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台南・ダイアリー

台湾の台南市で3年、新竹市で2年駐在して、色々な所へ行ったり美味しいものを食べたりしました。

九族文化村-台湾原住民

2004年10月30日 | 台湾


今日のダイアリーは、前々回書いたとおり 会社旅行ネタの第3回で、
台湾に大陸の人が来る ずっと前から住んでいる 原住民をテーマにした遊園地
”九族文化村 ( ジョウツーウンフアツン ) ” についてだ。

前々回の  ” 台湾史簡介 ” を見てもらうと判るが、
西暦1600年ごろ以前は、台湾にはオランダ人、漢民族、日本人はいなくて、
” 原住民 ( ウェンツーミン ) ” と呼ばれている
南東語族の人達 だけが住んでいた。
 
日本が 台湾支配をしている時期に この人達の 研究が進み、
原住民は 平地に住んで 漢民族化が進んでいた ” 平埔族 ” と、 
山岳地帯にいて まだ独自の風習を 強く持っていた ” 高砂族 ”
( この言葉は 聞いたことがあるだろ。 ) に分類された。 
今の所、台湾では特にこの ” 山岳地帯にいた人達 ” についてだけを
” 原住民 ” と呼んでいる。

” 独自の風習 ” ってここでは 簡単に書いたけど、
その風習も カラフルな衣装とか だけじゃ無くって、中には
” 顔面全体への刺青 ” とか、 ”首狩り ” とかもあって、
結構 ぶっそうな人達でも あったみたいだ。

この下に、ちょっと貴重な資料の写真を載せる。



上の写真は、オレ達の仲間の獣医Xが提供してくれたものだが、
ヤツのじーちゃんは、終戦まで台中で
” 台中青果 ”
っていうパイナップル農場を経営していた。
それで、現地調査で台湾の色々な場所にいく間に
こういう首狩りの風習の有る村にも行き着いたっていう訳だ。
( ちょいと判りにくいかもしれないが、人物の後ろに写っている
  タナのようなものの中に並んでいるのは、
  全部首狩りされた頭蓋骨だ。 )



” 九族文化村 ” は20年位前に 台湾原住民の生活を、
南投県大林の 山の斜面に 再現したテーマパークだ。 
最近10年位は、原住民の 斜面の下の平地に、
ジェットコースターとか ウォータースライダーを 沢山設置し、
本格的な 遊園地を作って 幅広い訪問客に アピールしている。

今回オレは 当然、斜面にある 原住民を 中心に見学した。 
( 別にオレは、ジェットコースターが 苦手な訳じゃあない。 
ただ、高いところが チョビッと嫌いなだけサ。 フンフ~ン。 )



上の写真左は、ツオウ族のおじさんと 当社の女性社員を 一緒にとったもの。
原住民のお年寄りは、日本統治時代に 共通語として 日本語を使っていたので、
ミンナ日本語がうまい。 
サイシャット族の 小屋にいた おばあさんなんかは
「 わたしは本当は ルカイ族なんだけどねぇ。
  サイシャット族の 人はもういないから、
  サイシャットの ふりしてここに いるんだよ。
  あんた 見てもわからないだろ。 」
-なんて、流暢な日本語で 話してくれた。

上右の写真は、原住民独特の 料理で ” 竹筒飯 ” だ。 
米と野菜や肉を 竹筒に入れて 蒸し焼きにしたもんだ。 
米の外側に 竹の内側の薄皮が くっついて 結構ウマイ。

それぞれの 原住民の部族の 名前については 下に書く。 
原住民が 台湾人の人口の 中に占める割合は 大体2%で、
タイヤル、アミ、パイワン族は 結構人数が多いらしい。 
オレが 行った時も、原住民の音楽ショー の途中で、
観客の 大学生のグループの中から パイワン族の青年が
” オレも ” ってんで、舞台に上がってきて 部族の歌を うたってた。 
なかなかウマかったゾ。

ちなみに、部族の名前を みんな書くと 下のようになる。
サイシャット(賽夏族)
タイヤル(泰雅族)
タロコ(太魯閣族)
アミ(阿美族)
ツオウ(鄒族)
ブヌン(布農族)
プユマ(卑南族)
ルカイ(魯凱族)
パイワン(排湾族)
タオ(達梧族)

” 九族 ” 文化村なのに、なんで十部族 いるかっていうと、
少し前に花蓮の ” タロコ族 ” が 言葉や風習の 違いから
” タイヤル族 ” から 分類されたからなんだ。

みんな歌や踊りが うまくて、工芸品も とてもきれいだ!



台湾、フィリピン、インドネシアなんかに 広がる南東語族 については、
以前は フィリピンの方から 台湾に北上してきた と思われていたが、
今では 台湾周辺から 南下して広がっていった と考えられている。
どっちから行ったか は知らないが 確かに、
ブヌン族のヒト のルックスなんかは、
かなり インドネシアあたりの 人に似ているネ。

一番上の写真は、
オレと会社の女性が、原住民の踊り手さんと 一緒に写っているもんだ。 
オレのうしろに 立っている 上半身はだかの男の子達は、
オレの背中の方を みて笑っている。 

実は この日オレが 着ていたバックプリントの Tシャツには、
デカイ字で

” 幹 ” ( ガン、FU○K )

って書いてあったのサ。  
ふんふん、原住民の人も ” 悪い言葉 ” は共通ネ。


一昨日は、ウェイトと30分JOGをしました。
昨日は、ウェイトと30分JOGをしました。
今日も、ウェイトと30分JOGをしました。

一昨昨日のヒット数 - 908(89位)
一昨日のヒット数 - 981(80位)
昨日のヒット数 - 918(80位)

埔里酒廠-台湾紹興酒

2004年10月27日 | 名産




今日のダイアリーは、前回書いたとおり 会社旅行ネタの第2回で、
埔里酒廠 ( プーリージョウツァン ) で作られている
台湾の紹興酒 ( サオシンジョウ ) についてだ。

紹興酒のナマエ にもなっている ” 紹興 ” っていうのは
大陸の浙江省にあるマチの名前で、
魯迅 の生まれたところとしても有名だ。 
- っていうことから、台湾について詳しいヒトには判ると思うが、
この酒は 大陸の原産の酒で、
福建省出身の ヒトしかいなかった 時代のものじゃあなく、
戦後 蒋介石の国民党が 台湾にきてから つくりはじめたモンだ。
( 台湾について 詳しくないヒトは、台湾の各時代の 解説について、
  前回の  ” 台湾史簡介 ” を見るといいゾ。 )

 

埔里酒廠では、1917年の日本統治下で、
台湾総督府専売公社 の事業として 酒つくりをはじめた。 
当時の 日本人の杜氏は ココ埔里の水が
酒つくりにイイ って思ったみたいだな。

上左の写真は、
その頃 酒工場の中にあった 日本風の神社だ。 
当然今は無い。

上右の写真は、
昭和15年に 専売公社が 台湾の従業員に 出した辞令だ。 
当時の公用語は 日本語だったから、この辞令も 日本語で書かれているネ。

そのころ埔里酒廠では ” 紹興酒 ” なんて当然 作ってなくて、
日本酒ばっかりつくってた。 
その中で ” 万寿酒 ” っていう酒は 相当デキがよかったみたいで、
昭和天皇に 献上されたことも あるらしい。

