台南・ダイアリー

台湾の台南市で3年、新竹市で2年駐在して、色々な所へ行ったり美味しいものを食べたりしました。

燕南水餃-台南水餃其之五

2006年06月27日 | うまいもの





台湾の人が
  「 うまい! 」
    と思う水餃子は こーいうやつだ。



皮は、分厚くて、
モチモチした歯ざわりとつるっとしたのどごしが両立しており、
アンは、
日本の餃子よりは肉の味が少なく、
それよりも、
シャキシャキした野菜の甘みの方が強く感じられる。

こういう水餃子を、
主食として、一人で20個も30個も食べるのが
一般的な台湾の
” 餃子の食い方 ”
ってやつだろう。

日本みたいに、
油っこくて味が濃く、臭いもきつい
( 台湾の水餃子にはにんにくなんて入ってないヨ )
焼き餃子をご飯のおかずとして
数個~10個位だけ食べる
- っていう食い方は、台湾ではまずありえない。




林森路にある
” 燕南水餃 ”
は、、
そういう水餃子屋の中でも特に人気のあるミセだ。

もともと米食文化圏の福建省出身者が多い台南の人にも、
これだけ好かれてるんだし、
水餃子なんて食ったことが無い日本人にだって
すげー判り易い味だよナ。

焼き餃子のイメージを捨てて、
白いご飯でも食うつもりで、
ここの餃子を食ってみれば、
オレが書いてることが、
すーっと腑に落ちるだろう。

皮の感じが、なんか、
” 稲庭うどん ”
を思い出させるネ。




上が、オレが食った燕南水餃の
” 水餃 ”
と、
” 乾麺 ( ガンメン、スープなし麺 ) ”
だ。

乾麺は、
試しに食ってみただけだったが
水餃子の
「 あー、これが水餃子だなぁ。 」
っていううまさと比べると、
まぁ普通のもんだナ。

周りの客も、
誰も他のものを食ってるやつはいない。
みんな山盛りの水餃子を
ハフハフ言いながら食べている人ばっかりだった。

ところで、このミセの名前
” 燕南水餃 ”

” 燕 ”
って言うのは春秋戦国時代の国の名前で
” 燕京 ”
は北京の古い呼び名だ。
麺食館だからっていってすぐ、
” 山東○○ ”
なんて名前にするよりは、
全然センスの良いネーミングだよナ。




上の写真は、
水餃子と一緒に注文した
” 魯味 ”

” 酸辛湯 ”。

魯味はあまり甘くなくあっさりしていてうまい。

酸辛湯は、
だしはしっかり取れているが、
酸 ( スゥアン、すっぱい ) でもなければ、
辛 ( ラー、からい ) でもない。
備え付けの酢とか、ラー油を、
自分の好きなだけ入れて調整するのが
ここの流儀のようだ。


      
       ( 燕南水餃で食べたものの全景 )


最後になるけど、
今までオレが
”老友-台南水餃子其之壱 ”
”水餃之家-台南水餃子其之弐 ”
”十七號麵館-台南水餃子其之参 ”
”水餃之家東館-台南水餃子其之四 ”
の時に、ずっと書いてきた
「 なんで日本人は水餃子があまり好きじゃないのか? 」
ということについて、
もっと言うと
日本人と 中国/台湾人 の餃子に対する嗜好の違いについて、
オレなりの考えを、
補足・修正してまとめることにするヨ。



日本人が餃子といえば、普通は
” 焼き餃子 ”
のことだが、
中国/台湾の人にとって餃子といえばほぼ100%
” 水餃子 ”
のことだ。
焼き餃子は
” 鍋貼、コーティエ ”
と呼ばれて、それほど一般的な食べものじゃあない。

餃子の発祥は、
場所としては、小麦食文化圏だった中国大陸北方で、
時代的には、紀元前にまでさかのぼるが、
今みたいな皮と具、それと包み方が確立して
広く食べられるようになったのは
唐の時代 ( 紀元618~906年 ) のことらしい。

このころの呼び名は
” 扁食、ベンシー ”
というもので、
この言葉は今ではワンタンのことを指す。
今みたいな
” 餃子 ”
っていう呼び方に変わったのは、
明の時代 ( 紀元960から1368年 )
になってからのことだそうだ。

こーいう風に、
餃子の歴史は2000年以上あるすごく古いものだが、
実はそいつは全部、
” 主食としての水餃子 ”
の歴史だ。

” 鍋貼/焼き餃子 ”
の存在は、水餃子の影にかくれて、
” 残り物の水餃子がまずくなっちゃったから、
  まぁ油で焼いてごまかして食おうか。 ”
っていう程度のもんでしかなかった。

