミル6km + ウェイト
2月17日の練習 - 休み
2月18日の練習 - 休み

台南玉皇宮の春節(2)

2008年02月06日 | 台湾




  ( 台南玉皇宮の天井 )

先回から、
農暦のお正月に、台南市民がお参りに行くお宮として
一等ポピュラーな、成功路の
” 玉皇宮 ”
の話を書いている。




先回一応、
玉皇宮の2階→1階の全部の神様に
拝拝をして、お線香を立ててまわった
ところまで書いたが、

そのあとは
ご供物と一緒に置いておいた
紙銭を燃やすんである。

但し、
玉皇宮で燃やされる紙銭の量はハンパじゃない。

左上の写真が、
紙銭を燃やす場所なんだが、
大型ボイラーみたいなもんで、
熱くってとても近寄れやしない。

あっさり、
自分で燃やすのはあきらめて、
みんなと同じ場所に紙銭をつんで
帰ることにしよう。
( こうやって放っておいても、
  お宮の人が代わりに燃やしてくれるんである )




最後に、
自分がお供えしておいたご供物をもって帰れば、
それで全部のプロセスがおしまいだ。

上のご供物が、
オレが持っていったヤツだが、
お供えをする前に
野菜なんかは、
ちゃんと玉皇宮の洗い場で、洗ってからお供えするんだゼ。

それから、
こういう風に、どっかのお宮へ行かずに
自分で拝拝をする人は、
” 拝拝 ”
 の回を、参考にすると良いゾ!


 

お参りをした後、オレは
成功路をはさんで玉皇宮とは対面の

” 愛麺族 ”で、
乾麺、魯味、蝦団子スープなんかを食って
ちょっとゆっくりした。

ここは、
まぁそれほど突き抜けてウマイ
って言うほどのミセじゃあないが、
値段も安いし、味付けもおとなしいから、

玉皇宮へお参りした時や、
近くの
” 光復朝市 ”
で買い物をした帰りに、
ちょいとものを食うのにちょうどイイやね。

そして、
最近、年のせいで
目も耳もすっかり衰えてしまっているオレは、
乾麺を食ってる間に背後を

子連れで、あの
” ラーメンマン ”
が、ニコニコ笑いながら、
通りすぎていくのにさえ

・・・・・ 全く気づかずにいた ・・・・・
( ごめんヨ )

そんな、
民国97年の正月前の一日だったのサ。



そいじゃ!




2月3日のアクセス数 - 508
2月4日のアクセス数 - 296
2月5日のアクセス数 - 420

2月3日の練習 - トレッドミル6km + ウェイト
2月4日の練習 - 休み
2月5日の練習 - トレッドミル6km + ウェイト



台湾高鉄(台湾新幹線)

2007年04月15日 | 台湾


   
            ( 台湾高鉄 )

最近よく台湾高鉄に乗っている。

前は高速バスのでっかい席で、
居眠りしながら、北と南を行き来するのが
オレのお気に入りだったが、
( 和欣バスなら
  個人用モニターが各座席についてて
  結構新しい映画もみれるしネ )

1時間と少しで新竹から台南に着いてしまう快適さには、
なかなか抗し難いものがある。



      ( 高鉄台南駅 )         ( 台南駅構内 )

しかし台南駅は、
市街地や科学工業園区からはいかにも遠い。
タクシーなら400元以上かかってしまう。

都市機構の集中化を避ける
- ちゅう様な高邁な目的を掲げるほど
台南は密集したマチじゃあない。
( ゴーストタウンみたいな
  寂れた商業区が市内には沢山ある )

駅はもちっと、
市街地に近いところにした方が良かったんじゃないだろうか



      ( 新竹駅ホーム )        ( 新竹駅構内 )

新竹ならまぁ、
200元位で着くからそんなに気にもならないが・・・

金のことといえば、
この間ちょっと見てたら、
普通新竹じゃぁタクシーの初乗りは90元
( 台湾の都市の中では一番高い! )
だが、
高鉄にいるタクシーの初乗りは80元だった
様な気がする。



      ( 高鉄券売機 )         ( 券売機画面 )

高鉄は、
ハードウェアが日本製、
分岐や無線のシステムがヨーロッパ製、
券売機系統が台湾製
の混血児だが、

開通初期は、
券売機の部分のトラブルが頻発し、
使用者からの抗議が多かった。

慣れりゃぁどうってことも無いが、
1回目に切符を買う時には手間取るかもしれない。
初めて乗るときは、
余裕をもって駅まで行ったほうが良いゾ。



 ( たまたま駅で蘭を配ってた台南県知事 )         ( 高鉄切符 )

オレが台南の駅に降りると、
たまたま台南の県知事が、
” 台南国際蘭展 ”
の宣伝で、
蘭を無料で配っていた。

独り暮らしで、
植物も動物も面倒見られっこないオレが
ただでも、もらわなかったことは
言うまでも無い。



      ( 台南駅時刻表 )