紹興酒を つくり始めたのは、上にも書いたけど
国民党時代の 1950年のことで、
そういう意味では 結構最近になってから のことだ。 
でも この酒廠には すごい熱心なヒトが 多かったみたいで、
わずか40年の間に、大陸のものに 匹敵するような
ウマイ紹興酒を 生産できるように なったんだ。

日本で売ってる紹興酒は、
大陸のものより ココ埔里酒廠のものが 多いのじゃないかな。



上の写真は、ココで買った10年ものの紹興酒だ。
日本にいるミンナが 中華料理屋で飲む 紹興酒は、
多分 赤いラベルの2年もの だと思う。 
オレは 2年ものだって 好きだが、
中には余り ” おいしい ” って感じなくて 砂糖漬け
( 大抵砂糖じゃなくて サッカリンだけどネ ) の梅を
入れたり してるヒトも いるんじゃないかな。
 
でも、紹興酒も 原料のもち米を 倍使って
4年以上寝かせたものになると グ-っとまろやかさが増して、
ダレでも
” お!ウマイ。 ”
って思うようになるんだ。 
( 当たり前だけど、それでも サシミやおでんを 食うときには
  一緒に 飲まないほうが いいけどネ。 
 中華料理や 炒めものが アテ のときに おいしく飲める酒だ。 )
 
こういう、4年ものの紹興酒は ” 陳年紹興酒 ” っていうナマエがついて、
金色のラベルで 売られている。 
他に ” 花彫酒 ” っていうナマエのものも よく見るが、
これは、 もち米の量は 変えずに、熟成年数を 3年以上にしたものだ。
( 花彫は、酒を入れるかめの 外側にした彩色のこと。 )
日本で 簡単に手に入るのは このクラスまで じゃあないかナ。
 
その上には ” 精醸陳年紹興酒 ” があって、
ラベルは ヤッパリ金色だが デザインが違うモンになる。 
これは 台湾に来れば、大抵のマチで買うことができる。 
ウマイぞ~。 台湾に来たら コレを買って帰れヨ。

でも、上の写真の10年ものは、台湾でも 買うのはちょっとムツカシイ。 
オレも 埔里 まで来て やっと手に入れたんだ。 
重たくなけりゃ 沢山買うんだが、とりあえず3本だけ 確保した。 
今度 日本に帰るときに 持っていって 家族、親戚と
親しい友達にだけ飲ませるつもりだ。

だって この埔里酒廠の 説明にも 書いてあるんだゼ。
「 7年もの以上の 紹興酒は 軽々しく飲むべきではナイ。 
  何か特別のときだけのものだ。 」
ってね。

一昨日は、月曜日だったので 練習しませんでした。
昨日と今日は、ダレかカレかが やってきて 遅くまで酒をのむので、
練習ができませんでした。

一昨昨日のヒット数 - 897(83位)
一昨日のヒット数 - 888(90位)
昨日のヒット数 - 1025(79位)

日月潭文武廟-台湾史超簡介

2004年10月24日 | 台湾


 

さっき 会社の旅行 ( 日月潭 - ズーユエタン、南投県の山の中の湖 )
から帰ってきて、明日更新しようと思ってたけど、
待ちきれなくてもう書き始めちまったゾ。
 
今日から三回は、今回の 旅行をネタにした 結構まじめな記事だ。 
この三回を読むだけでも、台湾について
大雑把なつかみが できるように 書くつもりなんで、頑張って読んでくれよナ!

そして、その三回を 読むために是非、
オレ流の 台湾の超概略の歴史 ( 下に書く ) を参考にしてくれ。
( 現代のこととか 政治がらみのこと は除いてあるゾ。 
  そこらへんは まだオレも 考えが まとまってないからナ。 )

ともあれ、第一回は 日月潭の湖の そばにある デカイ寺
” 文武廟 ” についてだ!

----- KOOL TADA の勝手な台湾史 -----
~1624年 原住民時代 ( 高砂族とか阿美族しかいなかったとき )
1624~1661年 オランダ時代 ( オランダの植民地だったとき )
1661~1683年 鄭成功時代 ( 鄭成功が戦争に勝って明朝の島として独立していたとき )
1684~1895年 清朝時代 ( 清朝の一部になっていて福建省の人が来たとき )
1895~1945年 日本時代 ( 日清戦争後、日本が台湾を領土にしていたとき )
1945~1987年 国民党時代 ( 戦後蒋介石の国民党とか北の人が来たとき )
1990~    今の台湾

細かい年代は 覚える必要はない。
要は 
原住民→オランダ→鄭成功→清朝→日本→国民党→今 
の順番だ!



上の写真は、” 日月潭文武廟拝殿 ” の階段に座ってる、
オレ達の会社の メンバーだ。 
はっきり言って 歴史には チョーよわそーな感じ。

” 文武廟、ウンウーミャオ ” は 上の概略史でいうと、
清朝時代に始まった寺だ。
その後、日本時代に ダム建設が大好きな 日本が
ここにダムを 作ったときに、もとあった チッコイ寺が
水没しちまうもんで、今の場所に 移してきて 大きな建築物にした。 
そのときは、まだ福建省出身の 人しかいない ときだったもんで、
寺のデザインも 全体に南方風で、
屋根の上には 極彩色の龍とか 花鳥とかが 沢山のっていた。 
- 台南でよく見る、
屋根の端が ツルリンと 上に反った感じの デザインね。

だがその後、蒋介石の 国民党 ( 大陸北方のヒト達ね ) 時代に、
この寺は 総改修されて、大陸北方風の デザインになった。 
そういうことで、今は屋根は 直線っぽい稜線だし、
屋根の上に 龍もいない。 
( 蒋介石は 日月潭が 気に入ったみたいで、
  近くにデカイ自前の別荘も建てた。 
  今は ” 涵碧楼、ハンピーロウ ” っていう、
  一晩 最低1万2千円の 高級ホテルに なってるけどな。)
国民党の人は そのときに、
「 この改修工事は 10年かかる予定だったが、
  蒋介石将軍に対する 神のご加護で 2年半で終わった。 」
って大宣伝 したみたいだ。 ( ウーム、コメントは避けるゾ。 )

何はともあれ 現在は、関羽とか 孔子とか 孟子とか、
現実に、生きてた 人を祭りあげて、現世ご利益を願う
にぎやかなお寺として 栄えている。

 

上の写真は、こう言う寺に 必ずある ” 占い ” のセットだ。
この機会に 道教のおみくじ について、説明するゾ。

左側が ” ポエ ” で右が ” おみくじ ” だ。 
左のポエは おみくじを引いた( 抽籤、ツォーチェンした ) あとに、
ポエっと放って ( ポアポエして )、
ひとつが 表 ( 丸みがある方- ” 陽 ” ) で
もうひとつが裏 ( 平らな方- ” 陰 ” ) なら、
神様が 占いに答えてくれている シルシ ( シンポエ ) で、 
それ以外は 「 ダメ 」 の意味に なるのサ。
ちなみに、両側が表なら 神様は笑って 答えないサイン。 
両側が裏なら 神様は怒って 答えないサインだゾ。
 