それは、
日本で言ったら、
炊いてから固くなった米で作った
” 焼きおにぎり ”
みたいな位置づけのものだったと思う。

水餃子は、
もちろんその二千年以上の歴史の中で、
中国から日本に何回も紹介されてきた。
元禄二年 ( 1689年 ) には、
あの水戸黄門も食べてみたっていう記録があるし、
安永七年 ( 1778年 ) には、
” 卓子調烹法 ”
っていう料理本の中でも、レシピが紹介されている。    

だが
元来が米食文化圏の日本では、
ついに主食としての水餃子は、
一般家庭で食べられる様なポピュラーな食品にはならなかった。

こいつはオレの想像だが、
「 なにぃ!
  四つ足の肉と野菜を混ぜて小麦もちで包んで食うだとー!
  そんなもんが米のおまんまの代わりになるかー! 」
っていうのが、
一般的な日本人の反応だったんじゃないかナ。

それで、
餃子が日本でこんなにもポピュラーな食品になったのは、
実は第2次世界大戦後、
中国に行っていた軍隊やその関係者が、
大挙して日本に帰って来てからだ。
台湾・中国関係の人が多かった大阪や、
満州駐留の陸軍第14師団本部があった宇都宮なんかが
発信地になって、
餃子は、短い間に飛躍的に戦後の日本国内に流行していった。

しかしこの、戦後っていう時期は
物資や食材が乏しい頃だ。
味が淡白で、主食としてバクバク食べるように作られていた、
” 水餃子 ”
の方は、あまりタイムリーな食いものじゃなく、
油っこくて味が濃く、少し食べてもすぐ満腹感が得られる、
” 焼き餃子 ”
の方だけが、
「 ニンニクも入ってスタミナがつくぞぃ。 」
ってんで大流行になって行ったんだ。

こんなような按配で、
日本には焼き餃子だけが広まっていって、
日本人の頭の中には、
” 餃子 = 焼き餃子( 米のご飯のおかず/ビールのあて ) ”
という図式が、
がしっと出来てしまったんだろう。

そーいうことで日本人は、
たまたま水餃子を食うような機会があると、
「 なんかパンチがきかねー餃子だナー! 」
なんて感じちゃって、
あまり好きになれないのじゃないだろうか。
そしてこれは、
米から出来た食い物といえば
焼きおにぎりしか食ったことがない様なヤツには、
炊きたての白米の美味しさが、
なかなか判らない ( んじゃないかナ )
様なことと同じだと思う。


なんかしまりがなくなったが、
こんなことでオレの、
あんまり意味がない
” 日本人は何故水餃子が好きじゃないか ”
という考察を終わる。

ずい分くどくど書いちまったけど、
ほんとは、
こんなこと長々読むよりは、
ソッコー
” 燕南水餃 ”
へ行って、
” 餃子=焼き餃子 ”
のイメージをスカッと捨てて、
白いごはん か 素うどん でも食うつもりで
水餃子を食べてみるのが一番いいヨ。

- なんで 中国/台湾 の人はこんなに水餃子が好きなのか
その理由が きっとすぐ判るからサ。



 では、本日はここにてご無礼 !





6月20日のアクセス数 - 423
6月21日のアクセス数 - 544    
6月22日のアクセス数 - 479
6月23日のアクセス数 - 292
6月24日のアクセス数 - 391
6月25日のアクセス数 - 397
6月26日のアクセス数 - 467


6月21日の練習 - トラック10km(清華大学)&ウェイト少々(自宅)
6月22日の練習 - ウェイト少々(自宅)
6月23日の練習 - 休み
6月24日の練習 - ウェイトとトレッドミル5km(ジム)
6月25日の練習 - ウェイト(ジム)
6月26日の練習 - ウェイト少々(自宅)
6月27日の練習 - トラック7km(清華大学)&ウェイト少々(自宅)

ε-(´o`;A  暑いよー!