今、高鉄は、
上り下りとも1時間に1本ずつしかない。
それに、
最終が8時半くらいまでしかない。
そんなに少ない本数なのに、
利用率はまだ高くないらしい。

だが、
金曜とか連休の前は、
結構満席なことが多いし、
今のところ全席指定なんで、
駅まで行ったのに全然電車が無い
- なんてこともあるから注意しないとネ。

( ただ、高鉄が満席の時は
 大概 和欣バスも空きがない。
 しょーがないから、
 指定席制じゃない統連バスの
 長蛇の列に並びに行くしかない )



            ( 高鉄料金表 )

ところで、
旅行者の人の中には、
「 MRTの駅に行ってください。 」
な~んて言って、
タクシーの運ちゃんに通じなかった人が
結構いるんじゃなかろうか。

同じように台湾では、
” 新幹線、シンガンシェン ”
って言っても理解されない場合が多い。
しゃべるときは
” 高鉄、ガオティエ ”
って言わないとネ。
( ガオの発音はどうでも良い。
  ティエの方を、嫌なニュースを聞いたときに
  ” エェ~ ”
  って言うようなイントネーションでしゃべるのがコツだ )

( MRTのことは
  ” ジェイユン ”
  と言うけど、ユンの方を良い子が元気よく
  ” うん! ”
  って言うような感じで発音すると
  きっと伝わるゾ )



            ( 高鉄車内 )

高鉄に乗ってみると、
車内は清潔で快適だが、
どちらかと言うと日本の新幹線より
質素だ。

トイレも狭いから、
すげー太った人は、
駅で用足しをしてから乗ったほうがいいナ。



            ( 高鉄車両外部 )

内装の感想を書いたから、
車両の外部についても、
最後にちょっとコメントするが、
これが、
開業早々とは思えないくらい汚れている。

高鉄の営業開始は、
当初計画より1年遅れたが、
日本の列車製造会社は予定の納期に車両を納入したため、
1年間車両が雨ざらしになってしまったらしい。

そのため、
一部の部品が運転開始前にすっかり錆びてしまい、
実際に運転を開始したとき
外壁に流れ出したのが原因だ
- と物知りな人が言っていた。

まぁ、
開業が遅れたってのも問題あるかもしれないが、
こんなに錆びる素材を選定した業者ってのも
少しは責任があるんじゃないかナ
とオレは思ったりした。


- それじゃ今回はこんなところでご無礼しますヨ -

じゃあネ




4月10日のアクセス数 - 352
4月11日のアクセス数 - 280
4月12日のアクセス数 - 279
4月13日のアクセス数 - 377
4月14日のアクセス数 - 350

4月10日の練習 - 休み
4月11日の練習 - 休み
4月12日の練習 - 休み
4月13日の練習 - 休み
4月14日の練習 - 休み


開元寺(後編)-台南古跡探訪1

2005年10月12日 | 台湾



( 左上は、北園街からみた開元寺大門。
  右上は、開元寺三川門の梁に描かれた装飾。
         色使いがきれいで、図柄もすっきりとしている。 )



「 台南の古跡のなかでも、あまり日本人に知られていない開元寺について
  日本統治時代から第二次大戦前後にかけて起こったことを書いてみよう。 」

と思って書き始めた開元寺の話だが、
やってみたら、全3編になり、これまでで一番長い話になってしまった。

内容が、歴史年表みたいで
読むのには結構骨が折れるけれど、
色々興味深い内容もあるかと思うので
最後までがんばって読んでくれるよう、是非お願いする。



( 開元寺三川門の門扉に書かれた天部の絵 )


( ” 開元寺 ” 周辺地図 )


さて前回は、
1930年(昭和5年)に日本留学から帰ってきた證峰が、
得圓法師を助けて開元寺の管財権を守ったところまで書いたので、
今回はその続きから。


1930年(昭和5年)、
  開元寺の管財権を確保した證峰は、その年に
  全台湾の仏教者が参加する ” 南瀛佛教會 ” の講師に選任され、
  自身、修行に励むと同時に、
  台湾仏教会の思想的リーダーとしての活躍を開始した。

  そしてこの後、

  (1)” 真心白話直説註解 ”、” 仏説堅固女経講話 ” など多数の著述。
  (2)” 台湾工友総連盟 ” へ参加、” 赤道報 ” の創刊。
  (3)” 南瀛佛教會 ” の講師としての活動。
  (4) 開元寺内での ” 仏学研究会 ” 開催。

  等の精力的な活動を通じて、仏教改革・社会改革を実践していった。

  前回、證峰の宗教活動を
  ” マルクス主義を仏教に融合させる ” と書いたが、
  実際の所、證峰が主張していたのは
  ” 階級闘争 ” とか、” 抗日本帝国主義 ”
  のような狭義の社会主義思想では無く、
  唯物論的な立場から仏教を実践していくことや、
  弱者を救済し、公平な社会を実現すること を重視したものだった。