一昨日は、その前の晩に走りましたので、練習は休みでした。
昨日は、旅行でしたので練習は休みでした。
今日は、夜、無理やりジムを開けて、夜中にウェイトと30分JOGをしました。
( 明日はジムが休みなので、今日走らないと4連休になってしまうので。 )

一昨昨日のヒット数 - 880(80位ランキング入り)
一昨日のヒット数 - 902(70位ランキング入り)
昨日のヒット数 - 833(86位ランキング入り)

進財小吃

2004年10月21日 | うまいもの


 

今日は、中華路と開元路の交差点にある
” 進財小吃 ( チンザイシャオツー ) ” で昼メシを食った。 
ここは、
” 大厨師餐飲網 ( 台南の食いものについて 一番詳しいローカルサイト ) ”
でも時々
” 肉燥飯 ( ローザオハン、肉細切れかけ飯 ) のうまいミセ ”
として 時々 推薦されているので、
外出したついでに、メシを食うことにした。

上の写真を見ると 判るけど、たいがい古いカンバンだ。 
字が かすれちまって、ミセの名前が
” 進財小吃 ” だっていうのは、やっとのことで 読み取れる。 
向かって左の カンバンも年期が はいっていて ( これはとなりのミセなんだが )
” 椀粿 ( ワーコエ ) ” っていう字が 右から書いてある。 
戦争中 みたいだ!

 

今日は、 ” 肉燥飯 ” と
” 什錦 ( スーチン、五目のこと )湯 ” と
” 魯蛋 ( ルータン、味つきゆで卵 ) ”
を食った。
左上の写真が食ったモンで、右上の写真が壁に掛かってたメニューだ。
さて、今日オレは いくらお金をはらったでしょう?

 - こんな計算マジでやるなよナ。 ただのしゃれだゼ。
 
でも 上の
” 什錦 ” が ” 五目 ( 色々入ってるってこと ) ”
の意味で
” 魯 ( ホントの字は 滷 ) ” が ” 煮込む ”
っていう意味だっていうのは、
覚えておいたほうが良い。 
中華料理の基本中の基本の語彙だ。
 
念のため、もう一回  ” 感性滷味 ” の回を見ておくと良いぞ!



上の写真は今日のサイドメニューとして売られていた、
” 呉郭魚 ( ウーグォユイ、ティラピア ) ” のカラ揚げだ。 
すごい勢いで売れてたけど、
骨をどけて食うのが ちょっとメンドーそう だったなぁ。

ちょっとまとめるけど、
今日食ったものは、オレはウマイと思ったが、
はっきり言って 日本からちょっとだけ 台南に来る人には 薦めない。
 
味付けが、台湾南部の特徴なんだが、全般にアマいんだよナ。
このことは、まだ書いたことが なかったかもしれないけど、
ちょっと注意が必要だゾ。 

台南とか 高雄とかの 台湾の南部の味付けは、
北の 台北とか 新竹なんかに較べると、だいぶ甘いんだ。 
慣れると このウスラ甘さが 心地よくなるンだが、
最初に来た人は 「 キモい! 」 とか思うかも しれないナ。


昨日は、ウェイトと30分JOGをやりました。
今日は、ウェイトと60分JOGをやりました。

一昨日のヒット数 - 987(71位ランキング入り)
昨日のヒット数 - 347





大同路漫遊行

2004年10月19日 | その他


 

今日は、黒シャツ隊のT君とM君と
大同路上で、体育公園の近くにある
” 路辺屋 ( ルーペンウー ) ” に行った。

大同路のこのあたりは、色々な食い物屋が 道の両側にズラリと並んでいて、
いつ来ても どこへ入ろうかまよっちまう。 
夏林路にも ミセは多いが、ほとんどが 海産店なのに対して、
大同路は 全くバラバラで、刀削麺も 焼烤屋も 火鍋屋も 何でもある。 
” 大林住宅 ”っていう巨大団地がここにあるので、
そこに住んでいる人達のダイニングになっているんだナ。
 
ただ、注意をしておくが、もしみんなが
「 晩メシのときにビールがないと! 」 っていうタイプなら、
ここにくる時は コンビニで買ってからこないと、淋しい気持ちになるゼ。

上が今日食ったものだが、どれも一皿80円くらいで安い! 
( ま、もっとも皿がちっちゃいけどネ )

 

大同路は 線路に沿って走っている道だ。
今日オレ達は、” 路辺屋 ” でメシを食ったあと、
大同路を歩いて台南駅の方 ( 北の方 ) へ散歩していくコトにした。 
といっても、どっち歩いているか 判っているのは
オレとM君だけで、T君はついてくるだけなンだが
( 今まで見たうちでも、ぶっちぎりダントツの 方向オンチなんだよナ ) 。

オレ達は、T君のとほうもない方角のコメント
( 三越はコッチやろ? とか、ア、ここ曲がったら首相飯店やナイの? 
  - とか。 - もちろん全部まちがい。 )
に死ぬほど笑いながら 歩いた。

上の写真左側に、とても高貴な感じがするなまえ 
- のミセが写っているねェ。 客も満員だったしー。
 
右側の写真は 台湾の大きな都市には必ずある
” 王品 ” ステーキ屋だ。 
” 台湾プラスティック ” っていう
台湾最大の化学メーカーの、コックさんだった人がやっているチェーン店だ。 
ステーキは なかなかうまくて、たしか全部1000円だ
( でも台南に来れば、とんでもない値段サ ) 。 
結構はやっているので、オレ達の事務所もマネして
” 和風カレー屋 ” でもやろうか - って、冗談話もあった。

 

上の写真左側は、大同路と東門路の 路口の陸橋の下にある 
” 紅色古堡 ” っていうパブだ。 
別に、特に優れたミセではないが、
オレ達は、散歩の途中ちょっとだけ立ち寄って、ウオッカライムを引っ掛けた。

右上はここの小姐の ” シャオティン ”
- この小姐はカウンターに立ってはいるが、カクテルはつくれない。 
オレは最初に
” 日出龍舌蘭 (ズーチューロンスオラン、テキーラサンライズ ) ”
を頼んだが、熟考の末、製作拒否されてしまった。



大同路は北に行くと、やがて台南駅になり、北門路というなまえに変わる。 
そして その後もさらに北に行くと 台南公園を過ぎた所からは、
さらに開元路と 呼ばれるようになる。 
この道が オレの家の前の道なのサ。

上の写真は、最後に家についたとき、
前の 全家便利商店 ( ゼンチャー、ファミリーマート ) に停めてあったバイクだ。 
ガスタンクの上に堂々と
藤原とうふ店 ” のステッカーが貼ってある。

オマエは ” イニシャルD ” か! 
デモ、なんでバイクなの?

