今日のダイアリーは、前回書いたとおり 会社旅行ネタの第2回で、
埔里酒廠 ( プーリージョウツァン ) で作られている
台湾の紹興酒 ( サオシンジョウ ) についてだ。
紹興酒のナマエ にもなっている ” 紹興 ” っていうのは
大陸の浙江省にあるマチの名前で、
魯迅 の生まれたところとしても有名だ。
- っていうことから、台湾について詳しいヒトには判ると思うが、
この酒は 大陸の原産の酒で、
福建省出身の ヒトしかいなかった 時代のものじゃあなく、
戦後 蒋介石の国民党が 台湾にきてから つくりはじめたモンだ。
( 台湾について 詳しくないヒトは、台湾の各時代の 解説について、
前回の ” 台湾史簡介 ” を見るといいゾ。 )
埔里酒廠では、1917年の日本統治下で、
台湾総督府専売公社 の事業として 酒つくりをはじめた。
当時の 日本人の杜氏は ココ埔里の水が
酒つくりにイイ って思ったみたいだな。
上左の写真は、
その頃 酒工場の中にあった 日本風の神社だ。
当然今は無い。
上右の写真は、
昭和15年に 専売公社が 台湾の従業員に 出した辞令だ。
当時の公用語は 日本語だったから、この辞令も 日本語で書かれているネ。
そのころ埔里酒廠では ” 紹興酒 ” なんて当然 作ってなくて、
日本酒ばっかりつくってた。
その中で ” 万寿酒 ” っていう酒は 相当デキがよかったみたいで、
昭和天皇に 献上されたことも あるらしい。
紹興酒を つくり始めたのは、上にも書いたけど
国民党時代の 1950年のことで、
そういう意味では 結構最近になってから のことだ。
でも この酒廠には すごい熱心なヒトが 多かったみたいで、
わずか40年の間に、大陸のものに 匹敵するような
ウマイ紹興酒を 生産できるように なったんだ。
日本で売ってる紹興酒は、
大陸のものより ココ埔里酒廠のものが 多いのじゃないかな。
上の写真は、ココで買った10年ものの紹興酒だ。
日本にいるミンナが 中華料理屋で飲む 紹興酒は、
多分 赤いラベルの2年もの だと思う。
オレは 2年ものだって 好きだが、
中には余り ” おいしい ” って感じなくて 砂糖漬け
( 大抵砂糖じゃなくて サッカリンだけどネ ) の梅を
入れたり してるヒトも いるんじゃないかな。
でも、紹興酒も 原料のもち米を 倍使って
4年以上寝かせたものになると グ-っとまろやかさが増して、
ダレでも
” お!ウマイ。 ”
って思うようになるんだ。
( 当たり前だけど、それでも サシミやおでんを 食うときには
一緒に 飲まないほうが いいけどネ。
中華料理や 炒めものが アテ のときに おいしく飲める酒だ。 )
こういう、4年ものの紹興酒は ” 陳年紹興酒 ” っていうナマエがついて、
金色のラベルで 売られている。
他に ” 花彫酒 ” っていうナマエのものも よく見るが、
これは、 もち米の量は 変えずに、熟成年数を 3年以上にしたものだ。
( 花彫は、酒を入れるかめの 外側にした彩色のこと。 )
日本で 簡単に手に入るのは このクラスまで じゃあないかナ。
その上には ” 精醸陳年紹興酒 ” があって、
ラベルは ヤッパリ金色だが デザインが違うモンになる。
これは 台湾に来れば、大抵のマチで買うことができる。
ウマイぞ~。 台湾に来たら コレを買って帰れヨ。
でも、上の写真の10年ものは、台湾でも 買うのはちょっとムツカシイ。
オレも 埔里 まで来て やっと手に入れたんだ。
重たくなけりゃ 沢山買うんだが、とりあえず3本だけ 確保した。
今度 日本に帰るときに 持っていって 家族、親戚と
親しい友達にだけ飲ませるつもりだ。
だって この埔里酒廠の 説明にも 書いてあるんだゼ。
「 7年もの以上の 紹興酒は 軽々しく飲むべきではナイ。
何か特別のときだけのものだ。 」
ってね。
一昨日は、月曜日だったので 練習しませんでした。
昨日と今日は、ダレかカレかが やってきて 遅くまで酒をのむので、
練習ができませんでした。
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