  證峰の思想の特徴は、

  (1)人間浄土思想
  仏教の目的は、来世浄土を頼むばかりのものではなく、
  積極的に社会活動に参加し、現世に公平で快活な世界を実現させるよう
  働くのが菩提心である。
  (2)一仏的思想
  仏は本来一つの超越した存在で、宗教が色々あるのは、
  仏のことを人間が色々な名前で呼んでいるだけで、
  人間のこだわりの部分を除けば、宗教の合作ということは
  自ら問題はないものである。
  (3)女人成仏思想
  男だけが悟りを開いて仏になる というような従来の仏教思想は
  自然ではなく、男女は平等で、女性もまた仏になるものである。
  ( 證峰は、女性解放論者でもあった。 )

  というような所に、表れていると考えられる。



( 左上は、開元寺後殿・大士殿の外観。ここと僧坊は二階建てになっている。
  右上は、大士殿一階の釈迦如来像
  ( 実はこの仏像が釈迦如来なのかどうについては良く判らなかった。
    印相が法界定印なので、釈迦如来と思うが、
    衣服が菩薩型だし、髪型も螺髪ではない。
    ただ、背景が川なのを見ると、釈迦がネーランジャー川のほとりで
    悟りを開いて如来になったばかりの時の像なのかもしれない。
    あとで開元寺の人に確認の上、この部分訂正することとする。 ) )


1934年(昭和9年)、
  この年の10月10日、稀代の俊才・證峰法師 林秋梧は、
  若干31才の若さで、肺結核により他界してしまった。

  その活動は、わずか数年というごく限られた期間のものだったが、
  證峰が台湾仏教会に与えた影響や業績は、多大なもので、
  台湾大学の楊恵南教授はその著述の中で

  ” 日本統治時代の台湾仏教会に、もし林秋梧がいなかったなら
    それは、暗闇に何の灯りもないのと同じことだっただろう。 ”

  と述べている。



( 左上は、大士殿2階に安置されている観音像。
  一般の参拝客はここまで入れないので、望遠で外部から撮った写真。
  右上は、開元寺で育てている花や草など。 )

1943年(昭和18年)、
  證峰が亡くなってから9年後、
  得圓法師が引退し、證峰と同じく日本の駒澤大学に留学していた
  證光法師 ( 高執徳 ) が、開元寺の住持に選任された。

  證光の思想も證峰と同様の進歩的なものであり、
  著述も多く、仏教学者として立派な業績を残しながら
  仏教改革を推進していった。

1945年(昭和20年)
  終戦。
  日本による台湾統治は終了し台湾は中国に返還された。
  翌年には南京に国民政府が樹立され、
  台湾人の国籍も中国籍となることが決定された。
  この頃から、国民党と共産党の対立が激しくなり、
  内戦の結果敗走した蒋介石と国民党が、台湾に移動してきた。

1949年(昭和24年、民国38年)
  中華民国が成立し、台北が首都になる。
  この2年前には2.28事件が起きて、
  国民党による白色テロが始まっていたが、
  この年には、” 仏教概論事件 ” と呼ばれる
  政府による一連の宗教者弾圧が起こった。  

1953年(昭和28年、民国42年) 
  證光は、学習活動の一環として
  中国の左派僧侶巨贅を台湾に招待しようとしたが、
  崗山派の僧侶がこのことを通告したことにより、
  中華民国保密局に逮捕・投獄されてしまった。

1955年(昭和30年、民国44年)
  前年の裁判の結果、無期懲役の刑が決まっていた證光だったが、
  蒋介石が 「 刑が軽すぎる。 」 と判断し、
  量刑は死刑に変更され、
  この年、銃殺刑に処せらた。

  證峰と同じ宗教改革路線を実践していた證光だったが、
  同様の改革活動を実施していても、
  時代が、もう證峰の時のものとは違ってしまっていた。



( 左上は開元寺に隣接する ” 開元慈愛病院 ” の観音像。
  右上は、開元寺が経営する ” 開元慈愛病院 ” 。 )

1953年(民国42年)、
  證光が逮捕された後、開元寺の住持には印相法師が選任された。

1958年(民国47年)、
  台湾政府は ” 施耕者有其田土地 ” 政策を実施し、
  開元寺は多くの所有地を手放さなくてはならなくなり、
  結果として財政危機の為、税金も払えない状態になった。

1959年(民国48年)、
  開元寺は、竹渓寺の住持であった眼浄法師を兼任で住持に迎えた。
  眼浄法師は高徳の僧で人望もあった為、
  債務処理が順調に進行し、募金なども集まり、
  開元寺は財政危機を乗り越えた。

1969年(民国58年)
  眼浄法師が他界し、後任の住持に悟慈法師が選任された。

  これ以後、
  開元寺は悟慈法師の方針に従って
  宗教活動を行うと同時に、  
  開元寺に隣接して、病院、幼稚園、老人ホームなどを開設し、
  一般市民に対する地域密着型の寺の運営を行い、