昨日は、月曜なのと昨日レースがあったので練習はお休みです。
今日は、朝、ウェイトを少しと30分JOGをしました。
レースの疲れは全く感じませんでした。
( やはり後半つらくなるのをおそれて、セーブしすぎていたようです。 )

一昨日のヒット数 - 961(69位ランキング入り)
昨日のヒット数 - 972(62位ランキング入り)

中華汽車国際杯10Km結果報告

2004年10月17日 | ランニング


 
(レース前)

今、昼前の10時だが、
もう レースが終わって ホテルに帰ってきちゃったゼ。

結果は10km参加 約四千人の中の169位。
全体での位置はまぁまぁ ( でも去年は65位だったけどなぁ ) だが、
予想通り タイムがよくない。

それと、
男でオレと同年代のゾーンのヤツらに、またはぇーのがそろってて、
性別年代別ゾーンだと 300人+α しかいないのに、
その中で38位だった。 ( なさけネー )

 
( 選手リストに 載ってる オレの名前とゼッケン642番 )

でも 台湾のレースとしては過去一番楽しく走れた。 
参加者も多くて、華やかだったし。
今日、スタート地点の中正紀念堂と ゴールの松山堤防沿いの公園は、
参加者に配るシャツの色で、まっ黄色に染まっていた。 

帰りのMRTの円山駅も レース帰りの選手で賑わっていて、
気分的には高揚したナァ。
レースも、今回は どうせいいタイムが出ないのはわかってたから、
前半5kmを すごく抑えておいて 苦しくないように走ったんだ。 
だから後半とばして、
どんどん先行のランナーを 抜いていくときは 結構気持ちよかったゾ。

 
( レース終わってスッキリのオレ )

さー、火曜からまたちょっと走って、
12月の ING国際のレースにそなえないとネー。

今日はこれから、1時間位寝ちゃって ( 今朝3時におきたんだよナ )。 
昼から、S社の社長の陳さんとメシを食う予定だ。 
台南に帰るのは夜になるネ。

  
( 陳さんにご馳走してもらった台北の ” 天下第一鍋 ”。 ドエリャーウメー。 )


今日は、レースなので練習はしませんでした。

昨日のヒット数 - 983(71位ランキング入り)

中山足球場報名(中華汽車国際杯)

2004年10月16日 | ランニング


 
( MRT 圓山駅から 中華民国ロードレース協会がある 中山足球場をみる )

今日は、明日の
” 中華汽車国際杯ロードレース ”
の選手登録のため、台北に移動してきた。 
そしてさっき、中山足球場で登録を終えて、ゼッケンをもらい、
今 ホテルでこのダイアリーを 書いている。

今日も 結構写真を撮ったけど、USBケーブルを 持ってこなかったので、
記事にUPすることはできない。 
まぁ 明日 レースの結果を 報告する記事を 書くときに、
今日の分も合わせて 見直しておくことにするよ。

それとも、どえらい悪い結果に終わって、
「 え? レース? 何のコトですかー? 」
って、とぼけちゃって、
今日の記事もあわせて、全然関係ない食い物のハナシに
さし変えちゃう可能性も、ないではないぞ!
( 今のオレって すごい弱気 )

 
(中華民国ロードレース協会)

ここで一応、明日の目標を書いておこう。
オレがエントリーしているのは、10km ( テンケー ) レースだが、
男子の参加者は 全部で大体 3000人位いる、
オレはこの中で
「 上位10分の1くらいには、入りたいネー。 」
と思っている。

5才区切りで年代別に賞品がでるが、
オレの年代は 走るのが好きなヤツが 多いらしい。 
今回も 300人以上 エントリーしていて、
大体毎回、男子全体の 平均タイムより
かなり早い平均タイムが でるゾーンだ。

この中で10分のイチにあたる30位前後以内なら、まぁOKだ。 
もしか 20位以内に入れて 入賞したら、相当うれしいだろう。
ま、そんな感じだナ。

 
(登録風景)

今日は、調整日なので練習はしませんでした。

昨日のヒット数 - 894(75位ランキング入り)

福寿司

2004年10月15日 | うまいもの


 

今日は、獣医Xと
” 赤嵌街 ( ツーカンジェ ) ”、- この小さい通りは
” 小町 ( スナックのナマエ ) の通り ”
って 呼んだ方が 日本人には 通じやすい 
- にできた、
” 福寿司 ” に行って見た。 
” 蕾 ” のちーままが、
「 日本道道地地的 ( ズーベンタオタオティーティーダ、ホントの日本風の )
  寿司屋でおいしいヨ! 」
って 推薦していたので、前から
” 来よう来よう ” とおもっていたのサ。

台南には まともな寿司屋が無い。 
一番マシなのは 三越の地下の パック寿司だ。 
- って 前に失礼なことを 書いたけど、
このミセは、そんなオレの意見を 変えることになるのかナ。
と、期待して出かけた。
上の写真をみると 判るけど、ミセの構えがきれいだ。

 

上の写真は、今日食った ここで一番高い寿司、
”特上松-660円 ” だ。
握りが 6カンしかないが、一個一個がデカイから、
これ一人前で オレでも 結構ハラがふくれる。
これに、魚のアラの味噌汁も つくゾ。 
この特上と 普通の松の 違いは、
左下のタラバガニが、イカかなんかに変わるだけだ。 
そして 普通の松は 一人前360円で 半分くらいの値段だから、
よほど カニのフリークでもないヒトは
普通の 松 を頼んだ方が 良いかもしれない。

食ってみた後の 際立った感想が 二つある。

(1)ワサビがよく効いている。 
   オレには 食い終わってからも しばらくは、
   自分の頭皮の 下面の 毛細血管が キレる音が 聞こえ続けていた。

(2)クーラーが効いている。 
   食事中オレは、流れ落ちる鼻水を すすりながら、
   アラの味噌汁を飲んで 少しでも暖まろうと はかない努力をしていた。 

 

上の写真が、このミセの大将だ。 
日本人で、日本の調理師免許も 持っている。 
かなりの年齢のヒト だろうが、今日一番 印象に残った 大将のコトバがある。

オレ達が 
「 ドヒャー、さぶいよー! 」
って思いながら、大将が いくらの軍艦巻きを 巻くのを 見ていたら、
ナントこのお方、この写真の格好で
「 ・・・・あー、あー、暑い、暑い・・・・ 」
って言いながら 仕事してんだヨ。 ヒエー!

当然オレ達は、そいつを聞いたアトは
「 あのー、冷房切ってもらえませんか? 」
なんぞとは、食い終わって ミセを出るまで 言えなかったゼ。  

ヘニョリロリ~ン。

いよいよ 明後日の日曜日は ” 中華汽車国際杯ロードレース ” だ。
明日 台北に移動して、昼間のうちに 中山足球場で選手登録をしてゼッケンをもらい、
明後日の朝早く レースに出る。
ぜんぜん練習が 足りないけど、
まぁ、前半抑えて 余り苦しくないように 走るつもりですゼ。

昨日は ウェイトを少しと 30分JOGをしました。
今日と明日は ウェイトを少しだけ行う ” 調整期間 ” です。

一昨日のヒット数 - 924(76位ランキング入り)
昨日のヒット数 - 958(74位ランキング入り)

台南家来福売的魚

2004年10月13日 | その他


 

先回のダイアリーで、
” 過去に類を見ない手抜きをする! ” と気負って書いたが、
早くも今回 アッサリ、手抜き度 No.1 の記録を 更新してしまうゼ!