延平郡王祠前陽春麺-台南陽春麺③

2006年06月20日 | うまいもの





前回行けなかった
   ” 延平郡王祠 ” の前にある
   ” 陽春麺 ” 屋に行ってきた。



それで最初に、
初めてこのBLOGに来た人の為に
” 陽春麺 ”
について、前の
”金鳳陽春麺 ” と、
”老黄陽春麺 ”
の時に書いたのと同じ説明をしておく。

それと今回は台湾版の ” 一杯のかけそば ”、
” 一碗陽春麺 ”
の話を最後に紹介する。

泣ける話だから、
ミセに興味が無い人はそっちだけ読んでもいいヨ。

- ” 陽春麺 ”
っていうのは、簡単に言うと、
まぁ日本でいう
” かけそ ば”か、” 具のないそば ”
のことだ。
( 台湾では一般に、全然具がない訳じゃなくて、
  小白菜の葉が少しと、
  うすーい豚肉片か肉燥 ( 肉そぼろ ) が少しだけ
  入っているのが普通だけどネ。 )

このことばから派生して台湾では、
” ベーシックで飾りがない/安い感じがするもの ”
のことを
” 陽春○○ ”
と言うことがある。
例えば、
” スタンダード仕様のままで、オプションが何もついていない車 ”
のことは、
” 陽春車 ”
な~んて呼んだりするんである。

麺とダシしかないシンプルなものなのに
「 陽春麺がうまい。 」
って言われる様なミセは、他のもの食っても大体うまいから、
メシ食うミセを選ぶときに目安になる。
- んじゃないかナ。



( 開山路付近の地図と ” 延平郡王祠 ” )

今回行ったミセは、
特に店名が無いミセで、
でかい赤い看板にも、ただ
” 陽春麺 ”
としか書いてない。
でも、
台南ローカルの間では
” 延平郡王祠前の陽春麺 ”
と言えば、すご~く ( かな? ) 有名なミセなんだゾ。

それで、
開山路をはさんでこのミセの向かいにある
” 延平郡王祠 ”
っていうのは、
” 鄭成功 ”
を祀ってあるお寺のことだ。

元々は
” 開山王 ( 台湾を立国した王の意味 ) 廟 ”
と言う名前の寺で、
台湾の日治時代は、鄭成功の母親が日本人なんで
” 開山神社 ”
なんて呼ばれていたんだが、
戦後、清の時代の呼び名
” 延平郡王祠 ”
に変わって現在に至っている。

” 延平郡 ”
って言うのは、昔の福建省内の地名で、
” 延平郡王 ”
は、
鄭成功が明朝からもらっていた大将軍の位のことだナ。

” 延平郡王祠 ”
は戦後、もとの福建省スタイルの建物を
コンクリート製の大陸北部様式に建て替えてしまったので、
古跡には指定されていないが、
鄭成功関係の重要な文物が多数保管されているから、
観光で台南に来る人や、
駐在で休みに時間が余っている人は、
ぜひ行って見るといい。

それでついでにこのミセで陽春麺を食ったら、
見物と食べ歩きが一緒に出来て、
なかなか都合が良いやネ。




上が、オレが食った陽春麺の
” 湯麺 ( タンメン、スープあり麺 ) ”
と、
” 乾麺 ( ガンメン、スープなし麺 ) ”
だ。
うまそーな写真だろー。
実際ここの陽春麺は、
なっかなかうまいゼ。

味つけ的には、
前の老黄陽春麺と同じで、
” 乾麺 ” を頼むと自動的に
” 麻醤麺 ( マージャンメン、ゴマダレ味の麺 ) ”
になり、
” 湯麺 ” を頼むと、普通の
” 醤油味 ” になるみたいだ。

麺は、
ふつうの細い麺と上の写真みたいな太麺とが
セレクトできる。
色が真っ白で、かん水や卵を使っていない
いわゆる
” 外省麺 ”
の生地だが、
ここの麺には外省麺にしては珍しく、
ちょうど程よくコシがある。

スープも、
あまり醤油くさくなく、
ダシも効いていて、
日本の塩ラーメンと醤油ラーメンの中間みたいな
なんか新しさを感じる味でうまいネ。




上の写真は、
麺と一緒に注文した
” 肉骨湯 ”

” 魯味 ”。

最近、
アニメーションGIFの使い方を覚えたんで
魯味を選ぶ所と魯味をフラッシュみたいにしてみた。
メモリーを小さくするために、
写真の画素数と色数を減らしたんで、
あまりうまそーに見えなくなっちゃたが、
魯味もけっこう美味しいヨ。

肉骨湯の方もなかなか良いけれど、
このミセは、
スープとスープに入れる青ネギが取り放題なんで、
乾麺を食べるときに
あえてスープを頼む必要はないかもネ。


      

上に、
” 延平郡王祠前の陽春麺屋 ”
のメニューの写真をあげておく。

今回食わなかったが、
けっこう家鴨肉の魯味が充実してるナ。




最後になるけど、
” 陽春麺 ”
に関わる話として、
今年、日本の
” 一杯のかけそば ”
と比較されて台湾で話題になった
” 一碗陽春麺 ”
の話をちょこっと紹介することにするヨ。