  - そして、現在に至っている。  





さて さて 、
本当に長い話になってしまったが、
やっとこさ、戦後~現在までたどり着いたので、

” 日本統治時期前後に開元寺に起こったこと ”

のオレなりのまとめも、
この部分をもって、おしまいにすることとする。



長いこと我慢して読んでいただいた人達に、大変感謝します。 
どうもありがとうございました。




--------- 以下オレの個人的な話 ---------





先日 ( 10月8日 )、
このBLOGの為に、開元寺に写真を撮らせてもらいにいった所、
左上の写真のように、一人の僧が鉄の板を
” ガン ガン ガン ” と叩いて
” お斎 ( 食事 ) ” の時間を、寺中に報せていた。

オレは、大士殿で釈迦如来の像を見ていたが、
尼さん達が、オレも含めて一般の参拝客に
「 食事をしていきなさい。 」
と薦めてくれたので、
開元寺の僧侶に混じって、お寺の食事を頂いた。
( 下の写真 )





料理は、肉・魚・卵・ネギ類・香辛料を使わない
本筋の精進料理で、種類も量も多いし、
やさしい味わいがなかなか美味しいものだった。

誰でも、その時間に開元寺にいる人には
無料で振舞って頂けるものの様なので、
” お寺の食べ物 ”
に興味がある人は、開元寺にはただ参拝・見学に行くだけでなく
精進料理もご馳走になりに行ってみると良いゾ。
( ちなみに、開元寺が開いているのは朝4時から夕方7時までで、
  オレがお斎をご馳走になったのは、午前11時過ぎ位だ。 )

いい忘れたけれど、
食器は自前が原則みたいなので、
使い捨てで良いから、お碗と箸は持っていった方が良いゾ。

それと、変に中国語や英語を使わなくても、
開元寺のお坊さんや、尼さんは日本語が話せる人が沢山いるので
判らないことや聞きたいことがあるときには、
日本語で説明が聞けて、とてもありがたい。


-------- 個人的な話、おしまい ---------




- ということで、
  長い長い ” 開元寺 ” の話も、本当にここでおしまいだ。

  そでは、みなさんご無礼!




  ・・・・・・ 結局最後は、食い物の話になってしまったナ ・・・・・・





一昨昨日のアクセス数 - 580
一昨日のアクセス数 - 705
昨日のアクセス数 - 521

一昨日は、練習は休みでした。
昨日は、朝ジムでウェイトをして、夜は事務所から家まで歩きました。
今日は、朝ジムでウェイトをして、夜は事務所から家まで歩きました。







台南的梅雨-台湾第二大気象災害

2005年06月13日 | 台湾
 


今年の台南の梅雨は、ハンパじゃない。


去年は、そんなに
「 雨が降った-。 」
って、思ったことはなかったのに、
今年は違う。 特に今週はすごい。

もう6日間も降り続いているし、
降り方だってホント、ハンパじゃないヨ。

クーラーの外部の箱にあたる雨音がうるさくて
( 雨粒がでかい! )
夜も寝られやしない。





上の写真は、
今日、家の前の ” 開元路 ” で起きた災害で、
降雨のせいで地盤が緩んで、
道路を横切って埋めてあった、
通信とかパワーのケーブルが切れてしまったんだ。

” 開元路 ” は、
台南市街と 台南科学工業園区をつなぐ、重要な幹線道路で、
朝夕はすごく交通量が多くて、
ただでさえ渋滞するのに、
これからの帰宅時間帯は、どういう状況になってしまうんだろう。
( オレ達の事務所は、今日は早上がりになっていたので
  なんとか、家に帰れてラッキーだった。 )


 


上の写真を見ると判ると思うが、
片側2車線の道路が、両側とも
全面通行止めになっている。


 


ところで、
” 梅雨 ” っていうのは、
東南アジアでは共通の呼称だが、
語源は、
6~7月に揚子江流域で梅が熟して黄色になる頃
降る雨だから、そう呼ばれ始めたんだ。
元々は
” 黄梅雨 ”
という名前で、
古くは、漢の時代の文献に記載が見られる。

梅雨は、
本格的な夏が来る前に、
大陸性の寒気団と、太平洋の暖気団の勢力が拮抗して、
停滞する前線ができるため起きる。
- っていうのが、オレの簡単な理解だが、
梅雨の雨の降り方は、
一般に、南に来るほど多くなる。
( 日本の中だって、関西の方が関東より
  単位時間当たりの雨量は多い。 )

停滞する前線は、
南から北上してくるので、
南の地域ほど、梅雨の時期は早い。
大陸の江南から台湾にかけての一帯は、大体、
5月中旬から6月中旬に梅雨になり、
揚子江流域から、韓国、日本にかけての一帯は、
6月初旬から7月初旬にかけてが梅雨の時期だ。