今日のダイアリーは、前の日曜日に
” 大閘蟹 ( ダージャーシェ、上海蟹 ) ” の写真を
” 家楽福 ( チャラフー、大規模小売店カルフールの台湾店 ) ”
で撮った時、
ついでに撮っておいた サカナの写真を ダラダラ紹介するだけのものだ!


 

上の写真の 中央左側に写っている、
ピンクの魚は だれが見ても判るとおり ” 鯛 ” だ。 
中国でも 発音はちがうけど たしか ” 鯛 ” って言ったと思うが、
家来福では ” 加納 ” っていう名前で売っていた。 
ナンカいわれがあるに違いない。 今度調べておくゼ。

中央右の魚は、知らない人もいるかもしれないが、
日本では ” イシモチ ” って呼んでるヤツだナ。 
オレは、日本にいた時 よく釣ったから、割とファミリアーなサカナだ。 
かまぼこ作るときに 最高の材料だゼ。
 
日本でも ” グチ ” って呼ぶときがあるけど
( 釣り上げると 「 グー、グー 」 ってグチるんだよナ。 )、 ここでも
” 白口 ”っていう 名前がついていたゾ。

買ったら 塩焼きで食っても良いけど、やっぱかまぼこだナ。 
塩を足して 練った身を蒸すだけだから 簡単にできる。 
市販のなんか 勝負にならないような うンまいのが食えるゾ。 



上の写真右側の 黒い魚は
呉郭魚 ( ウーグォーユイ、ティラピア ) ”。 
アフリカの ナイル川原産の 淡水魚で、台湾では1946年に 
さん ” と ” さん ” 
が輸入して養殖を始めたので、こんな名前がついている。
 
日本でも1963年に輸入して、
温泉などの水が流れ込む 暖かい所で養殖しているゾ。
台湾では、他の魚とかけて 品種改良してるから、
日本のティラピアよりは よほどデカイ。

中には 赤い魚につくりあげたヤツも あって、
海産屋で サシミで食わせる時も あるらしい。
- でも淡水魚だからナ。 オレは、勧められても 絶対に生食はしないゼ。
 


上の写真の中央右側に見えるのが、台南の大名物 
” 虱目魚、スームーユイ ” だ。 
この魚の詳しいことについては  ” 台南蔡虱目魚専売店 ” の回を見てくれ!

それから このダイアリーとは 相互リンクを貼っている Murata師匠の 
 ” 台南虱目魚粥の倶楽部 ” を見に行ってごらん。 
この魚について面白い話が沢山読めるゼ。
深水式養殖法が 開発される前は、えらい高級魚だったンだゾ。


台湾では 色々サカナが食えるけれど、
実は西側の海は、乱獲と公害汚染で かなり悪い状態になっている。 
前に 台南の西側にある 安平港に釣りに行ったけど、
釣れてくる魚全部に 茶色のドロっとしたものがついていて、
食うどころか さわる気にもなれなかったゼ。

台湾は大好きな国だし、
コンビニとか スーパーの使い捨て袋を 禁止したり、良い政策も取ってるけど、
ヤッパリ もー少し 環境保護に 力入れた方がいいナ。

自分の国の大会社に 国際競争力を持たせたい のはわかるけど、
輸入関税のインセンティブとかは ともかく、
工場排気・廃液の 基準なんかの 環境保護対策は、
もっと厳しく ( コストをかけて )管理するように 指導しないと、
次の世代に 人間が住みやすい環境が 残せないンじゃないかナ。
( ここら辺の話は、つまんなかったら、ごめんヨ。 
  大体オレが あーだこーだ いう筋合いでもないしナ。 )


今日はウェイトを少しと30分JOGをしました。

昨日のヒット数 - 1004(66位ランキング入り)

要不要来隻大閘蟹?

2004年10月12日 | うまいもの




今日は、ミセとか食ったものの話じゃなくて、
日曜にアパートの近くの
” 家楽福 ( チャラフー、大規模小売店カルフールの台湾店 )” で
大量に 売っているのを 見かけた
” 大閘蟹 ( ダージャーシェ、上海ガニ ) ” の事について、
ちょびっと 書いてみることにした。

淡水に 住むカニの中では 比較的デカイ、
” 中国モズクガニ ” という種類の カニは、
中国語圏では ” 大閘蟹 ” と呼ばれ、
秋 ( 農暦の9月位 ) から 身がしまって 食い時になる。 
本場の 蘇州とか 上海では、農暦の中秋節を過ぎると、
” 大閘蟹 ” の赤い張り紙が そこここの食堂に張られ、
ミセの人が
” 先生、要不要来隻大閘蟹? ( ダンナ、カニ食いませんか! ) ”
って 通りを行く客に 声をかけるようになる。

オレのいる台南でも、
最近は日本と同じように、
自分の国じゃ取れない食材に 一種の憧憬を感じる様な 人達がいて、
この季節になると、このカニを輸入して ガンガン食う様だ。

ときに、なんでこのカニのことを、日本でだけ
” 上海蟹 ” って呼んでるかって言うと、実はこのカニは、
” 田中角栄の日中国交回復 ” 以前は、
香港に集荷されてから 日本に出荷されていたので
” 香港蟹 ” っていう名前だった。 
( こうやって、
  有名な出荷場 -産地じゃなくて- 
  の名前を、日本向けの食材に つける典型的な例が
  ” 天津甘栗 ” だナ。 ) 
だが、その後 日本と中国の つきあいが再開してからは、
上海から出荷されるようになったので、
” 上海蟹 ” っていう名前に変わっていった。 
( そう言うことで、
  中国や台湾で ” 上海蟹 ”
  って言っても 誰も、なんの事か判らないゾ。 )

 

さらに ネーミングのことについて書くが、
なぜ 中国語では
” 大閘蟹 ”
と呼ばれているか - の由来になると
メジャーなところで 下の様な4通りの 解釈がある。

(1)カニを捕まえる ”カゴ ” の名前が ” 閘 ”
(2)カニの甲羅のことが ” 閘 ”
(3)カニが遡上するのをせき止めた水門が ” 閘 ”
(4)調理の方法の発音が ” 閘 ”と同じ

まぁ、台南からでは、
今から どれが正しいのか 調べることは
難しそうだ。

このカニの一番上等なのは、
” 陽澄湖 ” って言う 水がきれいで 水温が低い湖で 取れる
” 清水大閘蟹 ” だっていうことになっているが、
ずいぶん以前から この近くで採れるカニは 全部
” 清水大閘蟹 ” って 勝手に名乗ってるから、
どれが 本物なのかは 判らない状態に なっている。
( ここら辺、関の卸売り市場で 取引されたアジとかサバは、
  何処で採れたヤツでも ” 関アジ ” 、 ” 関サバ ” って名前を
  つけている日本と 実情はあまり 変わりない。 )

さてこの ” 上海蟹 ” については、
日本では 余り問題になっていないが、台湾では 警鐘が鳴らされている
ひとつの問題がある。 
それは ” 抗生物質 ” の問題だ。 
最近 このカニは 国際的に需要が伸びている。 
そして、今や その殆んどが 養殖ものなっていて、
狭いところで 大量に養殖するせいで、抗生物質を大量に使用しているらしい。 
日本でも ” ハマチの養殖 ” の際に
与える抗生物質が 問題になったことが あるけれど、
海水より 遙かに菌が 増殖しやすい 淡水での養殖だったら、
えさにいれる 抗生物質の量 はハンパじゃあない のじゃないかナ。

上海で このカニを食うと
まあ最低、1パイ ( 1隻、イッツー ) 20人民元 ( =280日本円 ) だナ。 
台湾で 食ったって 200円 ( =700日本円 ) 位はするぞ。 
結構な高級食材だ。
だが、この抗生物質カニは 日本では、何と、
1パイ1500円とか、2000円とかで売られている。 
高い!