------- 一碗陽春麺の話 ---------

南投県の田舎の魏伯彦の家は
父、母、10歳以下の子供5人の家族だが、
農薬散布の手伝いなどしながら生計を立てている
生活保護の家庭だった。

魏家の母の慧萍が、
ひどいこしの痛みから病院をたずねると、
彼女は全身に転移した
末期ガンの患者であることが判明し、
台中の中山医大病院に入院することになった。

母親が入院してしまった5人の幼い子供達は、
他になすすべもなく、
台中の母親の病室で暮らすことになったが、
もとから貧しい家庭の上、
母親が重病になってしまったため、
三度の食事を満足に食べられない様子だった。

看護士の黄秋鳳は子供達の空腹の様子を見かねて、
自分の食事の際に、
そこにいた3人の子を一緒に食事に連れて行った。

食べたいものを聞かれた時、
子供達は遠慮して、
どうしても3人で一杯の陽春麺で良い
と言うので、黄秋鳳は3人に一杯の餛飩麺を買って与えた。

すると、
子供達3人は餛飩麺の麺だけを分けて食べ、
餛飩には手をつけず、
それを病室の母親に持って帰りたいと言い、
包んでもらえるかどうかを聞いた。

この様子を見た黄秋鳳は感動し、
母親のためにもう一杯の陽春麺を買った。
そしてその後、このことを新聞の記者に話したところ
今年3月2日中央通信の記事になり
台湾中にこの話が伝わった。

---------------------------



大体のストーリーは上のようなことなんだが、
オリジナルの新聞記事に書かれている
子供達の食事の場面の、


” たった9歳の少女 魏雪婷が、
 笑った顔の様につま先が破れている靴に目を落とし

 「 おねえさん、
  お母さんはまだご飯を食べていません。
  私達はもういいから
  これを包んでもらえませんか。」

 と言うと、
 もっと幼い二人の弟たちさえも
 持っていた箸を置いた。 ”


- というくだりは、
もとからしまりの無いオレの涙腺を激しく刺激した。



その後
この話が有名になったことで、
台湾中から魏家には何百万円もの寄付が集まったが、
子供達の母の慧萍は

「 自分は末期のガンでもうどうにもならないから
 それはお金があれば助かる人に使ってください。」

と言って受け取ろうとせず、
今年4月21日に亡くなった。


- ということだ。




 本日はここにてご無礼 !





6月14日のアクセス数 - 433
6月15日のアクセス数 - 464    
6月16日のアクセス数 - 381
6月17日のアクセス数 - 401
6月18日のアクセス数 - 391
6月19日のアクセス数 - 353



6月15日の練習 - クロカンマシーン6km&ウェイト(ジム)
6月16日の練習 - トラック7.7km(清華大学)&ウェイト少々(自宅)
6月17日の練習 - ウェイト(ジム)
6月18日の練習 - 休み
6月19日の練習 - トラック10km(清華大学)&ウェイト少々(自宅)
6月20日の練習 - ウェイト少々(自宅)





老黄陽春麺-台南陽春麺②

2006年06月14日 | うまいもの





タクシーの運ちゃんが推薦した
   ” 老黄陽春麺 ” に行ってきた。



実はこの日は、
開山路の有名な
” 陽春麺 ”
に行こうとタクシーに乗ったんだが、
行って見たら日曜日なんで閉じてた。

するとタクシーの運ちゃんが
「 近くにもう1軒美味しいミセがあるよ。 」
ってんで連れてってくれたのが、
この府前路の
” 老黄陽春麺 ”
だ。

すでに40年以上の歴史がある老舗らしいゾ。




ここでもう一度念の為、
知らない人に説明しておくと、
” 陽春麺 ”
っていうのは、簡単に言うと、
まぁ日本でいう
” かけそ ば”か、” 具のないそば ”
のことだ。
( 台湾では一般に、全然具がない訳じゃなくて、
  小白菜の葉が少しと、
  うすーい豚肉片か肉燥 ( 肉そぼろ ) が少しだけ
  入っているのが普通だけどネ。 )

このことばから派生して台湾では、
” ベーシックで飾りがない/安い感じがするもの ”
のことを
” 陽春○○ ”
と言うことがある。
例えば、
” スタンダード仕様のままで、オプションが何もついていない車 ”
のことは、
” 陽春車 ”
な~んて呼んだりするんである。