日本じゃ、
梅雨は、米を作るのに必要なもので、
夏の渇水期に向けて、貯水するためにも重要なものだが、
台湾じゃ、
台風に次いで深刻な損害をもたらす、気象災害だ。
農作物の被害だけで、
毎年平均17億台湾円の損害だそうだ。

ところで、台湾では、
こういう台風とか、梅雨の豪雨の水害で、
よく、自動車や家が、水に浸かってしまう。
中古自動車屋で、
日本なら、
「 事故車は扱っておりません 」
なんて書いてあったりするが、
台湾では、
「 絶無泡水車 」
という うたい文句をよく見る。

ここでいう
” 泡水車 ”
っていうのは、
” 水害で水に浸かってしまった履歴のある車 ”
のことで、
すごくリセールバリューが低いものなんだナ。



さて、そんなことで、
台湾の梅雨について、色々書いてみたんだが
今日の所は、あっさりここまでにしておくヨ ♪




一昨昨日のヒット数 - 433
一昨日のヒット数 - 589
昨日のヒット数 - 555

一昨日は、雨だったのでジムで、ウェイトと5kmのJOGをやりました。
昨日は、雨だったのでジムで、ウェイトと10km位のJOGをやりました。
今日は、練習は休みでした。

台中国際レースまで、あと116日。





---------- P.S.ナンポウの雨 ----------



「 いつか、雨の話を書いたら、紹介しよう。 」


と、ずっと思っていた、
JALのエッセイコンテストの入選作で
” ナンポウの雨 ”
というエッセイがある。

すごく若い人には、
あまり、判りにくい話かもしれないけれど、
” ナンポウ ”
という言葉に、聞き覚えがあるような人だったら
上の下線部にリンクが貼ってあるので、
クリックして読みに行くと良いゾ。

オレは、この話を読んだあとは、
暑い場所で、スコールみたいな雨が降ると、
いつも思い出すんだナ。
それでちょこっと、紹介したのサ。


-------------------------------

除夕

2005年02月08日 | 台湾


今日は、農暦のおおみそか にあたる日だ。

台湾では、
この年越しの時期を、 ” 過年 ( グオネン ) ”、
今日 = おおみそかは、” 除夕 ( チューシー ) ”
( 日本では ” 除夜 ” の鐘 なんていうが、台湾では ” 除夕 ” だ。 )
元旦は、” 大年初一 ( ダーネンチューイー ) ”
と呼んでいる。
一般の会社とか銀行なんかは、一昨日の日曜から 連休に入って
次の日曜までの 8日間が休みに なっている場合が多い。

オレ達 駐在の人間も、同じスケジュールなんだが、
客の定期修理が 重なったので、
台南の事務所は 3週間続けて ( 土日も ) 出勤のあと
今日初めて休みになった
- はずなのに、
今日も どえらい朝早くから、システムトラブルの 呼び出しがあって
やっと さっき帰ってきたところだ。
( この時期に 日本に帰る社員も多いが、
  黒シャツ隊のT君と オレは呼び出し対応の 待機番だ。 )

 

帰ってきてから、
「 すぐには、また寝られないだろう- 」
と思って
オレは、近所の 開元寺の朝市に 散歩に行った。
( 一番上の写真と、左上の写真 )
こういう朝市だと、野菜でもなんでも、
新しいものが、びっくりする位 安い値段で買える。

今日は、肉包 ( ロウパオ、肉まん ) を買って
アパートの裏の公園で、朝から 缶ビールを飲みながら 食った。

右上の写真の 肉まんを見てくれ。
缶ビールと 較べるとわかるが、
巨大だろー。
日本では、紅色のマークがついているのは 普通、あんマンだが、
台湾では、紅色マークは 大体、” プレーンな肉まん ” のしるしだ。
( はるさめとか たけのこ なんかが 増量になっている スペシャル肉まんもある。 )

台南は、ここのところ ほわっと暖かくて
ゆるい 南風に吹かれながら、公園で食った肉まんは、
「 やっとこさ 休みになったぞー! 」
っていう気分もあって、えらく うまかった

 

上の写真が、食った肉まんの断面だ。
肉が、こぼれるくらい詰めてあって、写真には写っていないが
肉の奥に アヒルの卵の黄身 も入っていた。


- っていうだけで 今回はおわりだ。
さぁ、頑張って 起こされてしまった続きを 寝ようっと。

でも、この正月の待機中は 時間が結構あるから、
すぐに、溜まっている写真を整理して、
前に報告した予定の とおりの色々な記事を、
この時期に UPしてしまう予定だゾ。


先週木曜日のヒット数 - 291
先週金曜日のヒット数 - 226
一昨昨日のヒット数 - 317
一昨日のヒット数 - 340
昨日のヒット数 - 348

先週金曜日は、ウェイトと30分JOGをしました。
一昨昨日は、ウェイトと30分JOGをしました。
一昨日は、ウェイトと50分JOGをしました。
昨日は、月曜日なので練習は休みでした。
今日は起きてから、成功大学のトラックを走る予定です。