オレも このカニを食ったことが 何回もあるが、
正直言って 
「 ” 淡水のカニ ” なんかちっともうまくネー。 
  ” から揚げ ” にでもしなけりゃ話にもならないゼ。 
  身も少ない! 」 
とか 思っちまった。
 
・・・・ ” 上海蟹 ” ファンの人がいたらごめんヨ。 
でも、これが、オレの本当に 正直な感想サ。

もしも オレが日本にいたなら、
どうせなら ” 毛ガニ ” か、 ” ワタリガニ ” か、 ” ズワイカニ ” か
のどれかを、同じカネでたっぷり食うんだがなー
( ウンチク抜きで、寡黙に、集中して )。 
マジで。

” 先生! 要不要来隻大閘蟹? ”



今日は、もうレース前の調整時期 ということで練習は休みました。
( ろくにハードな練習も していないのに、調整だけするなんて! )
明日と明後日少し走って、その後は日曜日まで 練習はなしの予定です。

昨日のヒット数 - 987(67位ランキング入り)

黒胡椒蛋-郷土味焼考

2004年10月11日 | その他




今日は獣医X、黒シャツ隊のT君、それにオレの三人で、
オレの住んでいる アパートの前に 新しくできた
” 郷土味焼烤 ” に行ってみた。
 
ここは 台南には メチャメチャ多い 
” 海産屋 ” = ” ビール屋 ” = ” 焼烤屋 ”
( この三つは 違うものに聞えるが、台南では 全く同じ種類の 食堂のことだ。 )
のひとつだ。 
以前は 屋外駐車場だった場所に、テーブルを 適当に並べて開業した、
かなり アバウトなミセだ。

今まで、イエの近くでは、
” ビールを飲めて 適当にメシも食える所 ”
- ってのは、意外と少なかった。 
だから ここには、
「 見かけは どうも期待できないが、万一うまけりゃ めっけものだナ。 」 
- っていう感じで 出かけた。
 
最初に言っておくけど、今日の記事は 手抜きだ!

 

今日は、
まぁ いつもみたいな メニューのものを食ったが、
オレの内心の予想 ( こンなミセうまいわけネーよ - っていう ) に反して、
どれも水準以上のデキだった。 
チャーハンとかも 冷凍野菜を使ってないし、パラッとおいしく炒めてあった。 
量は全般に少なめだが、
これは イエの近くで飯を食うのは 大体一人の場合が多いから、
欠点じゃあなくて かえってありがたい。 
こりゃあ今後使えるゾ! 

一品ずつの量が 他のミセより少ないんで、
頼んだものが 出きった時点で、
オレ達は まだ腹いっぱいになってなかった。 
そこでオレは、獣医Xと黒シャツ隊のT君と相談して、
” 黒胡椒蛋 ( ヘイフーチャオタン、黒胡椒ソースかけオムレツ ) ” を
追加で 頼むことにした。

注文を受けた 可愛い小姐が ちょっと怪訝な表情をしたので、
「 ヤベ、伝わんなかったかな? 」 と心配になりながら、
オレ達は様子をみてた。
すると、今度は あんまり可愛くない おねーさんが出てきて、
「 ちょっと、アンタたち ” 黒胡椒スープ ” なんてウチにはないわヨ!
  一体ナニが食べたいのサ? 」
って 結構なケンマクで 言われてしまった。

そーなんだよナ、 
オレの言った ” 蛋 ( タン、たまご ) ” の発音が あまりよくなかったんで、
可愛い方の小姐が ” 湯 ( タン、スープ ) ” と思っちまったんだよナ。

オレは気を取り直し、も一回 なけなしのキアイを入れて、
” ヘイフーチャオン ” って言った。

そーやってやっとオレ達は、
上の写真の ” 黒胡椒蛋 ” を食うことができたのサ。



上の写真は、
憎たらしくもオレのに発音に、
” FU○K ” サインで ダメを出してる 黒シャツ隊のT君だ。

だが、オレは言いたい。
仲間内で、過去オレだけが ” 発音チョンボ ” してるわけじゃない!

ミセで 帰りのタクシー3台頼んだら、
” 青島ビール ” が3本出てきたヤツもいたし!

それとか、
タクシーで駅に行こうとしたら、
” 花市場 ” に 行っちまったヤツとかも いたじゃないか!

オレの間違いなんか、軽い方だと思うな。
( ま、本人も ” 言い訳 ” って知ってるけどね。 
  イヤ、ホント。 )


昨日は、レースが近いので あせって60分JOGの、後半ペース上げ走をやりました。 
疲れたー。
今日は、月曜なので練習は休みました。

一昨日のヒット数 - 811(88位ランキング入り)
昨日のヒット数 - 980(60位ランキング入り)


質問があったので
ちょびっと、オレの HANDLE NAME について -

オレは前に長いこと、
アメリカで Chem.E の修士をやったり 工場勤めをしたりしていた。 
そんな頃、
運転員が黒人ばっかりの工場で
夜勤チームのリーダーやっていた時に、
何でだか ” KOOL TADA ” とか、
単に ” TADA ” とかって呼ばれていた。 
この ” KOOL ” ってのは ちょっと昔の黒人の表現で
” カッコイー ” っていうくらいの 意味なのサ。
( 台湾で言うと ” スイ ” だね。)  

安平貴記美食文化館

2004年10月09日 | うまいもの




今日は休みだったので、
前に ” 情報提供者 ” として紹介した
” 李秀玲 ” 小姐が推薦してくれた
” 安平貴記 ( アンピンクゥエイチー ) ” に行ってみた。

ここは 台南でも有名な観光地の ” 安平古堡 ( アンピングーバオ ) ”
の近くにあるミセで、"
” 芋粿 ( オーコエ ) ” 、
” 鼎辺坐 ( ティンペンツォ ) ” 、
” 蚵仔煎 ( オアツェン ) ”
なんていう、いわゆる
” 台南古早味 ( タイナングーツァオウェイ、台南の懐かしい味 ) ”
を何でもかんでも ひととおり食わせてくれる、えらい便利なミセだ。

どうして もっと日本の観光ガイドとかでも、大々的に紹介してないんだろう?