麺とダシしかないシンプルなものなのに
「 陽春麺がうまい。 」
って言われる様なミセは、他のもの食っても大体うまいから、
メシ食うミセを選ぶときに目安になる。
- んじゃないかナ。
( ここら辺の記載は、前に陽春麺のことを書いた
”金鳳陽春麺 ”
と同じだヨ。 )




上が、オレ達が食った
” 乾 ( ガン、汁なし ) ” の
” 陽春麺 ” の大と小だ。
大はけっこうでかいから、
普通の人なら小で十分な分量だろう。

ここでは、
” 乾麺 ” を頼むと自動的に ” 麻醤麺 ” になり、
” 湯麺 ” を頼むと、普通の ” 醤油味 ” になるみたいだ。

麺は、
ふつうの細い麺と上の写真みたいな幅広麺とが
セレクトできる。
幅広麺は日本のきしめんをもっと薄くした感じで
食感がおもしろい。
色が真っ白で、かん水や卵を使っていない
いわゆる
” 外省麺 ”
の生地だ。

日本人は、すごく麺のコシとQQ感にこだわるから、
この類の麺だと、
ちょっと頼りなく感じるかもしれないけれど、
大陸の北の方が発祥の麺だと
大体こんな感じサ。

あまり強烈なダシが効いてなくて
ほとんど具がはいってないスープに
小麦味だけの柔らかい麺が漂っているのを
「 これはこーいうもんヨ。 」
と思って、
あっさりズズッと食うのが、
正しい陽春麺の食い方じゃなかろーか。

ガツっとしたものが食べたい人は、
最初っから
ぶっと固い麺が入った豚骨ラーメン屋とかに行かなくちゃあナ。




上の写真は、
麺と一緒に注文した
” 餛飩湯、ウントゥンタン ”

” 魯味 ”。

餛飩湯は珍しく、
味の素を使ってないもので、
肉いっぱいのワンタンがおいしい。

魯味もさっぱりめの味で好感がもてるゾ。


      

上に、
” 老黄陽春麺 ”
のメニューの写真をあげておく。
ほんと、
ごく一般的な品揃えだが、
全体に、余計な添加物がなく
あっさりした味付けで、
長く付き合えそうな感じのミセだ。

実際、商売の方も
こんな場所なのに
「 おっ! 」
となかなか繁盛している様子だった。



最後になるが、
以前
何故こういう
” 具のないスタンダードな麺 ”
のことを
” 陽春麺 ”
と呼ぶのか
- ということについて、
巷間流布している二つのメジャーな説の内の
一つを紹介した。

つまり、
” 茶色っぽいダシの中に白い麺だけが浮いている ”
様子を
” 陽春白雪 - 春が来て土が現れた地面の上に残っている白い雪 ”
に例えていたんだっていう説だ。


そこで今日は、
残っているもう一つの方の説を紹介する。

今よりかなり以前、
大陸中国では、農暦10月のことを
” 小陽春 ”
と呼び表していた。
( 日本じゃ ” 神無月 ” って言ってたネ )

そのことから、
民間では数字の10や、10に関係あるもののことを
” 陽春 ” とか ” 陽春○○ ”
というスラングで呼ぶことがあったらしい。
そしてそのころ、
具がなにも入っていないかけそばは
一般に当時の銭10文で売られていた。

そんなことで、
この具なしのそばのことは
だんだんと
” 陽春麺 ”
と呼ばれることが多くなってきたっていうことだ。

日本でも、
かけそばのことを、
銭16文で売られていたということで、
” 二八そば ”
なんて言っていたことを考えると、
かなり本当らしい説だよナ。



最後のところで、能書きが長~くなっちまったが、
 ともあれ、本日はここにてご無礼 !



今回も最後まで読んでくれて ・・・ (* ̄∇ ̄*)ノ ・・・ ありがとネー ♪





6月05日のアクセス数 - 743
6月06日のアクセス数 - 581    
6月07日のアクセス数 - 404
6月08日のアクセス数 - 325
6月09日のアクセス数 - 343
6月10日のアクセス数 - 317
6月11日のアクセス数 - 370
6月12日のアクセス数 - 491
6月13日のアクセス数 - 655


6月06日の練習 - トラック10km(清華大学)
6月07日の練習 - 休み
6月08日の練習 - 休み
6月09日の練習 - 休み
6月10日の練習 - 休み
6月11日の練習 - 休み
6月12日の練習 - 休み
6月13日の練習 - 休み
今日の練習 - トラック10km(清華大学)とウェイト少々

「 やっと梅雨明けだ \(^o^)/  !! 」