------- P.S. --------


 

今回は
「 ちょっと あっけなさすぎるかなぁ。 」
と思って、夜になってから 写した
赤嵌楼の近くにある 大天后宮の 除夕の様子( 左上 ) と、
友愛街で 正月の飾りを売る屋台 ( 右上 ) の
写真を追加した。
台南の おおみそかの 雰囲気が伝わったかナ。

肉まんを くってから寝た後、起きたのが、なんと夜の7時過ぎで
結局、今日は練習をしなかった。

以上です。

萬寶龍 と 夢普蘭 と 白朗峰

2004年11月19日 | 台湾


今日は、思いっきり サムく いくので、力を抜いて読みとばしてくれ。



この前、北門路 ( ペイメンルー ) を黒シャツ隊のT君と歩いているとき、
オレが モンブラン の ブランド専門店 を見つけて、
「 おお、こげなとこに モンブラン のミセがある。 」
と言ったら、ヤツが
「 うぁ、どこに目をつけとるの ! 菓子屋 なんかないやないノ ! 」
と びっくりする様な発言をした。
ゲゲっ と思って聞いてみると、
なんと T君は本当に、万年筆メーカーの モンブラン を知らない様だ。
 
その上ヤツは、そんなブランドを 知っているのは オカシイ といい、
「 門司 ( ヤツは門司出身だ ) にゃ、
 モンブラン なんて文房具屋 を知っとるモンはおらん。
 みんな ケーキのこと としか思ワン。 」
と言い張った。

そこでオレは、ひとつの提案をした。
「 そんなら、これからケータイで 知り合いに電話をかけて、
 ” モンブラン と言えば? ”
 と訊いて、訊かれたヤツが一番に 文房具屋 を思い出したら、
 オマエがオレに10円払え、
 その代わり、 ケーキ屋 を思い出したら オレが10円はろうたろ。 」 
提案は成立し、それからオレたちは北門路 を歩きながら、
台湾中のダチに電話をかけたかけた。

結果、予想通りほとんどのヤツが モンブラン と聴いて、
文房具ブランド しか思いつかず、
だれも ケーキ を連想するヤツはいなかった。
オレは
「 さすがは台湾人、ブランド志向! 」 なんて思ったりした。

しかし、オレが500円も もうけたころ、T君から、急に異議が提出された。
「 TADAさん、電話で訊くときにずっと、 
  ” 萬寶龍、 ワンパオロン と言えば、何を思い出す? ”
  - って訊いてるじゃないッスかぁ。   ホントにその
  ” ワンパオロン ”
  っての、 ケーキ の モンブラン と発音一緒なんスか? 」

「 うァ 」

そういえばそうだ。
中国人は 外来語に てきとーに漢字を 振るから、
モトが同じ ” Mont.Blanc ” でも 漢字まで 一緒とは限らん。

そこで、性根が 英国紳士 の様にフェアなオレは、
T君に500円を返し、次の日 インターネットで
ケーキ の モンブラン の漢字を、台湾ではどう書くのか
について調べることにした。

その結果は、やっぱり漢字が全然ちがってて、

万年筆 の Mont・Blanc = 萬寶龍、 ワンパオロン
ケーキ の Mont・Blanc = 夢普蘭、 ムンプーラン

になっていた。 そして、ついでに調べた スイスの山 の方は

Mont・Blanc = 白朗峰、 パイロンフォン  だった。



 
なー、みんな、この三つの 漢字 の表記を見ただけで、
語源 が同じもんだって 想像できるヤツいるかい?

オレは
「 本来、 表音文字 である アルファベットを、 表意文字 の漢字 に変換すると、
  同じ 語源 と スペル でも、全然違うもんになっちまうんだなァ。
  日本語だったら、” モンブラン ” って言う共通のカタカナ を見れば
  - 何か関係があるんだろう - って想像がつくけど、
  中国語では、 外来語 にあてられた漢字 から、
  本来の 語源 を推察するってことは多分無理だナ。 」
なんてぇことを、 漠然 と考えていた。




台南 もやっと朝晩涼しくなってきて、
オレは今朝、
久しぶりに 洋服ダンスの
( 引き出しの方 じゃなくて ) - 縦長の両開き扉を 開けたのサ。




昨日は、ウェイトだけをやりました。
今日は、ウェイトと35分JOGをやりました。
(ING安泰の国際レースまであと30日)

一昨日のヒット数 - 360
昨日のヒット数 - 398

九族文化村-台湾原住民

2004年10月30日 | 台湾


今日のダイアリーは、前々回書いたとおり 会社旅行ネタの第3回で、
台湾に大陸の人が来る ずっと前から住んでいる 原住民をテーマにした遊園地
”九族文化村 ( ジョウツーウンフアツン ) ” についてだ。