 

今日食ったのは上の写真左で、右下から時計マワリに

” 芋粿 ( オーコエ、タロイモ重ね蒸し ) ”
” 肉燥飯 ( ローザオハン、肉そぼろのっけご飯 ) ”
” 鼎辺坐 ( ティンペンツォ、米パスタ入りスープ ) ”
” 肉圓 ( ローユェン/マーワン、肉アン入り団子 ) ”  だ。

” 肉燥飯 ” は別に ” 台南古早味 ” じゃないけれど、
ココのは ” 魚鬆 ( ユイソン、魚のそぼろ ) ” も乗っている特別バージョンだ。

” 鼎辺坐 ( ティンペンツォ、米パスタ入りスープ ) ” は、
基隆の名物でもあって、台湾じゃ わりと普通に食うものだけど、
日本にはあまり紹介されていない食材だナ。 
知らないヒトが多いと思うから、少し説明しておこう。

” 鼎辺坐 ” は、米の粉から 作られた麺で、
ベトナムの ” 河粉 ” とか 客家 ( ” 全福荘 ” の回参照 ) の ” 板條 ” とかの兄弟分だ。 
福建省が原産のもので、製法の特殊性が、その名前に表れている。 
” 鼎辺 ” っていうのはナベの淵の部分のことで、
” 坐 ” って言うのは、本当は 走ヘンがついた漢字で、
粘液質のものの ” ドロリ~ン ”とした状態の意味だ。 
つまりこの麺は、
水を入れたナベの淵に、米粉をゆるく練った生地を
” ドロリ~ン ” とぬって作るのサ。 
ぬられた生地は、
上面が ナベの中の水が沸騰した 蒸気で蒸され、
下面が ナベの地肌で焼かれて、
表と裏が違う、独特の口あたりの 麺になる っていうわけだ。

右上の写真は、
” 蚵仔煎 ( オアツェン、もやしにカキオムレツを乗せたもの ) ” で
台湾南部では すごく一般的な食いものだが、
特に安平では 多くのミセで売られいる。 
” 広島焼き ”
の卵と生地のところに カキが沢山入って 、
キャベツと焼きそばのところが、炒めもやしに変わった ものだ、 
-と思えば間違いない。 
上にかかっているタレが 甘くないミセを選べば、
なかなか うまい食い物だ。



このミセは、
もともと 日本軍占領時代の防空壕 ( 台湾では ” 防空洞 ” って言う。 )
があった場所の上に建っている。 
だから、なんか食いにきたついでに、地下の防空壕を見たりできるし、
食堂の床の一部が ガラスになっているので、
飯を食いながら 床下の防空倉庫とかを 見ることもできるゾ。


いよいよ来週の日曜日は、
” 中華汽車国際カップ ” のレースだが、
相変わらずカラダは重いし、練習もカル~くしかやってない。 
タイムが悪くても 前みたいに 誰もこのダイアリーを 知らなかった時なら、
正直に記録を書けたけど、今は知り合いはみんな読んでるし-。 
困 ったなぁ。

( 「 TADAサンオトロエマシタネ。 」
  とか わざわざ 電話で言ってくるような
  心のやさしい (?) 友達が、オレには沢山いる。 )


一昨日は、練習を休みました。
昨日は、ウエイトと30分JOGしました。
今日も、ウェイトと30分JOGをやりました。

一昨昨日のヒット数 - 965(60位ランキング入り)
一昨日のヒット数 - 1065(60位ランキング入り)
昨日のヒット数 - 834(80位ランキング入り)  

萬紅刀削麺

2004年10月06日 | うまいもの




今日は一人で、イエの前 ( 開元路と林森路の路口の近く ) にある
” 萬紅刀削麺 ( ワンホンタオシャオメン ) ” へ行った。
ココはオレのアパートから近くにあるし、
何を食っても、まぁまぁ失敗がないから、
ひとりでメシを食うときに よく利用している。
 
” 刀削麺 ( タオシャオメン ) ” っていうのは、今じゃ日本でも有名だし、
あの ” 練った粉の固まりから 麺を切り出して 鍋に飛び込ませる ”
- パフォーマンスを、ミンナ一度くらいは見たことがあるだろう。
 
でも、ココはそんな名店じゃあ ないんで、
麺は 確かに刀削麺の カタチだが、
どこかで もう切り出し済みの ものを使ってるゾ。 
それに、麺は 刀削麺だけじゃなくて、
なんと、スパゲティにしか使わないと思っていた
” イカ墨 ” を練りこんだ 中華麺とかも出す ユニークなミセだ!

 

上は 刀削除麺に関する写真を 拾ってきたものだ。 
左上は 山西省の職人のもの、
右上は 山西省にあるかどうかは しらないが、
台湾 ( 台北 ) では 「 ヘルシーだ。 」 っていうので流行の
” 藩茄刀削麺 ( ハンチェタオシャオメン、トマト刀削麺 ) ” だ。

今日オレはあえて刀削麺を食わず ( 食いあきただけサ )、
” イカ墨麺 ” の方を食ってみた。 
下の写真だが、椀の下の方に 真っ黒のメンが見える。 
オレは本当は、イカ墨がどんな味なのかを 知らない。 
だから 今日食ったものが イカ墨麺として、
ウマイかどうかを 断定することができない。
 
だが、コレだけは言っておこう。 
この麺は 台湾の麺にしては珍しく、
日本の ” 讃岐うどん ” 並みのコシがあったゾ。



” 刀削麺は中国山西省の発祥で、歴史上最古の麺と思われ、
  西晋時代 ( 3世紀ごろ ) の書物に記述が見られる。 ” 
- っていう刀削麺の解説を、日本発の情報では よく見るが、
オレが 台湾で聞きこんできた話は、ちょびっとちがってる。

台湾の話の方は、
” 刀削麺は、元の時代 ( 13世紀ごろ ) に、
  モンゴル民族から帯刀を禁じられた山西省の漢民族が、
  小さな鉄片で麺を切り出す技法を開発してできた。 ” 
- っていうものだ。
 
どちらが本当かは知らないが、
いずれにしてもスゲー古くからある麺みたいだナ。

ちなみに、 左手のヒラの上に乗せる練った粉は、
” 托麺 ( トゥオメン ) ”、
右手に持つ鉄片は
” 拿刀 ( ナータオ ) ”
と言う。
 
ア、これ右利きのヒトの場合ネ。
 
最後に、本場山西省の刀削麵に関する詩を紹介しとくゼ。

 「 一葉落鍋一葉飄, 一葉離麵又出刀, 銀魚落水翻白浪, 柳葉乘風下樹稍 」

どうだい? ちょびっと ” KOOL ” だろ!