前々回の  ” 台湾史簡介 ” を見てもらうと判るが、
西暦1600年ごろ以前は、台湾にはオランダ人、漢民族、日本人はいなくて、
” 原住民 ( ウェンツーミン ) ” と呼ばれている
南東語族の人達 だけが住んでいた。
 
日本が 台湾支配をしている時期に この人達の 研究が進み、
原住民は 平地に住んで 漢民族化が進んでいた ” 平埔族 ” と、 
山岳地帯にいて まだ独自の風習を 強く持っていた ” 高砂族 ”
( この言葉は 聞いたことがあるだろ。 ) に分類された。 
今の所、台湾では特にこの ” 山岳地帯にいた人達 ” についてだけを
” 原住民 ” と呼んでいる。

” 独自の風習 ” ってここでは 簡単に書いたけど、
その風習も カラフルな衣装とか だけじゃ無くって、中には
” 顔面全体への刺青 ” とか、 ”首狩り ” とかもあって、
結構 ぶっそうな人達でも あったみたいだ。

この下に、ちょっと貴重な資料の写真を載せる。



上の写真は、オレ達の仲間の獣医Xが提供してくれたものだが、
ヤツのじーちゃんは、終戦まで台中で
” 台中青果 ”
っていうパイナップル農場を経営していた。
それで、現地調査で台湾の色々な場所にいく間に
こういう首狩りの風習の有る村にも行き着いたっていう訳だ。
( ちょいと判りにくいかもしれないが、人物の後ろに写っている
  タナのようなものの中に並んでいるのは、
  全部首狩りされた頭蓋骨だ。 )



” 九族文化村 ” は20年位前に 台湾原住民の生活を、
南投県大林の 山の斜面に 再現したテーマパークだ。 
最近10年位は、原住民の 斜面の下の平地に、
ジェットコースターとか ウォータースライダーを 沢山設置し、
本格的な 遊園地を作って 幅広い訪問客に アピールしている。

今回オレは 当然、斜面にある 原住民を 中心に見学した。 
( 別にオレは、ジェットコースターが 苦手な訳じゃあない。 
ただ、高いところが チョビッと嫌いなだけサ。 フンフ~ン。 )



上の写真左は、ツオウ族のおじさんと 当社の女性社員を 一緒にとったもの。
原住民のお年寄りは、日本統治時代に 共通語として 日本語を使っていたので、
ミンナ日本語がうまい。 
サイシャット族の 小屋にいた おばあさんなんかは
「 わたしは本当は ルカイ族なんだけどねぇ。
  サイシャット族の 人はもういないから、
  サイシャットの ふりしてここに いるんだよ。
  あんた 見てもわからないだろ。 」
-なんて、流暢な日本語で 話してくれた。

上右の写真は、原住民独特の 料理で ” 竹筒飯 ” だ。 
米と野菜や肉を 竹筒に入れて 蒸し焼きにしたもんだ。 
米の外側に 竹の内側の薄皮が くっついて 結構ウマイ。

それぞれの 原住民の部族の 名前については 下に書く。 
原住民が 台湾人の人口の 中に占める割合は 大体2%で、
タイヤル、アミ、パイワン族は 結構人数が多いらしい。 
オレが 行った時も、原住民の音楽ショー の途中で、
観客の 大学生のグループの中から パイワン族の青年が
” オレも ” ってんで、舞台に上がってきて 部族の歌を うたってた。 
なかなかウマかったゾ。

ちなみに、部族の名前を みんな書くと 下のようになる。
サイシャット(賽夏族)
タイヤル(泰雅族)
タロコ(太魯閣族)
アミ(阿美族)
ツオウ(鄒族)
ブヌン(布農族)
プユマ(卑南族)
ルカイ(魯凱族)
パイワン(排湾族)
タオ(達梧族)

” 九族 ” 文化村なのに、なんで十部族 いるかっていうと、
少し前に花蓮の ” タロコ族 ” が 言葉や風習の 違いから
” タイヤル族 ” から 分類されたからなんだ。

みんな歌や踊りが うまくて、工芸品も とてもきれいだ!



台湾、フィリピン、インドネシアなんかに 広がる南東語族 については、
以前は フィリピンの方から 台湾に北上してきた と思われていたが、
今では 台湾周辺から 南下して広がっていった と考えられている。
どっちから行ったか は知らないが 確かに、
ブヌン族のヒト のルックスなんかは、
かなり インドネシアあたりの 人に似ているネ。

一番上の写真は、
オレと会社の女性が、原住民の踊り手さんと 一緒に写っているもんだ。 
オレのうしろに 立っている 上半身はだかの男の子達は、
オレの背中の方を みて笑っている。 

実は この日オレが 着ていたバックプリントの Tシャツには、
デカイ字で

” 幹 ” ( ガン、FU○K )

って書いてあったのサ。  
ふんふん、原住民の人も ” 悪い言葉 ” は共通ネ。


一昨日は、ウェイトと30分JOGをしました。
昨日は、ウェイトと30分JOGをしました。
今日も、ウェイトと30分JOGをしました。

一昨昨日のヒット数 - 908(89位)
一昨日のヒット数 - 981(80位)
昨日のヒット数 - 918(80位)

日月潭文武廟-台湾史超簡介

2004年10月24日 | 台湾


 

さっき 会社の旅行 ( 日月潭 - ズーユエタン、南投県の山の中の湖 )
から帰ってきて、明日更新しようと思ってたけど、
待ちきれなくてもう書き始めちまったゾ。
 
今日から三回は、今回の 旅行をネタにした 結構まじめな記事だ。 
この三回を読むだけでも、台湾について
大雑把なつかみが できるように 書くつもりなんで、頑張って読んでくれよナ!