昨日は、またまた酒が残って練習をやすんでしまいました。
今日は、ウェイトと30分JOGをしました。

一昨日のヒット数 - 914(66位ランキング入り)
昨日のヒット数 - 831(89位ランキング入り)  

吉成蝦仁飯

2004年10月04日 | うまいもの




今日は獣医Xと、
夏林路 ( シャーリンルー )と府前路 ( フーチェンルー ) の交差点の近くにある、
” 吉成蝦仁飯 ( ジーツェンシャーレンハン ) ” に行った。
 
ここは80年も続いた ” 老店 ” で、
前から 「 来よう来よう。 」 とは思っていたが、
ビールを置いてないっていうことで、見送っていたミセだ。 
今日は、仲間うちでは かなり珍しい、
アルコール類を全く飲まない 獣医Xと二人だけだったから、
「 ちょうどイイや! 」 っていうことで 行ってみた。

 

ここは、
昔からある 台南の食堂って みんなそうなんだが、
メニューの種類が少ない。

置いてあるのは、
ご飯ものが、
蝦仁飯( シャーレンハン )、
親子丼 ( オヤコドン、親子丼 )、
肉糸飯 ( ロウスーハン )
の三種類で、
スープが、味噌湯、鴨蛋湯、蛤仔湯 しかない。
おかずは、
目玉焼きと燙青菜 ( タンチンツァイ、青菜をダシでサッと煮たもの ) だけ。

今日は、
蝦仁飯 + 蛤仔湯 + 目玉焼き + 燙青菜 というコンビネーションで
晩メシにしてみた。

上の写真を見ると、
なんか栄養バランスもよさげな感じでいいだろ。

味のことを言うと、
蝦仁飯以外に食ったものは まぁどうってことはない。 
フツーだった。 
だが、蝦仁飯は 海老がスパイシーでドライな 感じで、
焼きネギとの相性が良く、なかなかウマイもんだった。
( 下のメシも結構シルが多くて、ショウユ味もしっかりついているから、
  日本人には食いやすいゾ )

ちょっと関係ない話だが、
台湾で 目玉焼きのようなものを頼むと、
必ず ( かナ? ) 黄身をワザと つぶしたものが出てくるゾ。 
( ウソと思ったら試しにどっかのミセで食ってみナヨ。 
  それで、悪いけど、あとで結果の連絡をくれ! )



中段の写真のタップリご飯を食べたあと、
それでも食い足りなくて ( ビール飲んでないとハラふくれにくいンだよネ ) 、
オレは追加で
” 親子丼 ( コレ、台湾の呼び名も ” オヤコドン ” だゾ - 左上の写真 )”
を食い、獣医Xは
” 肉糸飯 ( ロウスーハン、右上の写真 ) ” を食ってしまった。

どちらもマズくはないんだが、汁が多すぎて、
もはや ” ゾースイ ” 状態になっていた。 
ここはヤッパリ ” 蝦仁飯 ” を2杯食うのが 正解だったゼ。

ちょっと告白するが、
オレはこのダイアリーを始めてから、
実は、3kg以上も 体重が増えてしまった。 

最初は 勝手な駐在メモ のつもりで始めたんだが、
だんだん 読んでくれる人が 増えてきてからは、
「 オモシロくせねバ! 」
と自分でもミョーに燃えてきてしまって、
やたら色んなトコロを 食い歩いたからだ。
( 行ってはみたけど、
  ” どうやっても 書けネー ”
  っていうミセも 相当数あったから、
  本当に行ったミセの数は、UPした記事の数より かなり多いゾ。 )
 
そして今の問題は、
この10月17日の ” 中華汽車カップ国際 ” から始まる
今年のレースシーズン
( 他人がどう言うかは知らないが、
  オレは一応自分では 10Km ( テンケー )ランナーのつもりだ! )
にどう対応するかだ。 
3kgも体重が重いと、当然、タイムは相当悪くなっちまうだろう。
ヨシ、まずは今日みたいな
” 2杯めし ” を食うようなことだけでも、慎むことにしよう!

昨日は、ウエイトと30分JOGしました。
今日は、月曜日なので練習は休みました。

一昨日のヒット数 - 941(65位ランキング入り)
昨日のヒット数 - 865(74位ランキング入り)  

新竹米粉・貢丸

2004年10月02日 | 名産




今日は、
いつも ” 台南 ” のことを書いているのが、
先回 ” 台中 ” に行った 勢い に乗って、
さらに北上した ” 新竹 ” の話を書く。 
っていうか、
本当は、昨日 ” 新竹 ” の事務所に 行ったからだけ なんだけどネ。

”新竹(シンツー)”の食いものと言えば、
なんといっても
” 米粉 ( ミーフン、ビーフン ) ” と
” 貢丸 ( コンワン、豚肉のツミレ ) ” が有名だ。

上の写真は、昨日の昼食に オレが食ったものだが、
左側が
” 貢丸湯 ( コンワンタン、貢丸のスープ ) " で、
右側が ” 炒米粉 ( ツァオミーフン、炒めビーフンだ ) ” だ。

” 貢丸 ” の名前の由来だが、
昔、これを作るときには、
豚肉を ” 槓 ( ガン、棒で叩く ) ” して作っていたから、
こんな名前になったらしい。

 

昨日オレが 昼食を食ったのは、
新竹の事務所の近く、光復路2段にある
” 餃子大王 ( 左上の写真 ) ” だ。
 
ここは味も良いが、近くにある
” 交通大学 ( ジャオトンダーシュエ、新竹にある名門の大学 ) ”
の学生がよく来るから、
出てくる量がハンパじゃあない。 
チャーハン一人前を頼むと、食い終わるのに40分かかるゾ。 
” 貢丸湯 ” だって、台南で食うと
” 貢丸 ” が 2個しか入ってない所もあるのに、
ここでは デカイのが4個も入っている。
( もう一回一番上の写真を見てくれ ) 
それに さすが本場の新竹! 
貢丸の肉の味が すごく濃いゾ。


ぜんぜん話は変わって、
日本の ” どっちの料理ショー ”
っていう テレビの番組は 台湾でも
” 料理東西軍 ”
という名前で放映されているが この前見ていたら
” ビーフン VS 皿うどん ” の回で、
「 ビーフンは新竹の ” 虎牌 ” が最高ですよ~。 」 って紹介していた。 
でも、それを聞いた時、オレは 「 んー? 」 って思った。 
ずっと気になっていたので、新竹ローカルのみんなに確かめてみたら、
全員の答えが
「 ” 虎牌 ” は新竹のメーカーじゃなくて、もっと北の方の会社じゃないかナ。 」
っていうことだったゼ。 
ウーム、日本のテレビも結構勘違いが多いね。

新竹で有名な米粉のメーカーっていうと
やっぱり 右上の写真にも名前が見える
” 海瑞 ( ハイズェイ ) ”
とか白鶴印、観音印、老鍋なんかじゃないかナ。 

でも、自分でビーフンゆでない オレには
本当は あんまり関係ないけどネ。



左上の写真は、
” オレが昨日確かに新竹に行った。 ”
っていうコトを証明する、電車の切符の写真だ。

乗った電車は
” 自強号 ( ツーチャンハオ ) ”。 
来年秋に 新幹線が開通するまでは、台湾で最速の電車だ。
( と言っても、時速100kmでるかどうか - って所だが )

写真に写っている ちっちゃい方の切符は、
右上の写真みたいに 前の席の背もたれのところに いれておく。 
こうすると 車掌さんが検札に来たときに、
だまってこの切符をチェックして行くから、
ヨダレたらして寝ていても、
「 お休みの所、申し訳ございませ~ん。 」
とか言われて 起こされずに済む。 

なんて行き届いた配慮だ!


昨日は、早朝から出張で、練習できませんでした。
今日は、ウェイトと60分JOGをしました。

一昨日のヒット数 - 1100(49位ランキング入り)
昨日のヒット数 - 708(88位ランキング入り)