そして、その三回を 読むために是非、
オレ流の 台湾の超概略の歴史 ( 下に書く ) を参考にしてくれ。
( 現代のこととか 政治がらみのこと は除いてあるゾ。 
  そこらへんは まだオレも 考えが まとまってないからナ。 )

ともあれ、第一回は 日月潭の湖の そばにある デカイ寺
” 文武廟 ” についてだ!

----- KOOL TADA の勝手な台湾史 -----
~1624年 原住民時代 ( 高砂族とか阿美族しかいなかったとき )
1624~1661年 オランダ時代 ( オランダの植民地だったとき )
1661~1683年 鄭成功時代 ( 鄭成功が戦争に勝って明朝の島として独立していたとき )
1684~1895年 清朝時代 ( 清朝の一部になっていて福建省の人が来たとき )
1895~1945年 日本時代 ( 日清戦争後、日本が台湾を領土にしていたとき )
1945~1987年 国民党時代 ( 戦後蒋介石の国民党とか北の人が来たとき )
1990~    今の台湾

細かい年代は 覚える必要はない。
要は 
原住民→オランダ→鄭成功→清朝→日本→国民党→今 
の順番だ!



上の写真は、” 日月潭文武廟拝殿 ” の階段に座ってる、
オレ達の会社の メンバーだ。 
はっきり言って 歴史には チョーよわそーな感じ。

” 文武廟、ウンウーミャオ ” は 上の概略史でいうと、
清朝時代に始まった寺だ。
その後、日本時代に ダム建設が大好きな 日本が
ここにダムを 作ったときに、もとあった チッコイ寺が
水没しちまうもんで、今の場所に 移してきて 大きな建築物にした。 
そのときは、まだ福建省出身の 人しかいない ときだったもんで、
寺のデザインも 全体に南方風で、
屋根の上には 極彩色の龍とか 花鳥とかが 沢山のっていた。 
- 台南でよく見る、
屋根の端が ツルリンと 上に反った感じの デザインね。

だがその後、蒋介石の 国民党 ( 大陸北方のヒト達ね ) 時代に、
この寺は 総改修されて、大陸北方風の デザインになった。 
そういうことで、今は屋根は 直線っぽい稜線だし、
屋根の上に 龍もいない。 
( 蒋介石は 日月潭が 気に入ったみたいで、
  近くにデカイ自前の別荘も建てた。 
  今は ” 涵碧楼、ハンピーロウ ” っていう、
  一晩 最低1万2千円の 高級ホテルに なってるけどな。)
国民党の人は そのときに、
「 この改修工事は 10年かかる予定だったが、
  蒋介石将軍に対する 神のご加護で 2年半で終わった。 」
って大宣伝 したみたいだ。 ( ウーム、コメントは避けるゾ。 )

何はともあれ 現在は、関羽とか 孔子とか 孟子とか、
現実に、生きてた 人を祭りあげて、現世ご利益を願う
にぎやかなお寺として 栄えている。

 

上の写真は、こう言う寺に 必ずある ” 占い ” のセットだ。
この機会に 道教のおみくじ について、説明するゾ。

左側が ” ポエ ” で右が ” おみくじ ” だ。 
左のポエは おみくじを引いた( 抽籤、ツォーチェンした ) あとに、
ポエっと放って ( ポアポエして )、
ひとつが 表 ( 丸みがある方- ” 陽 ” ) で
もうひとつが裏 ( 平らな方- ” 陰 ” ) なら、
神様が 占いに答えてくれている シルシ ( シンポエ ) で、 
それ以外は 「 ダメ 」 の意味に なるのサ。
ちなみに、両側が表なら 神様は笑って 答えないサイン。 
両側が裏なら 神様は怒って 答えないサインだゾ。
 
一昨日は、その前の晩に走りましたので、練習は休みでした。
昨日は、旅行でしたので練習は休みでした。
今日は、夜、無理やりジムを開けて、夜中にウェイトと30分JOGをしました。
( 明日はジムが休みなので、今日走らないと4連休になってしまうので。 )

一昨昨日のヒット数 - 880(80位ランキング入り)
一昨日のヒット数 - 902(70位ランキング入り)
昨日のヒット数 - 833(86位ランキング入り)